1-18 美人の国
その女子校には鉄よりも堅い掟があった。
「容姿端麗であること」。
生徒たちは学校直々に美人であることを命じられ、醜い者には退学が言い渡される。
もれなくブスは美人たちによるリンチが行われるが、誰も咎める者はいない。なぜなら、美人だから。
そんな中、醜さを隠した二人の少女がこの学校に反旗を翻す。
美は、最も信者の多い宗教だと思う。
神の御心だって、お釈迦様の説法だって、美しいから崇拝される。この世の信仰が、理想が、天国が。その手綱を美に握られている。
「アンタ、そのメイク何?」
教室に女王の声が響いた。女王は三軍女子の髪を乱暴に掴み、舐めるように顔を見つめる。
「うわ、下っ手くそ」
「直してあげようよ、リリカ」
リリカは取り巻きの声に頷きポーチから真っ赤なリップを出した。クレヨンを扱うが如くその子の顔に塗りたくる。
「嫌っ……!」
「動くなよ、上手に塗れなぁい」
髪を引っ張られていて逃げ出せず、ぐちゃぐちゃと赤い線を引かれた彼女は目に涙を浮かべた。
「調子乗んな、ブス」
私立美國女学院。
この高校には堅い校則がある。「容姿端麗であること」。顔は小さく瞳は大きく、瞼は二重で鼻は高く、四肢は細くしなやかに。入学時は肌に合わせた化粧品と骨格に沿った制服が支給される。そして、ブスには退学が言い渡される。
BMIは十九以下に。上回った者は退学。
体重の増加は三年間で二キログラムまで。上回った者は退学。
揚げ物は禁止。口にした者は退学。
美容整形をしようものなら。偽りの美貌へ死よりも惨い罰が下る。
当然公の校則ではないが、一つでも破ったら生徒による私刑が行われる。いじめに耐えられない罪人は結果的に学校を去る。
リリカは何事も無かったかのように手鏡と向き合う。
彼女は美しいから何をしても許される。授業をサボっても、生徒をいじめても。
そんな彼女をあたしは自分の席でぼんやり眺めていた。
「何?」
リリカが低い声であたしを睨む。やばい、見てたのがバレた。
「別に何も」
リリカはあたしが気に入らない。理由は簡単、あたしが美人だから。もしクラス一の美人は誰か、とアンケートを取ったら「宮本リリカ」「泉昌」のどちらかが挙がるだろう。リリカはそれが嫌。全員に自分の名を言ってほしい。
あたしは心の中で嗤った。悪いけどアンタには屈しないよ、あたしは常に可愛いもん。今日だってファンデーションを念入りに塗って、おニューのシャドウとリップを乗せ、黒い艶やかな髪は緩く巻いて仕上げてきた。美と強さは直結する。
「……いつまでもそのままでいられると思うなよ」
そんな捨て台詞と共に、リリカは席に着いた。
HR、担任は見知らぬ少女を連れてきた。
「今日から新しい仲間が加わります」
取り巻きと駄弁っていたリリカはとたんに黙り、転校生をじっと見つめた。自分だって喋っていたくせに、まだ騒いでいるクラスメイトを睨む。
「水野朋絵です。よろしくお願いします」
うわ、美人。
つやつやのストレートヘアは手入れされていることが一目でわかる。大きな瞳と、すらっとした鼻、スタイルも抜群。メイクも控えめで可愛い。千年に一人の逸材みたいな、誰もが思い描くような美少女。リリカがキレるだろうに。
ぱち。
朋絵と目が合った、気がした。あたしの席は一番後ろ。視線が重なる方がおかしい。
彼女はあたしの二つ前に座った。HRが終わるとリリカは真っ先に朋絵の席へ向かった。もれなく取り巻き付。
「はじめまして水野さん。宮本です。……よろしくね」
よろしくと言いつつ明らかに敵視している。なんであたしがこんなにリリカを観察しているかというと、あたしがぼっちで、話し相手がいなければ一番目立つリリカに目が行くから。教科書を出しながら二人の美人を視界の隅に置く。
「宮本さん、どうぞよろしく」
柔らかい笑顔をリリカに向ける。ふわりと揺れる髪は朋絵の周りに花が咲く幻覚を見せた。
「リリカね、あなたと仲良くしたいの。放課後お茶でもどう? 会員制のアフタヌーンティーが駅前にあるのよ」
「そこの常連なの」と自慢を入れつつ、リリカは会員証を見せた。
「あ、そこなら先日母が連れて行ってくれたわ。いいお店よね」
ぐぬぬ。そんな声が聞こえてくるんじゃないかってほどリリカは悔しがった。が、朋絵は気づかない。
「それより、この学校を見て回りたいの。こんなお洒落な校舎初めてで」
リリカたちに校内ツアーのアポを取るのかと思いきや、朋絵はくるりと振り返った。
「ね、案内して?」
「へ?」
朋絵はあたしをまっすぐ見詰めた。一つ前は空席で、視線は間違いなくこちらにある。
「あたし?」
「さっき、目が合ったから」
蚊帳の外だったあたしはいきなり朋絵の土俵に立たされた。
「小さな縁を大事にしたい性分なの」
