閑話2.彼女の弟、あるいは兄
結婚適齢期を過ぎ、既に行き遅れと称されてもおかしくないが、余計なものが寄ってこなくて済むとフィリは思っていた。
しかし、どうやらそう上手くいかず、むしろ後妻だとか愛人だとか、そういったものの誘いを受けることが増してきていた。
「本当に、どうしてやろうかしら」
そんなものをレジーに聞かせるつもりなどなかった。
純粋で幸福の生活にいるレジーは知らなくていい。
そう思っていたのに、暖炉に投げ込んでやろうと思っていたネックレスをレジーに見られてしまったのは誤算としかいえない。
さらに言うとそのネックレス包んでいる箱は上げ底になっており、薄ら寒くなる愛の言葉が『妻より愛しているんだ』と共に書かれていた。
薪代わりと思っていたそれが呪物にも似たものであったと知っていたならば、フィリはボールを投げるように生ゴミが燃える焼却炉に投げ込んだことだろう。
理解が出来ず呆けるレジーはたいそう面白かったけれど、問題はその後である。
フィリが贔屓にしている服飾店へと上質な布を卸してくれるという婦人から夜会の招待が来た。領主として日々を過ごすフィリにとってそれは断れる類のものではなかった。例えそれが呪物を贈ってきたものも参加する夜会だとしても参加するしかない。
そして、フィリが知っているのだから、相手だってフィリが参加することくらい知っていた。
気持ちが悪いほど悪趣味なドレス1式を贈ってこられた時は持っていたペンを1本へし折り、庭で燃やした後に灰を森に撒いてやったものだ。
行くしかないその夜会に、もちろんだがレジーは反対した。
ネックレスもドレスも、燃やして棄てはしたが決して安いものではなかったからだ。
ゾッとするくらいのそれと、夜会なんて場だ。
何をしてくるのかわかったものではない。
ウィルを伴って行くことを条件にレジーを何とか宥めた。
元よりこういう場ではウィルをエスコート役にさせていたのだが。
そして今、フィリは夜会で主催の婦人に挨拶をし、着ていた新作のドレスを気に入ってもらったところだ。
『上質な布を提供いただければ、格上の婦人にもお届け出来る』と言えばご機嫌になった様子から、一段階上の貴族達を相手にしたドレスのラインナップも用意出来そうである。
しかし子爵、男爵のお得意様を蔑ろにしたくない。
どうしたものかと悩むフィリに、ウィルがブランド化して客層を分ければ良いと提案した。
「それは良い提案だわ、帰ったら早速纏めましょう」
「よかったです」
「いい話ができたお祝いよ、乾杯しましょう」
「それは良い考えです」
動きやすさを重視している服装から一転、ネクタイを締めベストまで着ているウィルは、髪の毛を固め後ろに流すことで、惜しげも無く顔を晒している。その姿は、男に興味のないフィリから見ても男前だと言わざるを得なかった。素直に褒めたくないフィリは腹の中で『まぁ私と双子の兄妹だものね』と思うことにしている。
社交の場ともなればウィルも薄い笑いを顔に張り付け、普段の言葉遣いからは想像もつかないような思わず笑ってしまいそうな言葉遣いになる。言葉数が少ないのは素がでないようにしているからだ。
くすくすと笑ったフィリは、グラスを軽く掲げこれからの商売に乾杯してみせた。
「フィリ嬢」
「……」
機嫌よくグラスに口をつけたフィリは、水を差す声を聞いて途端にすぅと目を細めた。背筋が凍りそうなほどに冷えきった瞳が男に向いていなかったのが幸いだろう。
「お送りしたドレスは気に入らなかったかな。だけどそのドレスもとても似合っている。私の好みそのものだよ」
「まあ、コレリス様。ごきげんよう。最近はとても寒いですわね」
「ご壮健のようで何よりです」
ぐっと堪えたフィリは華やかな愛想笑いを顔に貼り付け、振り返る。ウィルも続くようにして挨拶をしたが、男はウィルを無視して近寄ってくる。咄嗟にウィルがフィリの肩を抱き寄せた。
「フィリ嬢がツバメを飼っていたなんて知りませんでしたな。男性が苦手というのはどうやら嘘のようだ」
フィリが伴っているのが双子の兄弟であるウィルだと言うことは誰もが知っていることなのに、どうやらこの男はそんなことを知らなかったようだ。
