キロ・クレアブル漫遊録・後編
中編を投稿した時点で、高評価をいただきました。
読者様、さっそく読んでくださって、誠にありがとうございます。
これを励みに、今後も頑張っていこうと思います。
という訳で、完結編となる後編です。
4
それから現実世界に帰った後、わたくしは手を叩きました。
「そういえばわたくし〝殺人未遂のキロさん〟という漫画を構想していまして。主にわたくしが同級生の男子を赤信号の横断歩道へ蹴り飛ばし、殺人未遂を犯すという話なのですが(※紛れも無く犯罪行為なので絶対真似をしないで下さい)」
「全く笑えない話だ! というか、さっさと自首しろ!」
「いえ、その殺人未遂をひたすら繰り返し、その様を見てわたくしが高笑いするという漫画なんですよ」
「最低最悪な物語だ! というか、さっさと服役しろ! 後、元ネタがわからない人には全く意味が通じない!」
「ちくしょう、キロさんめぇええ! 今日も俺を殺そうとしやがって! 一日に九十回も殺そうとしやがって! いつか復讐してやる!」
「……一日に九十回っ? 同級生を一日に九十回も殺そうとするなんてどんなレベルの心の病気だよ! いや、もう復讐とかいいから警察行って被害届出そうっ? それでキロさんを社会的に抹殺しようっ?」
このフィンちゃんのツッコミの嵐を前に、私は自慢気にギャルピースします。
「そういえば、わたくしってエロ小説なら十時間かけ六万字書けるんですよね。よくよく考えてみれば、これは凄まじい事です。何せ普通の小説だと、大体二百四十ページで十二万文字程ですから。つまりわたくしは一日で、小説を半分書いている事になるんですよ。二日で小説一本完成とか、ちょっと凄すぎません?」
「……ああ。そう言えば、例の小説にそんな事が書いてあったな。でも、それってエロ小説に限るんだろ?」
「そうですね。しかもその翌日は書きすぎた反動で、一日使い物にならなくなります。二十五時間位眠らないと復活しません。しかもその後は一月位ヤル気が萎えて書く気を失くします」
「……じゃあ、意味ないんじゃん。結局、二日所か一月以上かかっているじゃん」
ついで、更にわたくしの〝そういえばシリーズ〟は継続したのです。
「そういえば、帝寧皇が前に自分が主人公のやおい本を見たそうなんですよ。その時初めて、女子がエロい目で見てくる男子を気持ち悪がる気持ちがわかったそうです」
「加害者が被害者になったみたいな話だな? でも、その気持ちはわかるかも。私も自分が主人公のエロ漫画とか見たら、間違いなく警察に被害届出すし」
「えっ?」
「え? 〝えっ?〟って何だ〝えっ?〟って? おまえ、まさか、私が主人公のエロ小説を書いた……?」
「えっ?」
「……………」
いえ、嘘ですが。世に中にはやっていい事と悪い事があるので、今は辛うじて未遂です。
その時、初めて彼女が声をかけてきました。
「……母上、フィン」
ヴェラドギナはわたくし達に生気のない目を向けながら、嘆息したのです。
「ありがとう。でも、もう大丈夫だから。大分落ち着いたから、その三文芝居はその辺にしてもらえる?」
ならば、わたくし達も息を吐きながら、肩を竦めるほかありません。
「オーケー。では、わたくしはそう口にする貴女を信じる自分を信じます。そういう事でいい?」
「母上らしい言い草ね。結局自分以外のヒトは、信じていないってツッパっているんだから。じゃあ、無駄口もすんだ所で現状をまとめましょうか」
と、三十メートルはあるビルの屋上に立つわたくし達は、漸く話を進めたのです。
「私達は今――鳥海愛奈とイッチェ・ガラット、それにラウナ・シトラに狙われている。〝魔法少女の世界〟で宣戦布告してきた彼女達を、私達は追撃しなければならない。鳥海愛奈が言う所の〝神々の世界〟とやらに歩を向けて。そこまではいい?」
「ですね。ですが問題はその動機でしょう。わたくしが愛奈やイッチェさんに狙われるのは、自然な事です。ヴェラドギナが愛奈を危険視するのも当然なので、口を挟む余地は無い。しかし、フィンちゃんはどうでしょう? あなたは未だ手が白いままで誰の恨みも買っていない。そのあなたがこれ以上わたくし達に同行するのは、マイナスしか生みません。今度こそフィンちゃんは、戦線を離れるべきでは?」
「は? それは『皇中皇』としての命令か? それともまさか、おまえが私の心配をしているって? なら、余計なお世話だ。私は全ての情報を聞き出したあと自分で自分のするべき事を決める。おまえは勿論、ヴェラさんにだって口出しされる謂れは無いよ。私だってカナタさんの仲間で、もうこの件の当事者なんだ。だから私がこの件から手を引くとすれば、それは僅かでも鳥海愛奈が正しいと思った時だけ。おまえより――彼女の方が正義だと感じた時だけだ」
胸を張り、毅然とした様子で、彼女はわたくし達を見据えます。
ヴェラドギナもフィンちゃんに視線を向けた後、真顔で問いました。
「後悔するかもしれないのよ? それこそもう、モルガ達には二度と会えなくなるかもしれない。それでも?」
けれどフィンちゃんは返答せず、ただ答えだけを求めてきます。鳥海愛奈とは何者なのか、果たして彼女に大義はあるのか、問い質してくる。ヴェラドギナは此方に振り返り、わたくしは一考したあと頷きます。それから、ヴェラドギナはその長話を始めたのです。
「なら、結論から言うわ。鳥海愛奈は――母上の反作用体よ」
「……『頂魔皇』の反作用体? それはつまり……どういう事? まさかあいつ本人が言っていた通り、彼女は本物の『勇者』だって言うの……?」
が、説明キャラに徹しているヴェラドギナは、首を横に振ります。
「いえ、そういう事では無いの。何と言えばいいのかしら……? そうね。では、こう仮定して。この世界には、『神』に等しき存在が居ると。その『神』にはある目的があって、世界を歪めた。自分の目的を果たす可能性を少しでも高める為に『彼女』はそうしたの。結果、私やフィンや母上の様に、人では無いヒトが生み出された。人間では用いられない超能力を備えた異質な『異端者』が誕生したわけ。その中でも、私や母上は特に異常な存在だと思う。何せその気になれば、宇宙を消す事だって出来るんだから」
「……は? 今、何て?」
が、ヴェラドギナはもう一度首を横に振ります。
「いえ、話が脱線したわ。今のは忘れて。で、そんな特別な存在である私達には、ある制約があるのはフィンも知っているでしょう? 私達が普通の人間を殺めれば、その殺めた人の近親者が超人的な力を得る。その近親者が殺された人物の仇を討つ為、殺した『異端者』の命を狙い続ける。彼等は例え宇宙の果てに居ようとその仇の居場所を把握出来て、何時でも襲撃が可能。こういった〝ルール〟が世界にはあって、だから私達が普通の人間を殺す事は滅多にない。それだけのリスクがあるから、躊躇せざるを得ないのが現状だわ。その復讐者達を私達は――〝ジェノサイドブレイカー〟と呼んでいる」
「……だね。そこら辺の話は、私達なら三歳児でも知っている。ほかにもその話には別の〝ルール〟があるけど、それを省くのは、今は関係がないから?」
そして彼女は、その真相を語ったのです。
「ええ。人を殺せば、その復讐者のほかに人間側に属する超能力者が九人生まれる。でも今はその話は棚上げ。重要なのは、ここからね。一定レベルに達した『異端者』達には――『神』が用意した反作用体が存在するの。『神』は強くなりすぎてしまった『異端者』に対抗する為手を打った。普通の人間に超常的な力を与え――私達に拮抗するよう図った。鳥海愛奈は――その一人の筈よ」
「……えと、それはもしかして『神様』とやらが人間を守る為? 世界のパワーバランスを比べ、どう考えても『異端者』側が有利だから、そんな事をした?」
ヴェラドギナは腕を組みながら、首肯します。その双眸に、深刻な何かを込めながら。
「そう。『神』にとって人間は、その目的を果たす為に欠かせない物なの。今彼等を失う訳には絶対にいかない。よって『彼女』は『異端者』の手から人間を守る為、力ある者の反作用体を生み出した。私や母上にもそう言った〝対立者〟は存在しているの。でも問題なのは、鳥海愛奈が母上の反作用体という事。本来なら絶対に存在しないであろう彼女が――実在しているという事なのよ」
「……本来なら絶対に存在しない?」
流石に意味がわからないフィンちゃんは、眉をひそめながら首を傾げます。
ヴェラドギナは恐らく、敢えて淡々と続けました。
「ええ。何しろ母上の反作用体は、普通の人間ではつとまらないから。最低でも母上に相当する体験をしなければ、母上には対抗できない。けど、そんな真似をすれば、普通の人間は確実に発狂する。いえ、その前にショック死すると思うわ。何せ母上は――この宇宙に存在する全ての痛みと恐怖を体験しているのだから」
「……は?」
聞き間違えかと思ったのか、フィンちゃんがキョトンとした様子で声を上げます。
ヴェラドギナはそれを見て、自分の誤りに気付きました。
「いえ、違ったわね。母上が体験したのはこの世界だけでなく、その前世や、更に前の前世もだったわ。正確には――七十兆個前の前世からその全ての痛みを彼女は知っている。全ての前世の全宇宙を含めた、この世全ての痛みを体験した存在――それが母上よ。それがどれほど狂気に満ちた所業か、わかる? 死に至る魂の炸裂を無限とも思える回数体験し、なお正気を保っている。あらゆる拷問、あらゆる処刑法を、彼女はその身に受けた。そのとき被害者である彼等が何を思いどう感じたか、それをそのまま彼女は知ってしまった。極限状態の人々の痛みや感情を、彼女は誰よりも熟知しているの。私の目から見てもそれは常軌を逸しているとしか思えない。今もこのヒトが辛うじて正気を保っているのが奇跡だと感じる程に。それが――母上の正体」
ヴェラドギナの声色が真に迫っていた為、フィンちゃんは一度だけ震えます。その後、彼女はこう質問しました。
「……じゃあ、こいつは、私やヴェラさんの痛みや恐怖も、知っている……?」
しかしヴェラドギナは答えず、代りにあの純白の『勇者』について話します。
「つまりはそういう事で――鳥海愛奈も母上と同じだけの体験をしている。いえ、強制的にさせられたというべきかしら? 『神』に目をつけられた彼女は、恐らく何の拒否権も無いままその『試練』を受けたから。でも、さっきも言った通り普通の人間にそんな真似をしたら、気が狂う。単純に考えて、腹を裂かれた後、その内臓に焼き鏝を当てられるのを七十兆回繰り返すのよ? その時その被験者がどう恐怖したか知った彼女はその絶望に精神が汚染された筈。自我が保てずその恐怖にのみこまれて、何度も、何度も、生より死に焦がれたでしょう。なのに、その筈なのに――彼女は誕生した。絶対に生まれる筈がない彼女は――ああして今を生きている。それだけで彼女が如何に馬鹿げた存在か――私には痛いほど良くわかるわ」
「……ああ、あああ、ああああぁぁ……」
その断片を知るフィンちゃんは、だから誰よりヴェラドギナが言っている事を理解します。
彼女はこのとき初めて――鳥海愛奈が人間ではないと知ったのです。
「……そんな人が私達の敵? そんなの……目茶苦茶じゃないか。あの人はきっと悪くないのにそんな目にあって……。いや、違う。あの人は疾うに正気を失っているんじゃあ? だから無関係なカナタさんを、平気で犠牲にした……?」
「……かもしれないわ。鳥海愛奈は、既に常軌を逸しているのかも。そう考える方が、人としては余程自然だわ。けど、だからこそ――私達は彼女を止めないと。今は母上という標的が居るから、暴走していない。でも仮に、その母上を倒してしまったとしたら? 母上を倒す為だけに『試練』を受けたあの聖女には、何が残される? そう。母上を倒したからと言って何の見返りも無い彼女には、何一つ得る物が無い。地獄を七十兆回も見せられた挙げ句、彼女が掴みとった物は――ただの虚無よ。もし彼女がその事にまだ気付いていないとしたら、その反動は凄まじいでしょうね。それだけの体験をしてきたのに、もたらされたのは達成感だけだと知ったら、どれほど絶望する事か。そのあと彼女がどう動くかは、常人でははかりしれない」
「……………」
今度こそ、言葉を呑むフィンちゃん。
彼女は俯き、長く沈黙した後、やがてこう結論しました。
「……わかった。止めよう。あの人を、私達の手で。例えそれで――鳥海愛奈を殺す事になったとしても」
が、そう決意した筈のフィンちゃんは、何故か転身します。
「けど、その前に一つしなくちゃいけない事がある。直ぐにすむ筈だから、二人は此処で待っていて」
よって、わたくし達が眉をひそめる中――フィンちゃんは南の方角に跳躍したのです。
◇
やっほー。何かキロ・クレアブル達が休んでいるので、また私のターンがやって来たよー。
現在私達はキロ達が追撃してくるのを待っているから、普通にお茶とか飲んでいる。私もイッチェもラウナも正座しながら机を囲み、のんびりした時間を送っていた。
「って――何この状況っ? 私達って今、戦争状態よねっ? あの女を殺す為だけに、この面子は集まった! なのに、何なのこの和やかな空気はっ?」
今日もイッチェのツッコミが冴えわたる。私はそれに感心しながら、緑茶を啜った。
「……というか愛奈様、そもそもここは何処なのでしょう? 私達が勝手に使って良い場所なのですか?」
「フフフ。どうかなー? もしかしたら私達は、不法侵入と言う犯罪行為に及んでいるのかもしれないねー? 何せ私は――ラスボスだから!」
「愛奈様は――『勇者』では無かったのですかっ? 何時からラスボスを自称する様になってしまったのですっ?」
イッチェに続き、ラウナまでツッコミを入れる。
私が得意げな顔をしていると、ふすまを開け、一人の中年女性が現れた。
「あら、愛奈、お友達? というか、貴女、ちゃんと宿題はしたの? 頼んでおいたお買い物は?」
「うん。大丈夫だよ。宿題は全くこれっぽっちもやってないけど、買い物は済ませたから」
「……余り大丈夫ではない気がするわ。私時々貴女の将来が心配になるのだけど、これって杞憂? 貴女、髪が白くなってから、明らかにノリが軽くなったわよね? そのテンションで時々主を侮辱する様な事を口走るから、私はもう心配で、心配で」
「だから大丈夫だよー。私、体育の成績だけはいいから。例えほかは駄目でも、特技が一つでもあれば人間って生きていける物だし」
が、彼女は尚も食い下がる。
「いえ、貴女、お友達が帰ったらちゃんと勉強なさい。貴女、髪が白くなる前は成績良かったんだから。やれば出来る子なんだから、なるべく頑張って」
「……なるべくで良いんだ? 私はそんなに、信頼を損ねていたのか。これは迂闊だったな。全く気付かなかったよー」
それから彼女は漸く踵を返したが、思い出した様に振り返りイッチェ達に目を向けた。
「えっと、少し変わった子だけど、なるべく見捨てないで上げてね。もう我慢の限界だと思ったら、その時は普通に見放して良いから」
「……はぁ。なら、私達もなるべく善処します」
友達代表とばかりに、イッチェが気の抜けた返事をする。
〝なるべく〟という言葉を連呼し合い、今度こそ彼女と私達は別れた。
「……え? というか、今の方はどなたです?」
「え? 私のお母さんだけど?」
真顔で対応すると、ラウナは何故か唖然とする。
「愛奈様って、お母様がいらっしゃったんですかっ? 私はもう――てっきり殺してしまったとばかり思っていたのですがっ?」
「………」
何だろう、この辛辣な偏見は? 私、今までそこまで酷い真似をした?
