1-3 “深窓”
次の日、クライズさんは朝早く出ていって、俺は部屋に残される。
さて、どうしようか。明日の準備をしようとも思ったが、審査とは何を審査されるのかが分かっていない。剣術なのか体術なのか、算術なのか兵術なのか。とりあえずクライズさんにもらった骨つき肉を齧る。後で金は払えと言われたが。冷えていたが、味が濃くてそれなりに美味しかった。
宿の庭に出て、剣を抜く。日が昇ってから、まだそう経ってはいないと思っていたが高度を見るにもう一、二刻で昼になる。腹ごなしがてら、俺は剣を振り始めた。
昨日は暴漢相手に、思わず使ってしまったが、まだ思うようには振ることができない。故郷を去る時に、餞別としてもらっただけだ。それまで剣など持ったこともない。しかしこれからはこの都市を護る者として、剣くらい扱えなければ困る、というか審査内容が分からないとは言ったが剣術は確実に含まれるだろう。それで失格になったら――あの村に逆戻り、か。
俺は黙々と剣の練習をした。
太陽が頭のてっぺんから少し落ちた頃。俺のお腹がぐうと鳴る。
なぜ腹は鳴るのだろうと考えながら、昼飯を買う金を部屋に取りに行く。この宿屋では当然、待っていても食事など出してはくれない。どこかの店で食べるか、どこかの店から買ってくるか。この都市に来たばかりで、右も左も分からず、飲食店など――一つしか知らない。
昨夜クライズさんに連れて行かれた店。俺は今回は独りで訪れた。
店には昨晩のような活気はなかった。というか閉まっているのだろうか。今日は定休日か。一応、窓から室内を覗いてみる。
「すみません、開店はまだ――あ、昨日の!」
扉が開いて、そんな声が聞こえた。それは聞き憶えのある声。
俺は振り向く。
「こんにちは」
彼女は笑顔で言った。
「……どうも」
俺は頭を揺らす。
「どうしたんですか、ああ、お昼食べるトコ探してるんですか? なら入って下さい、丁度準備してたので」
「え、いいんですか」
「勿論」。彼女は扉を開けて家の中へ。「母さーん、お客様」
俺は導かれるままに、店に入った。
「あら、昨日の。本当にありがとうございました」
彼女の母親に、頭を下げられる。
「いや、運がよかっただけですよ」俺は答える。実際、あの時に床板が抜けたのは、幸運だった。あの床の部分を探すと、もう新しい板に張り替えられていた。
「どうぞ、昼食を頂いて下さい。大したものじゃないですけど」母親は言って、厨房に戻る。「ほら、あなたは彼とお話ししてなさい」途中で娘にそう言った。
「あ、えっと、じゃあお座り下さい」
彼女は言って、俺に椅子を勧めて自分も座った。
俺たちは机を挟んで向かい合う。改めて、彼女を観察した。肩くらいの長さの金髪はよく梳かしてあるようだ。瞳は澄んだ空色で、丸い光を煌めかせている。人懐っこそうな笑顔を湛えていて、昨日男共にカラまれていたのも理解できる。
「あたしの名前はユイッサといいます」
店員はそう名乗った。
「年齢は今年で十七です」
「あ、同い年」俺は思わず言った。少し年下だと思っていたが、そうか、同い年か。
「そうなの? 少し年上だと思ってた」彼女、ユイッサはそうと分かった途端砕けた話し方になる。いや、今までも割と、丁寧に喋り切れてはいなかったけど。
「俺はリドーク。よろしく」俺はクライズさんの自己紹介を意識しながら返した。「…………」えっと、後は何を言ってたっけ。
「じゃあ、ユイだな」
「?」彼女は首を傾げた。
「その、渾名みたいな」
俺は言ってから後悔した。いきなり距離を詰め過ぎたか。やはりクライズさんはいい手本のようで全くそんなことは――
「いい! すごくいい。これからはユイって呼んで」
ユイッサ――もといユイは、笑顔で言った。
クライズさんはいい手本なのかも知れない。
○
料理が運ばれてくる。野菜と穀物を煮込んだもので、香辛料がよく効いている。汁が赤いのは、野菜の色か、香辛料の色か。俺とユイ、ユイの母親と男性従業員二人が席に着いて、食事が始まる。
「今日は、お連れの人はどうしたんですか?」
ユイの母が訊いてきた。ユイから聞いたのだが、彼女が店長らしい。ユイは店で、家の手伝いとしてではなく従業員として働いているようだ。
連れというか、俺が連れられているという方が正しいような気もするが、「今日は、都市警備兵の適性審査に行ってます」
「へえ、都市警備」ユイは相槌を打つ。「もしかしてリドークも?」そして俺に尋ねた。俺が昨日、剣を持っていたことを思い出したのだろうか。
「そうだよ。俺は明日だけど」
「二人も前に審査受けたことあるんだよね?」ユイは隣の、飯を咀嚼していた二人の従業員に訊いた。
「受けたけどな、あれは運だ。運で全てが決まる」
二人のうち、背が高くて髪が長い方が言う。
「審査を受けた時、姫の機嫌がよければ合格。悪ければ不合格。おれたちはサーターさんに拾ってもらったから、生活できてるが」
「……姫の悪口を言う訳ではないけれど――いくら力が強くても、足が迅くても、頭が切れても、落ちる奴は落ちる」二人のうち、背が低くて髪が短い方が引き継いで言う。
「姫?」
俺は繰り返した。
「ああ、知らないんですね。この都市に来たばかりだから」
ユイの母親は言った。
「この都市の長、の娘。 “深窓”ゼラ・アオイ様。人々には親しみを込めて『姫』とも呼ばれています」
ゼラ・アオイ。
それがクライズさんが今受けていて、俺が明日受ける審査における、最重要人物。
「城の敷地から一歩も出たことないんだって。年齢は――あたしたちと同じくらいだったかな」
「二つ上だ。来年、二十歳を祝っての記念祭がある」背が高い方の店員が言い、
「二十歳になっても、街には出てこないだろうけど」背が低い方の店員が言う。
「お連れの人は気に入られますかねえ」
ユイの母は言って、
「リドーク、明日がんばってきてね!」
ユイはそう言った。
がんばってきてと言われても、合格は運次第だという話ではなかったか?
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