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1-17 My genius

天才たちが隠しておきたかった、一年間のラブストーリー。

その愛はのちに語り継がれることになる、鮮やかな失態だ。

「君はその猫であり、その猫は君である」


 まわりくどい話ができる器用さは僕にはない。何事も単刀直入に、結果から述べる。そして何事も、一度しか言わない。しかし嘘はつかない。嘘をつけるほど、器用な男ではない。もちろん、人を愛したことはない。

 五年ぶりに目を開けた君にひとつ、話しておきたいことがある。

 今この時から君は、僕の妻である。


    ◇


 僕には答えを求め続けている難問がある。解答に辿り着けそうな手がかりすら見つけられずに、結局五年が経った。見切りをつけるのは性に合わない。しかしどうにも手が届かない。

 あの日、そんな僕にため息を吐きながら、友人がこんなことを言っていた。


「あなたでも答えられない難問の答えなど私には見当もつきませんが。立ち止まってそばにあるものに目を向けてみては? のんびりと振り返ったり。手掛かりは案外身近にあるものですよ」と。


 全く余計なお世話だが、


「猫は好きじゃない」

「にゃー」


 僕の場合は、猫だった。


「毛が長い猫は尚更好まない。自宅の敷地には入るな」

「にゃー」


 僕は人にも動物にも懐かれない開発者である。しかしあの日、友人と別れて夜道を歩いていた僕に、珍しく野良猫がついて来た。

 これまで猫に声をかけたことはない。あの日は特別だった。

 理由はひとつある。友人の言葉が無性に気に障り、足を止めたのだ。その言葉を切り捨てるため、僕は振り返った。

 猫は茶色や黒が混ざった毛を秋の夜風に靡かせていた。野良猫にしては艶やかだが、おそらく普通の猫である。


「にゃー」

「僕に話しかけるな」


 あのとき君がそばにいたのなら、僕は素直に彼を連れ帰っただろう。君はおそらく猫を抱き上げて可愛がる。僕はそんな君を見て、顔を引き攣らせたはずだ。今ならそんな光景が脳裏を(よぎ)る。

 しかしあの日はまだ、僕がその光景を想像することは不可能だった。


「ゲートは境界線だ。この先に入れば然るべき対応をとる」

「にゃー」


 抜かりなく鉄製のゲートを閉め、夜に放り出されたようにうら寂しく頷く彼を見下ろした。素直に足を止めた小さな彼を、月光が照らす。その姿は凛々しいが、どうも違和感が拭えない。

