1-24 ハーレム嫌いの早乙女くん
「俺はハーレムが嫌いだ」
ハーレムを嫌う高校生・早乙女英雄はそんな口癖を吐きながら何の変哲もない人生を送っていた。しかし、幼馴染の少女、文学愛好家の妹、留学中の女子大生……彼女達と過ごす日々は傍から見れば、かなり特殊で、英雄はそのことに無自覚だった。
これはハーレムのようでハーレムでない――そんな日常を綴った物語である。
この俺、早乙女英雄はハーレムが嫌いだ。改めて言おう。俺はハーレムが大嫌いだ。
別にそれを築く連中を妬んでるわけではない。そいつらが幸せなら、それで構わなかった。
――なら、お前は何故、ハーレムを目の敵にするのか? ハーレムに親を殺されたのか?
そう疑問に思われても仕方ないが、幸いにも俺の両親はご存命だ。もっとも父は仕事で海外に出張中、母はパートの早番労働であるため、この家には不在なのだが……。
話が逸れた。本題に戻ろう。何故、俺がハーレムを嫌うのか? その答えは単純明快だ。
非現実的だからである。
俺のハーレム嫌いをどうにかしてやりたいと思うのなら、実例を挙げて欲しい。
仮にハーレムの実例を提示できたとしよう。だが、それでもハーレムを好きになれない。ハーレムは数の問題とも限らない。
主人公に恋する幼馴染が、その最たる例だろう。
「英雄、まだ寝てるの?」
とんとん、と軽いノックの音と共に、楓の声が聞こえた。彼女は俺の幼馴染である。
まったく、目覚ましはまだ鳴っていないのに早起きな奴だ。
「まだ六時台だぞ。学校に行くには早すぎる」
俺は大きな声で、ドアの前で突っ立っているであろう彼女に言い返した。
「朝練があるんだもん。一番乗りじゃなきゃ、次期部長として示しがつかないの」
「知るか、そんなこと。示しつけたいんなら、学校に直行しろよな」
「だって校則がねー。六時台の朝練はダメだから」
至極真っ当な理由なので反論できない。しかし、俺は諦めなかった。心地良い二度寝の邪魔をしたのだ。嫌味のひとつやふたつぶちまけても文句を言われる筋合いはない。
実を言うと、俺は目覚ましが鳴る前から起きていた。だから、目覚ましが鳴り響く七時までの間、ハーレム反論を述べながら二度寝を試みたのだ。
しかし、よりにもよって幼馴染の妨害が入ったのである。
「朝練禁止されてるからって、俺を起こす必要はないだろ。とっとと家に帰れ」
「まあまあ、幼馴染のよしみで大目に見てよ。家族みたいなものでしょ」
いけしゃあしゃあと楓は俺を宥めようとした。
何様のつもりだろう。俺は「ほざけ」と、彼女に言うと、ベッドから抜け出した。
長年、居城にしてる俺の部屋。そこには勉強机やクローゼット、棚などがある。どこにでもあるような、実にありふれた部屋だ。語るべきものはない。強いて言うなら、幼い頃の楓と一緒に撮った写真が棚に置いてあるぐらいか。それ以外は至って普通。他は参考書や制服、ゲーム機などがあるだけに過ぎない。
そんな面白みもない部屋の中で、俺は彼女を待たすまいと大急ぎで制服に着替えた。
そして、着替えを終え、少し早足でドアの方へ向かった。
「つまらない男なんだから」
ドア越しから、楓の声がする。その調子は呆れが多分に含まれているようである。
否定しようとは思わなかった。彼女の言う通り、俺はこの部屋のようにつまらない男だ。クラスメイトの男子からは仏頂面だの、能面男だの散々かつ的確な評価を頂戴している。女子連中の評価は知らない。そもそも声を掛けられた機会が少なかった。
きっと、つまらない男だと内心呆れられているに違いない。
だから、俺はドアを開けると、楓にこう言ったのだ。
「悪かったな、つまんない男で」
他人の評価から分かる通り、俺は退屈極まりない男である。
同時にいつも不思議に思うことがある。何故、楓はこんな俺に関わりを持つのだろう? この謎が解けたことは一度もない。最も納得できる理由は、俺の家が学校に近いぐらいだ。
楓の内情など俺には知りようがない。彼女の眼鏡が赤い理由も知らなかった。
地味な奴が眼鏡を外すと実は美人だった、なんてお約束がある。だが、それは誤った考えだ。美人というのは、眼鏡を掛けても美人である。デタラメを言っているわけではない。
それは楓の存在が証明してくれる。
彼女は誰の目から見ても分かるように顔立ちが良かった。綺麗だとか、可愛いだとか、そういう話ではない。一言で説明するのは難しいが、強いて例えるなら、ナチュラルメイクが一番似合う女と言うべきか。しかし、清楚とは異なる風貌だ。
いずれにせよ、彼女が美人であることは紛れもない事実だった。
「おはよう、英雄。いつ見ても辛気臭い顔だね」
「……おはよう」
楓の軽口を交えた挨拶に、俺は平凡な返事をした。
彼女は俺をじっと見据えた。不満があるように唸った。そして、俺の頬を引っ張った。
――あだだ。何するんだよ。
