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33.フィリの初恋

 フィリの屋敷を訪れるのは何度もあったが、今日この瞬間ほど緊張したことはなかっただろう。通された応接室の一室で、時折立ち上がりそして座ることを繰り返している。そんな様子のレジーをウィルが横目で眺めている。


「落ち着け」

「落ち着けるわけないでしょ……」


 フィリはイルメリアの領主代行だ。いくらウィルが受け入れてくれたといっても、フィリが拒絶すればノクチルカにいることはできないかもしれない。それに、レジーとてフィリのことを嫌っているワケではない。ウィルの恋人かもしれないと思っていた時は、劣等感を感じもしたが誤解が解けてしまえば、物腰が柔らかくおっとりとした麗しい淑女のフィリを好意的に思うものだ。

 

「そういえば、お前、家には帰ったのか?」

「え?……あぁ~~」


 目を逸らしたレジーをウィルは仕方ないものを見る目で見遣った。

 あの日以降、レジーは家へと帰っていなかった。高熱を出し診療所で休んでいたが、熱も下がり快復したのは2日前の話だ。けれど、家に帰る気にはなれずだらだらとアンとゴーシュの家に泊まり続けている。昨日もゴーシュを背負って帰ってきて、慣れたようにベッドに放り込み水を飲ませるアンに苦笑いしたばかりだ。配達業は続ける予定ではあるが、いつから再開するかはまだ決めていなかった。

 

「今日は帰れ。……ついて行ってやるから」


 それはついて行ってやるじゃなくて、監視ではないだろうか。心配してくれているとわかっているのに、素直になれずにレジーは頬に空気を入れてむくれて見せた。いつまでもアンとゴーシュのお世話になるわけにはいかないのだ。


「どうしていつも私を抜きにして楽しいお話をしているの?」


 声を辿れば、腕を組んでぷくりと頬を膨らませているフィリが立っていた。いくつかの書類を手に歩みを進め、書類をウィルに渡してそのまま腰を下ろした。レジーの目の前にウィルとフィリが座っている。


「ウィルから話があると聞いたのだけど」

「あぁ、人払いを頼む」


 紅茶と茶菓子を届けにきたメイドはその言葉に一礼し、静かに部屋を後にした。数秒間、静寂が部屋を満たした。


「俺が聞いてしまった以上、フィリにも聞かせないわけにはいかないからな。聞きたくないだろうが、諦めて聞いてくれ」

「なぁに?もったいぶらないで早く話して頂戴」


 そうして、静かにウィルは先日の話を始めた。レジーが引き取っていたエミリオは妖精王ルフェイの息子であったこと、レジーを襲っていた男をエミリオが半殺しにしてしまったこと、そしてエミリオは連れ戻されたこと。

 その都度、フィリは陶磁器のように白く美しい眉間に皺を寄せ、今にも耳を塞ぎそうなくらいに嫌そうな顔をしていた。部屋にいるのがウィルとレジーということもあり、表情を隠す必要は無いと考えているのだろう。


「――というが、この間あったことだ」

「とんでもない話だわ。本当に、聞きたくなかったことね」


 エミリオが連れ戻されている為、何かあるとは思わないが、秘匿されていることを知ってしまったことは気分のいいものでは無かった。ふぅ、と話し終えたウィルが喉を潤すために紅茶を一口飲み、フィリは頬に手を当てて憂うようにため息を吐いた。


「どうりで、王城の使者が来たわけだわ」

「えっ!?」


 フィリは腕を組んでソファの背もたれに身を預けた。思い出すようにしながら口を開く。


「大したことは聞かれていないわ。ノクチルカのことを聞かれただけ。それでも王城の人が来るなんて何事かしらと思っていたけれど」

「むやみにエミリオのことを口外されていないかの確認だろうな」


 幸いにもフィリは何も知らなかったため、使者は聞くだけ聞いて帰っていったそうだ。レジーとウィルも街の皆には話していないため、これ以上何かあることはないだろう。とはいえ、しばらくは探られるだろうと思えた。


「森の入り口で死に体の男が発見されたっていう話は関係あるのかしら」

「レジーを襲った男で間違いない。獣に襲われて逃げてきたんだろう。錯乱してはいたが記憶は消えているようだったから安心しろ」


 恐怖を思い出してビクッと震えたレジーを気遣うようにウィルが言葉を続けた。ほっと息をついたレジーを気遣うようにフィリは見遣ったあと、コテンと首を傾げた。


「それにしても、どうしてレジーが狙われたの?記憶が消されているという話だけど」

「それは……」

「いい、ウィル。ボクが話す、ううん……私が話さないといけないから」


 ウィルはレジーのことを避けて話してくれていた。そのため、男がなぜレジーを襲っていたのかは話していなかった。レジーが話すべきであり、そしてウィルも男が襲った理由を知らなかったからである。

 『私』と名乗ったレジーは居住まいを整えて、背筋を伸ばした。

 

「ウィル、フィリ。私は――ウィンチェスター侯爵家の長女、リンスレッド・ウィンチェスターです」


 数年前に家庭教師から教わっていた淑女の微笑みを浮かべれば、ウィルとフィリにはソファに座っていたはずの少年は少女の姿に見えたことだろう。2人とも濃淡の違いはあれど青い瞳を丸くさせていた。


「へ……?」


 女だということはわかっていても、侯爵家令嬢だとは思っていなかったウィルは口をあんぐりと開けていたが、それ以上に驚いていたのはフィリであった。ぴしりと表情を固まらせたフィリは空気を漏らしたような声を上げたあと、ふっとソファに身を預けるようにして気絶した。

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