第一章2話「決して近づくな」
―清瀬一葉、18歳高校三年生。彼には金が足りなかった。妹が2人に弟が1人。母は過労で倒れて寝たきり、父は行方が知れない。金のためなら何でもするし、少々後ろめたい仕事もやっている。しかし、まだ足りない。自分と妹、弟たちが変わらず学校に行くためにまだまだ金が必要だ。
「……ちっと、怪しいよな」
カズハはとある貼り紙を凝視しながら呟いた。放課後、たまたま立ち寄ったコンビニの窓に貼り付けてあったのだが、なぜだか妙に気を惹かれるのだ。貼り紙には「2人募集」と明朝体で書かれており、少し堅くて地味な印象を受ける。
しかし、やはり目が離せない。どんな仕事をさせられるのだろうか。さらに下には「成果により報酬は決定します」と書かれており、怪しさが増していた。ここは自身の直感を信じるべきなのか。信じるとするなら、指定された場所に行くこととなる。カズハはうーんと唸り、空を見上げた。
「……そうだな」
バイトの時間が迫っている。悩む時間はない。周りの人間はまるでこの貼り紙が見えていないかのように通り過ぎていく。しかし自分は夢中になっている。その事実に違和感を感じた。
―もしかして、漫画でよく見るような展開か?
一度思ってしまったら頭から離れない。カズハの好きな漫画やアニメでは、例外なく主人公は選ばれし存在で他と違っている。では、今の自分はどうだ。明らかに異質ではないか。
―俺、主人公になれるのか?
そうこうしている間にも時間は過ぎていく。留まっていられてもあと5分程度だ。混濁する思考の中、カズハは結論を出した。
―どうせ周りに見えないなら、持って帰ってもいいだろ。
カズハは貼り紙を剥がして、自身のリュックサックに押し込んで走り出した。
***
バイトが終わり、カズハは自宅の前に居た。
ふぅ、と息をつき、扉を開ける。
「よぉ、カズハ」
カズハの家の玄関先には︎︎『番人』が居る。
手入れがされていない髪に眠たげな目の、15歳の少年。彼は、カズハの弟の彩である。制服を着たまま、鞄を枕に寝ていたらしい。寝癖がついている。
「母さん、起きてる?」
問うと、アヤは起き上がり、欠伸をしながら答えた。
「飯作ってる。まあ、どうでもいいけど」
アヤは基本的に無口で何事にも無関心である。
しかし、強烈で非常に独特なこだわりを持っている。玄関に居座っていることもこだわりの1つで、余程の事が無いと玄関から離れない。決して風呂や食事以外に例外はない。
アヤはカズハを下から見上げ、「早く行け」という表情をした。カズハはアヤに好かれていないのだ。アヤの気持ちを汲み取って、カズハは玄関、そして廊下を早足で歩いた。
***
カズハは母の作った夕食を食べ終えた。そして、求人募集の紙を見せながら母に意見を仰いだ。すると母は力なく笑いながら言った。
「もう、仕事を増やさなくてもいいんだよ」
正直、母に相談すべきではなかった。母はカズハがどんな仕事をしているか知らない。高校生には稼げるはずもない大量の金については学校も行かず、普通のバイトの掛け持ちをしているとでも思っているのだろう。母に心配をかける気は全くない。母はカズハに無理をしないよう説き、部屋に戻って行った。
誰もいなくなった部屋でカズハは溜息をつき、紙を見つめ直した。どれだけ書かれている文を読み返しても「怪しい」以外の言葉が見つからない。しかし、興味も尽きないどころか増している。紙と睨み合うこと15分後、カズハは深い眠りに落ちていた。
***
次の日、カズハは通学路を歩いていた。結局昨夜は寝てしまい、答えが出なかった。
「そーいや、この辺だよな」
指定されたのはとある洋館で、この辺りに住む者なら誰でも知っている。洋館だけでなく、門、庭園、噴水や車、外から見える範囲の物だけでも全てが高価そうに見える。
「あぁ、めちゃくちゃ羨ましい……。つーか妬ましい……」
―そう、感慨に浸っていた時だった。
「おーい!カズハァ!!!!」
辺りを揺るがす大声が聞こえた。反射的に振り返ると、勢いよく走ってくるのは短髪に小柄な少女だ。
「なーにシケたツラしてんだ!!よっ!!」
「うおっっ!ぐぅ、痛ぇ……」
少女は助走をつけて飛ぶとその小柄な体躯からは想像もつかない力でカズハの背中を叩いた。
少女はカズハの友人である大御門千草だ。男勝りな性格で、スキンシップが激しい。チグサはカズハの呻き声を聞きながら、隣に降り立ってカズハの顔を下から覗き込む。
「なあなあ、カズハさんよぉ」
「何の用だよ。つーかなんで後ろからなのに俺がシケたツラしてるってわかったんだよ。神様か」
チグサは目を細めてニヤりとした表情を作る。
「神様ねえ。アタシはそんな大層なもんなんかじゃないぜ。目だよ、アタシの目」
チグサは自身の目を指さし、笑みを深める。彼女も変わった人間である。というか、カズハの周りはヤケに変人が多い。
「あのな、実は新しい仕事探しててさ」
事情を話している間に少女の顔は徐々に表情をなくしていった。カズハとチグサはそれなりに付き合いが長いが、こんな姿は見たことがない。聞き終えるとチグサは一息ついてから、瞑目して凪のような静かな声で言った。
「やめておけ、あの屋敷には決して近づく
な」
***
放課後、カズハは例の洋館の門の前に立っていた。チグサがあのように言った理由が気になって授業が手につかなかったからだ。
「普通、あんなふうに言われたら気になるだろ。チグサのやつ……」
あのチグサが話題を出しただけで苦虫を噛み潰したような表情をするのがこの屋敷だ。自分がそのような場所でやっていけるのか、はたまた受け入れてもらえるかすら定かではない。冷や汗が頬を伝って落ち、しかし胸は高鳴っていた。カズハは莫大な不安と共に好奇心も抱えていた。
主人公に、自分はなり得るのか。否、なり得るか、ではない。
―俺は、「主人公」に成りたい!!!!!
覚悟を決めて、門に付いている呼び鈴を押す。
すると―
「……何の御用でしょうか?」
呼び鈴を押してから僅か5秒であった。よく通る女性の声がした。