「まさか、まさか。ラウナも冗談きついなー。確かに普通のご家庭だと、年頃の娘はご両親を粗末に扱うって言うけど、私は違うから。ちゃんとお父さんが先に入った湯船にも浸かるし、洗濯物も一緒にするから。寧ろ最近はお父さんの方が、私を敬遠している気がするよー」
「え? それは何故?」
「うん。実は私のお父さんって、新興宗教の教祖をやっていてね。それも結構あくどい」
「………」
え? 何かな? その、この時点でやっぱりこの人はもうダメだ的な、視線は?
「多分、この前、お父さんが考えた神様について二十時間くらい議論したのが原因だと思う。散々その神様の矛盾点を追及していたら、何時の間にか夜が明けて昼になっていた。この苦い経験がもとになって、お父さんは私を避けているんだよー、多分」
「……成る程。親にとっては、とことん厭な娘だわ。それってある意味、親の悪い所を論理的に指摘しているって事だし。というか、神様について二十時間も語り合う親子を私はほかに知らないし、知りたくも無い」
「……そうですね。きっととんでもなくはた迷惑な娘さんですよね、愛奈様って」
いや、ラウナさんや、さっきから本音がダダ漏れしているから。あなたは確か私に敬服している設定でしょう? そう装っているんじゃなかったの? なのにその無防備な反応は何? もしかしてこののどかな空気が、あなたの精神を蝕んで油断させている?
「いや、ま、いっかー。それより本題ね。イッチェ、あなた、私に隠している事があるよね? あなた、カナタ・エイシャの事を気にしているんじゃない?」
「な! ……仮にそうだとしたら、どうだと言うのよ?」
視線を鋭くさせるイッチェに対し、私は首を傾げた。
「いえ、私はただもう一度確認したいだけ。あなたが何者で、どうしたいのかを。イッチェ・ガラットは復讐者で、一生その業を背負う覚悟があるか知っておきたいの。キロ達が休んでいる、今の内に」
「……その業を、背負う覚悟?」
お茶を口にする私に、イッチェが問うてくる。私は微笑みながら、思った事を口にした。
「そう。元々復讐と言うのは、業が深いものだよ。復讐者は復讐の邪魔をする人々を害してでもその目的を遂げようとする訳だから。その為、或いはその決意を妨げようとする人々を殺す必要さえ迫られる。復讐を遂げるまでの時間が長ければ長いほど、その被害は雪だるま式に増えていく。その被害者の親族も当然の様に復讐者を憎み、復讐に挑む事になるから。こうして果てのない悪循環が生まれ、誰一人救われる事が無い。もし復讐を愚かな行為だと言う人が居るなら、きっとそういう意味だと思うけど? 復讐とは、同じ様に復讐に駆られた人々を次々量産する場なんだから。イッチェは勿論それがわかった上で、復讐に乗り出したんだよね?」
「…………」
が、イッチェは答えず、私は続けた。
「それとも、もしかして君、カナタに憧れた? 私を憎まず恩讐を超えて見せた彼女に惹かれていると? でも、それは間違いだよ。異常なのは彼女の方で、正しいのは君だから。身内を殺され、復讐心を抱かない人は居ない。自分の命を蔑にされ、憤らない人も居ない。仮にこれを怠れば、自分の命や死んでいった人達の命を軽んじる事になる。そんな事、絶対認められる訳が無いよね? なら、私はもう一度だけ強調するしかない。間違っているのはカナタ・エイシャで――正しいのは君だよ、イッチェ・ガラット」
と、そこで些か耳が痛い正論が紡がれる。
「それはご自身を正当化している様にも聞こえますね、愛奈様? カナタ・エイシャの存在自体が間違いだという事にして、彼女の全てを蔑にしている。そんな誤りだらけの彼女なら、別に命を奪っても構わないと言わんばかりに。でも、実のところ、カナタ・エイシャの件を一番気にされているのは、あなたなのでは?」
「どうだろう? 実はそうなのかもしれないね。――それとも今のはラウナの願望なのかな? せめて私にも、その位の人間らしさが残っているようにって言う」
私が笑顔でそう答えると、ラウナは顔を引きつらせる。
それから視線を背け、彼女は全く別の事を訊いてきた。
「……で、私達は何時まで鳥海家の御厄介になっていればいい? 今後はどう動かれるのです?」
「ああ、それなら大丈夫だよ。どうやら丁度――キロ達も動き始めたみたいだから」
今度ばかりはどちらが勝つか、私にもわからない。
私達と彼女達の最終ラウンドは――いま始まりを告げたのだ。
◇
確かにフィンちゃんの用事は、直ぐに済みました。
二十分も経たない内に彼女は戻ってきて、今度こそわたくしにアクションを促します。
「で――〝神々の世界〟とやらはどこにあるんだ? 勿論、アテはあるんだよな?」
わたくしの答えは、決まっています。
「まさか。そんな事、わたくしが知っている訳ないじゃないですか。というより、そんな面白そうな世界があると知っていたら、真っ先に赴いていましたよ」
「……だったな。おまえはそういうやつだった。なら、尚のこと途方に暮れるしかないじゃないか。それともどこにあるかわからない異界の門を探して、徘徊し続ける?」
けれどわたくしは首を横に振り、人差し指を立てて説明します。
「いえ、その辺りは問題ないでしょう。鳥海愛奈が何のリアクションも起こさないのは、わたくし達に動きが無いから。きっとわたくし達が作戦会議でもしていると思っているからです。逆を言えばわたくし達がこの場から移動すれば、向こうも全ての準備が整ったと察する筈。鳥海愛奈達の方から、デートのお誘いがある筈ですよ」
言うが早いか、わたくしは地を蹴り別の場所に移動します。フィンちゃんやヴェラドギナもそれを追い、わたくし達は空を飛行します。
途端――鳥海愛奈の気配がわたくし達まで届き、ヴェラドギナも確信しました。
「どうやら母上の読み通りの様ね。私達が〝ジェノサイドブレイカー〟を認識する方法は限られている。気配を掴んで存在を感じ取るなんて事は、出来ない。なのに鳥海愛奈の気配を感じるという事は、向こうが意図的にそうしているという事。あからさまな罠だわ、これは」
「でも、わたくし達はそれにのるしかない。何せわたくしの反作用体である彼女は、わたくしが何処に居ようと居場所を知る事ができる。今逃げても、何れ捕まるのは目に見えています。なら、条件が平等な内に決着をつけるのも手でしょう」
「……条件が平等? それは、一体どういう?」
フィンちゃんがそう訊ねると、わたくしは淡々と説明します。
「いえ、実に単純な話です。恐らく〝神々の世界〟とやらも現世とは時間軸がズレている筈。〝竜人の世界〟や〝魔法少女の世界〟の様に、現世の一秒が異世界では数日という事になっている。なら、愛奈達が〝神々の世界〟に通じる門を発見しているなら、先に入ってしまえば良い。そうすればわたくし達が現世に残っている間に、彼女達は好きなだけ下準備が出できます。情報収集から、有力者への根回し等自分達が有利になる様に図れる。ですが、どうも愛奈はわたくし達と対等な条件で戦いたがっている節があります。でなければ〝魔法少女の世界〟で奇襲をかけ、さっさと決着をつけていたでしょう。彼女は飽くまでゲーム感覚なまま、わたくしと勝敗を決するつもりです」
「そう? 今のって大分、母上の希望的観測が含まれた推理だと思うわ。私としては、寧ろ私達が休んでいる間に、愛奈は全ての準備を整えている様に感じたけど?」
尤もな事を言うヴェラドギナ。しかし、わたくしは絶対の自信を以て言い切りました。
「いえ、それはありません。何せ彼女は、鳥海愛奈は――わたくしが初めて負けたくないと思った相手ですから。そんな彼女が、その様にセコイ手は使わないでしょう」
自分ではわかりませんが、わたくしは多分いま笑っている。
そう高揚していると自覚した時、わたくし達は遂に彼女達を視認しました。同時に、わたくし達の姿を認めた鳥海愛奈達は――ビルの壁に身を沈めます。
此方もそれを追い――わたくし達は遂に〝神々の世界〟へと至ったのです。
◇
で、わたくし達はその大地を踏みしめた訳ですが、既に鳥海愛奈達の姿はありません。わたくし達より僅かに早く門を潜ったので、その間に彼女達は何処かへ消えた様です。ならばとばかりに、わたくし達は先ずこの世界の住人を見つける事にしました。一面に広がる草原と、その周囲を囲む岩山に目を向けながら。
「というか、鳥海愛奈はここが〝神々の世界〟って言っていたけどそれって本当かな? ……もし本当だとしたら、私達、酷く厄介な世界に足を踏み入れたんじゃ?」
「かもしれませんね。これはかなりのネタバレになるのですが、こうなっては仕方ないでしょう。フィンちゃんは神と聞いて、何を連想しますか?」
「神? ……そうだな。外界に頼らず、どんな事象も自力で引き起こせる超越者?」
半信半疑でそう口にする彼女に、わたくしは微笑みかけます。
「ですね。概ね、それで正しいかと」
「……って、ちょっと待て。それじゃあおまえは、本物の神様を知っている様な口ぶりじゃないか。そう言えばヴェラさんも『神様』が居るって言っていたけど、そいつと同じ存在って事なの?」
が、ヴェラドギナは真顔で目を細めました。
「まさか。だとしたら、私達に勝ち目はほぼ無いわ。『神』が複数人居て『彼女等』が徒党を組んでいたとしたら、絶望的な戦力差と言える。母上だって、一人か二人倒せるか倒せないか位でしょう?」
「かもしれませんね。ですが『彼女達』が一つの星に複数人いるという話は聞いた事がありません。『彼女達』は原則、一つの惑星に一人しか居ない筈。なら、各々の惑星を管理している『彼女達』を複数人敵に回すという事にはなり得ないでしょう。……と言う事は残された可能性は何?」
わたくしがそう自問すると、漸く人の気配らしき物を感じました。その人物はどうやらわたくし達を監視している様で、実に挙動が不審です。となれば、わたくしも実験がてらこう動いてみるのも一興かもしれません。――わたくしは地を蹴り、超速移動をなして、その人物との間合いを一気につめます。するとその人物は明らかに焦燥しながら、後方へと飛びました。
「……驚きました。私の事に気付いていた事もですが、今の動きに関しても。あなた達は一体何者? ゼスト達の手の者ですか?」
恐らく目の前にいる彼女も、まともな返事は期待していないでしょう。時間稼ぎのつもりでこう問うている。とすれば、わたくしのとるべき道は一つです。
「いえ、違いますよ。わたくし達は寧ろ、あなた方の味方と言って良い。わたくし達とあなた方は、ゼストという人を討つ為の同士です」
これを聴き、ヴェラドギナはやはりわたくしの耳元に口を近づけ、窘めます。
「……って、また勝手な事を。ゼストとやらとこの彼女の関係性も知らないのに、そんなこと断言して言い訳? もしかしたらこの人の方が、とんでもない悪人なのかもしれないのよ?」
「んん? それに何の不都合が? わたくしは『頂魔皇』なのですよ? なら彼女が悪でゼストさんが善でも、その方がわたくしも己の本分を果たせる。別に不味い事など一つも無いでしょう?」
「……またそんな屁理屈を」
呆れた様に嘆息するヴェラドギナ。その様を彼女は警戒しながら見つめ、こう問います。
「ではそれを証明する事はできますか? 私達の味方だと言う証拠をあなた方は示せる?」
「んん? そうですね。じゃあ逆にお聞きしましょう。ゼストとやらの根城はどの方角にあります? 加えてこの世界は、人を殺したらその殺した人物も死ぬというルールはある?」
わたくしが訊ねると、彼女は西の方を指さしながら、首を横に振ります。
それを確認した後わたくしは宙に浮かび、手を突き出して、エネルギーの塊をつくり出します。それを遠方に見えるゼストとやらの居城目がけて、撃ち放ったのです。結果、ゼストの居城からは凄まじい爆発が起こり、衝撃波が届いて、彼女は唖然としました。
「……フム。〈体概具装〉と〈外気功〉は使えない様ですが、それ以外は問題なさそうですね。
どうやら――漸く少しは本気で戦えそうです」
「……って、ちょっと待って! あなた何をしたのっ? まさかゼストの城を攻撃したっ?」
眼下の彼女が焦燥します。わたくしは地面に降り立ち、真顔で首を傾げました。
「はい。これが最も手っ取り早く、あなたの信用を勝ち取る手段だと思ったので。何かいけなかったでしょうか? わたくしの読みでは、これ以前にもゼストの城は、謎の攻撃を受けている筈なのですが?」
「なっ? 確かにそうだけど、まさかアレもあなたの仕業っ?」
やはりそうでしたか。とことん似た者同士ですね、わたくしと愛奈は。彼女もどうやらこの世界の住人と接触し、わたくしと同じ方法で身の潔白を証明した様です。
現にゼスト城はわたくしが攻撃する前から、半壊していましたし。
「……つまりあなたのほかにも、私達の味方を自称する正体不明の人間が居る? 一体何者なんです、あなた方は……?」
「いえ、ただのしがない旅人です。但し異世界からやって来たので、まだこの世界の事をよく知りませんが」
「……異世界?」
彼女が眉をひそめる中話は一気に進み――わたくし達は彼女達の拠点に向かったのです。
◇
ソコは――何処にでもありそうな洞窟でした。というより薄々感じていた事ですが、この世界の文明レベルは高くはありません。〝竜人の世界〟や〝魔法少女の世界〟と比べても、低いぐらい。ここに来る途中、無人の村も通過しましたが、その家々は木でつくった簡素な物でした。人口も少ないのか、わたくし達が出会ったのはこの彼女だけ。
とすると、鳥海愛奈は何を以てここを〝神々の世界〟と称したのか?
