1-16 ニア・オートマトン・フランケンシュタイン
大雨と雷鳴が轟くあの夜に怪物が産まれた。
その振舞いは仕草も呼吸も性格も全てが彼女と同一だった。けれど彼女とは決定的に違う存在だった。
「柊木さん」
「あなたは誰なの……!?」
「私? 私は私だよ。一橋宮子」
怪物はひどく潰れた声で彼女の名前を名乗った。
ファム・ファタール。誰かの、私の運命の相手の名を。
関わる人々の運命を狂わせる究極の人間。
それはただ彼女に似ているだけの偽物なのか。
それとも私の知らない貴方がそこにいるのか。
だけど本当は前提なんてどうでもいい。
貴方が完璧であれば。
一橋宮子が死んだ。
突然の話だった。朝、彼女は死んでいた。
警察の調査でも事件性なしと判断されたのか呆気なく真相は闇の中へと消え、しかしみんな彼女の死因など気にしていなかった。重要なのは他殺か自殺かを究明することじゃなく彼女がもうこの世には居ないという事実、運命の恋を諦めざるを得ない現実だった。だから純粋にその死をなげき全員が喪に服していた。もうひとつの事件が起こるまでは。
それは彼女が亡くなってから十日後におこった。
悲しむ声はその日を境にぴたりと止んだ。
死後四十九日目までは来世が決まる期間という日本では広く信じられている話。つまり、まだ彼女の来世は決まっていないという事になる。だからその生徒は自殺した。
そう、一橋宮子と来世で結ばれる為に。
薬指には願掛けと思われる赤い糸をくくっていたそうだ。
そして狂っているのは彼女ひとりじゃない。
この学園の人間はみんな狂っている。
みんな、一橋宮子に恋をしていた。
一人の後追い自殺をキッカケに翌朝には二人、翌々日に二人、翌週は十人が命を絶ち、みんな同様に薬指には赤い糸があった。そしてその死の連鎖を誰も止めようとはしなかった。
みんなその必要性を感じていなかったから。
社会とは隔離された山奥に設立された全寮制の女学園。外部からの目は届かず内部からは漏れる心配もない。あとはただ転がり落ちるだけ。状況が悪化するには都合が良すぎた。
警察にふたたび頼る気配もないままに教師の一人も自殺の連鎖に加わり、悲しむ声はいつ死のうかの相談事にかわっていた。ここにあるのは宗教、ファンクラブという名前の宗教だ。
生きる災害に恋をしてしまった被害者の集まり。
彼女は万人に愛されていた。……言葉通り容姿や性格、人種や性別などの好みや性的指向に関係なく誰もが彼女に愛を捧ぐ。たとえば恋人に浮気をされた時、同じ相手に恋をするだろうか? もちろん普通はしない。だけど彼女なら恨み言ではなくきまって愛の言葉を囁かれる。
一橋宮子とはそういう人間だった。
呼吸ひとつで誰かの運命を左右し、そこに居るだけで人を狂わせ破滅させる魔性の女性────ファム・ファタール。
人のカタチをした怪物。私はそう認識していた。
その異常性を現実にする美しさが彼女にはあったから。
日本人形のような黒艶のある髪、中性的な顔立ちに外国人モデルのような上背としなやかに伸びる四肢。勉学に長けて身体能力も抜群、性格に非の打ちどころは無くまさに才色兼備という言葉が彼女には相応しかった。
そんな彼女だからこそ死後も周囲の人間を狂わせてしまう。
あれからひと月後、自殺者の名前は覚えきれないほどになっていたがどうとも思えないほど私の感覚は麻痺していた。
いま異常だと思うのは校舎裏で起こっていること。
そこには焼却炉があって亡くなった人達を火葬する場だった。そこで楽しそうにする同級生に遭遇した。彼女は遺体から爪を剥がしていた。その隣では下級生の子が額に汗を流しながらキラキラと光輝く目で血濡れた指先をみつめていた。人の腕だけがその手の中にはあった。
そしてそれらの遺体を放置したまま二人は宝物を握りしめるように校庭のほうへ走り去っていく。
そこには数日前から一橋宮子の遺体がある。
正確にいえば作られ始めた。他の人達の身体を使って。
肉体があれば魂はここに帰ってくる。誰が言い出したのか不明だがそれを盲信した結果、一橋宮子の肉体を再現しようとした偽物が作りあげられていた。遺体の人形。
材料は来世で結ばれようと自殺した人達。どこをどう曲解すれば身体を一つに結ぼうというのかわからない。
死んだ人間は甦らない、そんな当たり前の事実はそこに存在しておらずみんな復活の日が来ると本当に信じているらしかった。
──四十八日目の夜。
朝日が昇れば四十九日目が来るなか私は校庭で偽物の彼女を見つめていた。似ていると思った、だけど同時にこんな物が一橋宮子の死体なのか? とも。
「────ァァァァァァ!」
私は叫びながら衝動的にそれを押し倒していた。
鈍く重たい音が静かな校庭の空気を弾く。
怒りに身をまかせて握りしめていたナイフをその胸に突き立てた。肉と皮を縫合していた糸をちぎり色の違う皮膚を分断させる。濁った血がその肌をたれ落ちて土を汚した。
グチャ。グチャ。グニッ。
頭を蹴り潰すと黒い血をびたびたと壊れた噴水みたいに撒き散らした。
汚い汚い汚い。醜い、こんなもの醜いだけだ!