どれだけフィリの見た目にしか興味が無いのだろうと、呆れ返る。
とはいえ、この場においてそれは好都合だった。
「ツバメだなんて意地の悪いことをおっしゃらないで?良くしていただいていますのよ」
「彼女は僕には勿体ないくらいですよ」
ウィルにフィリが寄り添えば、見せつけるようにウィルが肩に置いていた手でフィリの頭を撫でた。甘い恋人のように見えているが、フィリがウィルの足を踏んづけている。
「ちょっと、近すぎるわよ」
「これぐらいやんねぇと効果ないだろ」
ボソボソと2人の間だけで聞こえる声量で話している姿も、聞こえない者からすれば甘やかな戯れのようである。
「そろそろ帰ろう」
「えぇ、ねぇ、今夜はたっぷりお話したいわ」
思わせぶりなことを意識して言えば、目の前の男はバカにされたと思ったのか、顔を赤く染めて震え出している。
無様なほどの姿に溜飲が少し下がったフィリは綺麗にカーテシーをした。
「失礼いたしますわ、コレリス様。どうぞ、奥様と仲良くなさって」
にっこりと微笑んだフィリは顔を上げてもう一度林檎のように染った顔を拝んでやろうと思ったときのことだ。
「え……っ!」
腕を掴まれたかと思えば、到底敵わないほどの力で引き寄せられた。肩が外れそうなくらいの勢いに思わずつんのめる。
「優しくしてればつけあがりやがって、俺の方が良いと思わせてやる」
密着したくもない体に抱き寄せられたフィリはぶるりと震えて全身に鳥肌を立てた。調子のいい頭ではその震えが怯えだと思ったのか、男がふっと笑ってフィリの頬を指でなぞった。
「乱暴して悪いね、私は伯爵だ。悪いようにはしないからね」
それはウィルに言っているようだった。
お前の身分よりも格上なのだと暗に告げた男は、フィリの頬の感触を楽しんでいる。
「……あぁ、こんな手段嫌だったんだが。仕方ないですね」
前半は自分に、そして最後は男へと告げるように言ったウィルはツカツカと靴音を鳴らして男に近づいた。
「く、来るな」
冷え冷えとした瞳のウィルを、フィリは初めて見た。
フィリにとってウィルは温厚で、人懐っこい、そしてどうしようもなく甘い――しょうがない弟だった。
「くそ!」
「ひゃっ!」
「よっ、と」
一瞬の出来事だった。
フィリを突き飛ばし、ウィルへと殴りかかろうとした男の腕を掴み、軽い動きで捻りあげ男を床へと叩きつける。
男の背に座り、抑え込んでいるウィルはそのまま男の耳元へと口を寄せた。
「僕のことをツバメと言いましたが、お嬢様は渡り鳥とでもいいましょうか?あちこちの仮面舞踏会にご参加されているとか。……奥様もご一緒に楽しまれていると伺いましたが?」
チラリと覗く冷めた瞳と、漏れ聞こえる冷徹な声のウィルにパチクリと目を瞬かせる。
そんなフィリを気にも留めず、ウィルの言葉にさぁ、と顔色を悪くした男はじたばたともがきだした。
抑え続ける必要も無いとばかりにすぐに上から退き、男の捨て台詞を楽しみに見ていると、そんな余裕もなかったようで脱兎の如く逃げ出した。
「あなたねぇ……そんなことどこで知ったの」
「エミリオがな。妖精ってのはこえぇもんだ」
どこにでもいる妖精達の情報とは空恐ろしいものだと肩をすくめるウィルに、フィリはため息を吐いた。
「お前もあんま煽んなよ」
「ずっと我慢してたのよ?あれくらい許して欲しいわ」
コツンと軽く頭を小突いてくるウィルに、腕を組んで顔を逸らす。唇を尖らせるフィリには何を言っても聞かないとわかっているのか、それ以上は何も言わなかった。
「とっとと帰るぞ。肩がこってしょうがねぇ」
「わかってるわよ」
歩き出そうとしたフィリだが、ん、と差し出された腕にウィルとその腕を交互にみると、視線に気づいたウィルがエスコート役の時の笑顔を浮かべた。
「お手をどうぞ」
「……えぇ、お願いするわ」
テラスから出て帰るには会場を横切る必要がある。そのことに気づいたフィリは、そっと差し出されている腕に手を置いて、--ようやく自分が震えていることに気づいた。
「これだから男は嫌いよ」
「そうかよ」
怖かった。気持ち悪かった。
けれどそれを表に出したくなくて、言葉を吐き捨てる。
似てないけれど美男美女の2人を眺める目をくぐり、2人はイルメリアへと帰ったのだった。