その謎を解き明かす為この洞窟までやって来たのですが、周囲の反応はこうでした。洞窟の中には二十人程の男女が居て、彼等はわたくし達を見た途端、臨戦態勢をとります。
「な! ヒイゼム、その者達は誰だっ? 見知らぬよそ者をここまで連れて来るとは、正気かお前はっ?」
「いいえ、大丈夫です。この人達は私達の味方よ。それは私が保証するから」
「……本当か?」
成る程。どうやらこの世界の人々はよほどゼストさんに、酷い目に合されている様です。
まるでこの世界には――もう彼等しか残されていないと思える程に。
「いえ、それはほぼ事実です。もうこの世界に住んでいるのはこの洞窟に居る人達と、西の洞窟に隠れ住んでいる人々だけ。それ以外の人間は――皆ゼストに殺されました」
わたくし達をここまで案内した女性――ヒイゼムさんがそう教えてくれます。
わたくしは眉をひそめながら、こう結論しました。
「つまり、あなた方は食事をする必要が無い? 納税をする事も無く、仙人の様に霞を食べて生きていると?」
「ショクジ? ノウゼイ? 何の話です、それ?」
「………」
どうやらわたくしの予想は、当っていた様です。これで少し話は前進しました。何せどんな暴君でも、国民を根絶やしにする事だけはしませんから。
国民を根絶やしにすれば、農産物や家畜を育てる人間が居なくなり、暴君も食に困る。とうぜん納税者たる国民が居なくなれば国の経済は破綻し、国家として成り立たない。独裁者とは弱者に寄生する寄生虫の様な物なので、弱者なくしてはその立場を維持できない。
普通に考えればそうなのですが、どうやらこの世界はそういった常識が成立しないらしい。食も税も気にする事なく、かの暴君は自分に従わない者達を根絶やしに出来る様です。
独裁者にとっては――これほど住みやすい世界もほかに無いかもしれません。
「ですが――私達には死と言う概念がありません。動物達は寿命がありますが――人間は例え殺されても時間が経てばまた蘇生する。今は五十人にまで減ったこの世界の住人ですが、何れ一万に及ぶ人々が復活するでしょう。ゼストさえその猛威を振るい――また彼等を皆殺しにしない限り」
「……死が無い? 何れ復活する? ちょっと待って。だとすると、もしかしてあなた達はもう何十年もゼストとの争いを繰り返しているのでは? ゼストに滅ぼされては復活し――またゼストに挑んで敗北してきた?」
ヴェラドギナが質問すると、ヒイゼムさんは首肯します。
「ええ。私達はこの戦争を――もう五十万年は続けています。死んでは蘇生しての繰り返しを数えきれないほど行ってきました。ただ一つの目的である――ゼストの討伐をなす為にひたすら戦い続けてきたのです」
「……五十万年も? ……嘘でしょう?」
フィンちゃんが愕然とする中、わたくしは一考した後、こう推測しました。
「とすれば――あなた方にはゼストを滅ぼす手段があるのですね? でなければ、ゼストを倒しても何れゼストも復活し、また同じ事を繰り返す事になる。それともそれを承知であなた達は、ゼストと戦っている?」
するとヒイゼムさんは、些か感情が読めない複雑な表情を浮かべてきます。
「はい。あなたの言う通りです。私達には確かに――ゼストを倒す手段がありました」
「……というか、この人達はさっきから何を言っているんだ? そんなのこの世界で暮らしているなら、常識じゃないか?」
「いえ、ノイアン、その事は後でちゃんと説明するわ。それより今は、話を続けさせて」
ノイアンさんをそう遮ってから、ヒイゼムさんは遠い目をします。
まるで遥か彼方の出来事を、思い起こす様に。
「では私達がどういった存在なのか、その辺りから説明しましょう。私達は特定の事象を己の一部に書き換え――自分の思う様に操る事が出来る一族なのです」
特定の事象を、書き換える。
限定的ではありますが、それは正にわたくしが思い描く〝神〟の業。
〝書き変え〟――〝引き出し〟――〝消滅させ得る〟――〝神〟の力の一端です。
この事実を耳にした時、わたくしは息を呑み、ヒイゼムさんにソノ先を促しました。
「そのため私達は誕生してから、あらゆる存在を書き換えてきました。ある者は――ハリケーンを、ある者は――雷を、ある者は――大型の殺戮獣を。ですが、ある者はやがて気付いたのです。この世界に満ちている光を書き換え、味方に出来れば、途轍もない恩恵になると。事実それは当っていました。光の力を我が物にした私達は、ほかの力を支配した彼等以上の力を誇るに至ったから。光こそ全ての根源であり、その太原である事象を我が物に出来るなら、それは無敵と言える。私達はその力を以て専守防衛に勤しみ、ほかの村の人々を牽制して、争いのない世界を築いた。ですが、その時全ては変わりました。まだ書き換えを行っていなかったあの少女が、その事に気付いたのです」
ここまで聴いて、わたくし同様ヴェラドギナの脳裏にも閃く物があった様です。
彼女は間髪入れず、こう訊ねました。
「闇――ね? ゼストは闇なら光をも凌ぐのではないかと気付き、その事象の支配に至った。結果ソレは正解で、彼女はその力を以てあなた達の世界の征服に乗り出したのでは?」
「な! よくこの短時間でわかりましたね……? その通りです。私達は光を万人で分かち合いましたが、ゼストは闇を独占してしまった。初めは闇という暗いだけの物が、光という神々しき物に勝る筈が無いと誰もが思った。でも現実は違っていて――闇こそ無限に近しい力の源だったのです」
「……でしょうね。宇宙の大半は闇だもの。その闇の力を自身の力に転化できるなら、確かにそれは脅威と言えるわ。何せ――ブラックホールさえ味方に出来るという事なんだから」
そう危機感を募らせるヴェラドギナに、フィンちゃんは訊ねます。
「けどよくわかったね、ヴェラさん? それはやっぱり〝光に対しては、闇〟的な発想?」
「いえ、単に日本にも同じような逸話があるのよ。何をのみこめば、一番強いかって言う。ある僧侶は闇をのみこめば一番強いと考えたのだけど、実はそれは違っていたの」
「そう。では何をのみこめば一番強いか? それは――その闇をのみこんだ人物をのみこめば一番強くなる。即ちヒイゼムさんが言いたい事は、そういう事ですね? あなた方もまた――闇をその手にしたゼストを支配できる人間を最終手段とした。ゼストと言う闇を第三者にのみ込ませ、この戦争に勝利しようとしたのでは?」
わたくしが水を向けると、ヒイゼムさんは項垂れる様に頷きました。
「はい。あなたの言う通りです。闇と言う強大な力を手にしたゼストには、もうその方法でしか太刀打ち出来なかったから。ですが、私達の戦いは苛烈を極めました。それこそ、目を被いたくなる程に。自分達の目の前で次々仲間が殺されていく位に、私達の戦いは激しかった。そしてその惨たらしい光景を見た時、まだ何物も支配していなかった仲間は力を使ってしまったのです。頭では自分達が力を使えば全てが終わるとわかっていながら心がついてこなかった。彼等は仲間を救う為に光りを味方につけ、こうして私達は最後の希望を失いました。私達は、生涯一度しか事象の支配は行えないから。ゼストを支配できる人間が居なくなった今、力押しで彼女に挑むほかない。それが私達の現状です」
それが――この世界の残酷なルール。そう語り尽くしたヒイゼムさんは暗い表情のまま地面だけを凝視します。わたくしがその様を眺めていると彼女は顔を上げ、こう切り出しました。
「故に、あなた達が本当に異世界の人間なら早急に元の世界に帰る事をおすすめします。でなければ間違いなく、あなた達は私達の争いに巻き込まれるでしょうから」
実に尤もな話です。ここまで住人の人数が減った今、ヒイゼムさん達が出来る事は一つ。一か八か生き残った人間全員で総攻撃を敢行し、ゼストの討伐を図る。彼女達にはもうそれしか策が無く、ほかにやり様がない。
ですが、これはほぼ百パーセント失敗する。ヒイゼムさんの顔色から察するに、今の様な状況に追い込まれた事が以前にもあったのでしょう。結果、総攻撃をかけた彼女達は皆殺しに合い、その経験からこれが絶望的な戦いだと知った。なら、わたくし達に逃げろと促すのは当然で、わたくし達もそれに従うべきでしょう。実際――わたくしは力強く頷きます。
「ですね。確かにあなた方に勝ち目は無さそうなので、お暇するほかない様です。ええ――本当に勝ち目が無ければの話ですが」
「え? ……何ですって?」
そして、わたくしは真顔でその提案を口にしたのです。
「というよりこの世界に来た事で、わたくし達もその書き変えとやらを行えるのでは? もしそうなら――わたくし達さえゼストのもとに辿り着けば、形勢は逆転できるかも。そうは思いませんか――ヒイゼムさん?」
「……なっ?」
わたくし達の目的は今こそ定まり――ここに決戦の幕は上がったのです。
◇
よって、わたくしは矢継ぎ早にいま知るべき事を訊いて、速やかに作戦を立てます。
この作業が終わった後、フィンちゃんは素朴な疑問をぶつけてきました。
「って、何を急いでいるんだ、おまえ? こういう戦いは、別にはやければいいって物じゃないだろう?」
と、わたくしの代りにヴェラドギナが首を横に振ります。
「いえ。今回に限っては、時間との勝負よ。何せこの戦争の本質は――私達と愛奈達のゼストの取り合いだから」
「……そ、そうか! 私達が書き換えを行えるって事は、愛奈達も同じ事が出来る! もし愛奈達が先にゼストを支配すれば、それだけ私達が不利になるって事か!」
「そういう事よ。実際に愛奈達がどう動くかは私にもわからない。彼女達が私達を出し抜けるだけの器量があるか、それさえも不明瞭だわ。母上は愛奈の事を、随分と買っている様だけど」
すると、フィンちゃんはまたも眉をひそめます。
「……それはどういう事? 余り言いたくないけど、現に愛奈は〝魔法少女の世界〟で私達を罠にはめたでしょう? あれだけの事が出来たんだから、それは十分注意するべき相手って事じゃないの?」
「いえ、あれは事前に練られた、奇襲じみた手だったからよ。彼女は私達より先に〝魔法少女の世界〟を知り、それを利用した。彼女が先手を取れたのはだからだけど、今回は違うかもしれない。母上の言う通りなら、今回の愛奈は何の準備も無く、私達と同じ条件でこの戦争に臨む。けど、考えてみて? 鳥海愛奈は恐らく、つい最近まで普通の少女だった。何処にでも居る様な学生で、戦争なんて物とは無縁だった筈。そんな彼女が、戦略や戦術なんて物を練れると思う? 私や母上の様の様な権謀術策を有していると? 仮に例の地獄を見て彼女が変わったとしても、戦争に勝つ為の知恵を得た訳では無いわ。愛奈が知っているのは、如何に人間が悪魔じみた存在かという事だけ。それ以外の知識は、普通の学生と変わらない筈よ。なら――私達の優位は揺らがないという事になる」
愛奈の顔を思い出し憤った為か、ヴェラドギナは興奮気味にまくしたてます。
その勢いに若干押されながらも、フィンちゃんは更に現状確認を続けました。
「なら、イッチェやラウナは? あの二人なら戦国時代生まれなんだし、そう言った作戦も立てられるんじゃない?」
「どうかしらね? ニーベルの話だと、イッチェは兄であるベルフェスに作戦は任せきりだったって話よ。ラウナも『転移』が専門職で戦争の会議には参加さえしていなかった。現に、イッチェに人並み以上の作戦立案能力があれば、あの時迷わず撤退したでしょう。そういった建設的な思考より自分の感情を優先した時点で、少なくとも策士とは呼べない筈。以上の理由からイッチェは根っからの戦士で、ラウナはその補助役と言えるわ。あの三者に、戦争に勝つ為の策を練るのは難しい。違って――母上?」
まるでわたくしの後ろに愛奈が居るのではと思える程、鋭い瞳を向けるヴェラドギナ。
わたくしは一考してから、真顔で答えました。
「普通に考えれば、そうですね。ですが覚えておきなさい、ヴェラドギナ。不世出の策士とは他人から何も学ばなくとも、何れ歴史に名を刻むと。鳥や蝶が何も学ばなくとも、空の飛び方を知っている様に」
「なッ? つまり……鳥海愛奈はそれだけの器だと?」
けれどその質問には答えず――わたくしは速やかに兵を動かす事にしたのです。
いえ、違いました。その前にわたくし達は、最後の無駄口に興じます。
フィンちゃんはこの時、またも有り触れた質問を口にしました。
「というか、結局〝神々の世界〟でさえ争いごとが絶えないんだね。〝竜人の世界〟でも〝魔法少女の世界〟でも、争いで物事を決定しようとしていたし、やっぱり中世期の人って大部分がそう言った方向に意識が向いているって事?」
「かもしれませんね。人間には競争する相手が必要ですから。でなければ速やかなる前進が出来ない。それは鎖国し、先進国の文明を取り入れなかった嘗ての日本が証明しています。彼等は平和な時間を送る事と引き換えに、文明を発展させる競争からリタイヤした。引き籠もり、誰とも競争する機会を失った彼等は、だから成長する必要性を放棄したのです。逆に現在も統一されていないヨーロッパ地方は、その間も競争を続けた。他国に負けまいと最新鋭の銃や大砲、戦艦の開発に余念が無かった。それが文明を発展させる起点にもなった彼等は、先進国になり得たのです。平和という理想郷を放棄する事で、皮肉にも彼等は侵略され難い国家を形成しました。つまりはそういう事で、人は何かを犠牲にしない限り前に進む事が出来ない生き物なんです。彼等は敵と言う概念が無い限り、文明を発展させる事さえ出来ない。それを知っているからこそ、人は、国は、常に敵を求め続けている。実際、大国同士の戦争と言う方法論は影をひそめましたが、やはり競い合う事は止めていない。これからも人は他国より優れる為に兵器やスパコンの開発を怠らないでしょう。仮にこの争いが終わる時が来るとしたら、それは人類共通の敵が現れた時だけ。その時こそ人間は、初めて一致団結するのかもしれません」
他人事の様に語ると、フィンちゃんは何か言いたげな視線を向けてきます。
けれど直ぐに思い直した様で、彼女は嘆息しただけでした。
「ご高説は、それでお終い? なら今度こそ始めましょうか。ゼスト――奪取作戦を」
ヴェラドギナがそう謳った途端、背後からはヒイゼムさん達の雄叫びが上がったのです。
◇
「ああ。何にしても、これが俺達にとって最後の戦いになるだろう。この作戦が失敗したら、今度こそ俺達に打つ手は無いのだから」
私に情報提供をしてくれた、ジイオという男性が頷く。彼は私達三人にも書き換えが出来ると知って、高揚しているらしい。先刻までの落胆ぶりが嘘の様だ。彼は今、十分な活力を取り戻していた。
「で、あなた本当に作戦とか立てられるの? 私に懸念があるとすれば、そこなのだけど?」
イッチェが、確かに危惧する様な声色を響かせる。ラウナも思いは同じなのか、平静を装いながらも僅かに呼吸が乱れていた。私こと鳥海愛奈は、ただ微笑む。
