48.あなたは誰
「大きな音がしたから何事かと思ったら、リンスお姉様がいらっしゃったの」
レジーはアンに今すぐフィリを探しに行くように視線で訴えた。ここにロザリーがいる理由はただ一つ。エミリオが呼んだからに他ならないだろう。エミリオが何を考えているのかはわからないが、フィリなら何か知っているはずだ。アンは頷いてフィリを探しに駆け出した。
「先ほどの方はリンスお姉様のお友達?」
「……えぇ。そうよ。大事な友達」
アンが走っていくのを眺めながらロザリーが話しかけてくる。まるで普通の姉妹のように、姉に話しかける妹のような姿は却って不気味さを与えた。
「紹介してくださっても良いのに」
「その必要はないわ」
レジーはリンスレッドに戻るつもりはない。だからロザリーに紹介する必要もないのだと告げれば、ロザリーがぷくりと頬を膨らませた。
誰が見ても愛らしいその姿は侯爵家にいた時から何も変わっていない。
「ねぇ、リンスお姉様」
「な、なに」
名を呼ばれたレジーが返事を返せば、ロザリーがまん丸の瞳でレジーを捉えていた。ピンク色の中に映るレジーは険しい表情をしていた。そのはずなのに、ロザリーはうっそりと目を細めた。
「あぁ、リンスお姉様は昔と変わらず、とても可愛くて綺麗で、そしてお美しい」
「ロザリー、私は、」
「ねぇ、今でもお屋敷の皆はリンスお姉様を愛していらっしゃるのよ」
あぁ、まただ。
甘く蕩ける声色は酩酊しそうなくらいに頭に響き、身動きが取れなくなる。
「ずっと、ずっと欲しかったの」
ピンク色の瞳から目を逸らすことができない。それどころか、ピンク色の瞳が煌めいて甘く魅了する。思考力が落ちていくようにとろとろとした頭に、ロザリーの声が染み渡る。
「みんなに愛されて」
そっと手を伸ばしたロザリーはレジーの髪をひと房手に取った。
「みんなに大事にされて」
あの夜のように髪に頬ずりするロザリーをぼんやりと眺める。
「みんなに求められている」
するりとロザリーの手が首に伸びて巻き付いた。
「はぁ――。私、ずっとリンスお姉様になりたかったの」
くっ、と力が入り、息苦しさがレジーを襲う。もがくような苦しさの中にいるレジーをロザリーはクスリと笑いながら見ていた。
「安心して、リンスお姉様、私がきちんとリンスお姉様になりますわ」
爛々と輝いているロザリーはまるで欲しかった玩具を手にした子供のようである。鼻歌さえ歌い出しそうなくらいに上機嫌になっていくロザリーを、指先ひとつ動かせずに見ていた。
「きっとリンスお姉様はエミリオ様にも愛されてらっしゃるのね。ふふ、楽しみだわ」
「--!ぅっ、はっ、はなし、て……!」
――今、なんて言った?
ロザリーがエミリオの名を呼んだ瞬間、レジーは弾かれたように意識が元に戻った。
「ロザ、リー、あな、たは私になれ、っこない、わ……!」
ギリギリと締め付けられ、苦しい時間が続く。それでも何とか言葉を絞りだせば、ロザリーはきょとんとした顔でレジーを見つめ返した。
「リンスお姉様ったら、おかしなことを言うのね」
「な、に?」
ロザリーを見ていると、レジーは不思議な気分になった。うっそりと笑っているロザリーはやけに不気味で、本当に人間なのか疑いたくなる。頭に酸素が足りなくなってぼんやりとしてきたレジーはロザリーの腕を何とか掴む。
「私はロザリーにだってちゃんとなったのよ?」
「は……?ぁっ、かはっ」
ロザリーの言ったことが理解出来なかった。しかし、同時にそれはかっちりと何かがハマったようでもあった。レジーの首に手をかけているからか、ロザリーは饒舌だ。
「あ、なたは、――だ、れ?」
「おかしなことを言わないで、リンスお姉様。私はあなたの妹のロザリーよ。生きることを願われて、生きることを願った、だから私はロザリーになれたの」
朗々と歌うように話すロザリーはひどく人間離れしている。レジーは力を振り絞り、ロザリーの手を引き離した。アンほどではないが、配達業で鍛えたレジーがロザリーに負けるわけがない。それでも苦しさは抜けず、レジーは床に崩れ落ち、咳き込み続けた。ロザリーはぱちくりと目を瞬かせている。まるで思いもよらなかったことが起きたようで、不思議なものを見る目でレジーを見ていた。
「ロザリー。あなたは……妖精なの?」
「ふふ、せぇかい」
「そこまでにして」
レジーとロザリーの間を知っている声が通った。
その声の持ち主はカツカツと荒々しく足音を立て、ロザリーの襟元を掴んだと思えば一瞬で地面に打ち据えた。
「ガハッ、エミリオ様、やはり、気づいていらっしゃったのね」
ロザリーの背を踏みつけているエミリオは鬼のような形相をしていて、レジーは身を震わせた。その中でロザリーは楽しそうにしている。
「あーあ、残念だわ。リンスお姉様になれたらもっともっと愛されると思ったのに」
「うるさい」
「イッ、ガッ」
ロザリーの言葉が不愉快だったのはレジーだけではなかった。横腹を蹴り付けられ、ロザリーが身悶えしている。蹴りつけたエミリオはまだ足りないとばかりに足をあげていて、レジーは思わず声上げた。
「エミリオ!そこまでで、いいから……」
「……レジー」
ようやっとエミリオがレジーをみた。怒りに染まっていた姿から、何かを恐れるように頼りなく眉を下げている。
息を整えることができたレジーはよろよろと立ち上がり、エミリオに近づく。手を伸ばせば届く距離になり、エミリオと視線を合わせた。