なにが、何が一橋宮子だ! 違う!
私が求めていた物はこんな偽物の不出来な物じゃない。
ズタズタに引き裂いた穴にゆびを突き入れて強引にちぎり捨てる、胸を胴を腰を首を腕を脚を背中を骨を皮を、ありとあらゆるものを損壊させて破壊した。
夜明け前の闇の中にはバラバラ遺体とナイフを握る私。
全力疾走したかのように荒れ狂った息を整えようと天を仰ぐとちょうど雨粒がポツリと私の鼻先を叩いた。
吸って吐いての深呼吸を繰り返しているうちに雨は強く降りだして全てをかき消すノイズ音へと変わっていく。
……冷たい。こんな事をしたのに何も満たされなかった。
雨音に雷鳴が入り混じる。私はゆるゆると立ち上がった。明日はきっと惨状に気がついた人の声で目を覚ますだろう。
心を写しとったかのように足が重い。それでもと、その場から去ろうと歩きだした────瞬間、
大轟音が視界を白く染めた。
「ッッ──!?」
地面ごと身体が揺さぶられるような感覚だった。
耳を両手で塞いだまま振りかえった視線の先、遠く校庭の外周が赤く輝いている、木々が燃えていた。
今のが落雷だと理解し、しかし理解したときすでに私の視線は足下へ移っていた。
それは水を跳ね上げて蠢ていた。
ビダッ、バヂャ、バジャ、ビダッビダッ。
バラバラにした身体の部位が、遺体が、まるで命を吹き込まれたかのように躍動している。
恐怖。本能的な恐怖だった。声も出せない、頭もまっ白。それでも無意識のうちに私は校舎へ逃げこんでいた。
なのに不可解な物を少しでも理解しようとそれの様子を覗いてしまった。
轟々と音立てる炎が五体満足の人影を映している。
刺激を与えなければそのまま動かない気さえした。
しかしそれは身体の一部を痙攣させながら部位ごとの動きを確認するように動いてみせた。
その最中、それと目があった。生きた目。
私から視線を離さずそれは近づいてくる。
今度こそ身体は動かなかった。
それは一橋宮子の身体に無数の縫い痕を走らせたかのような人間のカタチをしている。私が壊した遺体の人形そのままだ。
縫合痕からは何らかの汁が漏れだしていた。
本当に一橋宮子が甦ったのか。いや、ありえない。
だって────。
「柊木さん」
名前を呼ばれた。
ツギハギだらけの怪物はひどく潰れた声だった。
一橋宮子とは似てすらいない恐ろしい声色。
なのに私の心には感謝があった。
ありがとう嬉しい嬉しい嬉しい呼んでくれた私の名前呼んでくれた呼ばれた嬉しいありがとう好きあなたへの気持ちが溢れてくる止まらないよ止まらなくても良いかなこんなに好きなんだから仕方ないよねでもどうしようそれ以外なにも考えられなないでもそれで良いのかなずっと貴方のこと考えられるなら同じ世界に生きられてよかったあなたの声が聞けて幸せ。
「柊木さんだよね?」
再び彼女が呼びかけてくれる、何度でも私の名前を呼んでねぇもっと私を呼んで好き大好きだよ宮子のことだからもっと私を愛して私も愛してるから愛をかえして名前を呼んでそれだけでいいのホラこんなにも嬉しくて涙が出てくる。
「あっ、あ、あッ……あ、ッ……あぁぁぁぁあああ!!!」
心の全てを支配されるより早く私は感情を引き剥がした。
今の一瞬で動悸も身体の震えも治らない。
いま私は不快な声色に言い表わせない程の幸福を感じていた。もし本物の彼女だったのなら私は……。
「あなたは誰なの……!?」
だけどいまの一言で目の前の怪物は彼女ではないと確信できた。彼女は死んでいるし、それにたとえ彼女であろうと決して私を、幼馴染を『柊木さん』とは呼ばない。疎遠になろうと変わらず『芽依』と親しげに呼んでくるはずだ。
だからそれは全く違う存在の筈なのに、仕草や人への笑い方、息のつかい方が完全におなじで余計に恐ろしくなる。
どうしたの? と言わんばかりに屈んで他人に視線を合わせるその仕草もそうだ。
「私? 私は私だよ。一橋宮子」
また声を聞けた嬉しさが奥底から湧き上がってきた、でも感覚ははるかに弱い。まるで毒の耐性ができたみたいに。
しかし私のことなど無視して怪物は声を弾ませた。
「でもまだ不完全なんだ。だから色々教えて? 私の知らない、みんなが知っている一橋宮子のこと」
不完全……。
この怪物はまだ完成していない?
あぁ、だから。だから私は違和感を抱いていたのか。
「いいよ。協力してあげる」
私は自分のためにその言葉を飲み込んだ。
この怪物を完全に一橋宮子という存在にする。
そうすれば私の願いは叶うはずだ。
怪物は私の返答に、腐った汁の垂れる顔で歪んで不気味な人類最高峰の笑みを浮かべた。一橋宮子の笑みを。
その笑顔に私はある事を思い出した。
フランケンシュタインは怪物の名前ではなく、
生みだした博士のほうであったことを。
「えへへへへ、嬉しいなぁ」
────次の日、私は二人の生徒を殺した。





