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31.さようなら

 エミリオの母にあたるオリヴィエは伯爵家の三姉妹末っ子の令嬢であり、ルフェイの住む離宮に勤めるメイドだったと言う。ただひとつ、オリヴィエは令嬢らしさはなく、腹芸が出来ないほどに素直で純粋、そしてころころと表情を変える娘だった。長く退屈していたルフェイはオリヴィエを見初めた。しかし、ルフェイは妖精王としてこの国の貴族と寄り添うつもりはなかった。ルフェイの力は強力すぎたのだ。


「なのにねぇ、ある時から来なくなったから会いに行ったらなんでもない事みたいに「あ、除籍してもらいました」なんて言うんだよ。ボクはビックリしちゃったよ」

「ビックリしちゃったって……」


 気が抜けるように繰り返したレジーの言葉に、ケラケラと笑うルフェイ。三女だと言えど、そう簡単な話でもないだろう。妖精王と繋がりを持てたとしても、肝心のオリヴィエが除籍されていると伯爵家には何の得もないのだから。事実、除籍されたあとオリヴィエは離宮へ立ち入れなかった。離宮に住んでいるとはいえ、行動を制限されることのないルフェイが自ら会いに行けば、オリヴィエは平民となっていたのだという。そしてルフェイはオリヴィエと心を通わせ、エミリオが生まれた。戸籍上は平民であるオリヴィエの息子ということで育てられているそうだ。


「何を勘違いしたのか、王女とエミリオの婚約を言い出してねぇ」


 この国には王子が2人と、末の王女が1人いる。王女はレジーのひとつ下の現在15歳のはずだ。エミリオの年齢は分からないが、そうは離れていないはずである。


「さっきも言ったけど、ボクがこの国を見守っているというのは、ボク個人の誓いによるものだ。エミリオは関係ないし、関わらせるつもりもない。そんなことよりも、自分の目と体で人間と関わって欲しいんだ。昔アレクとボクが旅をしたように」


 どこか懐かしむようにしているルフェイの頭の中では、旅で出会った人達が思い出されているのだろう。レジーはぼんやりとその気持ちがわかった気がした。

 ノクチルカの人達は良い人たちばかりで、誰も彼もが暖かい。そして、それを知ることが出来たのは実家を飛び出して、ただ1人のレジーとして過ごしたから知れたことである。

 

「でもそんなのお構い無しでさぁ、エミリオも段々人間が嫌いになり始めるし、オリヴィエにもエミリオを説得しろなんて言い出す始末だ。だから、エミリオを1度隠すことにしたんだよ」

「でも、それだとオリヴィエ様の身が危ないのでは」


 隣に座っているウィルを見上げると、苦しげに眉根を寄せて顔を顰めていた。妖精王であるルフェイに手を出すことなど出来ない、隠されたエミリオにも手を出せないだろう。しかし、オリヴィエはただの人間なのだ。例え妖精王からの寵愛を受けていたとしても。


「オリヴィエもボクの家に隠してあるから大丈夫だよ」

「あの、どうしてエミリオは家じゃなくてノクチルカなのですか?それに記憶を失っているのも」


 話の通りであるとするならば、ルフェイが意図的にエミリオをノクチルカへと送ったことになる。しかし、記憶をなくさせたのはどういうことだろうか。1年前、出会った時のエミリオの様子を思い出しながらレジーはルフェイを見つめた。


「せっかくだから、エミリオにキミ達を――人間を新しく見て欲しかったんだ。あんな馬鹿達じゃなくて、多くの日々を暮らす人たちを。だから、記憶は封印して遠くであるココに送らせてもらった」

「でも、だからって!あの日エミリオは襲われかけてたんですよ!それに、記憶がないことだって不安になってたのに……!」


 あの日、レジーが助けに入らなければエミリオは銀狼に食われていたかもしれないし、記憶が無いことを不安に思わないはずがない。妖精王ということも忘れて声を荒らげてしまったレジーだが、その様子にルフェイはパチクリと目を瞬かせただけだった。


