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34.フィリの初恋 2

 気絶したフィリに慌てたのはレジーだけで、ウィルは思考を停止させたのか指先も動かさずに固まっていた。人払いをしているため他に人がおらず、レジーはソファから立ち上がりフィリの周りをうろうろとしていた。


「--ハッ。いや、待て。冗談だろ?」

「こんな時に冗談は言わないよ」


 我に返ったウィルがレジーの肩を掴み揺さぶってきて頭が揺らされた。冗談だと言ってほしいという願いにも聞こえるそれを、残念ながら肯定することはできない。やがてレジーから手を離したウィルは倒れるようにソファに座りなおし、隣で気絶しているフィリを見る。


「う、そだろ。おい、フィリ。目を覚ませ。頼む、一生のお願いだ」


 今度はフィリを揺さぶるウィルを見て、ウィルは混乱するとこうなるのかと、どこか冷静な気持ちでレジーは眺めた。人は自分よりも取り乱している人を見ると冷静になれるものである。

 やがて、小さく声を出してフィリが目を覚ました。


「ごめんなさい、夢を見ていたようなの」


 おどけたように口元を緩ませて微笑むフィリの言うことは聞かなくてもわかった。


「レジーがリンスレッド様だというのよ?おかしな話でしょう?」

「フィリ、それは夢じゃないです。私が、リンスレッドです」


 フィリだって本気ではなかっただろう。しかし、レジーの返事に淑女の微笑みから一転、両手で顔を覆い隠してうつむいてしまった。ウィルはようやく落ち着いたのか震える手で紅茶を飲んでいるが、びしゃびしゃと零している。レジーは見なかったことにするのが良いだろうと目を逸らす。

 混乱を極めた場で、話を進めるタイミングをレジーは伺う。


「わ、私の……初恋が……」

「え」

 

 ぼそりと聞こえたそれは、レジーの耳にもしっかりと届いていた。予想もしていなかったフィリの告白に目を丸くしたレジーだが、反対にウィルがどこか腑に落ちたように頷いた。


「フィリが惚れたっていうことはそういうことだったのか」

「ど、どういうこと?」


 言いづらそうにウィルが口元をもごもごとさせながら、うつむいたまま固まっているフィリを見る。固まってはいるが反応を返さないフィリは、ウィルがこの先を口にするのを咎めるつもりはないのだろう。


「あのな、フィリは……大の男嫌いなんだ」

「は、はぁ」


 もう一度だけフィリをみたあと、ウィルはゆっくりと話し始めた。


「俺たちの父さんは、母さんのことをその……溺愛しているのは前にいっただろう?それは昔からでな……」


 以前にレジーはふたりの両親が如何に仲睦まじいのかを聞いていた。だからふたりはアカデミー卒業直後から領主代行をさせられているのだ。何を今更と首を傾げるレジーを見ながら、さらに言いにくそうに口を開く。

 どうやら先日聞いた程度は序の口だったらしい。というのも、父は独占欲が激しく母に近づくものへの嫉妬は隠すこともしない。そして、それはフィリとウィルも対象だった。

 ウィルとフィリに物心つく前はまだ父にも分別があった。しかし、両親と離れて寝るようになるのはどこの子供よりも早かったとか。ウィルはフィリよりも成熟するのが早く、父の性質を理解していたが甘えたい盛りのフィリは母をとられることに駄々をこねた。

 なのに、父は悲しいほどに譲らなかった。


『お母様は俺のものだ。我儘をいうんじゃない』


 ウィルはその度「我儘はどっちだ……」と呆れた。母は父がいない時間を見計らってウィルとフィリを構ってくれたそうだが、夜は決まって父にとられてしまうのだ。

 おまけに、アカデミーに入学したあとフィリは持ち前の美貌で高位貴族の子息から無理に迫られることがあった。貞操の危機さえ感じるほどだったが、ウィルと友人のおかげで事なきを得たらしい。しかし、その経験はフィリに男とは勝手で、強引で、自己中心的なのだと憤らせる切っ掛けとなってしまった。


「レジーを初めてみたとき、嫌な感じがしなかったの。だから……だから……」


 か細い声でフィリが呟けば、レジーはかける言葉が見つからなかった。

 言われてみれば、エミリオとの顔合わせもいらないと言い、バノラとティキニカの子息にも挨拶はいらないと言う。フィリの屋敷は使用人が少なく、メイドが多かった。


「あ、え、と」


 フィリがレジーを見るときの瞳の熱や、握られた手を思い出してレジーはしどろもどろになった。じわりじわりと胸の内にこみあげるのは罪悪感と、そして喜びである。


「フィリ、その、ありがとう」


 その言葉があっているのかわからないが、レジーはフィリへと近寄り、その足元にしゃがみこんだ。覗き込むようにして、フィリと瞳を合わせれば青い瞳が涙でにじんでいく。その瞳の艶やかさに息を飲んだレジーはひとつ咳払いをしてフィリの手に自分の手を重ねた。


「ボクを好きになってくれてありがとう。身に余る光栄だ。そして、ごめんなさい」


 リンスレッドからレジーに戻り、フィリへと話しかける。人を好きになった時の思いを、レジーは知っている。嬉しくて幸せで、考えるだけで笑顔になれるその思い。


「ねぇ、レジー。聞かせて、私の初恋だと聞いて、うれしい?」


 あふれそうな涙をこらえている瞳は宝石のような煌めきを宿している。どきっとした胸の鼓動はフィリの言葉の返事だった。ふっと笑ったレジーはフィリの頬へと手を滑らせ涙を指先で掬った。


「えぇ、嬉しいです」

「そう――。ありがとう」


 へにょりと笑ったフィリは、レジーの手に頬を預けて静かに涙を流し続けた。手に乗る穏やかな重みと涙の感触を感じながら、白い少年に会いたくなった。

 

 感情表現が不器用なくせに素直、言葉はいつも足りないのに見つめてくる瞳は十分すぎる少年はどうしているだろうか。



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