26.もうひとつの生きる道
「で、どうしたんですか」
悩み悩んだ末にレジーはアンの元を尋ねていた。診療所の奥にある客間でソファに深く座り項垂れているレジーをアンは心配そうに見ている。
なんて答えたものか。訪ねてきたというのに、エミリオの裸を見てしまったと口にするのを躊躇ってしまった。
エミリオを突き飛ばし、自分でも覚えていない何かを叫んだ後、仕事に飛び出した。幸か不幸か配達物は多かったのだが、少しでも余力があればエミリオを思い出して悶えそうになったレジーは、がむしゃらに駆け回った。おかげでいつもよりも多かったはずなのにいつもより早く終わってしまった。
すっかりジルの店の一員となったエミリオはまだ家に帰っていないだろうが、どんな顔で会えば良いのかさっぱりわからず、幽鬼のようにふらふらと彷徨い診療所へと着ていたのだった。
「青くせぇ臭いさせて入ってくんじゃねぇ」
「うっ……」
客間の入口には、腕を組み至極面倒くさそうにしているゴーシュが立っていた。見透かされたようなことを言われて、声を漏らしてレジーは縮こまる。どうして分かってしまったんだ。
「エミリオさんと何かあったんですか?」
「あったというか、なんというか……」
もごもごと言葉を濁すばかりのレジーの対面にゴーシュが座り、その隣にアンが座る。なんだかんだといいながらもゴーシュはレジーの話を聞いてくれるようだ。しかしながら、当の本人は未だに言葉を濁し続けている。
「キスでもしたか?」
「キ……!?!?」
「したんですか!?」
「してない!!」
数秒も待たずに痺れを切らしたゴーシュの言葉に、レジーは顔を真っ赤にさせる。前のめりにアンが更に追い打ちをかけてくるので、たまらずレジーは叫んだ。
「そ、そんなのじゃなくて」
「ふふ」
「なに……?」
尚ももごもごと口篭るレジーに、アンがくすくすと笑って見せた。予想もしてなかったアンの反応に、レジーは小首を傾げる。
「いえ、レジーさんがこんな風に女の子っぽいのが嬉しくて」
「う、……でもよくないことじゃない?私は今レジーとして生きてるんだから」
「なぁ、レジー」
いつかは女に戻るが、それはこの街を出て修道院に入ったら、の話のはずだ。今、女に戻ることは出来ない。
不安げに揺れる瞳のレジーに、アンが困ったように笑う。アンはレジーに、偽ることの無い姿で生きて欲しいと思っている。それはレジーも知っていることだ。
2人のやり取りを聞いていたゴーシュがおもむろに口を開いた。
「シェーネはお前にそんなこと望んでなかったぞ」
レジーが男装するようになったのはシェーネの薦めもあったことだが、修道院へ行くことについてはシェーネが亡くなった後にレジーが言い出したことだった。シェーネに拾われてすぐのレジーは混乱して手の付けられない状態だったという。外に出ることも実家に見つかるかもしれないという不安に駆られままならなかった。
「男装についてはあいつも最後まで悩んでたんだよ。ただ、あの時のお前を何とかするのを先にしたんだ。まぁ、俺が適当に言ったのもあるんだが」
「適当に言った」
「先生」
あっという間に胡乱な目で見る女子2人を前に、ゴーシュは肩をすくめた。男装して生きていくとなった時、髪の毛をまず切り落とした。そうした時、レジーは『リンスレッド』であることを一瞬だけ忘れることができた。恍惚とした顔で頬ずりをするロザリーが焼き付いていたこともあり、髪の毛を切ったことで胸の内が少しだけ落ち着いたのだ。
その様子をみて、シェーネもレジーに男装を勧めることにした。
「間違っていたとは思わない。だがな、シェーネはいつかお前を『女としてのレジー』にするつもりだったよ」
「女としての、私……」
「前までのお前の言っても聞かなかっただろうから言ってなかったけどな。今のお前は――どうしたいんだ?」
レジーという存在で女になれたなら。ノクチルカに住む1人の女としてのレジーとしてこれから生きていけるなら。
