32.いつの間にか消えていた恋
エミリオがいなくなり、数日が過ぎた。配達の仕事はあの日から行っていない。すすり泣いた次の日、レジーは高熱を出して寝込んだからだ。診療所に運ばれ手厚く看病された。お見舞いに訪れたジルとルーナに聞いたことだが『エミリオは元の家族が見つかり、家族の元へと帰った』とウィルから説明されたそうだ。安心したような、しかし残念そうなジルとルーナの様子に胸が痛んだ。アンとゴーシュにも同じように説明がされていた。
「レジーさん、あの、エミリオさんの事……」
「あ、うん。私と違って実家に帰れてよかった」
うまく笑えているだろうか。作り笑顔は得意だったはずなのに、今はそれがうまくできているとは思えなかった。その証拠に、アンがレジーを見る目は泣きだしそうな子供を見るようなものだ。
気まずい雰囲気に視線をうろうろとさせたあと、あ、とレジーは声を漏らす。エミリオのこともあるが、ウィルに話さなければいけないことがあるのだと思い出す。
本当なら誰よりも先に、エミリオに伝えたかった。けれど、それはもう叶わないのだとレジーだってわかっている。
「ねぇ、アン。ウィルに……バレちゃった」
「……あぁ、なるほど。だから」
腕を組んだアンが納得したように頷いていた。レジーが診療所に運ばれてからウィルとは顔を合わせていない。忙しいのだろうと想像する一方で、女であることを偽っていたことを怒らせてしまったのかと不安にもなっている。
「レジーさんの心配していることはないと思いますよ」
「え?」
「どう顔を合わせたらいいのかわからないだけですよ。そうですよね?」
アンはそう言いながら扉を開ければ、部屋の前にはウィルが立っていた。急に開けられたウィルは驚いて目を丸くさせている。上げている手はノックしようとしていたのだろう。レジーも同じように目を丸くさせていることだろう。
「……」
お互いに言葉が見つからず、沈黙が場を占めている。ウィルの持っている紙袋にはいくつかの果物が入っていて、林檎がひとつ零れ落ちた。
「私は仕事に戻りますので、ごゆっくり。しばらく誰も通さないようにしますね」
ため息と共にアンが部屋を出ていき、静かに扉が閉められる。気が付けばレジーはウィルから視線を外して、シーツを眺めていた。
「レジー」
ウィルに名を呼ばれ、びくっと体が震えた。怒らないといっていたが、実際目の当たりするとショックが大きかったのかもしれない。不安がレジーの頭の中をぐるぐると渦巻き、顔を上げることができない。
「そ、その……騙していたわけじゃなくて……」
「そんなのはわかってる」
はぁ、と大きなため息が隣から聞こえる。サイドテーブルに紙袋を置く音がして、顔を上げると椅子を引いて座っていた。持ってきていたのか、果物ナイフでするすると林檎を剝き始めた。綺麗に剝いている。
「レジーが聞いてほしいっていう話のことだろう?」
「……うん」
切り分けた林檎を皿に置き、フォークと共に渡してきた。お礼を言うと、ん、と返してくる。フィリという妹がいると面倒見がよくなるのだろうかと、ぼんやりと考えるほどにはウィルの反応に拍子抜けしていた。
「レジーはいたずらに人を騙すようなやつじゃないことはわかってる。落ち着いたら話に来い」
「……うん」
林檎をかじるとなぜかしょっぱい味がした。おかしいな、と思え涙が頬を濡らしていることに気づいた。ウィルは肩をすくめ、ぐしゃぐちゃと頭を撫でつけてきた。
「ありがとう」
優しくて、面倒見が良くて、こうして頭を撫でてくれる度にレジーは胸がいっぱいになった。フィリが恋人だと思ったときはその日一日どんよりとした気持ちになった。その気持ちはきっと勘違いではない。いつからか、ウィルに感じていた気持ちは緩やかに落ち着いていった。
「ウィルってお兄ちゃんみたいだ」
「妹はふたりもいらない」
「フィリは自分が姉だって言ってるよ」
心底嫌そうな顔でウィルは林檎を指で掴み、口に放りこんだ。しゃくしゃくとした心地いい音が部屋に響く。知らない間に涙は止まっていた。
「フィリは……許してくれるかな」
「あいつは……どうだろうな……」
え、とウィルを見上げれば、視線をうろうろとさせていて、どう言ったらいいのかと悩んでいるようだ。怒られることも仕方ないことだとレジーは受け入れるものの、やはり気分は落ち込むもので、フォークの先で林檎をつついた。
「まぁ、その、きっと大丈夫だ」
気休めのつもりで言っているのだということは誰の目にも明らかだった。
数日後、レジーは目の前で笑顔のまま気絶するフィリを見ることとなるのだった。