「さて、どうかな? 何しろ他人をこんなに使って戦争をするのは初めてだし、至らない点は沢山あるかもしれないね」
「……って、やはりそれは本気で仰っているんでしょうね、愛奈様は?」
が、私は普通に首を横に振る。
「いえ、この場合、本当に作戦は単純で良いんだよ。単に、私がこうすればいいだけだから」
言いつつ、私は先程もしてみせた様に〝ある者〟を圧縮し、銃に変える。中空に浮かびながら銃を東へと突きつけ、それを発射した。
「つっ! ……相変わらずバカげた威力ね。単純な破壊力なら私の術を超えているわ」
過分な評価、痛み入る。けれど問題はここからだ。私の計算が正しければ、東の、恐らくキロが率いている軍はこう動く筈。
「やっぱり、ゼスト城に対し総攻撃を始めてしまった様だね。これでゼストの目は、キロ達に集中したよー」
「な、に? 一体……何故? いま攻撃したのは、西の軍を率いるあなたの筈なのに」
「いえ、だからこそだよ。この世界の住人は皆、ゼストの脅威を知り尽くしている。だから今も私達以上の極限状態にあって、息をひそめるなんて事はとても難しいんだ。そんな精神状態なら、例え一発でも銃声が鳴り響けば、彼等の緊張の糸は切れて当然。キロが止める間もなく反射的に攻撃を始め、大混乱に陥る。キロはそれをしずめるので、手一杯だろうね。私達はその隙を衝き、ゼストの背後から進軍すれば良いだけ。恐らくゼストは自軍を此方に進軍させてくると思うけど、それは真面に相手にしなくていい。囮の兵に軽い攻撃をさせつつ、徐々に後退し、ゼスト城から引き離して。その間に私達は迂回しつつ全速力で進軍し、ゼスト城を目指すから」
「そんな単純な手で良いの? それで向こうは、上手く引っかかってくれる?」
「どうだろう? この場合、成功率は五分五分かな? でも、ゼスト軍はゼストに頼りきっているから、真面な戦をした事が余り無い。作戦の多くはゼストが立てているから、頭の方も鈍っている。そうだよね、ジイオ?」
私が振り向くと、ジイオは頷いてみせる。
「ああ。その上ゼストは完全な専制君主で、何事も自分の判断で事を進めないと気が済まないらしい。故に一度下した命令はゼスト本人が撤回しない限り、修正される事は無い。〝西の軍に当れ〟と命令したなら、ゼスト軍はその通りにしか動かない筈だ」
「オーケー。じゃあ私の作戦に説得力がもたらされた事だし、早速行動開始だね。私達はキロ達が頑張ってゼストと交戦している間に――ゼスト城を目指すよー」
◇
「なんて事を言っている頃でしょうかね、やはり」
わたくしが苦笑いをすると、ヴェラドギナは目を怒らせます。
「って、この状況で何を笑っているのよ母上はっ? それともこれも計算通りとかっ?」
「いえ、愛奈にしてやられました。このヒイゼムさん達の暴走は芝居でも何でもなく、マジです。お蔭でこちらの作戦は――全て潰されました」
成る程。戦闘開始の合図とばかりに一撃を加え、此方の暴走を誘発しましたか。
やはり、見くびれませんね――鳥海愛奈。
「では、作戦を変更しましょう。ヒイゼムさん達が必死に攻撃している間に、わたくし達はゼスト城に先行します。ヒイゼムさん達はただひたすらここから攻撃を繰り返し、ゼストの目を引きつけて下さい」
「は、い? 暴走した身で今更何を言っているのって感じだけど、そんな手で良いの?」
「ええ。ゼストは過去の経験から、少数で戦いを挑まれても負ける事は無いと思っている。今に至る実績から、その戦法で自分が敗北する事は無いと考えている筈です。わたくし達は、その慢心を利用します。わたくし達という不確定要素をまだ知らない彼女の油断をつくのが――この作戦の趣旨」
言いつつ、わたくしとヴェラドギナにフィンちゃんは速やかに駆け出します。
その後ろからヒイゼムさんの――〝どうかご武運を〟という声が響いていました。
因みにヒイゼムさん達は現在――光を圧縮した超密度の武器で遠距離攻撃を行っています。剣や槍や斧やハンマーを振るう度に閃光が発射され、ゼスト城を攻撃します。その威力は中々の物で――恐らく太陽くらいなら一撃で消し飛ばせるでしょう。
そんな中ヴェラドギナは失笑し、フィンちゃんは唖然としながらわたくし達は進軍します。愛奈達につけられたであろう差を埋めるべく、この大地を駆け、前進します。
その最中、わたくし達は意外な物を目撃しました。
「へえ――それは面白い」
思わず地の口調になる位、それは愉快な光景でした。鳥海愛奈はあろう事か、イッチェとラウナを伴い、光で出来たハンマーに乗ります。そのままハンマーの担い手は手にした得物を振り下ろし、閃光を発射。愛奈達は当然その一撃によって遥か遠方へと吹き飛ばされ、その間に体勢を整えます。
鳥海愛奈はここでもわたくしの予想を超え、瞬く間にわたくし達の傍へと着地したのです。
「鳥海愛奈っ!」
「キロ・クレアブルっ!」
彼女達が、地面を滑る様にその場に下り立ちます。途端、ヴェラドギナとイッチェがそれぞれの大敵に敵意を向け、足を止めます。その最中、愛奈はどうでもいい事を言いました。
「いえ、私が本気で走れば、瞬く間に城にはつける。でもそれじゃあ面白く無いから、この世界ででしか出来ない方法でここまで来てみたよー」
「いえ、いい加減その面は見飽きたのよ――鳥海愛奈」
と、わたくしが止める間もなくヴェラドギナは愛奈へと直進。イッチェもわたくし目がけて突撃をかけ、フィンちゃんにもラウナが攻撃をしかけます。
わたくしの計算より遥かに早く両軍は接触し――ここに三者による戦いは始まったのです。
◇
そう。これがイッチェ・ガラットとの最後の戦い。キロ・クレアブルは確かにそう予感しながら、大地を踏みしめる。粉塵を噴き上げ、イッチェの視界を遮り、その間に突き出した指から閃光を放つ。
が、その間にイッチェも動く。彼女は光でつくりだした剣を振るい、その全てを両断していた。粉塵もキロが打ち出した閃光さえも、彼女は一撃のもとに吹き飛ばす。この攻撃を紙一重で躱しながらキロは納得する。
(成る程。イッチェ王は光を支配した。彼女はゼスト争奪戦からリタイヤしてでも、わたくしを殺す気ですか。いえ、寧ろイッチェ王は、ここでわたくしと刺し違える覚悟でしょうね)
彼女にはもう、何も残されていないから。親族も、軍も、国も失った彼女は、だからその目的も明白だ。自分の全てを奪ったニンゲンに対し、復讐を遂げる事だけが彼女の生きる意味。それだけの決意を以て、イッチェは今ここに居る。そう誤解しながら、キロは無駄口を叩く。
「ですが、あなたも本当は気付いているのでは? 鳥海愛奈ならあなただけでなく、兄君達も救えたと。彼女はあなたを復讐者に仕立てる為だけに、兄君達を見捨てた。一度でもそう疑った事が無いと、言い切れますか?」
「つ! そう。やはり、あなたもそう思う? 愛奈も、私を利用しているだけだと?」
再び粉塵を上げながら紡がれたその問いかけは、意外にもアッサリと肯定される。
イッチェはこの時、心底から得心した。
「そうね。そんな事――わかり切っていた。あの万人を蔑む娘が――私だけを特別扱いする筈が無いと。彼女が私を助けたなら――それはそれだけの意味がある。鳥海愛奈は復讐心に駆られる私の様を娯楽にする為――私を助けた」
やはり手にした剣を薙ぎ払い、粉塵を吹き飛ばしながら吐露する。自分がこうして生き残っている意味とその真実に気付き、イッチェは奥歯を噛み締めた。
「でも、だとしたら私はどうすれば良かった? あなたの前に、愛奈を殺すべきだった? 所詮彼女も、あなたと同じだから? そうよ。俯瞰の位置から他人を見下し、玩具にするあなた達は私にとって最も憎むべき相手。私はあなた達を、肉親を殺されたから憎むべきじゃなかった。私があなた達を蔑視する理由は、他人の人生を愉悦の材料にし、目茶苦茶にするから。余所の世界から来ながら、我が物顔で私達の争いに介入し、全てを台無しにした。それがどれだけ酷い事か、あなた達はわかっていない。他人を自分の道具としてしか見る事ができないあなた達には、それが一生わからない。あなた達に、私達の世界に介入する資格なんて、無かったのよ」
然り。彼女が言っている事に、誤りはない。切っ掛けはニーベルに助力を乞われた事だが、それでもあれは飽くまで別世界の争いである。言うなれば全く無関係な第三国が、内戦を繰り広げる国家に軍事介入する様な物だ。
確かにそれで、多くの人々が救われる事もあるだろう。だが、その介入で犠牲になった人々はどう思う? その遺族達はどう考える? 内戦で同じ国の人間に殺される事と、見知らぬ国の兵士に殺される事。死と言う結末は同じだが、その意味は大きく異なるのではないか? 正義を掲げ軍事介入をしてきた筈なのにその過程でもやはり多くの人は死ぬ。彼等が正義を全うする為には、やはり犠牲者を出さなければならない。救世主だと思っていた人々に、彼等は殺されるのだ。その絶望は、想像を絶するだろう。
けれど、これはジレンマでもある。なら内戦を放置し、市民が虐殺されるのを傍観する方が正しいかと問われれば、それも答えはノーの筈。例え軍事介入してでも、救わなければならない命がそこには確かにある。
要は覚悟の問題だ。例え万人に恨まれ様とも、自身が示した正義を貫き通す覚悟があるか? その後、さらに凄惨な報復が待ち構えていようと、それに対応できる能力があるか? 一度かき乱したその国を、最後まで救い抜く覚悟があるか?
青臭い言い草になるが、窮地に陥った他人に関わるという事はそう言った覚悟が必要の筈。誰かを救うと言う事は、それに見合った責任が生じる筈だから。
「けどあなた達はそれを放棄した。私達やマジェストを殺し、自分の顕示欲を満たした途端、私達の世界から去って行った。あなた達の目的はただ私達の世界を玩具にする事だったから。その程度の覚悟で私達の世界に介入したあなた達が、どうして正義だと言える? ただの暇つぶし程度の気持ちで私達に関わったあなた達を、どうして認める事ができる? 故に私はあなた達に殺された全ての人々の代弁者として、告げるわ。あなた達に――正義や大義を語る資格は無い。あなた達は存在自体が――あってはならない巨悪なのよ」
キロの貌を見ただけでアレだけ激昂していた少女は、いま冷静に言い放つ。
復讐の為では無く正当なる報いを求めて、イッチェはキロ・クレアブルを断罪する。
それを聴き、暗黒の少女は真顔で口にした。
「ええ、実にその通り。わたくしはただの気まぐれで、あなた達の世界に関わりました。大義を掲げながら、それに見合った責任を果たさなかったのも確かです」
それから彼女は、粉塵の向こう側に居るイッチェを見据えながら謳ったのだ。
「ですが、一つ誤解がある様です。それはわたくしが大義を掲げながらも、正義とは称さなかった事。わたくしはただの一度も、自分が正義だと思った事はありません。寧ろあなたが言う通りわたくしはただの巨悪でしょう。それも当然ですね。わたくしは『頂魔皇』で、悪を生業とする者なのだから。故にわたくしが貫き通すべき物は責任では無く、万人に恨まれる覚悟。誰にどう恨まれても、自分を曲げない決意です。それ等の怨嗟をはね退けるには、わたくしも相応の地獄を見る必要があった。わたくしがあの地獄に自ら身を委ねたのは、その為。自分の欲望のままに生き――その誤りを肯定し続け――悪として生きる為です」
「く! また――そんな戯れ言を!」
キロが三度粉塵を上げる。その前に彼女の姿を直視したイッチェは、キロの自虐願望を優先する。キロに自身の顔面を殴打させ、その途端、彼女の額からは血が噴き出た。
が、その体のまま、彼女は続ける。
「故に、わたくしは悪として善であるあなたに問いましょう。貴女は一体何者ですか、イッチェ・ガラット?」
「つっ?」
イッチェの能力により、自身の腹部を殴打するキロ。更に顔面に対する殴打は百を超え、彼女の顔面は紅に染まる。それでも彼女は前進し、イッチェに訊ねた。
「貴女が本当にするべき事は、何でしたか? 貴女が一番してはいけなかった事は何?」
「くっ! 黙って! もう、黙って! いい加減死になさい、あなたは!」
その姿を見て、その声を聴いた途端、イッチェの能力に歪が生じる。今もキロが生きているのは、その為。自分が能力に集中しきれていないから、キロはまだ死んでいない。そうだとわかっていながら、イッチェは一歩後退する。〝その事〟に気付かないフリをしている彼女には、そうするほかなかったから。ならば――この逡巡を生かさないキロ・クレアブルではない。
彼女は一瞬でイッチェの間合いに入ると、彼女の腹部に手を当てる。そのまま大地を踏みしめ、その衝撃を彼女の臓器に直接伝達していた。このマジェストを仕留めたのと同等の業は、確かにイッチェ・ガラットに致命傷を与える。吐血しながら、イッチェは、吐露した。
「……ふざけないで。あなたに、わたしのなにが、わかるっていうの? あなたなんかにわたしたちのきもちなんて、わかるはずが、ない」
そうして、彼女は最期に心から涙した。
「……でも、そうだった。わたしはおうをなのるなら、あのとき、てったいするべきだった。おうをなのるなら、なんとしても、じこくをとりもどすべきだった。おうを、なのるなら、ぜったいに、じこくのたみを、みすててはいけなかった。わたしはしえんをいだいたじてんで、すでに――おうではなかった」
「はい。マジェストは最期まで王でしたが、貴女は違いました。それがわたくしは、本当に残念でならない」
「……ほんとうに、ざんこくな、ひと。ぶざまにしにゆくにんげんにたいしてもそれなんて、あなたは、ほんものの、あくとう、なのね……?」
「ええ。わたくしは万人が認める悪党ですよ、イッチェ・ガラット。だから貴女は王としてでは無く――わたくしを正そうとした正義の人として胸を張って」
それが、今度こそサイゴになった。
イッチェは最期に涙しながら微笑み、その意識は深い闇へと堕ちていった―――。
◇
ついで放たれる――銃弾の嵐。
鳥海愛奈は三度〝ある者〟を圧縮し、銃に変化させ、その銃口から力場を打ち放つ。
それを、地を蹴りながら次々躱していくヴェラドギナ・クレアブル。その速度は光さえも遥かに超越し、万人を支配する物理法則さえ凌駕する。
ならば、その動きに対応する愛奈とは何者なのか? そう嫌悪しながら、ヴェラドギナは吼えた。
「一つだけ訊くわ。あなたは何でカナタを犠牲にした? 彼女を犠牲にする理由なんて、全く無かった筈なのに」
この裂帛の気合を前に、愛奈は微笑しながら首を傾げる。
