責の在処
水を打ったような静寂が訪れる。先ほどまで響き渡っていた怪物の絶叫はぴたりと止み、ただ風によって木々が揺れる音のみが辺りに広がっていた。
核は破壊したためもう復活することはないと思うが、何が起こるかわからない。
俺は転がっていた短刀と両手剣を回収して周りを見渡し警戒を続ける。五秒、十秒……二十秒。
すると突然、金属同士が擦れるような音が周りから響いた。甲高いその音に弾かれたように辺りを見渡すと、俺たちを閉じ込めていた赤色の鎖が緩み、天へと上がっていく。そのまま鎖は雲の中へと消えていった。
それを見届けてやっと俺は構えを解く。
「終わった……のか?」
バロウが攻撃を受けた腹を擦りながら立ち上がる。信じられないという顔で辺りを見回している。
「うん。多分もう大丈夫だと思う。……バロウ怪我は?」
「お、俺は大丈夫だ。というかお前の方こそ……」
「俺も平気。多少いいのはもらったけど」
先程強化された一撃を貰った時はさすがに堪えたが、なんとか衝撃を逃がすことが出来たため、重症にはならずに済んだ。といっても骨にひびくらいは入ってそうだが。
「なら良かった……ってそれより他のみんなは!?」
俺の返事に安心したバロウだが、すぐにはっとして振り向いて駆けだす。ギルとイリーナが下がった方向。そして取り巻きがいた場所へ。俺もその後を追う。
頼む……無事でいてくれと呟くバロウの後ろで俺は表情を固くする。
俺は既に結末を知っているからだ。
しかし、そんな俺に気づかないバロウは必死に足を動かし、そして、
「セレナ……ジャミル……ロット……。どうして……」
「……くそ…!」
目の前の光景を見て、立ち竦んだ。
横たわる三人の影、そしてその近くで蹲るイリーナと俯いたまま佇むギル。二人の表情は取り返しのつかない絶望感に染まり、その瞳は深い闇を宿していた。
視線の先には、純白のローブを深紅に染め上げたセレナ。腹に風穴が開けられたジャミル。苦悶の表情を浮かべ、白目を向いたロット。三人の顔はそれぞれ血色の通っていない土色となっており、既に絶命していることが嫌でもわかる。
ぎり、と強く歯を食いしばる。
最後の一撃。俺は《トレント》と戦った時に使用し、その後ストレージに入れて置いたジャミルの槍を取り出して投擲した。それがもう武器がないと油断していた《キング・トレント》に突き刺さって勝利をもぎ取ることが出来た。
しかし、そもそも基本的に人の武器を勝手に自分のストレージに入れることはできない。そんな中で何故ストレージに入れることが出来たかと言うとそれは……既にあの時点でジャミルが亡くなっていたからだ。
「……すまねえ。俺が……俺にもっと力があれば…!」
唇を噛み、地面を勢いよく殴るギル。その表情に浮かぶのは悲しみと苛立ち、そして無力感。
「……ギルのせいじゃねえよ。今回のボス戦は明らかにおかしかった。敵の強さも途中の謎の鎖も……」
バロウが俯きながらもギルに声をかける。しかし、そう言うバロウも血が出るほど強くこぶしを握り締めていた。
鉛のように重い沈黙が場を支配する。時折聞こえるイリーナのすすり泣きの声がやけに大きく聞こえて。
「……それについてなんだけど俺から話があるんだけどいい?」
俺はそう話を切り出した。
言わなければならない。話さねばならない。何故こんなことが起きたのか。原因はなんなのか。
今回のボス戦の異常な難易度の高さ、撤退を封じた赤色の鎖……その責任の在処を説明するために。
***
「……なんだよ、そのスキル聞いたことねえ」
俺の説明を聞いたバロウは信じられないように呟く。
それもそうだ。名前も効果も他のスキルとはあまりにもかけ離れすぎている。
スキル名《修羅の呪縛》。能力は自身の全能力値の強化という破格のスキルだが、出現したモンスターが強化されるということと、確率で撤退ができなくなるというデメリットを持つ。かつて俺がある塔をクリアした際、得たスキルである。