俺はこう発言したつもりだったが、実際には歯抜けのような阿呆の喋り方だった。
「さっき辛気臭い顔だって言ったんだけど?」
俺の頬を引っ張ったまま、楓はこちらを軽く睨みつけ、問い詰めるように言った。
言わんとすることは理解できた。いくら彼女の内情を知らないとはいえ、俺は朴念仁ではない。すべきことは分かっていた。
俺を引っ張る彼女の両手――正確には彼女の両手首――を掴み、頬から引き離した。それから人体の持つ表情筋を駆使し、彼女が満足する笑顔を作った。
肉の筋がプルプルと震えているのが分かる。ぎこちない笑顔だろう。しかし、精一杯やったつもりだ。俺は人前で感情を表現するのが苦手なのだ。
楓はこのことを昔から知っている。俺の笑顔に対して大目に見てくれて良いのではないかと思うのだが、彼女は「十点。赤点です」と、どこか不服そうに判定を下した。
彼女の判定は公私混合がなく、実に素晴らしいものだ。俺は心の中でそう毒づいた。
「お前なあ。人の頬をつねっておいてその――」
「……なにか?」
屈託なく笑う楓を見て、俺は反論を止めた。笑顔の見本を示され、返す言葉もなかった。
念のため述べておくが、俺はその顔に見惚れていたのではない。断じてだ。
「ほらほら拗ねないの」
「拗ねてない。楓の審判が真っ当だったから、抗議する気がなくなっただけだ」
「はいはい。そんなことより、朝ごはんまだでしょ? 行こう」
まるで自分の家かのような気楽さで、楓は俺の腕を強く引き、居間へと向かった。
俺の部屋は二階にある。一階にある居間には階段を降りなければならず、俺と楓は居間に行くため、階段の方へと足を運ばせた。その時である。
「カエデー。ヒデオ、起こせた?」
下の方から同居人の早口な声が聞こえてくる。
どうも楓を俺の部屋に来させたのは同居人の差し金だったらしい。良い迷惑である。
階段を降り、楓は「ご覧の通り。ついでに連れてきたよ」と、同居人に伝えた。そうこうして楓と同居人がやり取りしているうちに、一階に到着した。
「うん。上々、上々」
同居人は俺達の姿を認め、うんうん、と首を二度ほど頷かせる。それから「ささ、朝ごはんを食べましょう」と、流れるような口の早さで、居間に行くよう促した。
彼女はオリヴィア。その名前で察しはつくだろうが海外――アメリカの出身者である。父の知人の娘で、日本の大学に留学中だ。つまるところホームステイでこの家で暮らしている。
ウェーブの掛かった白染めの髪。背丈はアメリカ人らしく高かった。楓と似た快活な気質の持ち主で、風貌も彼女同様に華やかである。エキゾチックゆえにそう見えるのかもしれない。彼女の小麦色の肌はきめ細やかで、一級品のベルベットを連想させた。
そんなオリヴィアの趣味は料理である。毎朝の食卓の彩りは彼女が担っていた。
居間に着くと、食卓には色とりどりのサラダ、絵に描いたようなハムエッグ、程良く焦げたトースト、それに和の象徴たる味噌汁が綺麗に並べてあった。
数は四つ。俺と楓とオリヴィア、それに妹の飛鳥の分だ。
飛鳥は既に食卓に腰を下ろし、文庫本を広げながら朝食にありつくのを待っていた。
「おはよう、兄さん。随分と遅いお目覚めだね」
飛鳥は本から顔を上げると、かなりぶっきらぼうな挨拶を俺にした。
「朝から辛辣だな。まったく、こんな妹を持った覚えはない」
「兄さんも大概だと思うけどね」
「失礼な奴だ。まあ、いい。……おはよう」
飛鳥は見た目は日本人形のように愛くるしい。ボブカットの黒髪に、華奢な体つきなためか、余計そのように感じる。どこぞの殿方から恋文一通でも貰っていても可笑しくはない。
ただ、仏頂面なところは同じ血を通わす妹というべきか、酷く冷たい印象を与えている。この欠点が直りさえすれば、恋文は五通に及ぶだろう。
性格の方は文句なしだ。朝から『カマーゾフの兄弟』なんて小難しい本を読んでいる時点で愉快だと思う。彼女は文芸部・図書委員会所属、根っからの文学少女なのだから。
「兄さん、早く座って。ぐずぐずしてるとご飯が食べられない」
「それは俺以外にも言えよ」
「いやー、英雄が一番の遅起きだもん。文句言われちゃうのは仕方ないんじゃない?」
「……楓も、飛鳥の肩を持つのか」
「まあまあ、皆さんこのくらいで。私が作った朝ご飯が冷めちゃうよ」
そんな取り留めのない会話を交わしながら席に着く。俺達は両手を合わせてこう言った。
「「「「いただきます」」」」
これが早乙女英雄の毎朝の日常である。
クラスメイトの男連中からは「美女達に囲まれて、早乙女はハーレムだな」と、冷やかされる。しかし、俺はそれをいつも否定する。確かに楓も飛鳥もオリヴィアも美人だ。ただ、こいつらが俺に好意を抱いてはいないだろう。飛鳥は血の繋がった妹だし、オリヴィアはただの同居人に過ぎない。楓に至ってはただの幼馴染だ。
三度言わせてもらう。
俺はハーレムが嫌いだ。その理由は単純だ。現実的にありえないからだ。