「そうだね。それはきっとわかり切った事だったよ。例え娘である君が気を許した少女が死のうとも、キロ・クレアブルは変わらない。己が敗北したと実感し様とも、彼女は自分の意思を張り通す。けど、こういう考え方は出来ないかな? 自身の正義を証明するには誰かに勝利するしかない。勝って、絶対的な発言権を得て、他者を支配するのが世界の常識でしょう? でも、それでも、勝った方が必ずしも正しいとは限らないんだ。正しい方が勝つ、なんて便利なシステムは現実世界には無いから。ならどうすれば自分の正しさを証明できるのか? いえ、結局そんな方法は無いんだよ。多数の人間を味方につける方法でさえ、時には間違っているんだから。それは民主主義が、独裁者を生み出した事が証明しているよね? 人の平等を謳った国の主導者が大虐殺をなした時点で、わかり切っている。今を生きる私達には、何をすれば正義なのかはわからない。将来、自分達の行いがどんな形で実を結んだか明らかになるまでは。なら、人は誰に非難されようと自分の正義を貫くしかないんじゃないかな? 例えばカナタを利用し、君に敗北感を与えた私の様に」
「な、に?」
「うん。私にはわかっているよ。確かにキロは全く変わっていないけど、君は違うと。ヴェラドギナ・クレアブルは、カナタ・エイシャを救えなかった時点で、私に敗北した。その敗北感は私が君に殺され様とも、永遠に心の中に刻みつけられる。大切な物を失うという事はそういう事で――君はあの時点で魂の牢獄に閉じ込められたんだ」
やはり笑みを浮かべながら、純白の少女は語る。
ヴェラドギナにとっては耳障りな屁理屈を、少女は口にした。
「本当に腐っているのね、あなたは。他人だけでなく、自分さえ愛していないと思える程に」
「だね。私達の愛は偏執的だから。けど自分の意見や思いしか肯定せず、ソレを他人に押しつけるだけなら、悪と大差ない。自分の欲望のままに生き、自分の誤りを肯定しながら今を生きている悪と呼ばれる存在と何ら変わらないんだ。偏執的にしかなりえない正義と、誰かを傷付ける事でしか存在できない悪は等価値なんだよ。でも、その二つを同時に行う事が出来る矛盾した生き物が――人間と呼ばれる物なんだ」
「だから、貴女の戯れ言は聞き飽きたのよ――鳥海愛奈」
依然飛び交う愛奈の銃弾。が、彼女はその全てがヴェラドギナに届く前に――次々と消失していく様を見た。
それが如何なる能力による物かは、わからない。愛奈が看破する前にヴェラドギナは疾走する。今も目の前に佇む大敵目がけて、彼女は駆け抜ける。
ヴェラドギナが蹴りを放った途端、彼女の『オーラ』がこれに呼応する。全長二十メートルに及ぶ巨大な足へと変化し、愛奈に殴打を加える。
それを両腕で受け止めながら、彼女は微笑んだ。
「はしたないなー。パンツが丸見えだよ?」
「黙りなさい――この排他主義者」
「んん? それは悲しい誤解だよー。私は別に、誰かを差別したい訳じゃないから。でも良い事を思いついたかな。カナタは駄目だったけど、君が死んだらキロはどう思うだろう? カナタよりは、もう少し効果があるのかな――?」
ヴェラドギナが放つ巨大な拳の連打を凌ぎながら、愛奈が笑う。その笑みを打ち砕く様に、会心の一撃が愛奈を吹き飛ばす。この間合いを埋める様に、愛奈は手にした銃を乱射。けれどその都度、彼女の攻撃はやはり消滅していく。
「……んん? 〈精神昇華〉である事は間違いないけど、はて、何の能力だろう?」
「さてね。それを知った頃には――あなたは既に死んでいる」
キョトンとする愛奈に、ヴェラドギナは更に痛烈な一撃を加える。巨大すぎる彼女の蹴りは容易に愛奈の体を遠方へと追いやる。それを追撃しながら、ヴェラドギナは言い切った。
「ええ、そう。確かに私は、カナタを守れなかった。その時点であなたに負けたと言うのも、本当でしょう。そして――私はカナタの友達に相応しくないという事もわかっている」
そうだ。自分もまた、あの『頂魔皇』の娘にすぎない。拷問紛いの経験を得て誕生した自分は、だから万人が憎かった。幸福な家庭に生まれ、幸福に今を生きている彼等を憎悪さえしていた。実際、生まれたばかりの自分はただ破壊だけを求めた。何人も何人もヒトを殺し、その過程を以て己の精神を安定させるほか無かったから。
ただ、その全てのニンゲンは、愛奈の両親以上に非道な人々だった。彼女は未だ、道を踏み外したニンゲンしか手にかけてはいない。
だがそれでも、あのとき自分もまたヒトとしての道を踏み外したのだろう。非道な人物とは即ち今の自分の事で、あの彼等を殺めた時点で他人を非難する資格はない。誰かを殺めた時、自分は誰かから同情される資格を失った。この時――彼女は初めて〝悪〟となったのだ。
(その私が友達なんて、本当に笑わせる。カナタにはヒトを見る目が本当に無くて、貴女はあの時最悪の選択をした。私は貴女の友達になる資格なんて、決して無かったのよ)
なのに、なぜあの時そう告げなかったのだろうと彼女はふと考え、苦笑いする。ある考えが脳裏を過り、その余りのオメデタさに彼女は自嘲したのだ。
(そう。私はきっと――カナタになりたかった。仲間の為に命を賭し、憎むべき相手にさえ笑いかけて、最期まで笑顔だった貴女の様になりたかった。それは私とは、真逆の生き方だったから。私は本当に――貴女の様に生きてみたかった)
けど、それはもう無理だ。躰中血まみれな自分には、叶わない願い。望む事さえ許されない生き方だろう。でも、だからこそ、カナタ・エイシャはこんなにも自分を魅了した。立ち位置が彼岸の果てに居る彼女だからこそ、自分はカナタに惹かれたのだ。
(事実、貴女はきっと自分の仇を討って欲しいなんて望んでいない。貴女が私に望む事はもっと別の何かでしょう。私には、それはまるでわからないけど、だからこそ私は自分を貫くしかないの。貴女を死に追いやった大敵を――殺す事しか出来ないわ)
よって、ヴェラドギナはさっさと決着をつけてしまおうと、決意する。
現に、それは起こった。
「おや……?」
尚も後方へと吹き飛ばされる、愛奈。だが、彼女はその地点で何が起こったか気付いた素振りをみせない。その時、その空間が光り輝く。まるで時間を巻き戻したかの様に、愛奈が放った銃撃その物が再生される。
それが、ヴェラドギナ・クレアブルの能力。その能力名は『先送り』で――彼女はあらゆる事象を執行猶予の状態にする事が出来る。端的に言えば、彼女は敵の攻撃を最大百秒間――遅らせる事が出来るのだ。
その能力の解除は、任意でも行う事が可能だ。だから愛奈が攻撃した地点まで彼女を誘導した時点で、ヴェラドギナはその力を解放する。愛奈に少しでもダメージを与え、その意識を乱す為にヴェラドギナはその一手を打つ。同時に彼女は先送りしていた全ての力を一点に集め、それを止めの一撃にしようと図る。
そして彼女は、その奇怪な現象を見たのだ。
(な、に?)
「うん。残念。その手は私の攻撃が君に届かなかった時点で、想定済みだったんだ」
ヴェラドギナが起爆するより早く、愛奈の背後で爆発が起こる。その為、彼女の被害はただ髪が乱れただけだった。この様を見て、ヴェラドギナは咄嗟に理解する。
(まさか――『前倒し』っ? 私とは真逆の能力で――敵の攻撃を前倒しする事が出来る力っ?)
だとしたら――不味い。彼女がそう気付いた時には、既に事は済んでいた。ヴェラドギナが安全圏まで下がる前に、件の力場は起爆したから。
それに巻き込まれ――事もなく彼女の躰は消滅する。
その間際――彼女は確かにその姿を見て、その声を聴いた。
〝ヴェラドギナ〟
(ええ。約束――忘れなかったよ、カナタ)
〝例えこの身が朽ち様と、その今際の時まで、貴女の笑顔を覚えている〟
彼女のその微笑みに迎えられる様に、ヴェラドギナ・クレアブルは逝ったのだ―――。
◇
同時に互いの敵を倒した両者が、彼方を見据える。真に倒すべき相手を、二人は視認する。
この時、彼女達は確かに告げた。
「ヴェラドギナを、私の娘を――殺したわね、鳥海愛奈」
「君こそ――わざと手を抜いて私の仲間を嬲り殺しにした癖に、キロ・クレアブル」
だが、両者はそれだけ口にすると互いに駆け出し、遠方を目指す。競う様にゼスト城に向かい、やがて二人は城に突入した。両者はそこで玉座に座る――黒い少女を目撃する。
今もブラックホールを展開し、ヒイゼム達の攻撃を事もなく防いでいる、この世界の神を二人は見た。
「ほう? 無謀にもたった二人でわらわに挑むか? だが、その蛮勇にも納得がいく。どうもそなた等は、この世界の住人では無い様だから。わらわの恐ろしささえ知らぬその無知を、あの世で後悔するがいい」
「え?」
「はい?」
が、次の瞬間、ゼストは思わず唖然としていた。何故なら、気が付けば、自分の体にはキロと愛奈の手が届いていたから。視認する間もなく自分の間合いに入ってきた二人を見て、ゼストは生まれて初めて恐怖する。
「嘘でしょう? まさかあなた程度の力で、神を名乗っているなんて?」
「悪いけど同感かな。これじゃあ例え書き変えて私の一部に変えてもたかが知れている」
「な……にっ?」
それは余りにバカげた状況であり、彼女にとっては想定する事さえしなかった現実だ。
こうして一瞬でゼストは書き変えられ、愛奈とキロに吸収されて――その生涯を終えた。
◇
その頃、フィン・ファンファーはヴェラドギナが死んだ事さえ知らなかった。彼女はラウナと共に遥か遠方へと転移した後、一人取り残されたから。フィンだけをその場に残して、ラウナは主戦場であるゼスト城付近に戻ってくる。
そのとき二人の少女がゼスト城から出てきて、ソレを見たラウナは息を呑んだ。
「まさか……ゼストを討ち取ったのですか、愛奈様は?」
「うん。でも代りに、キロにイッチェを殺された」
「あなたこそ、ヴェラドギナを殺した癖に」
が、そう告げはする物の、両者には何の変化もない。感情が揺れ動く事もなく、ただ淡々と歩を進めてくる。いや、一つ異なる点があるとすれば、キロの口調が変わった事か。
「そうだね。でも私達は既に、身近な人間の死をどうこう言える立場じゃない。そんな有り触れた文句を言える様な生き方は、してこなかった筈だよ。私達には既に、身内の死を哀しんだり、自分の死を悼まれる資格さえ無いんだ」
「おや、先に言われてしまったわ。ええ、そうね。私達は何時どんな死に方をしようと、不満なんて言える筈が無い。それを口にした時点で〝悪〟としての矜持を捨て去る事になるから。いま私に出来る事があるとすれば――笑ってヴェラドギナを見送る事だけ。あなたを倒し――せめてフィンだけでも生き残ってもらう」
この宣戦布告を前に、愛奈はやはり微笑む。
後ろに組んでいた両手を前に向け、彼女は告げた。
「そう言えば、ラウナにはまだ教えていなかったね。何故キロ・クレアブルが『頂魔皇』を自称できるのかを。いえ、考えてみれば本当に大仰な称号だよ。なにせ『頂きの魔皇』って意味なんだから。全ての『魔皇』を名乗る者の、頂点に立っているという事なんだから。でも、彼女にはソレに見合うだけの能力を持っているんだ。このキロは恐らく――全ての世界の中で最強の彼女だから。痛みと恐怖を極めた彼女は、だからその領域にまで足を踏み入れた。『神』でさえ到達し得なかったその場所へと、彼女は到達したんだ。彼女が己を『頂魔皇』と称せるのは――だからだよ」
愛奈が腕を伸ばし、キロに指をつきつけ、後ろに歩を進ませる。
それを見てキロも後方へと下がり、彼女は問うた。
「では、そんな私に挑もうとするあなたは一体何者なんでしょうね――鳥海愛奈?」
けれど、返事は無い。
その代りとばかりに――キロ・クレアブルはいま持ち得る全ての力を行使する。
彼女は――この世界を被っていたこの世界以上の存在であるソレを極限まで圧縮したのだ。そのまま自分の体内に封じ込め、この瞬間確かに彼女はヒトでさえ無くなった。
その返礼とばかりに鳥海愛奈もこの世界を被う〝ソレ〟を圧縮し、我が身に取り込む。
両者がその状態に至った途端この一帯は陥没し、一個のクレーターをつくり出す。その振動に揺られながら、ラウナ・シトラはこのとき心底から恐怖した。彼女は悲鳴を上げながら転移し、その場には彼女達だけが残される。
「じゃあ、やろうか――キロ・クレアブル。これが私達の――最後の戦いだよ」
「おや、残念――また先に言われてしまったようね」
鳥海愛奈が言っている事も、キロ・クレアブルの認識も誤りでは無い。
『勇者』と『魔皇』は同時に地を蹴り――ここに最終戦争の幕は切って落とされたのだ。
◇
いや、既にそれは、この宇宙が許容できる速度と攻撃では無かった。光速をも遥かに凌駕する速度で両者は互いの仇敵に迫る。ついで両者が突き出した腕からは――横幅三キロ長さ十キロに及ぶ剣が発射された。
それは彼女達が纏う【オーラ】が変化した物で、本来ならこの時点で宇宙は消し飛ぶ。それも一つでは無く七十兆個に及ぶ過去にあった無数の宇宙が消滅する。ここが〝神々の世界〟で、通常世界より強固な物でなければ、全てが終わっていた。
つまりはそういう事で――キロと愛奈の力は常軌を逸している。
彼女達の力は〝竜人の世界〟や〝魔法少女の世界〟の時とは――次元が違ったのだ。
「けど、これが本来の私達。そうでしょ――キロ・クレアブル?」
「ま、そういう事ね――鳥海愛奈」
両者の刃先が互いの得物と衝突し、その衝撃が大地にはしる。生き残った神々達はこの天変地異に慄き、この世の終わりを覚悟した。
けれど、残念ながらこれは余技に過ぎない。
その瞬間――両者は爆ぜたから。
腕を次々突き出し【オーラ】を巨大な剣に変えていく。一秒間に九千グーゴルプレックスプレックス回程もその剣は発射され、己が大敵を串刺しにし様と迫る。
その様は、まるでガトリング砲から発射される弾丸の様。二人が腕を引き、突き出す度に巨大な剣は撃ち出され、互いの大敵へと肉薄する。
その全てを愛奈は刃先をぶつける事で防ぎ、彼女はいま心から歓喜した。
「やはり、全力で戦えるニンゲンが居ると言うのは良い事だね。生まれて初めてだよ。この私が――こうも押されているなんて」
そう。一見互角に見えるが、優勢なのはキロの方。確実に死へと近づいているのは愛奈で、キロは彼女を圧倒する。
その理由は一つ。単純に愛奈の戦闘技術が――キロより劣っているから。
ソレも当然だろう。彼女は元々、ただの女子高生だった。運動神経こそ良かったが、戦闘経験はキロより少ない。いや、事実は異なるのだが少なくともキロはそう思っている。
だが、キロ・クレアブルは違う。彼女の練磨の具合は、正にヒトならざる物だ。己の躰を一グーゴルプレックス分の一程に薄め、その状態で全宇宙の力場を操れるのだから。
この二人にはそれだけの差があり、だからキロが愛奈を徐々に追い詰める。後数秒もしない内に、愛奈はキロから止めの一撃を受ける状況まで追い込まれていた。
「……いえ、それ以前に、あなた方は、一体何者なのですか……?」
遥か遠方より、ラウナが問う。〝この世界の住人たる神々さえ圧倒する彼女達は、果たして何なのか?〟と。愛奈が言っていた、キロが『頂魔皇』を名乗れる根拠とは、何?
