大樹の尖兵
昔、あるゲームにはまったことがある。そのゲームは無実の罪を着せられた主人公が己の無罪を証明するため、数々の敵と戦うというありふれたストーリーのアクションRPGであったが、ある要素がきっかけとなって一時期、話題となった。その要素とは理不尽なまでの攻略難易度だ。
敵の攻撃力は高く、道中にいるモブですら攻撃を食らうと平気でHPの半分以上を持っていかれる。数々の悪質な状態異常に回復アイテムの枯渇、セーブポイントの少なさなど。所謂"マゾゲー"とも呼ばれたその作品には一部のコアなファンがついた。だが、そのゲームの難易度が高い真の理由はそのような敵のパラメータの高さや資源の少なさではない。
それはゲームとしての意地の悪さである。
プレイヤーが油断するであろう場所、展開での敵の配置。セオリーを逆手に取ったトラップの配置。はたまた敵による味方の回復阻害まで。俺たちのやりたいことをわかっているようなそのゲームシナリオやマップ構造、そしてまるでプレイヤーを相手にしているような敵モンスターの行動、アルゴリズム。
そのような底意地の悪いゲームの構造自体が最もゲームの難易度を引き上げる原因となっていた。
場違いかもしれないが、そのゲームを必死になってやっていた思い出が俺の頭に一瞬流れた。
「何が……何が起こってるんだよ……」
地獄のような惨状に呆けたような声。言った本人であるギルは握りしめている片手剣と盾を痛いほど握りしめながら、その顔を絶望の色に染め上げている。イリーナも全ての表情を消しながら、持っていた弓を取りこぼしていた。
三人が死んだ。それも一分も経たない内に。
しかも二人にとっては苦楽を共にしてきた仲間だ。まだ現実を受け入れることすらできないだろう。
「ロットが……。ジャミル、セレナまで……」
「広場を塞いだ……あの赤い鎖は何……!?」
ほぼ恐慌状態《パニック》に陥る二人。
当たり前だ。通常種よりも格段に強化された《トレント》、明らかな戦術行動を取ってくるモンスターに、突然退路を断った謎の鎖。そんなイレギュラーに次ぐイレギュラーに対し、何も知らないギル達は混乱して当然だ。
だから俺は努めて冷静に、停止しそうになる頭を無理やり動かしながら話しかける。
「二人ともしっかり。あれがある限りもう撤退はできない。倒すよ」
俺は短刀を構え、辺りを見渡す。六体のトレントは未だ健在。じわじわと俺たちの周りを囲もうとしており、さらにその周りには檻と化した深緋の鎖。
「なんだよこれ……!お前はあの鎖が何なのか知ってるのか!?」
「うん。だけどそれは後で説明する。今は何とかこいつらを突破してボスを倒すよ」
「もう……もう無理よ……」
「無理だろうがなんだろうがやるしかない。バロウを殺したいの?」
その言葉に狼狽していた二人はハッとしたように広場の奥を見る。バロウは取り巻きのトレントとは逆方向、二十メートルほど向こう、大剣を構え《トレント・キング》と相対している。五体満足ではあるが、体のあらゆる部分から流血しており、遠目からでも満身創痍なのが見て取れる。
少し強い言葉を使ってでも、無理やり今からやるべきことに目を向けさせる。後悔してももう遅い物は遅いのだ。
心の中でお前が言うな、元はというと誰のせいだ、と呪いのような声が聞こえる。その声を必死に抑え込みながらも俺は自分にも言い聞かせるように言葉を発した。
「とりあえず二人はバロウと合流してボスをよろしく」
「二人はって……。君は?」
「俺はこいつらを止めとく。さすがにこの数を相手にしながらボスとは戦えないし。幸いボスの近くから取り巻きが出てくる様子はないから。その間にボスをお願い」
「止めるって……一人で?」
「別にそっちに行かせないように粘るだけだから大丈夫。ボスを倒したらこいつらも消えると思うし、それに俺の予想ならこいつらは倒し続ければいずれ出なくなる」
俺はちらりとトレントの後ろを見る。『鎖』の内側にある、広場の端を囲う二メートル前後の樹木。それらは最初、均等に並んでいたはずなのに、いつの間にか不自然に何本か消えている。―――消えた数は七本。
つまり、その木が樹木の化け物……トレントとなっているのだろう。どういう原理かは知らないが。そして残りの木は十三本。
「できれば早めに倒してほしいけど。焦らなくていいから」
「……わかった。ここは頼むぞ。イリーナ行くぞ」
「……うん」
そう言って駆けていく二人を背中に感じながらトレントと相対する。六体のトレントは醜悪な笑みを張り付けながら俺を囲むようにじりじりと迫ってきている。
囲まれたら嬲り殺しにされる。かといって離れすぎたらバロウ達の方へ行ってしまう。
