13.救い上げてくれる手
エミリオ視点です。
(……ここは、どこだ)
薪の爆ぜる音で目を覚ましたエミリオは、ぽっかりとしている脳内を隅から隅まで探る。まるで漂白されたかのように真っ白な脳内に、何かひとつでもないかと探り続けていると、頭に心地よい重みを感じた。
真っ白な脳内でふわふわと浮かぶ自分が、その重みに繋ぎ止められた気がしてその重みに手を添えた。
(きもちいい)
吸い込まれるようにその手に頬を寄せたエミリオは、じわじわとその手を認識してハッと覚醒した。知らない人間が目の前にいたのだ。頬に当たっているのは知らない人間の手で、思わず弾かれるように後ずさると、後頭部に激痛が走った。
「だ、大丈夫?」
(誰だ?)
ベッドから見下ろして覗き込んできた人間をみて、エミリオはただひたすらに混乱していた。
――僕は誰だ?
エミリオは何も覚えていなかったのだ。
『エミリオ』ということ以外、父も母も、友人さえも、何も覚えていなかった。
目の前の人間が誰かもわからない。
ひどく恐ろしかった。
自分が何者なのかさえもわからない。
パクパクと口を動かしている目の前の人間を観察しながら、エミリオはただ何も思い出せないことに恐怖していた。
不確かな自分を支えてくれるものなんて何ひとつ頭にはない。
目の前の人間の口が動かなくなったと思い、口元から視線を逸らすと、包帯でぐるぐる巻きにされた腕が目に入る。大怪我だとわかるそれに、エミリオは胸元がざわついた。
落ち着かない。
その大怪我が目の前にあることが、落ち着かない。
「……それ」
気が付けば、問いかけていた。
人間はへらへらとエミリオを気遣うような笑顔を浮かべていて、その怪我はエミリオが原因だということは明らかだ。知らない人間に気遣われている、怪我を負っているのは目の前の人間だというのに。
無意識に触っていた手に、人間が手を重ねてきた。
その手は先ほどエミリオを繋ぎとめてくれた手だと、すぐに気づいた。
その手の人間を知りたくなった。
何もない自分を、真っ白な脳内を、目の前の人間がきっと埋めてくれるような気がした。
エミリオが何者なのかを、教えてくれる気がした。
□■□■
エミリオは朝が嫌いだった。
夢うつつで微睡んでいる時間は、ぷかぷかと浮かんでいる自分がどこかに消えてしまいそうだから。しかし、そんなエミリオの頭をレジーが撫でるようにして起こしに来る時間は嫌いじゃなかった。
消えそうでぷかぷかとしている自分を、レジーの手の重みが繋ぎ止めてくれる。その瞬間だけは、エミリオは好きになれた。
今日も布団で丸くなって眠っているエミリオの頭を撫でるようにしてレジーが起こしに来た。
「おはよう。エミリオ」
「おはよう」
ベッドに腰かけてゆるりと起こしてくれるレジーは、目が合うと優しく微笑んでエミリオが目を覚ますのを待ってくれる。布団で丸くなっていた体を起こすと離れていくレジーの手を名残惜しく感じるまでが、エミリオの朝だ。
「ボクは今日から仕事を再開するけど、なるべく遅くならないようにするから」
目の前に湯気が立っているスープが置かれ、一口すするとレジーが話し始める。
エミリオとレジーが共に暮らし始めて3週間ほどが経っていた。レジーの腕は数日前に完治していたが、長くいきなり休んでしまっていたため、謝罪周りで忙しい姿を見ていた。
こくり、と頷いてエミリオはパンをスープに浸す。
黄金色のスープにパンが染みていく。
「エミリオは?」
「今日もジルの手伝い」
数日前、ウィルに半ば強引に連れていかれたのは老夫婦が営んでいる食堂だった。曰く、食堂の店主であるジルが腰を痛めたため、代わりにエミリオが仕事として手伝ってくれないかというものだった。
この街の人間はお人好しが多いのか、やってきたばかりのエミリオに優しく、古くからいる住民のように心を砕いてくれていた。警戒心を抱くのも馬鹿らしく、エミリオはこくりと頷いた。
この街では幼い子供はウィルや一部の大人たち主導で読み書きを教わっている。けれど、エミリオは街で教えている範囲を超えて既に勉学は習得済みであった。試しに他の科目も確認してみたが、歴史については虫食いのように穴が多くあるものの、他の科目についても学ぶことはないようだった。
『エミリオってどこか良いとこの坊ちゃんなんじゃねぇの』
『さぁ、どうなんだろう。でも僕はここの居心地がいいかな』
『へぇ?』
『ニヤニヤしたその顔をこっちに見せないでくれる?』
そんな会話をしたのは先日の話だ。ウィルには世話になっているとはいえ、エミリオはニヤついたその顔にむず痒くなるような気恥ずかしさを感じた。
「じゃあボクはいくね。食器は流しに置いておいてくれたらいいから」
「洗っておく。まだ時間あるし」
スープをすすり最後の一口となったパンを口に放り込んだエミリオは、もごもごと咀嚼しながら帽子を被るレジーを見遣った。顔が見えづらくなるように深く被っている姿は不思議だった。
「なんでそんな被り方してるの?」
「え?あ、ああ、こうしておかないとボクが女だと思うやつが多くてね」
「ふぅん。綺麗なのにもったいない」
苦笑いを浮かべながらレジーは最後に帽子の向きを整え、荷物を入れた鞄を肩からかけた。ぱんぱんに膨れた鞄は重そうだけれど、なんでもないように肩に掛けている。
思わずレジーよりも歳下だという己の体躯を見下ろして、エミリオはむっと眉を顰めた。
その日からエミリオは人知れず体を鍛え始めたのだった。
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