その答えは、実に単純だ。ラウナにとっては寝耳に水だろうが、それはこの世界の真理に関係していた。
例えば、宇宙と言う空間があるなら――宇宙の外にも別の空間があるとは考えらえないか? それは恐らく超次元と呼ばれる空間で、仮にその超空間にも生命が存在したとしたら? もしそうなら彼等は私達にとって、どんな意味を持つだろう?
そう。それはきっと『神』さえも遥かに凌駕したレベルの生き物に違いない。この世界の常識なんて通用しない、馬鹿げた力の持ち主と考えて間違いないと思う。
キロ・クレアブルは、恐らくこの世界の構造から逆算してその超空間生物を創造した。この世界とは理が異なる超次元の怪物を――自分の物にした。それが彼女の正体であり、この少女が『頂魔皇』を名乗る所以だ。だから、闇の化身足るゼストさえも彼女は一蹴した。
では、曲がりなりにもそのキロと互角に戦う――鳥海愛奈の正体とは何? いや、それは既に語り尽くしている。ヴェラドギナが説明した通り、彼女はキロの反作用体だ。ただの人間に仇なす『異端者』を葬る為『神』が用意した〝ジェノサイドブレイカー〟である。
ただその『神』さえも――愛奈は既に超越している。
いや、彼女が超越しつつあるのは『神』だけでない。愛奈の力は、キロさえも射程距離に引き入れつつあった。
「うん、そうだね。大体――学習した」
「な?」
戦況は、後一秒で愛奈を倒せる所まで至っていた。けれど、そのとき唐突ながら愛奈の業が更なる冴えを見せる。瞬く間に愛奈はキロに相克する戦闘技術を身に着け――あろう事か互角に持ち込んだのだ。その理由を、キロは即座に看破する。
「成る程。流石、全ての深層に達した存在だわ。僅かに矛を合わせただけで――〝どう戦えば私と互角以上に戦えるか知る事ができる〟なんて」
鳥海愛奈の――力の根源。それはキロとは――似て非なる物である。彼女は件の地獄を見た事でこの世界そのものを使役する業を身に着けた。七十兆に及ぶ全ての前世の宇宙、いや、その前身とも言える怪物を我が物としたのだ。
これも、仮定の話。仮に、宇宙の外にも別の空間があるとする。では、その超空間に存在する宇宙とは、一体何物だったのか? ただの丸く黒い塊に過ぎなかった? 恐らく――それは違う。
飽くまで推論に過ぎないが、我々が住むこの宇宙も――一個の生命体だった。
だが、その超空間の住人たる〝彼女〟は、ある日、唐突に命を奪われかけた。敵より攻撃を受け、息の根を止められそうになった。〝彼女〟の意識は消失し、その為、今の宇宙へと変化を遂げたのだ。この宇宙が死で溢れているのは、その為。宇宙の大半が死を呼ぶ現象でつくられているのは、〝彼女〟が死にかけているから。
だが、仮に愛奈がキロの様にこの宇宙から逆算し――〝彼女〟を再現したとしたら? その〝彼女〟と融合する事で、超越的な力を得たとしたらどうだろう?
もしそうなら――理論上愛奈はキロを超える。それは偽者の超空間生物と、疑似的ながらこの世界そのものである〝彼女〟との差と言えた。より世界の真理に近いのは〝彼女〟の方で、偽者の超空間生物ではないから。この世界と外の超空間の両方を知り尽くしているのは、〝彼女〟である。
この格差が、徐々にキロと愛奈の戦力を埋め様としていた。いや、キロは少なくともそう考える。
(けど、何故? 私と同じ経験をしただけなら、愛奈も私と同じ業しか使えない筈。なのに、何故これほどの差が私と彼女にはある?)
キロは一瞬疑問を覚え――即座に答えを導き出す。それは実に単純すぎるバカげた答えだ。
(……そうか。本当に、私はバカだった。考えてみればわかり切っていた事。彼女が私より遅れて全ての痛みを知ったとしたら、それは私が感じた痛みも含まれている。七十兆回分の前世から受けた私の痛みさえ彼女は経験した。即ち――鳥海愛奈は私の二倍に及ぶ地獄を味わっている)
それは、言語を絶する地獄では無いのか? 漸くこの世全ての地獄を味わい尽くしたと思った途端、また一からその地獄を味わうのだ。真に筆舌に尽くしがたいと言えるその経験は、だから第三者は表現する術を知らない。辛うじて同じと言える経験を積んだキロでさえ、未知の領域である。
だが、あろう事か、鳥海愛奈はそれを否定した。
「だね。あれは確かに、地獄以外の何物でもなかった。普通なら正気を失う前にショック死して、あの地獄から逃れられる幸運に感謝したと思う。でも――私はやっぱり普通じゃないんだよ。『神』が目をつけただけあって、私はあの地獄を体験する前からある種の異常者だった。何せ私はあらゆる痛みと絶望を――根性だけで押さえ込む事が出来たから」
「何、ですって?」
「うん。私はどうも、人より根性値が異常に高いらしいんだ。だから私はあの超絶的な痛みや絶望を覚えても、それに耐えきってしまう。腹を裂かれ様とも、脳を弄り回され様とも、生きたまま心臓を抉り出され様とも、何とかその地獄を乗り超える事が出来てしまうんだ。ああ、でも勘違いはしないでほしいかな。私は一度だって、彼等の痛みや絶望を軽んじた事は無いから。寧ろあんな地獄をつくり出しながら今も繁栄を続ける人間と言う存在に疑問を抱いた位。あの地獄にあって私は人間こそこの世の悪その物だと感じ、今もその想いは変わらない。人間は確かに恐ろしいほど賢いけど――同じくらい悲しい大バカ者だと私は結論した」
事実、愛奈は微笑みながら――涙する。自分の為では無く、嘗てその痛みと絶望を覚えた彼等の為に――頬を濡らす。それを見て、今度はキロ・クレアブルが結論した。
(正に――聖女。性格や行いはともかく、その過程を乗り越えた存在レベルは――正に聖女と言って良い。私なんて、ただ慣れだけで痛みや絶望を防いだだけだって言うのに)
尚も巨剣を連発するキロは、その純白の少女のあり方に喜悦する。
どうりで愛奈にだけは負けたくない訳だと、キロは今初めて理解した。
「でも、敢えて訊くわ。あなたが私と戦う理由は何? あなたはどう考えても、人間を私の手から守る為に戦っているとは思えないのだけど?」
「んん? そう言えば、まだそんな基本的な事さえ話していなかったっけ? 実にシンプルな話だよ。私はただ――自分の国を守りたいだけなんだから」
「は、い? よりにもよって、あなたが自分の国を守りたい、ですって?」
「そう。だってあの小説によると、君の目的はこの星に永遠の平和をもたらす事なのでしょう? でも、きっとその過程と結果は想像を絶する物になる筈。超自然的な技法を用いない限り、恐らく君の目的は果たされない。けど、私の国の人達は――微塵もそんな事は望んでいないんだよ。あの国の人々の大部分は今――とても幸せだから。他国に侵略を受けている訳でも無ければ、テロの被害にあっている訳でもない。飢えるほど食に困っている訳でも無ければ、暴動が起こるほど不満を抱いている訳でもない。ほら――私の国は君の手を借りて、永遠の平和を求めている様な状況にはないんだ。率直な言い方をすれば君の好意はただの有難迷惑で、何の興味も持ち得ないという事。君の目的は自己満足にすぎず、私の国の人達にとっては厄災にすぎないんだ。そうだね。君がほかの星々を無視して地球にこだわる様に、私もほかの国々は無視して自分の国にこだわっている。端的に言えば、それだけの事だよ」
そこで、攻撃の手を緩めないキロは一瞬だけ沈黙してから、こう問うた。
「つまり、あなたは他人の為に戦っていると言う事? あれだけ人間を蔑視しているあなたが赤の他人を守ろうとしている? 一体――なぜ?」
対して、鉄壁の防御を誇りつつある愛奈は、やはり笑顔を浮かべながら答える。
「それも簡単。それこそが私を私足らしめている、唯一の理想だから。私は彼女を知らなければ、既に人ですら無くなっていたと思う。彼女のお蔭で、あの地獄を味わいながらも私は人間でいられるんだ。彼女は――私が唯一抱いた希望だから」
その時、愛奈の意識は僅かに逆行する。ほんの、七年ほど前へと。それは、ともすれば有り触れた話なのかもしれない。ある日、十歳だった愛奈は財布を拾い、それを交番に届けた。
だが交番には先客が居て、彼は良くわからない事を口にしながら警官に食ってかかっていた。若い女性警察官の襟首を掴み、今も理不尽な文句を繰り返している。
十歳の愛奈にとってその光景は、不思議な物だった。いい大人と言って良い人物が子供じみた理屈を並べ、それを押し通そうとしているのだから。愛奈は彼が最終的に何を求めているのか、良くわからなかった。
やがて散々文句を口にした彼は交番を去ったが、愛奈はやはり首を傾げる。最後まで彼の事が理解できなかった愛奈は、ただ拾った財布を警官に手渡すしかない。
けど、だというのに、その女性警官はただ微笑む。先ほどまでアレほど不条理な感情をぶつけられていたというのに、彼女は愛奈に笑顔を向けたのだ。
愛奈がなぜ今も笑っていられるのか問うと、彼女は肩をすくめて言い切った。
〝いえ、あんなのは日常茶飯事だから。ああいった苦情を一々気にしていたら、身が持たないわよ、実際。でも、さっきの彼が苦しい思いをしていのも間違いないの。彼が不満を抱いているのは、私に対してでは無いと思う。彼はもっと別の何かに怒っていて、そのはけ口を求めているのね。なら、その矛先が交番に向いたのはラッキーだと思わない? 彼が見知らぬ他人を傷つける様になるより、私達がその防波堤になる方が、救いがある。私が今も笑っていられるとしたら、それが理由かな。と、ごめんね。ちょっと君には難しい話だったかも〟
そう告げながら、彼女はやはり愛奈に微笑みかける。世間の闇を一手に引き受けながらも、彼女は決して笑顔を絶やさない。この時、愛奈は、初めて実感した。自分達の社会はこういった人々の努力によって成り立っているのだと。ともすれば彼女達自身がその闇に引きずり込まれそうなのに、寸前の所で踏み止まっている。激務とも言える自らの職務を全うし、笑顔も絶やさない。
彼女は〝本物の強さ〟を持っていると、愛奈は幼心に痛感したのだ。
その想いが後押しした為か、愛奈は気が付くとこれからも交番に遊びに来ていいか訊ねていた。週に一回ならという条件で彼女は愛奈の申し出に応じ、それから二人の親交は始まった。二人が交わしたのは実に他愛もない話で、けど、その全てを愛奈は覚えている。七年も前の記憶だが、あの地獄を経験した今でも、決して忘れない。
だから、だろうか。
〝……愛奈。こういう時は、泣いても良いのよ……?〟
そう告げた母の姿が、あの彼女と被ったのは。
〝……あああぁぁ、ああぁあぁぁぁっ、ああああぁああぁ……ッ!〟
自分はあの日、思いきり泣いた。もう、泣くしかなかった。
その日、愛奈は訃報を耳にしたから。あの女性警察官が通り魔に襲われ、殉職したと言う。犯人が捕まってみれば、それは彼女と出逢うきっかけになった、あの彼だった。
彼女は本当に報われない死を迎え、自分にこんなにも深い絶望を与えた。愛奈は当然の様に犯人を憎み、そんな彼を生み出した世間さえも恨みかけた。
でも、それでも、愛奈は思ったのだ。ここで自分が世の中の全てを憎めば――本当の意味で彼女は犬死となる。彼女が自制していた様々な想いを、無駄にする事になるだろう。
それだけは、出来ない。それだけは、絶対にしてはいけない。例え人の本性は悪だと悟ろうとも、私は彼女が信じたナニカを大切にしましょう。彼女が最期まで守りたかった物とこの国の平和だけは、守り続けたい。例えその所為で、私の手が血で汚れようともかまわないから。
それが鳥海愛奈の原風景で――今も変わらず抱いている唯一の願い。
私に残された――最後の人間らしい心だった。
その記憶を、巨剣を通じて流し込まれたキロは、もう一度言葉を呑む。
彼女はやはり、鳥海愛奈の正気を疑った。
「……あなたが感じている通りだわ。それは本当に有り触れた事件よ。なのに、それなのに、あなたはたったそれだけの思い出を糧として、今も自我を保っている?」
「やっぱり、君さえもカナタの両親と同じ事を言うんだね。彼等も言っていたよ。〝こんな地獄を味わいながら、人間のフリができる私はただの化物だ〟って。でも、それは君だって同じ筈でしょ、キロ・クレアブル? 私とは違い、君は自ら進んで人の闇に触れたのだから。なぜ君がそんな事をしたのか、私には理解出来ない」
愛奈の問いに、キロは眉間に皺を寄せる。彼女の記憶も、この時確かに逆行したから。