自身、そしてモンスターの「強化」の具体的な値は明記されていないため、その強化具合は不明であるが、今日のバロウ達の反応を見る限り、単純な能力値の上昇だけに限らず、相手のモンスターの行動にすら影響を与えるようだ。
「リヒト……お前がパーティを頑なに組まなかった理由はそれか」
「……」
バロウの言葉に図星を付かれて俺は押し黙る。
この世界のスキルは基本的に条件を満たしたら発動する。
使いたいスキルをセットする、といったような手間はなく、そのスキルに対応した行動を取るだけでスキルは発動する。例えば、《短刀》のスキルを持っていたら、短刀を使用した時、勝手にスキルが発動し、自動的に能力値に補正がかかる。
そして、このスキルの発動条件は常時――常に発動し、使わない、発動しないという選択肢は存在しない。
その為もし俺がパーティを組むとすれば、このスキルの圧倒的なデメリット……敵モンスターの強化と逃げるのことできない場合があるという二つをパーティメンバー全員に課さなければならない。それは俺の能力値が上がるというメリットの代償としてはあまりに大きく、割に合わない。
だから俺はパーティを組むことができない。組んだとしたらこのような事態になる。
「……ごめん」
肯定の台詞の代わりに俺はただ謝る。事態はもう取り返しが効かなくて、それがもう意味の無い事だとしても。
この展開は俺が最初からスキルのことをバロウ達に明かしておけば防げたかもしれない。俺がパーティを組めない理由を。
そうしなかったのはバロウならばこのスキルの存在を知ってなお、俺をパーティに誘ってくる可能性があったからだ。
勿論リーダーとしてパーティメンバーのこともあるからそんな簡単に言っては来ないだろう。だが、この優しい男はパーティメンバーにしっかりと説明をして同意を得た後にもう一度勧誘してくるかもしれなかった。俺にそう思わせるだけの人の良さがあった。
そこまでして、バロウ達を危険に晒すのは心苦しい。
しかしこうなってしまった以上本末転倒だ。
「リヒト……」
そんな俺を見てバロウは複雑そうな顔をする。何かを言いかけて、でも何も言えない。ギルも似たような表情を浮かべ押し黙っていた。
「……あんたのせいだって言うの?」
しかし、そんな沈黙は突如破られる。
静かに、だが感情が飽和したその声の主は、倒れた三人の前で項垂れていたイリーナだ。向こう側を向いているため表情は見えないが、その声は震えている。
「……うん」
「あんたが……あんたがセレナを……ジャミルを、ロットを殺したの?」
「イリーナ……それは」
「返してよ!!」
バロウの静止も聞かず、悲痛な叫びが響き渡る。振り向いたイリーナの瞳は涙で溢れ、仇を睨むようにその目つきは鋭い。いや、仇となるモンスターが倒れた今、それは実際に正しい。
「三人を……みんなを返してよ!!元々あんたのせいでモンスターが強くなってたんでしょ!?なら責任持って倒してよ!!」
「……」
「あんた強いんでしょ!?実際に一人で倒してたじゃない!ならどうして……どうしてみんなを助けてくれなかったの……!?ねえ!?」
「……ごめん」
縋るように叫ぶイリーナ。それに対して俺は目を逸らし、謝ることしかできない。
おそらくバロウもギルも頭を過ぎったかもしれない。だが言葉にしなかったもの。それが限界を迎えた感情がきっかけとなってあふれ出す。
「ごめんじゃない!どうして……どうしてよ……!!……ああぁぁ……!!」
そんな俺を見て絶望したようにイリーナは地面に手を付き項垂れる。俺はただその姿を見て黙って佇むしかない。
静寂の中でただ悲痛な泣き声だけが響き渡っていた。
