44.そのドレスは誰のため?
部屋に広げられているドレスのデザイン案と、生地のサンプルの多さにレジーはめまいがした。いずれも紫色や黒い色をしている。その色をレジーは毎朝鏡で見ていた。フィリが楽しそうに笑いながらデザイン案をぺらぺらと捲っている。
デザイン案の中には刺繍の図案もあった。
「フィリ……」
「なぁにレジー。ねぇ、これなんてどうかしら」
「素敵だと思いますけど、その、色々視線を浴びそうですね」
イルメリアは娯楽が集まっている街というだけあり、服飾店もいくつかある。その中でフィリが御用達にしているところに今日は来てもらっていた。女主人は口が堅いということで、レジーが男装して参加することが伝えられている。レジーは余すところなく採寸された後だった。
フィリが差し出してきたのは体のラインが出るマーメイドドレスで、紫から黒へのグラデーションになっている。しかし、フィリが着ると胸元が溢れそうでやんわりと止めておく。男嫌いが加速しそうであった。
「そう?あら、こっちも素敵だわ」
「そちらは藤という、東の方にある国の花をイメージしています。あまり出回ってないデザインなのでおすすめですよ」
女主人が取り出した紙には藤の花が描かれていた。レジーの瞳と同じ色の花にフィリの目がきらりと輝く。
「ふふ、じゃあそちらでお願いするわ」
「フィリ様に着ていただけると良い宣伝になって助かります」
「あぁ……」
もう慣れていることだが、レジーは遠い目になった。フィリがこうしてレジーの色を纏い、アピールするのには意味がある。今回のパーティーにはアカデミー時代、フィリに言い寄ってきた貴族も参加するだろう。男嫌いとはいえ、いまだに独身であるフィリは言い寄る隙を与えたくないのだ。
そしてフィリが身に纏うドレスは、いずれも見た目は美しく、体型も仕上げているフィリは十二分に着こなしてみせる。一見すれば高価に見えるドレスはフィリの身分に合わせてコストを抑えているため、子爵や男爵も手を出しやすいものばかりだ。そのため、パーティー後は発注が多くなる。女主人は大層機嫌がいいのはそういうことだろう。
「じゃあ次はレジーの分なのだけど……。ふふ、良いことを思いついちゃった」
フィリのいう良いことの8割は大体ろくでもないことだ。そうわかっているのに、レジーにはフィリを止める手立てを持っていない。当日の楽しみだといったフィリはレジーを追い出し、女主人と2人で話し始めたため、諦めのため息を吐いた。
「あ、そうだわ。レジー、アンにも当日来てもらうことになってるから安心してね」
さてどうしようかと予定を考えていたレジーは、扉を開けたフィリに声をかけられた。パーティーにアンまで連れていくと思っていなかったレジーはパチクリと瞬きをした。
「メイドとして連れていくから待機部屋にいてもらうのとになるけれど、アンがいると助かることが多いでしょう?色々とね」
確かにレジーとしても不慣れな社交の場で、男装して参加するというのは不安なことばかりだ。例え待機部屋にいてもらうことになったとしても、アンがいると言うのは安心出来る。だがしかし、平民生まれで貴族の集まりなど話にしか聞いた事のないアンが引き受けるのは意外であった。
「アンがよく受けましたね」
「あの子も肝が座っていて助かるわ。報酬として良い薬師を紹介することになってるの」
ノクチルカに住んでいるアンだが、時折ウィルに連れられて屋敷まで会いに来ていた。そのため、フィリとアンは何度か顔を合わせたことがあった。診療所の仕事の兼ね合いもあるため、頻繁には会えるわけではないが。
「ねぇ、レジー」
「何ですかフィリ」
応接室から一歩出て扉を閉めたフィリは、扉に背を預けて悪戯っぽく笑っていた。
「ドレスで誰かの色を纏うのってどういう意味だと思う?」
「それは、その人と懇意だということではないでしょうか」
レジーの答えはあっていたのか、フィリは満足そうに笑う。用意するドレスの色がレジーの色だというのに、フィリは一体何を言っているのか。質問の意図がわからず、レジーは小首をかしげた。
「じゃあ、好きな人が誰かの色を纏っていたらどう思うかしら」
想像しようとしたレジーは脳内にエミリオの姿を思い浮かべた。続いてエミリオが誰かの――金と青を纏っている姿を連想して、息を詰まらせた。
「そ、れは、とてもつらいと思います」
答えながら、なぜエミリオの顔を思い浮かべたのかわからなかった。レジーにとってエミリオは大切で大事で、会いたくて話がしたい相手だ。そのエミリオに好きな人がいたら、会えなくなってしまうかもしれない。それが寂しいだけなのだろうかと考えた。
「そうよね?いい気味だわ」
そう笑ったフィリの笑顔がほの暗く、冷や汗がたらりと垂れた。フィリを怒らせた人間がいるのだろうか。ウィルにも言えることだが、的確に相手の嫌がることを把握している節がある。
その相手は可哀そうだなとレジーは他人事のように思った。
話し終えたかのように応接室へと戻ったフィリを見送ったのと同時に、メイドの一人がレジーを呼びに来た。フィリのエスコートをすることになったレジーは男役のダンスを教え込まれている最中であった。
やや急ぎ足で向かったレジーは、応接室に入ったフィリが小声でつぶやいていたことに気づかなかった。
「でも、ごめんねレジー。多分とばっちりはあなたにいくわ」