エミリオと、今後もずっと一緒にいれるのだろうか。
「で、でも、街の人をずっと騙してきましたよ」
「ここのやつらはきっと受け入れてくれるだろうさ。別にお前が悪いことをしようとして騙していたわけじゃない」
「エミリオだって……」
「驚きはするでしょうけど、エミリオさんなら『レジーさん』を見てくれると思いますよ」
街から離れたいと思っていたわけじゃない。それどころか、ノクチルカはレジーにとって大切な第2の故郷になっている。誰も彼も、大切で大好きな人達だ。だからこそ、いつか女だとバレてしまったとき、皆の見る目が怖い。合わせる顔がないと思っていた。レジーが頑なに修道院に行くことを決めていた理由のひとつでもあった。
「で、だ。あのガキと何があったんだ?裸でもみたか?」
「え、なんで」
「……え?」
「あ」
俯いて考えを巡らせていたレジーにゴーシュが言い当てて見せた。思わず答えてしまったレジーに、アンが紅茶のカップを落として目を見開いている。顔の血が一瞬で引いてしまった。
「--詳しいことを話してくれますね?」
目が笑っていないのににっこりとした笑顔でいうアンに、レジーは逆らえなかった。
こってりとアンに事情聴取をされたレジーは、下着を忘れたことも含めてしっかりと叱られてしまった。すべて正論だったために、レジーは何も言えずにひたすら叱られ続けた。終わった頃には日が暮れていたくらいである。
這う這うの体で家についたレジーは、先に帰っていたエミリオと顔を合わせてもアンに叱られたことで頭がいっぱいだった。
「ただいま……。エミリオ……」
「おかえり。どうしたの?」
「ちょっと、ね……」
ソファーでぐったりとクッションに顔を埋めているレジーをエミリオが心配そうに見ているけれど、へろへろと手を挙げて何とか返事をするのでいっぱいだった。
「そうだ。エミリオ」
「なに?」
クッションに顔を埋めたまま、レジーはエミリオを呼んだ。
アンに叱られながら、そして帰ってきてからも、頭の片隅でレジーは考えていた。
『女としてのレジー』について。
「今度、聞いてほしい話があるんだ」
「--うん。わかった」
話して、どんな反応をするだろうか。想像するのも怖いけれど、レジーはまずはエミリオに話そうと思った。一緒に暮らしてるのだから、というのは建前で、まず受け入れてほしいのはエミリオだった。
近くに寄ってきたエミリオがレジーを慰めるように頭を撫でてきて、レジーはひどく安心感に包まれた。
診療所の奥でアンは布を裂いて包帯を作りながら先程のレジーのことを考えていた。アンはいざと言う時は強硬手段を取ってでも行かせないつもりであった。
「先生」
「なんだ?」
くるくると巻きとった包帯を棚に仕舞い、お酒をあおっているゴーシュに話しかける。診療所の時間が終わったからとすぐにお酒を飲むのはいかがなものかとアンは思っているが、止めたところで聞かないのでもう諦めていた。
「レジーさん、大丈夫ですよね?」
「あいつはただ寂しいだけだよ」
「寂しい?」
グラスに入った琥珀色のお酒を揺らし、波紋が広がる様を眺めながらゴーシュが話し続ける。どこか艶かしいその姿に、落ち着かない気になりながらアンは話を聞いた。
「誰かの特別になりたいだけの、ただのガキだ」
「誰かの……特別」
アンの脳裏には、知らない人と抱き合う父の姿、知らない誰かに手紙を書いている母の姿、そして父と母が寄り添いあっている姿が浮かんだ。特別とはなんだろうと考えたが、その答えをアンは見つけられない。
「私にはわからないです」
「お前もいつかわかるんじゃねぇの。さ、飯にしてくれ。腹減った」
「いいですけど、お酒はもう終わりですよ」
誰かの特別というものはアンにはわからなかった。父も母も特別な存在だったはずなのに。文句を垂らしながらも空のグラスを手に部屋から消えていくゴーシュを眺めながら、アンはため息をついた。
今はまだわからない。
――かもしれない。