***
月明りが暗闇を照らす。昼間では陽光が照らす穏やかな森である【ルガードの森】だが、街灯などは勿論ないため、夜には相応に真っ暗となる。しかし、今日の天気が良いからだろうか、月光が至る所に射しこんでいるので歩くのには困らない程度の視界は確保できている。
本来はモンスターがあらゆるところに出現するため、夜にこんな所に来るのは危険だが、ボスモンスターを倒した影響か、ここに来るまでほぼエンカウントしていない。
静寂の中、しばらく歩いていくと見覚えのある広場が見えてくる。
つい先日にも訪れた、大樹に囲まれた周りと比べると緑が希薄な場所。そこには干からびたような植物と所々穴が開いている大地、そして……乾いた血痕。
ボスを倒して五日が過ぎた今日、俺はまたも《キング・トレント》と戦ったこの広場に来ていた。
理由は単純明快、次のステージに行くためである。
ステージのボスを撃破すると別のステージへの道……そのステージと次のステージを繋ぐ『扉』が出現する。通常ボスを倒したエリア、もしくはその近くに出現し、今回も例にもれず広場の先に出現していることを確認した。
扉はそれ以降永久に存在し、いつでも通ることができるが、何個かルールが存在する。
一つは扉を通った先のステージをクリアしない限り、通ってきた扉は使えないということ。一度別のステージに行ってしまうと、後戻りはできないので注意しなければならない。戻れるのは新しいステージのボスを攻略した後だ。
そして次に、扉を使えるのは俺たちプレイヤーのみであるということ。
つまり次のステージに行けるのは俺やバロウ達だけで、【ルガー】に住んでいる人達はこのステージに留まることとなる。
激闘の後が見える広場を一人歩く。
あの後、俺は扉の場所を確認しに行き、バロウ達はそのまま帰っていった。精神面も含め全員満身創痍な状態であるバロウ達が少し心配だったが、あんな事態に合わせておいて今更一緒に帰れるわけがない。というか俺がついて言った方が危ない。
しばらく歩くと、やがて月明りに照らされてひっそりと佇む扉を発見する。人一人分が通れるほどの大きさのそれは、錆びた鉄のような物体で作られ、青色の月光を鈍く反射している。不思議なことに小さな広場の真ん中にぽつんと扉があるのみで、その後ろに存在するはずの物体はない。
俺は扉の前に立つと独りでにそれは開き始める。その向こうは光で覆われて何も見えない。
そして中に入ろうとした時、後ろから足音が聞こえた。
「……次に行くなら何か一言くらい言ってくれてもいいんじゃねえか?」
そう静かに声をかけたのは、赤色の装束を身にまとった男……バロウ。ボスとの戦いで折れた大剣の代わりだろう、一回り小さい別の剣を背中に吊るしている。
「……ごめん。声、かけ辛くて」
そう返すとバロウは申し訳ないという表情をし、言葉を紡いだ。
「……イリーナのことなら悪かった。あいつもあんなことを言いたかった訳じゃないんだ。ただ……あの時は感情が高ぶって……」
「大丈夫。わかってる」
パーティメンバーが亡くなっているのだ。しかもその原因となったやつは、危険だけ周りに振り撒いておいてのうのうと生きている……という見方はおそらく穿ちすぎたものだが、事実だけを見ればそれが正しい。
「俺はお前のせいだなんてことは思っていない。あれは……俺の……俺たち全員の力不足が原因だ」
そうはっきりと言ったバロウ。
本当に優しい男だと思う。
あそこで俺がバロウ達と合流したのも、ボスが出現したのも偶然のいたずらである。だが、だからといって、俺にバロウ達を危険に晒そうという意識がなかったからといっても、事実だけ見ればバロウ達パーティメンバーを殺したのは俺と言える。
人間は感情的な生き物だ。理性が、理屈ではこちらが正しいと分かっているが、心が納得いかないなんてケースは山ほど存在する。にも関わらず、はっきりとその台詞を言えるのは、本当に凄いと感じる。
だからこそ、俺は自己嫌悪で吐きそうになる。
