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50.一緒に帰ろう

 オリヴィエに勧められるがままテーブルに着いた。妖精王の妻であるオリヴィエと同じ空間にいることでアンは緊張しているようだったが、まったく表情に出さないあたり肝が据わっている。頻りに指をすり合わせているのに気づいているのはレジーくらいなものだ。


「まあ。オリヴィエ様とルフェイ様にはそんなことがありましたのね」

「えぇ、ルフェイったら変なところで臆病なのよ」


 ぷくりと頬を膨らませているオリヴィエはどうやらフィリと、ルフェイの思い出話をしているようだった。オリヴィエが退屈しないようにもてなしているフィリは流石としか言いようがない。そのふたりを尻目にロザリーはつまらなさそうに足をぷらぷらと振っている。周りを見れば、いつの間にかエミリオは姿を消していた。

 レジーは静かに席を立ち、サロンから出てる、席を立つときにアンが寂し気な目をしていて心の中で謝った。

 サロンから出て周りを見渡せば、すぐ隣にある小部屋からカタン、とした物音がした。


「ここにいるの?」


 静かに扉を開けると、その中は薄暗い小部屋になっていた。目を凝らせばテーブルと椅子だけが置かれているのがわかる。密談を行う際に使われる部屋だろうかと考えていると、部屋の中で影が動いた。


「エミリオ?」


 薄暗い部屋の中で浮き上がる白はエミリオのものだった。レジーが来ると思っていなかったのか、驚いたように目を丸くしている。


「レジー、どうしてここに?」

「あっちにエミリオがいないことに気づいて、探しに来たの」


 部屋の中へと歩みを進めると、エミリオは小部屋のランプに火を灯す。離宮はルフェイの趣味なのか、妖精王としてをアピールしているのか、どこも植物が多いがこの部屋にはひとつも置かれていなかった。


「まだ、時間はあるだろうから。座って」

「うん」


 テーブルを挟んで向かい合って座った。改めて顔を合わせると気恥ずかしくなって誤魔化すように笑った。


「エミリオ、大きくなったね。私よりも小さかったのに」

「僕だって男だから」

「そ、そうだよね」


 お茶もお菓子もない空間は、紛らわすものが何もない。目の前に座っている青年があの時の白い少年なのだと思えば思うほどに、落ち着かないというのに。


「レジーは、綺麗になった。フィリからずっと手紙で聞いてたけど」

「き、れ……!」


 思わない言葉に鼓動が高鳴る。ここ5年間はフィリのメイドとして生きているレジーは、褒められることに慣れていなかった。侯爵家にいた時は皆褒めてくれたものだけど、比べ物にならない恥ずかしさがあった。

 いったん落ち着こうと咳払いをしたレジーは改めて見つめ返した。


「どうして、私に手紙をくれなかったの?」

「怖かったんだ」


 問いかけられる予想はしていたのだろう。エミリオが返事を返すのは早かった。しかし、レジーはいまいちピンと来なくて、首を傾げた。


「僕はあの男を殺してやりたいと思った。それは今でも変わりない。けど、あんな姿をレジーに見られて、怖がられて……嫌われてたらと」

「まぁ、怖かったけど……」


 怒りに身を任せているエミリオの姿は今でも覚えている。声をあげても届かなかったことも。素直に言葉にしたレジーにエミリオがぐっと息を飲んだ。


「でも、エミリオが私のために怒ってくれたことはわかってる。そんなことで私はエミリオを嫌いになったりしない」

「……うん。ごめん」


 きっとエミリオもどこかでわかっていたのだろう。所在なく目を伏せながら、呟くように謝った。


「レジーに危害を加えるやつを僕は許せそうにない。あの女も視界に入れていると殺してやりたくなる」


 ロザリーを蹴りつけて踏みつけようとしていたエミリオの姿は、手加減をする気はないようだった。その事を思い出しながら、レジーはエミリオが持っている感情がひどく重いものだと思えた。


「私っておかしいのかな」

「……?」


 なのに、レジーはくすりと笑った。

 レジーひとりのために、誰かの命を奪うことを躊躇わないというその姿は重たくて、手に余るほどに熱い。


「すごく嬉しい」


 もちろん、エミリオに手を汚させるようなことはしたくない。人を殺して欲しいなんて少しも思わないし、殺していい人間なんていない。それでも、その程思ってくれることに信じられないほどの幸福を覚えた。

 どうしてこんなに嬉しいのかなんて、レジーはもう考える必要はなかった。

 

 レジーは静かに席を立ち、エミリオに向き合った。


「エミリオ様、私は侯爵家の一人娘、リンスレッド・ウィンチェスターです。あなたをお慕い申しております」


 綺麗なカーテシーと共に、花のように笑ってレジーはエミリオを見た。


「でも、僕は人間じゃない」

「そんなこと関係ない」

「人間、もどき、だよ」

「どうだっていい。そんなこと」


 言い淀むエミリオに、ずっとレジーは言い返した。何だって良いと思っているのだ。妖精とのハーフでも、そうじゃなくても。


「エミリオは、私の大好きなエミリオだよ」


 エミリオの近くに寄って、手を重ねた。冷たいその手に、拒絶されることを恐れていたのだと伝わってきた。温もりを分けるように手を握り、真っ直ぐに金色の瞳を見つめて告げる。いつか、エミリオがレジーにそうしたように。

 数秒の時が流れたあと、金色の瞳から1粒の涙がこぼれ落ちた。

 レジーには敵わないなとくしゃりと顔を歪ませたエミリオにくすくすと笑えば、拗ねたように口を引き結んでしまった。あの頃のように宥めようとして頭を撫でれば、機嫌が直る。何にも変わらない、エミリオはノクチルカにいた時と何にも変わっていないんだとレジーは嬉しくなった。


「僕、もうレジーを離してあげれない」

「私も、もうエミリオを諦めてあげれないからお揃いだよ」


 5年間ずっと忘れられなかったんだよとレジーが言って、顔を合わせた。

 

「エミリオ、ノクチルカに帰ろう。あの家は今も綺麗なんだよ。そして、何にも変わってない」


 半年間雪に包まれているあの街は、停滞しているかのようにずっと何も変わらない。ジルとルーナの定食屋も、元気に営業を続けている。エミリオがいた時から、何も変わっていない。


「うん。僕も帰りたい」

 

 カタリ、と椅子が音をたてたと思えば、ゆっくりとレジーの唇に柔らかい物が重なった。

 味わったことの無いくらいに幸せで、満たされた瞬間だった。

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