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1-23 軋む歯車 狂う世界

 かつて、世界は偉大なる神子に救われた。この世界に降り立った神子は瘴気と呼ばれる穢れを祓い、大地を浄化した。

 やがて、還らぬ人となった神子の力を受け継いだ末裔たちを守るため、ある組織が作られた。それは世界のどの国にも属さず、ただ粛々と瘴気を祓い続けていた。

 しかし、自領の生殺与奪権を組織に握られることを厭ったある国は、組織に頼らぬ方策を考え始める。



 時は今。とある場所で、史上最大規模の瘴気嵐が巻き起こる。



 狂い始めた世界の中で、動揺する人々は奇跡を願い、息巻く人々は知らずの内に混沌を呼ぶ。


 歯車は大きく音を立てて軋み、歪んでいく。その先に待つのは救いか、それとも破滅か。


 この世界の行く末を観ることは、最早、神をもってしても叶わない――。

 夕陽が辺りを不気味に染め上げる中、そこだけは区切られたように黒かった。人影は疎ら。嘆き、或いは祈りながら、重たげに足を動かしている。じとりと重い靄が、肌に纒わり付くようだ。

 その中心に、凛と立つ青年が一人。瀟洒な外套の裾には淡い黄色の刺繍が施され、その手に握る杖が迷いのない軌道を描いて止まる。

 不意に風が吹き荒れた。黒い靄が動き、幽かな光が差し込む。

「おぉ、神よ!」

 にわかに歓喜の声が上がる。それとは裏腹に、青年は鋭く舌を打った。

「そう長くは保たない。死にたくなければさっさと逃げろ」

 風に髪を靡かせ叫ぶ。魔力の籠る声音は人々から靄を祓い、靄の外へとその背を押した。我先に逃げ始めた人々を見、青年は小さく頷いた。

「貴方様は、どうなさるのですか」

 不意に聞こえた老人の声。

「案ずることは無い。今は生き延びる事だ」

 杖を握り直すと、再び風を繰り始める。

「行け」

 深く頭を下げた老人の姿が見えなくなると、青年は表情を歪めて膝を付く。手から杖が零れ落ち、呼吸が乱れる。祓ったはずの靄が、濃度を増して容赦なく襲いかかる。呻き、地に倒れた青年は、辛うじて動く指先を宙に閃かせた。


「案ずるな。俺は、命の使い方を知っているだけだ。……あとは、頼むぞ、ヤヨイ」


 動くものの無くなったそこにはただ、黒い空間が残った。




「待て、カヅキ!」

 飛び起きたヤヨイは、荒く息を吐き出す。白い部屋のベッドの上。ヤヨイは伸ばしていた手を握りしめ、額に押し当てた。

「夢、なのか?」

 過ぎる不安に急き立てられるように衣服を整える。廊下から見えるは夜半の月。何事も無ければ、カヅキは部屋に居る筈だ。

「カヅキ、ヤヨイだ。開けるぞ」

 おざなりに扉を叩き、押し開く。その刹那、背筋にゾワリと悪寒が走った。

 しんと静まり返った部屋に、人影はない。

「な、んだ?これは……」

 足を踏み入れたヤヨイは、机上の手紙を手に(くずお)れた。



 その日、カミヤ連合の上層部は明け方から混乱を極めた。

 連合に所属するカヅキが行方不明になり、何も手がかりがないこと。そして。

「失礼します。観測部からの報告です。前例のない規模の瘴気嵐が、盆地地帯で確認されました」

 予想だにしなかった、凶報。

 慌てふためく人々を眺め、ヤヨイは眼を伏せ指を組む。

 ――そこにカヅキが居るのかどうか、確かめに行かなくては。

 瘴気は触れたものの心身を蝕む。それを祓う事が存在意義とも言えるカミヤ連合としては、調査隊を出さない訳にはいかない。今回は特に濃く、盆地地帯が黒い球体に覆われているように見えると言う。

