賢者適正
『賢者』は高名であり聡明であり長命であり、つまりそんな連中に恩など売ってはいけない。数千年を生きる彼らの尺度は普通の人間のそれを遥かに逸脱していて、どんな見返りを求められるか分かったものではないからだ。
しかしながら愚かにも、人間は己で超えられない問題に直面したとき神にでも祈るかのように、常に『賢者』を頼ってきた。
「不治と診断された息子の病を癒やして欲しい」
「恋人を薬物漬けにした犯罪組織を潰して欲しい」
「敵対国の王子と結ばれるために情勢をなんとかして欲しい」
こうした神頼みに対して「我々の本分は万物の探究」と突っぱねる『賢者』達は分をわきまえていると言えるが、しかし中には頼みを引き受けてしまうロクでもない『賢者』達もいる。数千年の叡智をもって見事に問題を解決したあと、「一生このご恩は忘れません」と頭を下げて涙する人たちを、見下ろす彼らの口元は歪んでいる。
「一生分じゃあ足らないね」
その女『賢者』は私に言った。
「千載の知識と、君の残り数十年の寿命では釣り合わない。だから君に呪いをかけた。今回のことを『何度生まれ変わろうと』決して忘れない、という呪いを。いつかきっと逢いに行くから、それまで『賢者』の知識に見合うものを蓄えておきたまえよ」
大丈夫何年かかってでも見つけ出すよ、と最後まで彼女は笑っていた。
◯
「ふうん、じゃああんたはその借金取り立てに怯えて、薄汚れた浮浪者の格好でこそこそしてるってのかい」
酒場のマスターにツケの支払いを詰められてまごまごしているおっさんに助け船を出してやり、ついでにエールを一杯奢ってやった。すると、彼はさっきの話を俺に聞かせてくれた。
「それとも、もう『賢者』に尻の毛まで抜かれた後なのかい」
ギャハハ、と我ながら下品に笑うと彼はムッとしたようだった。
「『賢者』は金品を欲しない。…財宝を報酬としてどれだけ積んでも固辞されたから分かっている」
「じゃあどうすんの、その『賢者』の知識に見合うものってやつは」
「それが分かれば苦労しない。いや、まあ分かったところで苦労はするだろうが」
おっさんはジョッキのエールを煽った。
「記憶を引き継いで生まれ変わり始めてから、色々なことに挑戦した。貿易会社を興して海を渡ったり、軍隊に所属して心身を鍛えたり…そうして『賢者』の知識に見合う何かを探していたが、ついに何も見つからなかった」
「今のおっさんは、社長や軍人にはとても見えねえけど」
「始めのうちは、何かを見つけなければならないと気負って人生を過ごしてきたが、そんな生き方は疲れるし飽きてしまった。代わりに『賢者』そのものに私の興味は移っていった」
空になったジョッキをおっさんは両手で抱えながらじっと見つめている。
「『賢者』の本分は万物の探究、とはよくいったもので音楽や文芸などの芸術学に始まり、生物化学や機械工学に至るまで、どんな分野の最先端にも彼ら『賢者』の研究があった。私もそれを学ばんと、ここ七百年ほどは『賢者』の研究資料を読み漁る日々だ。寝食を忘れるほどに傾倒し、こうして醜態を晒してはいるがそれほどの価値があると思っている」
くくく醜態ねえ。そう聞くと、その薄汚れた格好もなかなかどうして様になってんじゃねえの。「しかし肝心なことに」とおっさんは続ける。
「待てど暮らせど、いくら生まれ変わってもあの女『賢者』が現れないのだ」
「…それは単にあんたのことを見つけられてないんじゃねえの」
「私はこれで、あの件から十九度目の人生を送っている。千年近くが経過し、これは『賢者』の基準からいっても相当長い年月、のはずだ。にもかかわらずあれ以来、彼女は一度も姿を現さない」
おっさんはジョッキから顔を上げて、まっすぐ俺を見据える。
「『賢者』について学び始めてからしきりに、私に呪いをかけた彼女はどうしているだろう、と考えむしろ私が彼女を探してきた。そうしているうちに彼女は、私の知る女『賢者』の姿ではもうないのだと考えるようになった」
「ん?どういうことだ」
「『賢者』の不死性については秘匿されていて、これは私の推測でしかないが、彼らは私のように記憶を保持したまま生まれ変わり続けている。つまりその姿も変わり続ける」
「…」
「そういうわけで、『賢者』の知識に見合うものは見つけられていませんがもう勘弁してください、ファトゥウス卿」
「ぶふっ」
もう我慢ができなかった。あーはっはっはっはっはっ、「もう勘弁してください」だって俺はいじめっ子か。ひーっ、苦しい。
「…話し方は随分違いますけれど、その態度千年前と何も変わりませんね。さっきようやく貴方だと気が付きましたよ」
「こっちはずっと見守ってきたから千年振りな感じがしねえな」
もちろん、常に目を離さず監視していた訳ではねえけど。
「と、言うかあんた随分な勘違いをしてるよ。『賢者』の知識に見合ううんぬん、について」
「どういうことです」
「『賢者』の知識に見合うものってつまり、『賢者』の知識そのものじゃん」
「え?それってつまり」
「そう、あんたは数百年かけてもう既に蓄えてきてたのさ」
まあ彼が学んできたものは俺にとって既知のことばかりだが、この千年間必死な生き様を俺に見せ続けてくれたことで充分元が取れている。お釣りが出るくらいだぜ。
「それにあの呪いについてもな、あれ嘘な」
「嘘!?」
「嘘というか、『もう「賢者」なんかに頼ることのないよう余生を必死に生きよう』って思わせる程度の軽い暗示だったんだが、記憶を引き継いで生まれ変わり続けるほどの意志力があるなんて…」
くくく。
「あんた『賢者』に向いてるよ」
「ふざけんな!」
あーはっはっはっ。今まで人助けのたびに同じことを言ってきたが、『賢者』にまで転生したのは彼が初めてだった。
「私が千年間どんな思いで…」
「今日は宴だ奢るぜ、マスター!」
「…コンパニオンを呼ぶな…そして尻を撫でるな!こっちは一応『賢者』として尊敬してるんだぞ、貴方のことを」
「あーほんと、今日は気分がいい」
「…さっきお釣りが出るって言ってたじゃないですか、払ってもらいますよあれ」
「ん?口に出てたか」
「『生まれ変わっても愛し続けよう』と誓ったあのときの王子、探すのを手伝ってください」
「…あんたつくづく『賢者』に向いているよ」