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第四十話/東方都市

 蛙ラーメンなる珍妙な料理を夕飯とするべく川を辿って歩いたソウル一行。屋台でラーメンを啜っていればそこに現れたのはテンケツさんを焼いたという男。二人が立ち合っていると更にテンケツさんの妹・キショウさんが現れて事態はもう滅茶苦茶。大森林の因縁に雁字搦めにされ、身動きを取れないままに一連の流れを見届けた俺とヴァンは、夜も深くなり自分達の身の安全を最優先にすべきであるというヴァンの一声でテンケツさんの捜索を諦めた。夕飯も半ばであり、緊張と緩和、捜索作業によって体力を大きく消耗したために夜中でもやっていた居酒屋に立ち寄り飯を食べ、宿に戻って床に着く。


 明けた翌日。

 宿で目を覚ましたところでテンケツさんが帰って来た様子もなく、未だ生死不明の時は継続している。ヴァンはこれといった反応はないが、やはりどこか気にしている風ではあるのだけれど、俺の手前弱さを見せまいとしているらしく気丈に振る舞い続けていた。


 だが、意味のわからない状況なんてものは西都を後にしてからずっと続き続けているのだから、いい加減慣れて感覚も麻痺してきた。今は眼前の、明確にやるべきことをこなすべきだと考えた俺は南都司教からの手紙を持ち東方聖堂へと向かう選択を取る。今はヴァンの気持ちを考えているべきではないし、明確とは行かないまでも敵が組織だって存在しているとしれた以上は些事に拘ってはいられない。心苦しいけれど、テンケツさんはここで切り捨てるべきだ。それが合理的な判断のはず。


「……テンケツさんの捜索、頼んでみようか」


 とは言え、希望は必要だろう。

 テンケツさんのあの最期——死んだにしては、呆気なさすぎる。そりゃ、万人が万人とも劇的な死に様を迎えるとは思ってもいないけれど、そうだとしてもドラマチックじゃないとか関係なく俺の目には父と重なって見えた。それだけの力を有している人が、簡単にやられるとは思えない……とは言え、重症であることには変わりがないのだろうから発見・治療はいち早く行うべきだ。


「別にいいよ。死んでいようが死んでいまいがあいつの自業自得だろ」


 俺の言葉を手をパタパタと左右に扇ぎながら否定するヴァンであるが、殺し屋故の心の凍てつきの他に確かに人の心の温かさを持っている。理性では殺し屋としての考えが働きテンケツさんを諦めるべきだと、切り捨てるべきだと考えているようだが、どうしようもなく傷ついている部分もあるようだ。


 だから好かれるのだろう。テンケツさんやユリウスさん、サウロさんに至るまで殺し屋であると知って尚もヴァンに心を開いている。それはきっと、人間らしい人間だからだ。


「そんなこと言わないの」


「なんじゃい、その態度は。馬鹿にしてるんか」


「そんなことないよぉ。馬鹿になんて、そんなそんな」


「してるじゃん! してる奴の態度なんだわ、それはさ!」


 先行なんかして、振り返りながらも指を指して喚くヴァンの言葉を作り笑いで受け流し、俺達は東方聖堂への道を走り出す。後ろで「逃げんな」と怒声を挙げながら追跡してくるヴァンを無視しながら、俺は東都中央に構える聖堂へと向かった。


 旧アガツマ時代、政党崩壊を招いたルッタの討ち入りの最後の一撃として九段衆が行った東の大門からの行列侵攻に屈した大将ソラール・ミラルドルフは自身ごとアガツマ城を爆破し、一連の騒動に終止符を打った。そんなアガツマ城跡を整え、本丸のあった場所に建造された建物こそが東方聖堂であり、教会は城内を一般に解放して道中を商工会に提供することで東都全体の活性化を図ったのだ。それ故、旧アガツマ城跡に立ち入ってから聖堂に至るまでの道中には多数の商店が立ち並び、浪費癖のあるヴァンは気付けばねり飴を手に俺の隣を歩いていた。


「服に付けないでよ」


「そりゃわからんよ。飴の伸び、風の流れ次第としかねぇ」


 なんだか、心傷の内にあるのは気のせいだったのではないかと思えてきた。本当は極冷期の訓練所のように凍て刺す精神性をしているのではないだろうか。きっとそうだ、そうに違いない。