 責任の押し付け合いをする面々に向かい、ヤヨイは声を上げる。

「僭越ながら、私に調査をさせていただけませんか」

 頼みの綱のカヅキは神子の末裔。瘴気を祓う神力の随一の使い手だった。その腹心のヤヨイもまた、その扱いに長けている。

「ヤヨイか。確かにお主にならば、任せることはできよう。……しかし」

 長老がじろりとヤヨイを見遣る。探るような視線にも臆せず、ヤヨイは静かに長老を見返した。本心の見えない態度に、長老は息を吐く。

「一旦保留とする。後で長老室へ来なさい」


「さて、ヤヨイ。お前は何を知っている。カヅキは何処だ」

 人払いされ、防音結界の張られた部屋で、長老はヤヨイを睨め付ける。ヤヨイが知らぬ存ぜぬを押し通すと、長老は深い溜息を吐き出した。

「……そうか。何を企んでいるかは知らぬが、お前を派遣することは罷りならん」

 ヤヨイは長老の結論にも落ち着いた様子で頷くと、着ていた外套を脱ぎ、手早く畳んでソファに置く。

「分かりました。それでは……お世話になりました」

 ヤヨイの選んだ道は、カミヤ連合との決別。慌ててヤヨイを制する長老を後目に、ヤヨイは一礼と共に部屋を後にした。




 ヤヨイはその足で、カヅキから託された地図に記された隠れ家へ向かう。鍵を開け、一歩踏み込んだヤヨイは、言葉を失った。

 実用的な家具と控えめな装飾。華美を好まないが、雅を愛したカヅキの、在り方そのもののような家。

 流れ出る涙を袖で拭い、向かった書斎。そこには封書がぽつりと置かれていた。


『ヤヨイへ。

 取り急ぎ説明したい事だけになるが、確認してくれ。


 俺が神子の末裔と言われるようになった頃、神らしきものから秘呪を授かった。祓った瘴気を力に変え、文字通り、血に宿らせるものだ。


 さて、数ヶ月前になるか、その神が夢に現れた。今回の瘴気嵐には秘呪が必要らしい。

 お前がこれを見ているということは、恐らく俺は瘴気嵐の中で斃れているだろう。そこで、お前に頼みがある。

 この中に、神から教わって作った呪符がある。それがあれば瘴気嵐の中に来れる筈だ。そこで俺を見つけたら、その場で荼毘に付してくれ。

 本当はその場で直ぐに浄化したいが、今回はそれでは足りないと判断した。煙に乗せて、血に宿った力をばら撒こうと思う。すまないが、頼んだぞ。

 詫びになるかは分からないが、お前が知りたがっていたものを、呪符のなかに書いている。見てみるといい。

 さて、時間だ。行ってくる。

 俺が言えたことではないが――、お前は生きろよ。』


 赤茶けた細い線で描かれた呪符。複雑な紋様の中に、小さく書かれた文字を見つける。

『神月 劫の名において、穢れを祓い奉る』

 それは言われなければ気付かないほど小さく。

神月(カヅキ) (コウ)……これが貴方の、真名か」

 閉じた瞼から涙が一筋流れる。呪符を額に押し当て、ヤヨイは暫し祈った。




 初めにヤヨイは、カヅキの遺した蔵書を漁った。

 ――神から秘呪を授けられるほどの愛し子ならば、或いは。

 ヤヨイは手にした本の中ほどに、求めた陣を見つけ出して写し取る。

「神よ。もし貴方がカヅキを惜しむならば、私に力をお貸しください」

 そうしてヤヨイは、忍びやすい夜更けを待って出立した。


 濃度を増す瘴気が、ヤヨイの肌を刺激する。顔を上げれば、夜よりも暗い蟠りが見える。

「こんな所に居るのか……」

 ヤヨイは、これ迄祓ってきた瘴気が児戯のように感じて首を振る。懐から呪符を取り出して呪を唱えると、周りの空気が浄化されて軽くなった。

「ああ、カヅキ。貴方は本当に大したものだよ」

 夜明け前。瘴気でできた闇の帳をくぐり、躊躇いなく盆地地帯の中程まで歩を進めたヤヨイは、ぐるりと辺りを見回す。

 不意に、視界に微かな光が飛び込んだ。

「……見つけた」

 カヅキの周りだけ浄化されていたのは、秘呪によるものか。カヅキが愛用していた杖を拾って腰に着ける。背負子から聖別された薪を下ろし、カヅキの周囲に組み上げて、荼毘に付すための儀式を始めた。