それは彼女でも、もうどうしようもない話だった。彼女が生まれた時には、オリジナルであるキロは、既に数千億もの人命を奪っていたから。その無念を、その憎悪を、目の当たりにした彼女は、もう引き返す事が出来なかった。今自分が手を引けば、彼等の死は完全に無駄になる。その非業の死は無価値となり、何の意味もなさない。
故に彼女もまたオリジナルと呼応して、この星の悠久の平和を目指した。そうする以外自分には為す術が無かった。
そんな時、ある事件が起きた。彼女が一番信頼していた部下が、謀反を起こしたのだ。少女は自分達の計画の核になるある事象を破壊しようと試み、それは成功しかけた。だがそれを防いだのも、彼女だった。全てが破綻する一歩手前で彼女は少女を取り押さえ、事なきを得る。
ならば、後の顛末はわかり切っているだろう。彼女は少女を聴取し、なぜこの様な真似をしたか訊ねるしかない。
初めからこれが目的で自分に近づいたのかと、彼女は問う。
今までの忠誠は全て芝居で、自分を破滅させる事が狙いだったのかと彼女は聴く。
けれど、少女はただ首を横に振り、微笑みながら一言だけ告げた。
〝貴女をこの地獄からお救いするには――こうするほかなかった〟と。
地獄? ああ、言われてみればそうなのかもしれない。生まれてみれば、既に自分は万人に恨まれる立場にあった。何があろうとも、自分に向けられた憎悪は消えない。どう償おうともその憎しみは一生からみつく。楔島――自分達が治めるその島の住人は、私達を許す日は来ないだろう。それを地獄と言うなら、そうなのかもしれない。
〝でも、ごめんなさい。わたくしは、それでも前に進むしかないのです〟
それが彼女の少女に対する、最後の慈悲になった。少女の心臓は彼女が自ら貫いたが、地面に倒れたその少女の貌は何故か微笑んでいた。
その意味が、彼女には今もわからない。ただ彼女は自分を愛してくれただけだという事さえ理解しきれない。ただその時、彼女は世界の闇を知るべきだと思ったのだ。それがあの少女に対する、せめてもの贖いだと気付きもしないまま。
それが私の原風景で――思い出す度に唯一心が痛む過去。
私に残されていた最後のニンゲン性が――消え去った瞬間だった。
「だから、そうね。私が万人から〝悪〟だと言われ続けるのは実に正しい事だわ。全ての国々に永遠の平和をもたらす。――それは全ての国々の情勢を根本から覆す事にほかならない。その過程はきっと平和な国を巻き込み、戦乱へと追いやる事でしょう。だから、キロ・クレアブルは〝悪〟を自称する。永遠の平和を築き上げるというのは、それだけの犠牲を生む事だから。それは神の神算ではなく、悪魔の鬼謀による業にほかならない。私が成し得ようとしている事は――正に『頂魔皇』にしか成し得ない最低最悪のユメなのよ」
「そ、う。世界平和をユメ見る事さえ、君にとっては悪なんだね? そんな美しいユメを見る事さえ、君は悪と見なしている。なら私は『魔皇』を滅ぼす為に立ち上がった『勇者』としてその職責を果たそう。私は彼女が守りたかったあの国の為に――君を殺す」
「ええ。私は私の理想を実現する為力を尽くしてくれたヴェラドギナの為に、あなたを倒す。『頂魔皇』としての宿命を全うし、己と言う意味を実現する為にも勝たなければならない」
そう。鳥海愛奈は祖国を守る為なら、他国をも滅ぼす。内戦状態の国に関与し、テロの標的になる様な真似だけはさせない。
対して、キロ・クレアブルは世界を平和に導けるなら、この世界そのものを破壊する。平和とは万人が等しく分かち合う物で、限られた国々が独占するべき物では無いから。
ここに両者の意見は真逆の結論に至り――だからやはり彼女達は殺し合うのだ。
よって、キロの動きは変化する。彼女は腕を横に回転させながら【オーラ】を直系十キロに及ぶ弾丸に変え、愛奈へ撃ち放つ。それは愛奈の巨剣を弾き飛ばしながら彼女に迫り、愛奈を限りなく追い詰める。
いや、その筈だったが、愛奈も巨大な弾丸を繰り出し、これを相殺。逆にキロ目がけて弾丸を発射し、彼女に着弾する寸前、これを爆破する。
その威力は〝神々の世界〟にして巨大なクレーターを形成させるに至る。だが愛奈はその業さえ事前に見切り、同様の業を以て自分の一撃を防いだキロの姿を刮目する。
両者は腕を突き出す度に巨大過ぎる弾丸を発射し、爆破しては、互いの躰を焼く。この果てのない消耗戦を前に、キロと愛奈はただ疲弊していく。
「……フっ!」
「はっ……!」
いや、それでも両者の余裕は崩れない。特に、キロ・クレアブルには奥の手があったから。
彼女の固有能力とは――『森羅万象』である。
その名の通り森羅万象全ての確率論を操る彼女は、今その猛威を振るう。愛奈にではなく、この世界に対し術を施行。それを見て愛奈は初めて眉をひそめるが、キロの攻勢は続く。
彼女は渾身の力を込め、直径百キロに及ぶ弾丸を撃ち出し、愛奈へと肉薄させる。それを同様の業で防ぐ彼女だったが、これが爆発した時、その炎の中からキロが姿を見せた。
彼女は、自分の攻撃が百パーセント命中する様、確率を変化させたのだ。更に愛奈がこの業を防げる確率を零とし、その瞬間――キロの一撃は文字通り必殺となる。
けれどこの時――キロは愛奈の固有能力が発動する偉容を見た。
(これは……『前倒し』ではない?)
キロはヴェラドギナが最期に送ったテレパシーをもとに、愛奈の能力を知った筈だった。しかし、これは断じてそんな生易しい物では無い。それは正に物体だけでなく、決して触れる事が出来ない物理法則さえ捻じ曲げるナニカだ。
(ええ、そう。私の能力は――『絶対的超越』)
それは敵対する存在の能力を――超越した力を得るという破格の業。
故に、ヴェラドギナの『先送り』を凌駕する能力が『前倒し』だったに過ぎない。
ならば、今キロと相対して発動した愛奈の能力とは如何なる物か?
それは『歪曲』と言われる、極限の力。術者はおろか物理法則さえ捻じ曲げ、能力の発動を狂わせる最悪のカードだ。
但し捻じ曲げる対象に感情移入する程、術者は反作用によるダメージを受ける。その反面、愛奈は敵視する相手の命を大事だと思っていない。『歪曲』を放っても、大抵は低レベルのダメージで済む。現に愛奈は『歪曲』を発動しても頬に浅い傷がついただけだった。
よってキロの『森羅万象』は捻じ曲げられ、彼女の拳自体がネジ曲がった空間から出現する。キロは背後から自らの拳に後頭部を殴打され、生まれて初めて意識を失い掛ける。
が、ここで終われるほど楽な人生を、彼女は送ってはいなかった。頭蓋にヒビを入れられながらも彼女は愛奈に接近し、彼女の両肩を掴んでそのまま前進する。一瞬で千キロ程も移動し彼方の岩山に彼女の体を衝突させる。
いや、そうなる筈だったがその前に愛奈の【オーラ】が変化した剣が、キロの脇腹を貫く。
「おおおおおおおおおおおっ、おおおおおおおおおおおおおおお――――っ!」
(つっ! それでも止まらない? 一体、何を考えて? いえ、やはりそういう事っ?)
愛奈がキロの狙いに気付く。が、その時には疾うにキロと愛奈は件の岩肌に到達していた。けれど彼女達の躰は岩には衝突せず、その岸壁に吸い込まれる。
この時、キロ・クレアブルは確かに告げた。
「ええ、そう。現実世界にあの世界へ続く門があるなら――これは何らおかしい事じゃない。〝神々の世界〟にも――あの世界に続く門があっても不思議ではないでしょう?」
「くっ!」
やはりそういう事かと愛奈が奥歯を噛み締めた時には、全ては終わっていた。
キロと愛奈はその門を潜り――〝魔法少女の世界〟に突入したのだ。
◇
然り。最初の『森羅万象』は〝神々の世界〟にある〝魔法少女の世界〟に続く門を発見する為の物。その場所へと愛奈を押しきり――共にこの地に行き着くのがキロの狙いだった。
故に両者は〝魔法少女の世界〟に至る。この時キロは万感の思いを込めて、こう詠唱した。
「〝あなたの心臓は――停止する! 何故ならあなたはここで――あの少女を手にかけたのだから!〟」
「……つッ!」
そう。〝魔法少女の世界〟とは、他人を殺せばその殺した人物も死ぬ世界。今の愛奈ならそう言った物理法則さえ無効化するが、キロがこの呪いに力を注げば話は別だ。
――カナタ・エイシャを殺めた鳥海愛奈はこの世界の法則に従い、死滅する。これこそがキロの真の狙いであり、今となっては唯一残された勝機だ。
いや、本当に、その筈だった。
「な、に?」
今度は、キロが眉をひそめる。何故ならそれでも、鳥海愛奈は生存していたから。彼女のその微笑みを見て、キロは即座にそのカラクリを看破する。〝ああ、そうか〟と納得して彼女と愛奈は二度門を潜って〝神々の世界〟へと帰還した。
「成る程――そういう事。あなた――初めからそのつもりだったのね?」
「だね。要は君が〝魔法少女の世界〟を利用してくると事前に読んでいた時点で、私の勝ち」
第三者にとっては意味がわからない事を、彼女達は語り合う。
即ちソレは――キロ・クレアブルに勝ち目がほぼ無くなった事を意味した。
(さて、どうするか。ぶっちゃけ、ここまで追い込まれたのって初めてなのよね、私)
頭蓋を砕かれた痛みも、腹を貫かれた出血も、どうにでもなる。しかし、実力が拮抗しているからこそ、その傷は命取りと言えた。この僅かな能力ダウンが、大きな差となってキロと愛奈を分つから。現に、愛奈はキロの【オーラ】に淀みを感じ、気力の衰えを連想する。
だが、それは――あの少女も同じだった。
「……冗談、だろ? まさか、あんた、もう諦める気か? ヴェラさんを殺されながら、もう負けを認めちまうっていうのかよ? 違う。そんなのは、絶対――違う筈だっ!」
漸くこの場に戻ってきたフィン・ファンファーが、崖の上から絶叫する。フィンはヴェラドギナにテレパシーを送りながらも、返事がない事から彼女の死を知った。なら、今キロ・クレアブルを奮い立たせる事が出来るのは、きっと自分だけだ。
「そうだ。私は現実世界であんた達とわかれた後、〝竜人の世界〟に行ったんだよ。その時、あの世界がどうなっているか確認した」
それは余りにも脈略がなく、唐突過ぎる話だ。けれど、フィンは涙しながら続ける。
「ああ。確かにあんたが言っていた通りニーベルさんは他国の王族達を殺せなかった。でもそれでも、ウーナ国は今でも存続していたんだ。そんな事さえわからなかったあんたが何を偉そうな事を言っているんだ。何も悟り切っていないのがあんたの正体で、それはあんた自身が望んだ事じゃないか。あんたは自分の無力さを確認する為にこの旅を始めたんだから。そうだ。貴女は確かに生きていちゃいけないニンゲンだけど、ここで負けて良いヒトじゃないだろ!」
「……ああ」
その強がりを、精一杯の虚勢を聴き、彼女は奥歯を噛み締める。
満身創痍である筈のキロ・クレアブルは――それでも挑む様にほぼ無傷な鳥海愛奈を見た。
「やはり、フィンは容赦ないのね。ヴェラドギナより、よっぽど厳しいじゃない。でも本当にあの時……貴女を殺さなくて良かった」
キロが、微笑みを取り戻す。彼女が、心底から気迫を込める。
それを見て、フィン・ファンファーは頬を濡らしながら渾身のツッコミを入れた。
「だからそれって何時の話だよッ? 私、おまえに殺されかける様な事したッ?」
そうして――両雄の最後の激突は幕を開けたのだ。
◇
「そう。これはわたくしにとって、最後の賭けでした」
「へえ? まだ何か策があるんだ? 正直、君に勝ち目はないと思うんだけど?」
が、そう軽口を叩きながらも、愛奈はキロを警戒する。彼女の口調が何時もの物に戻っただけで、愛奈はキロを絶命させるべき存在だと再認識した。
そのまま、彼女は戦闘を続ける。なんの布石も入れず、キロは『森羅万象』を発動させる。それに対抗するべく、愛奈も『歪曲』を施行。今度こそ術ごとキロの体を捻じ曲げる為、最大最強の一手を放つ。この刹那より短い瞬間――キロは確かに告げた。
「その頬の傷。それは『歪曲』を使った代償でしょう? あなたはきっと、大事だと思える物を歪曲する度に大ダメージを受ける。それがその術の――唯一の弱点」
だから何だとは決して言わず、愛奈はキロの動向に注意を向ける。この状況でどう生き長らえるつもりかと、自問する。その時――愛奈は初めて悪寒らしき物を覚えた。
(まさか。いえ、まさか――そんな事が?)