 美味そうに飴を食べるヴァンを置いて先に進む。

 防衛を考えられているアガツマ城跡は、道順に沿って進むだけでそれなりの疲労を強いられる。緩い坂と多数の右左折路は戦を考えての作りであり、攻める側にとっては厄介極まりなく、守る側は上から近付くことなく攻撃出来る仕様になっている。五都の内で最も後に教会を受け入れた東都は、人一人の生涯程の時が経ったとて争いの色を残している。これは自衛の必要性があった事実その証左であり、西都や北都のようにただ一人に守られてきたのではなく協力して生きてきた力強さを思わせた。


 そんなことを考えながら城跡を進んでいけば、東方聖堂へ辿り着く。東都全体の雰囲気を壊さぬように配慮された聖堂デザインは漆喰壁に瓦屋根とシック且つ溶け込むように、しかして元々そこにあったアガツマ城を思わせる姿をしている。アガツマ城は確かに統治の証であったが、見上げればそこにある街の見守り手としての役割もあったために敢えてこの形が取られているそうだ。


 央都の大聖堂を含め、五都の聖堂は街の特色に合わせてデザインされているが、その中でも東方聖堂は異色の作りであり、もしも東都観光の折には一度立ち寄るべきと言われる観光スポットでもある。併設されている資料館には旧アガツマ時代の物も多く展示されており、また北に大森林を構える都合、古くから交流があったが故の独特の発展が見所である。


 東方聖堂に入り、受付で南都からの使者である旨を口にして紹介状を提出する。


「拝見します」と言い、紹介状の内容に目を通せば「少々お待ち下さい」と奥へ消えていった。そう待つこともなく上司と思われる男性を連れて戻ってきたので、俺達はその男性の後を付いて奥へと進んだ。


 廊下を歩み、ある一室の前で足を止めると男性は「失礼します。お連れしました」と室内へ声を掛ける。


「そうか。上げろ」


 告げられた声を受けて男性は戸を開きながら身体をずらし、頭を下げて俺達を室内へと通してくれた。ひとつ礼を返して横を抜けて室内へと上がると、畳敷きの室内で一人の青年が我々を迎え入れる。


「どうも。お久し振りです、ディアノさん」


「久しいな、ソウル殿」


 俺の挨拶に返された言葉は気張っているものの弱々しく、目の下の隈から見ても疲労を溜め込んでいるのは明白だ。だと言うに通したのは、やはりこちらでも問題が起きているからだろう。


 ディアノ・ノーマンは東方司祭の二代目であり、父に九段衆は棟梁ジョンジュエル・ノーマンを持つ。先代は九段衆としての活躍を讃えられ、またその後の復興に責任を持つべく東方司祭の席に着き他の四都との間にあった時間的・文化的な隙間を埋めたのだ。そんな先代も俺の幼い時分に逝去し、それ以来は息子であるディアノさんが東方司祭を襲名した。


 ジョンジュエルさんの葬儀には、俺も出席した記憶がある。老いて尚、気迫を感じさせる老人というものはあの人以外に見た経験がない。


「よっす、ノーマン卿。お疲れだね」


「……アストライアか」


 軽いノリで挨拶をするヴァンに対して、ディアノさんは目を細めて視線を送る。疲れた声とは別に呆れたような声色を秘めた声を出すディアノさんに、関係性がわからない。


「知り合い?」


「仕事でね。東都は成立からアストライアとズブズブの関係だったのよ」


 小声でヴァンに問うてみれば、好きな子を耳打ちするようなワクワクした気持ちを隠す気もなく曝け出しながらも告げられた。


 成立から……となると、最低でも五十年以上前からとなる。何をさせて、などと考えるまでもない。明確にひとつの事象を起こすための集団こそがアストライアなのだから。


「そうした目で見てくれるな、ソウルよぉ」


 意図せず眉間に力がこもっていた俺に対して、ヴァンは苦情混じりにそう告げる。最早、俺とて人殺しの内の一人というのに金で殺しをやるからと自分と別物と考えるのは傲慢だろう。けれど、どうしても嫌悪感は拭えないもので。