そのため、適度な距離を維持しつつヒットアンドアウェイで確実に倒していかなればならない。
俺は深呼吸を一つ。短刀を構えて飛び出した。
***
人の死を初めて見た。
イリーナは未だ収まらぬ動悸と吐き気を感じながらもそれを押し殺し、走る。右手に抱えている弓は走る衝撃とは別の要因でガタガタと揺れ、駆けている足はまるで自分のものではないようだ。
この世界に飛ばされてからもう半年が経つ。
ゲームのような、しかし現実としか思えない要素も持つ謎の世界。突然見たこともない化け物が支配する世界に、途方に暮れ、宿屋に閉じこもって泣いていた夜。壊れそうな心を救ってくれたのはパーティのみんなだった。
最初に飛ばされた『塔』は荒廃した町が広がる、世紀末のようなステージ。この世の終わりのような光景に混乱し、帰れないことを知って絶望した。
だが、そこで出会った同じ境遇の仲間に生きる希望と勇気をもらった。
『まるっきりゲームの世界じゃねえか!ってことはラスボスを倒せば帰れるってことだな!』
そう何の根拠もなく言い切ったロットについ笑みが零れた。
『同じ女の子がいてよかった……。いつか向こうに帰ったらショッピングでも行きましょう!』
自分も怖いはずなのに未来に目を向けるセレナの提案に目を輝かせた。
『これからは俺たち六人で頑張っていこうぜ。形式上リーダーは俺になったがまあ気楽に。帰ったら向こうでオフ会な』
六人集まって初めて宿屋で飲んだ夜。そう言ってにやりと笑ったバロウに頼もしさを感じた。
どれだけ戦ったら帰れるのか。『ステージ』画面に書いてある曖昧な”クリア条件”の情報しかない中でここまで戦ってこれたのは間違いなくみんなのおかげだ。助け合って、お互い足りない部分を補い合って、危なかった場面もありながらも誰も犠牲者を出さずに攻略を進めることができた。
だからこそ、あんなに呆気なく人が死ぬことが信じられなかった。
いつもふざけながらも前向きなロットが絶望に濡れた顔と共に息絶えていった。
冷静にみんなのフォローをしてくれるジャミルが混乱をまき散らしてこと切れた。
大人しそうな外見とは裏腹にお喋りなセレナが物も言えず死体となった。
前のステージとは比べ物にならないほどの難易度、モンスターの強さ。その上で赤い鎖による強制戦闘という不可解な現象。
もはやこの場に死神がいるとしか思えなかった。
***
鞭のようにしなる枝が左肩の数センチ横を通り過ぎた。コンマ一秒避けるのが遅れていたら直撃していた現実に肝を冷やす時間もなく、右前方から刃のような葉が迫りくる。俺はそれを搔い潜ると飛ばしてきた個体の懐に潜り込んだ。
モンスターには様々な種類が存在する。獣や蠍のような実際に存在する生き物を模したものや、人型の剣士のようなもの、そしてスライムや今相対しているトレントのような異形のもの。
そして多くの場合、弱点となる核を持っている。例えば機械のような相手だったら動力源となる核が体の中心付近にあるし、人型の相手であったらそれこそ心臓部分に存在している。そのため、モンスターとの戦いでは弱点となるそこを狙うのがセオリーとなる。
他にもトレントならばそれこそ木を切り倒すように体を真っ二つにすれば、生命活動を停止させることができるが、現在持っている短刀ではそれは到底不可能だ。そのため核を正確に壊す必要がある。
トレントの核は木の中、顔の少し下付近に存在している。これは今までのトレント全てに共通していた。
俺は目測で核に狙いを定め、右手に持つ短刀を振りかぶる。トレントの銅の太さ的に核まで切っ先を届かせようとなると、かなりの深さまで突き刺す必要があるから、下手な攻撃は無意味だ。
その為に勢いよく短刀を突き刺そうとした――その時、後ろから何かが迫る音がした。
ぼこりと地中から何かが這い出てくる音、咄嗟に俺は攻撃をやめて全力で真横へ飛ぶ。
瞬間、俺がいた地点に三本の根が地面から飛び出してきた。
先ほどパーティの槍使いを串刺しにした地中からの攻撃。通常のトレントではなし得ない手だがもう何度も見ている。しかし、離脱したせいで攻撃のチャンスを逃した。
基本的に短刀という武器はリーチが短いため相手の懐に飛び込む必要がある。しかし、このような多対一の戦闘だと迂闊に潜り込むことも出来ない。囲まれて、後ろを取られたらその時点でアウトだからだ。だからこそ、慎重に、焦らずに一匹一匹確実に仕留める。
だが、鈍足だが高耐久を持つトレントにはそもそも基本的に短刀という武器の相性がよくない。だからまず欲しいのは……。
俺はある地点をちらりと見て走りだす。