「ええ、彼女にはテレパシーを通じて、協力願いました。あなたなら或いは――この術を破れるかもと口説き落として」
「く! キロ――クレアブルっ!」
「ええ、そう。わたくしが『頂魔皇』である事を失念していた様ですね――鳥海愛奈!」
この時、愛奈は自身を嘲笑し、キロは心底から微笑む。
その瞬間、あろう事かキロの目の前に――ラウナ・シトラが『転移』してきた。愛奈は咄嗟に術をキャンセルし様とするが、間に合わない。ラウナは『歪曲』により致命傷を受け、最期に主と崇めた純白の少女に微笑みながら告げる。
「ええ。これは賭けでした。私の命を、愛奈様が大切に思っている筈が無いのだから。でも、それでも私にはこれ以外――貴女を止める手は無かった」
「ラウ、ナ――っ!」
そうだ。今の鳥海愛奈が、特定の誰かを大切に思う筈が無い。ラウナがそう考えるのは極自然な事だ。だが、ラウナはきっと愛奈がどんな存在か知りつつも、彼女を倒そうと決意した。自分の身の丈に合わない暴挙に打って出ようとした。
だから、フト思ってしまったのだ。あの彼女ならきっと、同じ事をするのではと。自分を止める為に、あの彼女も――伊済鏡花もきっと命を懸ける。
そう思った時、愛奈はラウナの精一杯の強がりを無意識に尊んだ。その瞬間、愛奈にとってこの少女は特別になったのだ。
その呪いが――いま花開く。
「ぐっ……?」
それは、意識が白濁とする程の衝撃だった。
愛奈がそのダメージを受けたのと同時に、キロは突撃する。彼女は、その身に宿る外宇宙生物を開闢時へと逆行させる。
この宇宙でも一万分の一秒の時、宇宙は既に直径十億キロまで膨張していた。宇宙内の温度は、千兆度に達していた時期があると言う。
キロはそれを遥かに凌駕するエネルギーを推進力に変え、鳥海愛奈に肉薄した。同時に一歩遅れて愛奈も同様の業を使い、キロへと特攻をかける。
この時両者は巨大な拳を激突させながら――こう謳った。
「そう。永遠の平和なんてありえない。なぜなら全ての人間が、全ての人間を愛する事だけはありえないから。万人が認める正義が存在しない様に、人は何れ誰かしら憎む事になる。性格の不一致、立場の違い、才能の差が要因になった妬み。それ等の感情が必ず万人の心を焼く。そんなの小学生でも知っている事だよね? 私達は私達として生まれた時点で、愛も憎しみも均等に扱う定めにあるんだって。無条件で全ての人間を愛し続ける事なんて誰にも出来ない。いえ、仮に個人レベルで出来ても、万人がその人に倣う事はないんだ。愛とはある種の毒の様な感情だから。誰かを愛すると言うと事は、それだけ大きすぎる感情で、その想いが強いほど負担になる。なら、個人を愛するだけでそれだけの負担を生むなら、万人を愛する人はどうなるだろう? 一体どれだけの重荷を背負う事になるのかな? そう。人間は本能的に知っているんだよ。そんな物を背負いこめば、自分の人格は破綻すると。自分達は、身近な人間を愛する事で手一杯。それ以上幅を広げれば、愛と言う感情に押しつぶされる。それなら敵と言う物をつくって、愛する人々を守る方が遥かに楽だと知っている。未だに人類が統一国家をつくれないのはだからで、彼等は組織レベルの人間しか愛せないんだ。国益を追求するのがやっとでそれ以上愛情の輪を広げれば全てが破綻する。彼等の愛は酷く限定的で、でもソレが人間の限界なんだよ。そこから一歩でも進めば、人間は愛と言う感情に押しつぶされて自滅する。それは自分や自分の子供さえ愛する事が出来ない人が居る時点で、証明された事だよね? 愛や正しさだけでは救われない人々だって、確実に居るんだ。今の自分が不幸過ぎて、見知らぬ他人を憎むしかない人間も確実に存在する。そう言った人達を幸福にするのは、同じ傷を持って今を生きている人々だけ。大多数からはみ出た少数の人達しか、彼等を救えない。なら、ソレは人類全てが幸福に生きる事なんて不可能と言う事。私にとっての悪とは、そういった不可能性を実現しようとしているヒト達をさすんだ――!」
「ですが、人は不可能と呼べる事象を乗り越える生き物らしいですよ? 事実、人は永遠に続くと思われていた乱世を平定し、国々を統一した。二度の大戦から戦争の悲劇を学び、未だ三度目には至っていない。国家間の争いの形も貿易戦争という物に変わって、人命が奪われる事は無くなった。今では食べ放題というシステムまであって、ソレは飢饉の時代ではありえない話です。人間はこうやって、着実に前へと進んでいる。過去の歴史の不幸を知らないから、今と言う現在の幸福を実感できない人々で溢れています。ですが、人が進化しつづけているのも間違いない。わたくしはその僅かな可能性に懸ける――っ!」
人の闇を語る『勇者』と、それでも永遠の平和をユメ見る『魔皇』がぶつかり合う。
結果――事前の被害が深刻だった両者は共に押し切られる。
キロ・クレアブルと鳥海愛奈は全ての力を使いきり、その躰は光の塵となって消えていく。
最期に二人は、心底から口惜しそうに呟いた。
「……これは本当に格好悪いかも。『勇者』が『魔皇』と……相討ちになるなんて。ねえ、キロ、私はどこで何を間違えたのかな?」
「さあ、わたくしにもそれはわかりません。きっと貴女と同じ間違いを犯し続けるであろう、わたくしには見当もつかない。でも、同感です。……『勇者』と引き分ける『魔皇』ほど、格好悪い物は無い」
愛奈は少女らしい微笑み浮かべ、キロは慈しみさえ感じさせる成熟した女性の微笑を浮かべる。二人はそのまま互いの大敵の最期をその魂に刻みつけながら、滅び去る。
後に残されたのは、今も確かに生き長らえているフィン・ファンファーだけだった―――。
終章
それは、きっと悪夢にも似た喜劇。けれど、ソレこそが彼女の計画だった。
「ヴェラドギナ? 起きて、ヴェラドギナ?」
「…………」
誰かが、自分を呼んでいる。どこかで聞いた声が、耳に響き渡る。そう気付いた時、彼女は瞼を空け、身を起こす。見れば、そこには、あろう事か――あのカナタ・エイシャが居た。
「……嘘でしょう? 幾らここがあの世でも、この私が貴女と同じ場所に行ける訳がないのに、なんで……?」
「いえ、ここは天国でも地獄でも無いわ。尤も彼女の話では、真に〝神々の世界〟と言える場所らしいけど」
それだけで、ヴェラドギナは全てを理解する。あの鳥海愛奈が、何をしたのかを。
彼女はカナタが没した後、イッチェかラウナを使ってカナタの遺骸を移動させた。
この〝神々の世界〟に移動させ、全ての準備を整えた。この人の死が無い世界にカナタの亡骸を運び込む事によって――彼女を蘇生させたのだ。今、ヴェラドギナが蘇生しているのもその為である。
見れば、二人の兄と再会しているイッチェ・ガラットの姿もそこにはあった。彼女は兄達や騎士達に抱きつき、号泣している。マジェスト・マジェスタはただ天を睨み、その兵達は今も彼女に従っている。一連の光景を見た時、ヴェラドギナは本当に悔しそうに納得した。
「……そっか。あいつ、本当に『勇者』だったんだ。私達の尻拭いまでするなんて、本当にやってくれるじゃない……」
そう呟いた後、ヴェラドギナもまたカナタに飛びつく。
それを必死に受け止め、カナタは困った様に笑った。
「薄々感じていた事だけど、ヴェラドギナって割と愛が重いタイプの子よね?」
「……うるさいわね。貴女こそ魔法少女を名乗るなら、これぐらい受け止めなさい……」
「だから、こうして受け止めているじゃない。だから、貴女も、もう泣かないで」
そう告げて――カナタ・エイシャは心から微笑んだ。
これは、それから七日ほど経った頃の話。見ればヴェラドギナが帰って来て、彼女は露骨に貌をしかめます。その理由は、恐らく一つ。空飛ぶ城の中庭には炬燵があって、それにわたくしと鳥海愛奈が入っていたから。現に、ヴェラドギナはこう問います。
「で、よりにもよってなんであなたがここに居るの? ――今度こそ私にブチ殺されたい訳?」
「んん? まさか、まさか。冗談きついなー、ヴェラドギナは。今日は、実家の信者から巻き上げてきた炬燵を差し入れにきたんだよー。キロが言うには、ダンボール以外防寒具が無いって話だったから」
「というか、その炬燵は電源が入っているの? 入っていないわよね? ここ、電気なんて通っていないんだし」
「うん、入ってないよー!」
今日一番の笑顔で、愛奈は言い切ります。自分は電源の入らない炬燵と言う、蛇の生殺しを譲渡しに来たと断言します。この相変わらずの性格の悪さには、最早ぐうの音も出ません。
「で、そういう貴女はさっきから何をやっているのでしょう? 宿題か何か?」
「違うよー。私、宿題は友達にお金を払って写させてもらう主義の人間だから。これはただの日記だよ。見てみる? 見てみる?」
ソコには、こう書かれていました。
〝三月三日。木島がやって来た〟
〝三月五日。木島が喋った〟
〝三月十日。木島はまだ第一形態だ〟
〝三月二十日。木島が笑った〟
〝三月二十三日。木島がプリンを食べた〟
〝三月三十日。木島が遂に―――〟
「――木島が何っ? 木島は一体どうなったのっ? そもそも木島って何者っ? 三月三日から五日にかけて木島は無言だったっ? このアホ日記ある意味母上の妄想小説ぐらい酷いわよ!」
「え? 木島ちゃんは、私の友達だけだけど」
「――嘘おっしゃい! あなた、絶対友達居ないでしょう!」
「酷い事を言うな、ヴェラドギナは。私にだって友達ぐらい居るよ。玉葱玉子ちゃんとか」
「いい加減、黙りなさいっ。このニコニコお化け!」
が、愛奈はガラリと話題を変えます。
「で、そういうヴェラドギナは、今日もカナタとデート? 一日五分しか会えないのにマメな事だね。と、そこら辺は、私に感謝して欲しい位かな。私が物理法則を捻じ曲げ、あっちの世界とこっちの世界の時間軸を同調して上げたんだから」
「……はいはい。うるさいわね。だからそういうここぞとばかりに恩着せがましい所が、友達が居ない証拠だって言うのよ。あなた、その話、もう五十回はしているわよ」
「失礼な。これでまだ五十五回目だよ」
「正確に数えていたっ? どこまで器が小さいの、この女はっ?」
「それともう一度、注意しとくね。〝神々の世界〟で行える蘇生は、あの世界の住人以外だと一回限りだから。それはカナタのご両親が証明してくれたんだ。あの二人、せっかく蘇生したのに、私の顔を見た途端、自殺しちゃんだもの。でも、そのあと死体は私達の様に光になって消えず、その場に残った。それでわかったんだよ。奇跡が起こせるのは、一度きりだって。なのでイッチェとマジェストにもそのあたりの話は重視する様に徹底させておいて。あの二人、今も奇跡的と言えるくらい仲が悪いんでしょう?」
因みに、その二人の王は〝竜人の世界〟に帰す訳にはいきませんでした。あの二人が帰ればまた乱世に逆行するのは明白ですから。その為彼女達は自軍の兵を祖国に帰す代わりに〝神々の世界〟に残ってもらったのです。
逆にカナタさんは〝魔法少女〟の世界に戻り、今も平和に暮らしているとか。無論、己の魔法道を極めようとしながら。
「と、そういえばフィンは? もしかして、モルガとやっと仲直りした?」
その問いに、わたくしは頷く事でこたえます。あの戦いの最大の功労者の一人とも言えるフィンちゃんは、最近余り喧嘩を売りません。以前は感情の赴くまま突っ走っていた感じなのですが、今はしっかり作戦を練っている様。自分の短所を是正した上で、わたくしに挑んできます。これも一種の成長なのでしょうか? だとしたら、とても微笑ましい。
「そう言えば君、今日は余り喋らないね。その無口の理由は、何なのかな?」
「別に。少なくとも前に、貴女と百時間以上、神について討論したのが原因ではありません。ただあそこまでされた以上、今回も負けを認めるしかないかなと思っただけ」
そう。カナタさんについては、愛奈に責任があった。けれど、マジェスト王やベルフェスさん達に関しては、わたくしにだけ責任があった。
その尻拭いをしてもらった以上、わたくしも敗北宣言をするほかない様です。
が、愛奈は初めて笑みを消して、真顔で告げます。
「いえ、それは違うよ。あれは確かに引き分けだったんだから。私はラウナの存在を尊いと自覚していなかった時点で、半ば敗北していた。その事を君に先に気付かれた時点で、本来なら終わっていたんだ。というか――アレはただの前哨戦だから。本気で殺す気なら、〝神々の世界〟で勝負を挑まなかった訳だし。今回はただ君達の為人を知る為に、戦ってみただけ。と、それも大体わかった事だし、今日の所はそろそろお暇しようかな」
炬燵から出る愛奈。彼女は踵を返しますが、そのままどうでもいい事の様に訊ねてきます。
「でも、最後に一つだけ。ねえ、君、いっそう人間を滅ぼした方が遥かに楽だと思った事は無いの?」
表情が見えない愛奈に、わたくしは口角を上げながら、即答します。
「ええ。キロ・クレアブルは、人間を絶滅させればいいという結論にだけは達しませんから」
と、振り返る愛奈。気の所為か、この強がりを彼女はどこかまぶしそうに眺めた後、花の様に微笑みます。
「そっか。そうやって無様に足掻き続けるんだね、君は。それは本当に、なんて君らしい。なら――やっぱり貴女は何時か私が殺すしかないね」
「はい――わたくしは何れ貴女を倒す事になるでしょう。ま、それまでは、持ちつ持たれつという事で。次に来る時の差し入れ、期待していますよ。できれば今度は食べ物がいいですね。勿論、賞味期限が切れていないやつ」
平気でそういう真似をしそうなので釘を刺します。実際、愛奈は何も答えずこの場を去り、わたくしはその後ろ姿を見送りました。やはり電源が入っていない炬燵に入るわたくしに、ヴェラドギナは苦笑いを向けます。
「というか、あの小説の序章、まるで大嘘よね。全く母上のダラダラした日常を描いていなかった訳だし。一寸した大冒険を描いていたんだから、看板に偽りありだわ」
が、わたくしは不思議そうに首を傾げました。
「え? 最近のわたくしは、アレが日常なのですが? ほかの世界の内戦に介入し、ある少女を女王にしようとして、悪の神を打破するというのが」
「……は? なんですって?」
「ま、さすがに鳥海愛奈の存在は計算外でしたが、場も温まった事です。今日も始めましょうか――わたくしの〝日常〟を」
言うが早いか、わたくしは彼方に向け飛び立ちます。有言実行し、またどこかの異世界に赴きます。今度は愛奈から身を隠しているという、ラウナさんでも探しに行くと言うのも面白いかも。
そう企みながらわたくしはほくそ笑み、早くも見つけたその門を潜ります。なら、最後にわたくしが言える事があるとしたら、一つでしょう。何のひねりも無いお約束とも言えるその言葉を、わたくしは挑む様に呟きました。
「ええ。今度は貴方の世界にお邪魔するかもしれませんが――その時はよしなに」
キロ・クレアブル漫遊録・後編・了
後編決着です。
ではここで、実に唐突ながら、戦いたくないキャラないし、捕虜になりたくないヤバいキャラベストファイブを発表したいと思います。
第五位・スタージャ・レクナムテ。
一見いい人そうですが、彼女も人間がどうすれば苦しむのか熟知しているので、立派な危険人物です。
第四位・鳥海愛奈。
一番ヤバそうな人ですが、彼女のターゲットはあくまで悪人のみ。故に善行を積んでいれば無害なので、第四位となりました。
第三位・黒理刻羽。
人格自体は問題ないのですが、能力がシャレにならない地獄能力者なので第三位です。たぶん、この世で一番いやな能力です、アレ。
第二位・キロ・クレアブル(分身)。
オリジナルよりましな性格の彼女ですが、やっぱり目的の為なら手段をえらばないので立派な危険人物といえるでしょう。刻羽と同じ能力が使える点も、高評価の要因です。
第一位・キロ・クレアブル(オリジナル)。
こやつは正真正銘の外道なので、ぶっちぎりの一位です。シャレにならない事を平気でするので、絶対に関わらない方が賢明です。因みに、数千億人もの犠牲者を出して黒理刻羽をつくったのも、こやつ。
面白いのは皆つり目系ではなく、穏やかな眼差しをしたヒトばかりという事ですね。鳥海愛奈にいたっては、聖女あつかいされているのだから、訳が分かりません。
以上、ヤバいキャラ、ベストファイブでした。