「だから……あまり自分を責めないでくれ」
「うん……ありがと」
そう気遣うように俺に話すバロウに感謝する。それだけでも少し心が救われる様な思いがした。
しかし、バロウはその後直ぐに「だが……」と言葉を繋いだ。
その顔は苦々しく歪んでおり、その視線はさ迷うように地面の上を泳ぐ。まるでもっと言うべき言葉を何とかして探そうとしているが、見つからないかのように。しかし、しばらくした後決心したのだろう、深刻な顔で、
「……すまない。お前をパーティに誘った件だが、白紙に戻してほしい」
そう言った。その表情には本当に言いたくないという葛藤が目に見える。だが最後には真っすぐ俺の目を見てバロウは言葉を紡いだ。
「……うん」
「俺から誘ったくせに今更こんなことを言うのは申し訳ないと思ってる。だが……すまない」
そうして深く頭を下げて謝る。
心優しいこの男には苦渋の決断だっただろう。話の切り出し方や目の前の姿からもそれは伝わってくる。
バロウ自身も考えたのだろう。パーティメンバーとも相談したはずだ。そうして出した結論だ。俺に異論があるはずもないし、何より客観的に見てそれが絶対に正しい。
「大丈夫、気にしないで。先に次の塔のボスも倒しとくよ」
「お前ならやりかねないな……。だが、絶対に無理だけはするなよ」
重い雰囲気を茶化すように返すとバロウもほんの少しだけ笑みを見せる。しかし、すぐに顔を引き締めて言葉を繋いだ。
風が強く吹いて周りの木々を揺らす。ふとした沈黙が落ちた中、バロウは静かに話題を切りだす。
「なあお前は……リヒトはこのゲーム、クリアできると思うか?」
「……わかんない。そもそも情報が少なすぎるから」
俺はメニュー画面から『ステージ』の欄をタップ。そこには今いるステージの名前とクリア条件とこのゲームのクリア条件の二つが書かれている。だが、後者の方は……
「『全ての塔の攻略』か……。そもそも塔、ステージの数が全部で何個あるかもわからない状況じゃあな……」
全ての塔の攻略。それがこのゲームのクリア条件だ。
おそらく塔と言うのは各ステージを表している。この【新緑の塔】でボスを倒して攻略したように、全ての塔をクリアしろということだろう。
しかし、問題なのはその塔が何個あるのかわからないこと。俺は既に何個かの塔をクリアしているが、このゲームが終わる兆しはまったく見えない。
いや、そもそもとしてこのゲームをクリアした時に元の世界に帰れるなんて確証はない。
ただ【クリア条件:全ての塔の攻略】と記述されているだけで、それによって何が起こるのか、何がなされるのかなどが一切わからない。主催者側――そんな奴がいるかどうかもわからないが――からのコンタクトも何もないのだ。
全てが曖昧な中での戦い。
だけど、それでもやらなければならない。戦わなければならないのだ。
「お前は……これまでも……。いや、これからも一人で戦うつもりなのか?」
「……どうだろうね」
バロウの問いに俺は答えを濁す。だが、内心ではわかっていた。
おそらく、この呪縛がある限り俺が自分から誰かと一緒に戦うということを選択することはないだろうと。
「そろそろ行くよ」
もう夜も遅い。ボスを倒してモンスターの動きが沈静化しているとしても、あまり話し込んでいるとバロウの帰りが危なくなってしまう。
「……ああ。俺たちも後で追いつく。だから……絶対に死ぬなよ」
その言葉を背に俺は歩き出す。まだ見ぬステージへと繋がる扉の中へ。
何が待っているかはわからない。だが、今までの経験からわかることが一つ。
決してこの扉の先は夢や希望に溢れた場所ではないということだ。
この世界は残酷だ。どれだけ穏やかな景色が流れていても、人々が優しくてもその事実は変わらない。
初めてこの世界に足を踏み入れた時から、それだけは確かだった。
そんなことを考えながら俺は扉へと足を踏み出した。