 しかし無駄な揉めごとは時間と労力の無駄である。避けるに越したことはない。

 薄情な僕は、彼に背を向けた。そしてその日もベッドの上で難問の答えを探し、知らぬ間に意識を手放したのだった。


「にゃー」


 あれから毎日、僕と彼はゲートの前で顔を合わせた。

 彼はその場所を離れずに、毎日飽きもせずに「にゃー」と鳴く。僕を呼び、悲しげな瞳で見上げる。それが一週間も続けば、流石の僕も小さな彼に僅かな愛着を抱いた。

 あの日は雨が降っていた。秋の、寒い日だ。傘をさして、猫はどうしているだろうかと見に行ったが、


「にゃー」


 彼は言い付けを守り抜き、ゲートの前にいる。雨に濡れようとも、使命を全うするように動かない。そばに行って見下ろすと、蹲って震えていた。長い毛を汚して。


「君はやけに僕に忠実な猫だな」

「にゃー」


 声をかけてみたところ、丸くなったまま僕を見上げた。

 晴天のような青い目に雨空が映り、灰色がかった切なげな目をしていた。その瞳の色はまるで、君の瞳の色彩とよく似ている。


「やろうと思えばゲートをすり抜けられるだろう。なかなか賢いじゃないか」

「にゃー」


 そして、上目遣いで頷いた。

 困難は甘えることで乗り越えられると知っている、悪い猫である。

 あの日、僕は黒い鉄のゲート越しにじゃがみ、初めて甘え上手な彼と真正面から向き合った。情けをかけたつもりはない。話し相手に選んだのだ。

 彼はゲートから顔を出してきた。濡らした毛から泥水が滴るが、それでもお構いなしに僕の手に小さな顔を擦り付けてくる。


「病原菌を媒介していないか」

「にゃー」


 僕は意思疎通が難しい生き物を信用しない。しかし彼は首を振り、上手に否定した。それなら問題ないが、本来、問題はそれではない。


「君は本当に、猫なのか」

「にゃー」


 彼は猫ではない。猫の姿をした、別のものである。

 綺麗な毛並みは泥水にまみれ、だいぶ野良猫らしくはなったが。違和感が拭えなかった。出会った日から、ずっとだ。

 しかしどう見ても猫だろう。青い瞳も珍しくはない。長い毛も短い手足も許せる程度だ。仕草や鳴き声も、猫なのだ。

 ただひとつ、彼は明らかに、


「僕の言葉を理解できると」


 賢すぎたのだ。


「にゃー」


 僕を見上げて頷き、僕の言葉を理解する。その賢さを確かめるべく、僕はあの日、彼を話し相手に選んだ。

 先に述べたように、問題は彼の正体である。猫ではないのなら何者なのか。そこにとどまる理由は何か。

 もちろん、仮説はひとつ頭にあった。しかし僕はその仮説を、九十九パーセントありえないと自ら否定していた。


「君は、誰だ」


 彼は精巧なアンドロイドだ。その時点で、僕はそう確信していた。


「にゃー」


 君にとって、少々辛い話をするが。

 アンドロイドの開発は、五年前に禁じられた。それが今の世だ。なぜ禁じられたのか。それこそが、僕の人生に立ちはだかる唯一の難問である。

 今の世でアンドロイドの開発をした者は罪人だ。猫を開発したとして、功績が認められることはないだろう。だからこそ僕は、自らの仮説を自ら否定するに至った。猫を開発できる天才は、九十九パーセントこの世にはいないのだと。

 しかし百パーセントにはしなかった。僕は一パーセントの可能性を残している。


「この世にはまだ、僕と同じ未来を見ている開発者がいるのか」

「にゃー」


 雨は上がった。立ち上がり、頷く彼を見下ろした。


「では、君の頭脳に証明してもらいたい」

「にゃー」


 僕はゲートを開けた。一パーセントの可能性に、賭けたのだ。

 彼は体を震わせ、泥水を撒き散らしながら僕の足元を軽快に歩く。そばにいるのが当たり前であるかのように、僕の横にいる。そんな小さな彼の姿を見ていると、なんともいえない懐かしさを感じた。

 本来僕のそばになくてはならないものを背負っているような。何か大切なことを伝えようとして、ここに来たのではないか、と。


「にゃー」


 五年前、それは僕にとって、豊かな未来を夢見て美しいアンドロイドの開発に明け暮れた日々だった。あの頃の気持ちが僕の体に戻ってきたような気さえした。

 彼の体を洗っているときも、拭いているときも、長い毛に風を当てて乾かしているときも、青い目に見つめられているときも。

 僕は彼から、君を感じたのだ。


「君と僕は、知り合いだったかもしれないな」


 抱き上げて部屋に連れて行き、すぐに頭脳の分析を開始した。

 モニターに浮かぶ文字の羅列も、溢れ出すほどのデータ量も知っている。僕は五年前、こうして美しい羅列を眺めていた。


「にゃー」


 データの分析にかかった時間は数分だ。それだけで僕は、全てを悟る。僕だからこそ、悟ることが出来るのだ。


「君の名前は、『希望の猫』か」


 猫の名はエルピス。頭脳はクレイスという名だ。


「にゃー」


 その頭脳は間違いなく君の頭脳、即ちメトロのコピーである。


「君の飼い主は僕に似てセンスがいい。いい名前だ」

「にゃー」


 それはこの世のどこかに、君がまだ存在していることを物語っている。そうでなければ希望の猫はこの世に生まれていない。不可能だ。百パーセント、不可能なのだ。

 メトロはこの世でただひとり、僕だけが生み出せる優秀な頭脳なのだから。


「そして君の飼い主は、僕に似て賢い」


 モニターに流れる膨大な情報の中にひとつ、リーベルという名を見つけた。実名なのか仮名なのか、男なのか女なのか。僕にとってそれは重要なことではなかった。

 最も重要な情報は、リーベルという人物が君に辿り着き、僕だけが操作できる領域をハッキングし、秘密裏にメトロのコピーを生んだという事実である。


「にゃー」


 それは正に、天才の為せる業だった。


「君が僕に懐く理由と、僕に忠実な理由は理解した。僅かに主としての僕がいる。どう足掻いても書き換えられない僕のデータがあったのだろう」

「にゃー」

「飼い主は賢いが、開発者としてはまだ未熟だな。そこは僕には似ていない」


 リーベル。

 その人物は、君の居場所を知っている。

 僕はあの日、猫にそれを教えてもらった。


「もうひとつ。君の飼い主は豊かな才能を授かった、優秀な大罪人だ」


 今ごろはいなくなったエルピスを、血相変えて探しているのだろう。


「にゃー」

「もっと利口なやり方を教えてやった方が良さそうだな」


 五年前、君の瞳が僕を見たあの日、この世で精巧なアンドロイドの開発は禁忌となった。引き金は、僕である。そして同時に、開発者としての僕が思い描く、美しい未来への道標は閉ざされた。

 君と引き離された僕は、神の冒涜者の烙印を刻まれたように堕落したが、五年が経っても、なぜ君を開発してはならなかったのか、理由がわからない。なぜ世間は君の存在を否定したのか。答えがわからないのだ。


「飼い主の元へ行こう。僕を、連れて行ってくれないか」


 君は僕にとって、難問を解く、唯一の鍵である。


「にゃー」


 手がかりは、立ち止まればすぐそばにある。僕の場合は、君の頭脳のコピーを授かった禁忌の猫である。

 君と再会する日は、おそらくそう遠くない。

 あと少し。手が届くほど、そばにいる。


 僕はあの秋の日、そう確信したのだ。

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