「南都からの文は確認した。端的に伝えれば、東都もまた襲撃を受けてヤハウェオブジェクトを奪われている」


「やはり……ですか。敵とは、交戦を?」


「ぁあ。多く被害を出した」


「敵の数は? 特徴や武装も」


「数は……一人。細身の刺剣に青髪の男だ」


 刺剣に青髪の男は知らない。墓守りの一座もまだまだ頭数を残していると見える。

 しかし、一人に壊滅させられるとは……東都がそう簡単に陥落させられるとは思えない。それにここに来るまでに設備の破損等は見受けられなかった。保管場所が別であるというのならば話はわかるが、被害規模が小さい。南都が三人組による襲撃であったことを考えると、単独での襲撃というのも異様だ。相当の手練れが送り込まれたのだろうか。

 俺が東都の襲撃者に思いを馳せていれば、どたどたと騒々しい足音が接近し、勢いよく背後の戸が開かれる。


「申し上げます! 北東ブロックに例の剣士が現れましたぁ!」


「何ぃ⁉︎」


 つい今し方の威厳のある低音とは打って変わって、悲鳴にも似た声を上げるディアノさん。


「被害、またしても甚大。家屋三棟が倒壊。火災も発生しており、現在消防が対処しています」


「そうか。下がって良いぞ」


 手を払い報告に来た衛士にディアノさんが下がるよう指示を出せば、衛士は「はっ」とキレのいい返事をして一礼後戸を閉め、またぞろ急ぎの足音を鳴らして立ち去った。足音が鳴り止むまでの時間、室内には重い沈黙が蔓延する。

 沈黙の中でディアノさんの顔はみるみる内に青ざめて行き、足音が聴こえなくなる頃にはディアノさんの顔は真っ白に変色を遂げていた。


「もぅ、やだぁ……いい加減にしてくれよホントにさぁ」


 先程までのシャンとした姿勢はどこへやら。ディアノさんは顔を手で覆い項垂れて、ため息を多分に含んだ情けない声を漏らす。疲弊し切った様子に衛士の「またしても」という文言から何度も"例の剣士"からの被害を受けているらしく、更には直近で聖堂の存在意く義とさえ言えるヤハウェオブジェクトを盗み出されている……それもたった一人の男の手で。

 何となく、哀れに思って口を開く。


「例の剣士……というのは?」


 質問を口にした瞬間、横に立つヴァンから鋭い拳が脇腹に入る。普通に痛くて「んぐ」と変な声が漏れてしまうが、反応は声だけに留めてヴァンに対して目を細めてヴァンに視線を向けた。


 睨まれたヴァンは口元に手を当ててディアノさんから自身の口の動きが見えないように配慮しながらも別段、そう声を殺さずに「馬っ鹿お前さ、こんな面倒ごとに首突っ込もうとすんなよ。突っ込まれ待ちしてるだけだぜ、あれ」とディアノさんを指差しながら陰口を叩く。俺が本人を目の前にしてよく言えるなと苦笑いを浮かべてみれば、ディアノさんはこちらにも聞こえるレベルの舌打ちをして座りを崩した。


「まあ何だ、話だけでも聞いてくれや。ヴァン・アストライア——お前には聞く責任がある。お前個人としてではなく、私と同じく家の名を代表する者としてだがね」


「……アストライアと関係があると?」


 じろり、と蛇のように鋭く見開かれた瞳がディアノさんを睨む。


「ああ。現在東都を騒がせている剣士二名については頑として素性が不明だが、この片方の連れである女については何者であるか調査が付いている」


「………………」


「オレガノ・ストロンガー。諸大名の一席に座していたディープ・ストロンガーの娘であり、十八年前のストロンガー一家毒殺事件の折に行方不明となっていた人物だ。当時の年齢から現在は二十四歳。足跡は追わせているところだが、わかっていることとしてこの女はヤハウェオブジェクト奪取の際にここに侵入しており『殺人者ノーマンに復讐を』などと叫んでいたらしい。恨まれる覚えがないものだから探してみれば、見つかってしまったよ」そう言ってディアノさんが一枚の書類をヴァンに渡し、受け取ったヴァンは顔を顰めた。「父上がアストライアと交わした殺しの依頼書だ。ストロンガー一家の毒殺はノーマンが依頼して起こったこと、という訳だな。そりゃ、恨まれる。当然だ」


「ヴァラキア爺さんが引き受けてるな。毒のスペシャリストだ、ミスるとは思えないが……」


「が、事実そうなっている」


「……そうかい。了解した。アストライアとして、オレガノ・ストロンガーの殺害は引き受けよう。だが、その暴れ狂ってるとかいう剣士について僕はノータッチを決め込むからな。あれだろ? 三白眼の青年と肩くらいで切った髪の少女」


