28.キミの名を呼ぶ
「中に入れてもらえませんか?この街は寒くて仕方ない。外で聞かれて困るのは、お嬢様でしょう?」
にっこりなんてものじゃない。にんまりとした笑いの男にレジーは身震いをした。しかし、男の言う通り、このまま外で、誰に聞かれるか分からない状態で話をする訳にもいかない。
「わ、わかりました」
震わせながらなんとか声を絞り出したレジーを見て、満足そうにしたあと男はするりと家の中へと入りこんできた。固まっているレジーは、異分子を家の中へ招きいれた気持ち悪さを感じた。
「あ、なんかいい匂いしますね」
そういってリビングへと歩みを進める男の意図が読めなくて、どうしたらいいのかレジーにはさっぱりわからなかった。暖炉で暖かいはずなのにレジーの指先はカタカタと震えている。
「お嬢様は覚えてませんか。俺のこと」
「え?」
震える指先を擦り合わせていると、くるりと振り向いた男が問いかけてきた。思い出そうと記憶を漁るものの、言われてみれば見覚えある気がする、といった程度で何も思い出せない。レジーの様子をみて、男が目を伏せて自嘲するように笑って見せた。
「5歳くらいの頃でしたので覚えていないのは当たり前かもしれませんね。俺はあの日からずっと忘れていないというのに」
「は、はぁ」
リビングで立ったままのレジーに一歩近寄ってきて、その分だけ一歩下がる。何度か繰り返すと、ソファに足があたりすとんとソファに座った。レジーの前に立ち、見下ろしてくる男と目を合わせる。
どれだけ思い出そうとしても思い出せないでいた。
「俺の家はしがない宝石商だったんですよ。お嬢様の家にも贔屓にしてもらっていました」
レジーの母は貴族らしく宝石をいくつも所有していた。きらきらと光る宝石を見せてくれて、宝石と同じくらいに瞳を輝かせて眺めたものだった。着飾った母を彩る宝石が羨ましくて憧れた。
「しかし、ある時からどんどん取引が減っていきましてね。ウィンチェスター家にも伺ったのですが、品質が衰えてきたと」
レジーを見る男の目がどんよりと曇っていく。それは思い出したくないことを思い出そうとしているようだった。
「商談にお伺いしたこともあって、その時にお会いしたんですよ」
男の言葉を頼りに記憶を辿った時、家庭教師の先生を見送りの際に男を見かけたのをぼんやりと思い出した。困ったように笑っていた母の姿は珍しく、何か悩んでいるようでもあった。
今になって思えば、母が長く付き合いのあった宝石商を変えることに悩まないはずがない。情に厚く、お人好しな両親だったからこそ、知人の一人娘のロザリーを引き取ることになったのだから。
「侯爵家との取引がなくなり、俺の家は緩やかに潰れていきました。父さんは酒におぼれるようになり、母は家を出ていきました」
底冷えするような瞳でレジーを見つめる男の言葉は次第にぼそぼそと呟くような小さなものに変わっていった。レジーに聞かせるというよりかは、ただ語っているだけのよう。
「おかげで今、俺は冒険者として細々と暮らしています。お嬢様を見つけた時は運命だと思いましたよ」
「お言葉ですけど、私はもうウィンチェスター家とは関係ありません」
「それはお嬢様の言い分でしょう?知らないのですか?多額のお金で捜索願いが出ていますよ」
知らないはずがない。
ぐっと顔をしかめると、男は面白そうにくつくつと笑った。
「お嬢様を侯爵家に引き渡して報奨金をいただくのもひとつなのですが、その前に、俺の家がぐちゃぐちゃになった責任を取ってもらおうかなと思いまして」
「はい?」
トン、と気が付けばレジーを閉じ込めるように両腕をソファに置かれた。近づいた距離に、ぞわりとしたものが背筋に走る。蹴り飛ばしてやろうと思ったのに、レジーの膝に足を置かれてピクリとも動かせなくなっている。
「どうしてこんな僻地にって思いましたけど、祝福が足に宿っているそうですね。男装して配達なんてして暮らしていたら、そりゃ見つかりませんよね」
嘲るように話す男に目を見開いた。ちょっと聞き込みをすれば、レジーに祝福が宿っているのはわかることだった。
「足を封じてしまえば、男の力にかなうわけがないでしょう?」
「ひ……っ」
無力感と、これから起こるであろうことに唇が震える。悲鳴にもならなかった声が漏れたのを、男は至極楽しそうにしていた。
「や、やめ。こんなこと――!」
「わかってますよ。憂さ晴らしです」
何を言っても無駄で、何とかしようと腕を突っ張っても掴まれてしまう。掴まれた腕からぞわぞわとした不快感がこみあげて来てどうしようもない恐怖に身を包まれる。じわりと視界が涙でにじんだ。助けてと叫びだしたいのに、声が震えてしまって何も言えない。
「やだ、た、たすけ」
「今16歳くらいですか?若いっていいですね」
べろりと頬を舐められて、ぽろりと涙が零れ落ちる。掴まれた腕を一纏めに握りなおされ、空いた手が服の中に滑り込む。肌をなぞる手の感触に身震いがした。たくし上げられて露になる胸元にはいつも通りサラシが巻かれて平になっている。何とか動かそうとしても抵抗するレジーの姿が楽しいのか、男の笑みが深まるだけだった。
「サラシなんて巻いて、形が崩れてしまいますよ」
いやだ。いやだ。気持ち悪い。
どうして、こんなことになっているんだ。
エミリオと話をしたかっただけなのに。
助けて――。
「--エミリオ!」
瞼にエミリオの姿が浮かんで、エミリオの名を叫んだ。
震える声だったけれど、エミリオの名だけはしっかりと音にすることができた。
それは一瞬のことだった。目の前を突風が吹き、不愉快な男は壁に叩きつけられていた。勢いで手が離れたようで、ソファにはレジーが取り残されている。
「レジー!」
聞きたかった声を探すように視線を向けると、そこには見たこともないほどの怒りに染まったエミリオとウィル、そして2人の足元にいつか帽子屋で見た、花が飾られている帽子が落ちていた。
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