「視てたよ。ずっと。キミが助けに入ってくれてよかった。あともうちょっと遅かったらあの森は焼け野原になっていたところだ」

「焼け野原って」

「これでもボクはエミリオの事を大事に思ってるんだよ?オリヴィエにもだいぶ怒られたけど」


 森が更地になったところを想像したのか、レジーとウィルは呆然とした。獣が出る危ない森ではあるが、森でしか採れないものだってある。

 レジーは大きくため息を吐いた。

 ルフェイの言うことが理解できないわけではなかった。人間を嫌いになりかけていた、というエミリオだ。記憶があるままではノクチルカじゃ暮らしにくかっただろうし、今のようにジルのところで働くことなどなかっただろう。

 レジーと暮らすこともなかったかもしれない。


「でも、それもここまでだなぁ」

「え……?」


 声を出したのはレジーがウィルか、どちらもだったかもしれない。思考が止まった2人に、ルフェイは苦く笑いかけた。レジーの頭の中に警報が鳴り響き、それ以上聞くことを止めてくる。


「エミリオは連れて帰るよ」

「どうしてですか!?」

 

 呆然としてルフェイのいうことを理解できなかったレジーに代わり、ウィルが思わず立ち上がって声を荒げた。涼しい顔をしたままのルフェイは静かに話し続ける。

 

「一度暴走したエミリオをこのままにはしておけない。間違ってもエミリオが人を殺すことがあってはいけないからね」

「そんなこと……っ!」


 確かに先ほどのエミリオは暴走、という言葉の通りだった。殺すことさえ厭わない危険性もはらんでいる。あの時のエミリオが怖くなかったのかと問われれば、レジーとウィルは否定ができなかった。

 

「エミリオが暴走した時、キミたちは止められるっていうの?さっきは何もできなかったのに?それに、ボクがここに来たことはそのうち王族にバレるだろう。困るのは、キミだろう?」


 新緑の瞳がすべてを見透かすようにレジーをじっと見つめる。レジーは息を飲み何も返せなかった。失踪している侯爵令嬢のことなど王族は歯牙にもかけてないと思いたいが、それは願いにも似た予想だ。その様子に、これ以上話すことはないと言わんばかりにルフェイはレジーから目を離した。

 

「今までのお礼としてこの男は記憶をいじって適当に捨てといてあげる」


 ルフェイは縄でぐるぐる巻きにされている男をつま先で小突いた。反射で呻いたあと、男はふっと消えてしまった。男はルフェイがどこかに送ってしまったのだと思うと、レジーとウィルは背筋が寒くなる。


「じゃあね。今までエミリオをありがとう」

 

 レジーとウィルの返事を聞かず、ルフェイはエミリオと共に消えていった。

 お別れさえできなかった。させてもらえなかった。できないということがわかっていたのだろう。

 がらんとしたリビングで、レジーは椅子から立ち上がれずにいた。痛いほどの静寂と重苦しい空気に俯いたまま唇を噛みしめる。


「レジー」

「ぁ……」


 ウィルの声に呼ばれ、顔を上げる。へにょりと下げた眉に、涙をにじませ今にも泣きだしそうな顔をした女がウィルの金色の瞳に映っていた。その女と目があったレジーは、すべてが終わってしまったのだと思えた。


「ごめん、ウィル。ちゃんと、ちゃんと話すから」


 今更信じてもらえるかわからず、視線を逸らすとウィルは苦笑いしながらレジーの頭をぐしゃぐしゃと撫でつけた。今までと変わらない粗雑なその手つきに、遂にレジーはポロリと涙を一粒こぼした。


「う、うぁ……っ」


 一度崩れてしまえば止めることなどできなかった。ポロポロと涙を流してすすり泣くレジーは数分前の事を忘れられずにいた。



 ウィルに背を擦られながら、レジーはすすり泣き続けた。

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