「何だ、知っているのか」


 その特徴は、昨晩出会った二人であった。

 アメミヤ・アマツユと、サキハラ・キショウ。


「知っているも、だ。昨晩、僕の友人が巻き込まれて殺された……あの二人がやり合ってるのは、どうやら男の方が大森林での平和な暮らしをぶっ壊して師匠らしい女の子が馬鹿弟子な男をぶっ殺しに来たって具合みたいだよ」


「他所でやってくれぇ……」


 それは、正真正銘心の奥底からの言葉であった。

 サキハラ・キショウとアメミヤ・アマツユの関係は師弟であり、師であるサキハラが何かをしでかしたアメミヤを処罰しようとしているらしい。アメミヤとオレガノの関係は不明だが、ヤハウェオブジェクトの奪取作戦時に現場にいたとなると墓守りの一座の関係者と見るべきなのだろうか。アメミヤ・アマツユも? だとしたら、アメミヤ・アマツユは何故にテンケツさんを襲いその体表を焼いたのか。テンケツさんには狙われる理由があった? 墓守りの一座の狙いから見ると石櫃であるが、テンケツさんは石櫃を持っていたというのだろうか。不明点が多過ぎるな、不出来なマインスイーパーかよ。


「で、だ。アストライア、二人組は定期的にここ東方聖堂に襲撃を仕掛けてきている現状で、遊撃をするのか迎撃のか。どちらを選ぶ?」


「襲撃されてんのかよ……にしては随分と綺麗に残ってるようだけれど」


「民草に被害など出せん。真正面から攻められぬよう衛士の配置に工夫を凝らしたのだ。当たり前なことを聴くな、殺し屋」


「そうかい、嫌味ったらしくありがとね。……まァ、やるなら迎撃だろ。だだっ広い東都の中で二人だけを探し出してってのも良いけど、街の人に被害を出さないって条件が付いちゃ見つけたとてその場で仕掛けられない場所が多過ぎる。仕掛けてくる以上向こうも万全を喫してくるだろうけど、んな百パーには百二十パーぶつけりゃ勝てるものさね」


「アホの計算! アストライア、貴様ホームじゃないからと適当なことを口にしているんじゃないだろうな」


「え〜。そんなコト、ないよ?」


 口を尖らせて他所を向き、明確にて悪意を持って返すヴァンに俺は呆れて声を掛ける気にもならない。何を考えて今、彼が口を開いているのかは知れないが見知った者同士と言うのであれば口を挟むのは無粋というもの。何も言わないこそが正解と見る。


 オレガノ・ストロンガーについては何も言えないけれど、これで俺は戦士の一家に名を連ねる者。アメミヤ・アマツユが非常に強力な使い手であることは疑いようのない事実として眼に焼き付いている。ヴァンと共に、であったとて勝利のビジョンは映らない。勝てない、百二十パーセントであっても。


「あんま言いたくないんだけども、迎撃でもなければ勝てはしない。僕の友人であるテンケツが勝てないのであれば、正攻法で勝ち目はない。『またしても』と言っていたな、さっきの報告。……例の剣士の被害が外で出たのは、いつから」


「石櫃を奪われた少し後で……あー、この書類のこの辺りにっと。九日前が初だ。次が翌々日の昼過ぎ、その次が三日前、そして最後に今日」


「正確には昨日もあった、計五回だ。では、東方聖堂への襲撃は?」


「十五日前の石櫃奪取の日、十日前、八日前、四日前の四回だ」


「剣士は襲撃の翌日に殺し合う。恐らく、キショウとかいう女剣士の方が襲撃で残った痕跡を追って、ってな具合だと思うんだがね」


 だが、先日の蛙ラーメンでの出会いは不意のものであり、そこでテンケツさんと争ったことでアメミヤはキショウに捕捉された。これにより今日も果し合いが行われた件には説明が付く。

 十五日前、十日前、八日前、四日前。初日は別とカウントしてもいいかもしれないが、敢えて取り込むとして間隔は五日、二日、四日となる。準備に時間が掛かっていなさ過ぎる点から、目的はシンプルにディアノさんの物理的な殺害と見て良いだろう。それを行えるだけの実力がアメミヤにはあり、またキショウとの戦闘を挟みながらも最短でも二日後には再度聖堂へと襲撃を掛けられる点からも向こうへの被害が軽微に収まっていると推測出来る。


