12.心のよりどころ
不思議なことに、レジーの右腕はみるみるうちに回復していった。アンがいうには、祝福持ちは回復が早いかもしれないとのこと。しかし、ノクチルカで祝福を持っているのはレジーとアンの2人だけなので、実際はどうなのかわからなかった。
痕が残るとアンは言っていたが、2週間を過ぎる頃には綺麗に治っていた。
「ゴーシュ先生、どう思いますか」
「俺に聞かれてもしらねぇ。祝福持ちを見てきたわけじゃないから。ま、実験させてくれるなら話は別なんだがなぁ」
ゴーシュは痩躯長身な男性である。
切れ長の瞳はまつ毛に縁取られ、常に気だるそうだ。Yシャツのボタンを2,3個外してだらしなく胸元をくつろげ、白衣を着ている。美形な顔立ちでのその姿は色気を垂れ流していて、未成年の目には些か以上に刺激が強い。
しかし、整った顔で色気を垂れ流していながらも、ゴーシュは煙管と酒を嗜み、ギャンブルに金銭を注ぎ込む姿は少女たちの幻想をぶち壊し続けている。
実験というゴーシュに身の危険を感じ、静かに距離を取った。にこりともせずにいうものだから、本気なのか冗談なのかがわからない。
「それで?ガキはどうなんだ?」
「エミリオなら元気ですよ。ウィルともうまくやってるみたいです」
エミリオと共に暮らし始めて2週間が過ぎていた。面倒見のいいウィルは連日レジーの家を訪れ、エミリオにノクチルカを案内していた。街の皆への顔見せもあったのだろう。初めは無口だったエミリオも、連日ずっと共にいればウィルと打ち解けたようでレジーは安心している。レジーは男の姿をして暮らしていたとしても、中身は女なのだ。男の扱いはわからない。
「あ、これ、お礼です。治療費もお支払いします」
「いらんいらん。シェーネのババアには大層恩を売られてるからな。そんなもんもらったら化けて出てくるぞあの妖怪ババア」
傷が完全に癒えたあと、レジーはイルメリアまで上等なお酒を一本買いに行った。この国ではお酒が飲めるのは20歳からなのでレジーには酒の味も、なにが良いお酒なのかもわからない。店主に勧められるまま買った辛口のお酒を渡した。
未成年のレジーが酒を持って帰っても仕方が無いので、ゴーシュはお酒を受け取ってくれる。お金を受け取ってくれないことは予想済みなので、ある程度値が張るものを買っておいたのだった。
「シェーネにそんなこというとそれこそ化けてでますよ。おばあちゃんって呼んだら物凄く怒られましたもん」
レジーを引き取ってくれたシェーネは、規律正しく折り目厳しい人で、ノクチルカの人達から信頼も信用もある人だったが、反面豪傑なところもあった。だからこそ人に好かれていたのだと思える。
生真面目なだけの堅物ではないシェーネがレジーも大好きだった。
「お前が子供を預かるなんてなぁ」
「まぁ、成り行きですね。放っておけないですし」
ゴーシュの診療所はベッドが置かれた簡易的な部屋になっている。雪に包まれている街だというのに寒がりなゴーシュのために、常に暖炉で暖められていた。寒ければボタンを締めればいいのにと思うレジーである。
「いいんじゃねぇの。シェーネの子供らしいじゃねぇか」
「……」
シェーネに拾ってもらったとはいえ、レジーはシェーネの子になった実感はほとんどなかった。老い先短い命であることを理解していたシェーネは、レジーが1人で暮らせるようにと生活していくための術を全て叩き込んだ。
そのおかげで包丁を握ったことすらなかった令嬢は鳥を捌くことだってできるようになったのだ。羽を毟るのに涙目になっていた頃が懐かしい。
レジーにとって親とは、遠く離れたところでいまだにレジーを探している父と母だ。撫ででくれた父の手の感触も抱きしめてくれた母の腕のぬくもりも、呪いのように忘れたことはない。
「まぁ、大事にしてやれよ。それがお前のためにもなる」
「私の?」
「あぁ、お前のよすがになるだろうよ」
先生はたまに難しいことをいう、とレジーは眉間に皺を寄せたものの、ゴーシュはそれ以上何も言わなかった。面倒くさくなったのだろう、深い意味はないと結論づけた。けれど、レジーはその言葉を忘れることができなかった。
「もう腕も完治しているようだ。さっさと帰れ帰れ」
しっしっと虫を払うかのように手を振られて、お酒も渡したことで目的も達成しているレジーは大人しく診療所を後にした。暖かな部屋から出れば寒気が体を刺す。震える体を暖めるように、コートの前を締めた。
「レジー、終わった?」
「エミリオ、迎えにきてくれたの?ありがと」
「ちょうどウィルから頼まれてたことが終わったから」
診療所の影から出てきた黒い影は同居人だった。早足でレジーの隣に並んだエミリオを見下ろし、レジーは柔らかく笑った。
今朝、朝食を終えた頃にウィルがやってきてエミリオを連れて行っていた。今日は確か食堂の手伝いだっただろうか。おじいさんが腰を痛めてしまったらしく、ウィルが相談を受けてエミリオを連れて行ったのだ。
レジーも何度か食べに行ったことのあるところで、人の良い老夫婦が営んでいる食堂だ。おじいさんが動けなくなると大打撃だろう。エミリオも文句も言わずに働いてるあたり、心配することはなさそうだ。
ふと見ると、エミリオは手袋をしていなくて手に息をかけて暖めようとしていた。
「手袋は?」
「ジルのとこに忘れてきた。明日取りに行ってくる」
手を取り、コートのポケットに突っ込んだ。小さな手は冷えていて氷のようだけど、ポケットの中で手を繋いでいると温石を入れているかのように暖まっていく。
修道院に入る時、レジーはこの小さな温もりと別れなければならない。
(もっと大きくなったら、アンと先生に預けるしかないかなぁ。シェーネの家を譲ってもいいけど)
いつか来るエミリオとの別れを想像していると、小さな手がレジーの手を握った。それは、手を離すには惜しい温度だった。
夜にもう一度更新します。