 跪き祈りを捧げるうちに、火元もないのに蒼炎が点る。そのまま炎は燃え上がり、風を起こす。やがてゆっくり靄が晴れ、視界が開けた。

 呪を唱え終わったヤヨイは、揺らめく炎をじっと見つめる。火勢を落としたその中に、カヅキの姿はもう見えない。

 一瞬眼を伏せたヤヨイは陣を広げ、火を移した蝋燭を立てる。ナイフを指に突き立て、陣に血を落とす。そのまま腰から杖を引き抜き、陣に乗せながら先程とは違う呪を紡ぐ。

 額からは汗が落ち、酷い脱力感に見舞われた。

 ――まだだ。まだ、いける。

 喉に灼けつくような痛みが走る。暁光がヤヨイを照らす。

「――我が名は弥生(ヤヨイ) (ユウ)。杖の(えにし)を辿り、我が元へ。来い、神月 劫!」

 呪を結んだヤヨイの口から、鮮血が垂れる。それを手の甲で拭い、陣に神力を注ぎ続ける。


 不意に、眩い光が溢れた。


『俺を使い魔として受肉させるか。まったく、――無茶をする』

 ヤヨイの頭に、聞き慣れた声が響く。はっと息を呑むヤヨイの前に、黒猫が座っていた。

『ただいま、ヤヨイ』

 耳から入った猫の鳴き声が、頭の中で別の声になる。それはずっと、背を追いかけていた人のもので。

「あぁ……、おかえり、カヅキ」

 膝に擦り寄った猫を抱き上げたヤヨイは、震える声を絞り出した。




『神が憂いていた。西の大陸にある国が、神子召喚の方法を突き止めたと』

 木陰で休むヤヨイの膝で、カヅキは淡々と告げる。ヤヨイは毛皮を撫でながら、耳を傾けていた。

『神子は異界より来る。そして……瘴気も』

「そうか。……それは、不味いな」

 世界に強引に穴を開けるとどうなるか。ヤヨイは結末に思い至り、深い溜息を吐く。

『ああ。この世界は、何時壊れてもおかしくないらしい。それを修復しなければ。……どうやら神はまだ、俺をこき使うつもりらしいな』

 くく、と笑う声はもう、ヤヨイにしか届かない。背を預けあったカヅキの姿こそもう無いけれど。

「ならば私も付き合おう。そもそも、貴方を受肉させたのは私だからな」

 軽く笑い、肩を竦めたヤヨイが、不意に猫の頬を突く。

「そうだ、カヅキ。名前はどうする?」

 神子の末裔の名を持つ使い魔など、厄介の種だ。カヅキはくつくつと笑うように、にゃおと鳴く。

『ああ、うーん。まあ、何でもいいぞ。俺の主はお前だ、ご主人サマ』

 ヤヨイはその言葉に苦笑を浮かべる。

「それは止めてくれ。……そうだな、ではこれからはコウと呼ぼう。構わないか?」

 目を瞬かせたカヅキは、愉しげに笑って頷いた。




 使い魔を背負子に乗せ、杖を片手にヤヨイは歩く。「カヅキ」を喪った世界が壊れぬよう、西へ西へ。

「ああ、そうだ、コウ。後で説教な」

『に、にゃーん?』


 一人と一匹が旅を始めたその日の夕方、カミヤ連合に一つの朗報と、それを上回る新たな凶報が飛び込んできたのだった。

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