それじゃ、と朋絵は返事も待たずにあたしの腕を引きながら教室を抜け出した。
「ちょ、ちょっと水野さん!」
朋絵は手を離さず、スキップしそうな勢いでご機嫌に廊下を闊歩する。一限のチャイムは無視した。
「いきなりごめんなさい。ああいう子苦手で」
「……なるほど」
あたしは「それは同感」と付け加えた。
「リリカは女王気どりなんだよ、あたし以外の子は逆らえない」
「あなた以外? なぜ?」
「それは」
あたしが美人だから。なんて言えるはずもなく。
「とにかく。大丈夫だとは思うけど、穏便に暮らしたいならリリカと上手くやる必要がある」
「ふぅん」
朋絵は聞いているのかわからない返事をしながら廊下の窓を眺めた。窓から吹く風は冷たい。こんな季節に転校とは不自然なタイミングだと思うが、理由は聞かない。
「ところで中庭に行きたいんだけど、どこ?」
引っ張る腕はすでに勢いを失っていた。
中庭は誰もいない。昼ならここでお弁当を食べる子たちがいるかもしれないけど、今は授業中だし。
「わあ、大きな噴水!」
ベンチで座るあたしにお構いなしで朋絵がはしゃぐ。木々はほぼ枯れて茶色い落ち葉が積もっているし、生徒には見慣れた光景だし、寒いし。正直早く戻りたい。メイクも直したい。
「あなたも来て。私だけ騒いでて変じゃないの」
「ええ、変ですとも」
噴水を背にふくれっ面の女の子。漫画のヒロインにいそうだとあたしはぼんやりと思った。
「もう! 来てってば」
「わっ」
ぐい、と教室でのデジャブ。華奢なのに彼女は力が強い。あたしは引っ張られるがまま噴水に近づいた。
それがいけなかった。
ベンチから噴水までの距離にあった小石につまずき、引かれる腕の勢いも相まって噴水に突っ込んでしまった。ぼちゃん、という無様な音が響く。
「大丈夫!?」
朋絵はあたしの腕を握ったままで、制服の袖に水しぶきがかかっていた。そのまま引き上げられる。
「ごめんなさい! そんなに強く引っ張ったなんて」
「いや、石のせいだから」
それよりどうしよう。鞄を教室に置いたままだ。メイクを直さないと。顔を整えないと。なのにリップひとつ持ってない。
「水野さん! 化粧ポーチ持ってない!?」
「ごめんなさい、教室に……。それより服を」
「そんなのいい! あ、化粧が、」
あたしの手にデロデロになったファンデーションが付いた。シャドウも、マスカラも。寒いから汗の心配もないし、雨も降っていないからと水への対策を怠っていた。でもまさか、噴水に落ちるなんて。
やばいやばいやばいやばい。どうしよう、こんなんじゃ校内を歩けない。メイクが、メイクを、メイクで、
「……あなた、その顔」
終わった。
朋絵は驚いた表情であたしを見た。どういう風に映っているだろう。きっと醜くて、汚くて、不気味で……。
「小さいとき、火傷して。痕を化粧で隠してた。……どこに転校しようかな」
あたしの顔の右半分には大きな火傷痕がある。くすんだドドメ色のそれさえなければ美しくいられたのに。
「火傷痕くらいで転校なんて、」
「そういう学校なんだよ! リリカはあたしの顔が綺麗だからいじめない。でもこの痕がバレたらリリカだけじゃない、学校中があたしを踏みつける。……美しくなければ人権はない、そういう所なの」
朋絵は言葉を失い、憐れんだ瞳であたしを見詰めた。美しいお前にはわかるまい。
「そういうことで。さよなら」
「待って!」
なのに朋絵はあたしの腕を掴む。さっきより強く握られているような気がした。
「ごめんなさい、でも聞いて」
「何を」
「私もなの」
朋絵はポケットからスマホを出し、ある画像をあたしに向けた。
「これ見て」
「……誰?」
「私」
そこに映っていたのは、お世辞にも美人とは言えない女の子だった。
「私の顔、整形なの」
整形。この学校で禁忌とされている行為だ。偽りの美人は詐欺同然。
「嘘」
「嘘じゃない」
朋絵は澄んだ目でこちらを見る。思わず画像と彼女の顔を交互に見比べてしまった。
「やばいよ、あんたもいじめられるよ! 転校し直した方が……」
「知ってる」
「え?」
「ここがどんな場所なのか、全部知ってるの」
あたしは間違っていた。彼女がさっき憐れんで見ていたのはあたしを惨めに思っていたわけじゃない。
自分と同じ。そう思っていたんだ。
「友達が前にここへ転校したの。でも、美しいって思ってもらえなかったみたいで。いじめられて、飛び降りちゃった。だから……」
「仕返し?」
「そういうこと。……ブスとか美人とか、そんな物差しで測られるために私たちは生まれたわけじゃない。この学校にそれをわからせるの」
朝日に照らされる彼女は美しかった。彼女の眼差しに、強い美しさが宿っている。
「へえ、そうだったんだ」
第三者の声が聞こえる。声のした方を見ると、そこには、
「……リリカ、見ちゃった」





