17.ただいま
フィリの屋敷から真っ直ぐに家に向かう。
いつもは静かに走っているのを心地よく思うのに、あの日屋敷から逃げ出した時のような焦りがレジーの背中をついた。
「どうして」
早く帰りたかったけれど、言いつけを破るわけにも行かず、森を避けるように走るレジーはぽつりと独り言を零しながら走り続ける。頭の中はぐちゃぐちゃに入り乱れ始めた。
いやだ。いやだ。
みんな私から離れていく。
お父様も、お母様も、使用人も。
みんな、みんな私から離れていった。
ウィルもみんなと同じようにロザリーを気遣って、ロザリーが望むままに、――ロザリーを愛するというの?
「いっ、……たぁ」
足を滑らせて雪の上で尻もちを着いたレジーはそのままの体勢でぽろぽろと涙をこぼし始めた。尻がだんだんと濡れていくことを気にする余裕なんて少しもない。
「いや、いやだよ」
ぽつり、ぽつり、と呟いたレジーは暫く動けなかった。積もった雪はレジーをただ冷やしていくだけだった。
家の前に着いた時、指先が白くなるほどに体が冷えていた。窓から見える灯りをみて、エミリオが先に帰ってきていることを知りレジーはほっと息をついた。
寂しくて切なくて、そして心細い今の心で、暗いだけの家に帰りたくなかった。シェーネも居なくなって1人の家も、エミリオのおかげで1人では無いことにひどく救われた気になる。
カタ、と音を建てて扉を開けると暖かな空気が体に染みた。しかし、エミリオからの声がなくて急ぎ足でリビングへと向かう。
「エミリオ?」
誰もいないリビングの様子を想像してふるりと震えたレジーは恐る恐るリビングを覗き込む。声をかけても返事はなかったけれど、暖炉近くの1人掛けのソファで丸くなる白い塊を見つけて、安堵の息を吐く。
「寝てる?よね?」
ソファの前に座り込んで、眠りこけているエミリオの顔をみる。雪を吸ったコートが重たいけれど、ちっとも気にならなかった。
眉を寄せ難しい顔をして眠っている様子に思わずくす、と笑いが漏れる。つんつんと眉間をつつくと、むぐむぐと口元が動いた。すっと手を伸ばし、触り心地の良い頭に手を滑らせる。ふわふわの髪の毛が気持ち良く、レジーの心を癒してくれた。
「エミリオは、私の傍にずっといてくれる?」
寝ているエミリオには聞こえていないだろう。それならば、レジーは本当の自分になってもいいんじゃないか。
「私から離れないで。お願い」
将来はアンにエミリオを任せて修道院に行こうと思っているのは自分なのに。口にする願いをレジーは自分から反故にしてしまうのに。
「もう、寂しいのはイヤだよ」
ロザリーがそばに居た。
ロザリーしかそばにいなかった。
閉じた世界は冷たくて、あまりにも寂しい。
2年も経っているのに、あの時ロザリーに撫でさすられたところが冷たく感じて、涙が浮かんだ。
しばらくレジーはソファに身を寄せながらエミリオの頭を撫で続けた。
縋るように。祈るように。願うように。
時間にしてみれば数分ほどだっただろうか。ゆっくりとエミリオの目が開かれて、驚いたレジーは飛び退いた。
「……れじー?」
寝ぼけている様な声のエミリオの様子から、先程の言葉は聞かれていないと判断して、にっこりと笑顔を作る。いくらかエミリオの頭を撫でて心は落ち着いていた。ふわふわの頭に感謝したくなる。
「おはよう、エミリオ。晩御飯、しよっか」
ノクチルカの街に来て、初めの頃は悪夢に魘されていた。その度、心配そうにするシェーネやアンに何事もなかったかのように装い続け、繰り返しているとそれが自然にできるようになった。
「……うん。お腹すいた」
コートを着たままだったことを思い出し、コートを脱げば体が軽くなる。雪で濡れたところをみると目立った汚れはついていなかったが、その箇所だけ色が変わっていた。
「転んだの?」
「え?あぁ、うん。ちょっとね。体が訛ってたかな。でも怪我はしてないよ」
レジーの体に傷がないかみるエミリオに、ぶんぶんと手を振って元気であることをアピールする。それでも気遣うような目を向けていたけれど、コートをかけ終わったレジーはキッチンへと足を向けた。
「レジー」
「ん?どうしたの?」
「――おかえり」
振り返ればエミリオが後ろにいて虚をつかれたが、ふわりと笑ったエミリオにさらに驚かされた。エミリオがこんなに優しく笑うのを見るのは初めてだった。ぱちくりと瞬きをして、かけられた声を理解した瞬間、レジーは破顔した。
エミリオと一緒に暮らし始めて数週間経っている。何度も言ったし、何度も言われた言葉だけど、レジーは泣きたくなるくらいの安堵に身を包まれた。
「ただいま」
心のままにそう返せば、エミリオがレジーの隣を通り抜けていく。
「作るの手伝う」
「ありがと」
やっぱり今日は人参を使わない料理にしよう。
そう決めたレジーは、家にある食材で何が作れるかを考え始めたのだった。
20時に更新します。