「ディアノさん。オレガノ達はどうしてディアノさんへの復讐に失敗を続けているのですか?」


 複数回の襲撃を経て、ディアノさんは俺の目の前に今尚存在し続けている。それは即ち、オレガノの失敗を意味するものであった。


「……君には話せない」


「では僕には話せると?」


「ああ話せる。お前のような人でなしに対してならば如何に残酷な話であれ寝物語に聴かせてやろう」


「イヤだよ、夢見の悪い」


「何やねん……」


 俺には話せない。

 しかしてヴァンに話せるとなれば、それは俺が聞きたくもない嫌な話なのだろう。けれど、邪道と言えども道は道、ヴァンに視線を送ればあいつも俺の方へと視線を返し、後頭部に手を回して俺から視線を逸らせた。


「影武者だろ」


 ぼそり、とヴァンは呟く。

 影武者——成り変わり、つまりは自分の代わりに他の誰かを生贄にして為政者が生き残るということ。社会を混乱に陥れないために死を偽装するのならばまだしも、生き残るために他者の命を差し出すなどと。そんなことは許されないし、許してはならない悪行だ。もし事実であるのならば、俺はディアノさんに手を貸したくなど、ない。


「アストライアの……いや、その通りだソウル殿。私はこの命を繋ぐべく、影武者を用意してその者を切らせた。三人、私を生き残らせるために死んでいったのだ。石櫃を奪われ、街中では剣士が暴れている。この荒れた世の中で私が死ねば、混乱は濁流となる……死ぬ訳には、いかんのだよ」


「でも、ディアノさん……」言葉に詰まり、俺は目を伏せる。「駄目ですよそんなの。駄目です」


 俺の言葉にディアノさんは居心地悪そうに目を背けて、口を手で覆って隠した。表情は心の内を映す鏡であるからにして、きっとディアノさんは覗き見られたくはなかったのだろう。


「綺麗事だよ、ソウル・ステップ。世の中は綺麗事だけじゃ回りはしない。東都成立は反乱の歴史であり、多くの血と争いが土壌となり大地に染み込んでいる。それだけじゃない。その後も統治を盤石なものにするべく、アストライアを初め多くの者の手を使い貴族共を黙らせた。東都は血と争い——即ち、死と怨恨の土地なのだよ。綺麗でなど、いられないのだ」


「綺麗事だって……そりゃ、そうでしょうけど」


 言い返せなかった。

 俺の父は西方覇王の異名を持つ武芸者にして西方司教であったな、覇王の証明は争いによってなされたものであり、証明された強さあってこその政治であったとも言える。ペンは剣よりも強くとも、ペンを持つ者は剣それそのものには勝てない。武力はペンに含まれるのだ。


 それに俺だって、ここ東都に来るまでにも自分のために多くの人を傷つけて、人だって殺して来た。命を奪わなければ、あんな暴力の世界から足を洗って幸せに暮らせる道だっていくらでもあったはずなのに……俺は自分の命が惜しくて他者を切り捨てたのだ。他人のことなんか、言えないじゃないか。


「イイだろ、綺麗事で」


 じっとりと重い空気が部屋の中を包み込んでいたにも関わらず、ヴァンは平気な調子で興味なさげに口にする。


「綺麗事が良いんだから、綺麗事言っときゃ。あんたみたいに綺麗事も言えなくなって馬鹿正直に死者を背負ってたらすぐに潰れちまうだろ、ダボが。理想は持って、実現するための現実も持っておく。現実を理想に近付けて、今やれるだけの最も近い手段を取る。それだけじゃないの?」


 そんなに難しいこと? とでも言いたげな口調で言うヴァンであるが、しかしてそれは確かにと納得せざるを得ない理論である。俺は理想ばかりを夢見すぎているのは自覚しているし、やめられないけれど……それでも出来るだけ、出来る限りと。手を伸ばして、綺麗事を口にして掴もうともがく。もがいて生きたい。

 それだけで、良いし/それだけだ。


「んじゃ、まず奴らをあっと驚かす迎撃作戦の第一歩!」


 感動も束の間、本当に興味無かったらしいヴァンは人差し指を立てて天に突き上げながらも楽しげに対オレガノ・アメミヤペアの作戦を発表した。


「サキハラ・キショウを、こちらに付ける」

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