呪縛
最も避けなければならない事態となってしまった。
俺はひやりと額に汗が伝わるのを実感しながら、思考を巡らす。
視線の先には巨大な異形の怪物。本来あるはずのない人の顔を張り付けて大樹の王は醜悪な笑みでこちらを見下ろしている。
アイコンは特別な黒色のもの――ボスモンスター。通常のモンスターとは比べ物にならないほど大きな力を持った怪物が突然目の前に現れた。
どういうことだ?確かにこの広場はいかにも何かが出そうであったが、ボスが出現するにしてはタイミングがおかしい。しかも、まだ森の一番奥にも辿り着いていない筈では……。
しかしそんなことを考える暇もなく、《キング・トレント》はその巨体に似合わぬ速度で移動してくる。あれだけの質量ならば動かずに戦うタイプだと思ったが、大樹は大量の足元の根を器用に動かしながら、決して遅くはない速さでこちらに突撃してきた。
「来るぞ!いつも通り俺とギル、ロットは前衛!他のやつは援護を!リヒトも無理しない程度に攻撃を頼む!」
そう叫んだバロウは大剣を引き抜き前に出る。それに片手剣と盾を構えるギル、ロットと呼ばれた両手剣使いが続く。
「ちょっと待ってバロウ…!?」
「後ろ!」
バロウにあることを伝えようとした矢先、パーティメンバーの一人が後ろを見て叫ぶ。そちらを見ると、いつの間にか六体の《トレント》が俺たちを囲むように立ちふさがっていた。
「くっそ、普通のトレントも沸いてんのかよ!」
「…しゃあねえ。でかいのは俺とギルが担当するから他のやつは雑魚を頼む!」
状況を判断したバロウの指示は的確だ。ボスを二人で抑えている内に、先に他のメンバーで取り巻きを倒してから、最後にボスを全員で仕留めるのであろう。取り巻きがいるときのボス戦のセオリー。
指示を飛ばしたバロウ、そしてギルは《キング・トレント》に走っていく。その後ろ姿を呼び止めようとするが、一体のトレントがこちらに突進してきた。
「ッッ!」
俺は唇を噛み、短刀を抜く。言わなくてはならないことがある、あるが、こう囲まれていては話もできない。残ったパーティメンバーも次々と自身の得物を構える。
「とりあえず雑魚はさっさと倒してバロウ達に合流するよ!」
パーティの弓使いである短髪の女性が矢をつがえ、トレントの一体に狙いを定める。ぎりぎりと弦を引き絞り、一呼吸した後、手を放す。矢は大気を切り裂く音と共に大樹の怪物へと飛来する。その悪魔のような顔に矢は吸い込まれ、そして…、
トレントは一本の枝を器用に振り下ろし、矢を叩き落とした。
「…え?」
目の前の事象に弓使いが目を瞬かせ、気の抜けたような声を上げる。
「くそ…やっぱり……!」
「なんだこいつ!?」
予想通りの光景に俺が舌打ちをすると、また別のトレントと戦っているロットと呼ばれていた赤髪の両手剣使いから叫びが上がる。そちらを見ると、振り下ろした両手剣とトレントの枝で鍔迫り合いをしていた。ギリギリと歯を食いしばるロットに助太刀をしようと思ったが、俺の方にも一体のトレントが迫ってくる。
「グモォォォォォォ!!」
「こいつら普通のやつより格段に強いから気を付けて!!」
本当はもっと色々言わなければならないことがあるのだが、そんな場合ではない。むしろ言ってしまった方が混乱させてしまうかもしれない。
だから今やるべきはすぐにでも取り巻きを倒して包囲を突破し、撤退することだ。撤退できる内に。
目の前のトレントの振り回す枝を躱しながら、短刀を振りかざす。枝を切り落とし、飛ばしてくる葉を避け、返す刀で幹を斬り付ける。トレントは一向に捕まらない俺に業を煮やしてか、苛立った叫び声を上げて突進してくるがそれもステップで避ける。
普通、トレントは鈍足だ。葉を刃のように飛ばしてきたり、枝を振り回してきたりと攻撃方法は意外に豊富ではあるが、基本的な動きは遅く、小回りが利かない。
そう普通のトレントは、だ。
「きゃ!?」
「セレナ!!」
俺の右後方にいた弓使いの叫び声が響き渡る。視線の先を見ると、パーティのもう一人の女性である杖を持ったセレナと呼ばれた女性がトレントの突進をくらって吹き飛んでいる所だった。
尻餅をついたセレナがそのまま追い打ちの幹の叩きつけを食らう……と思われたその時、パーティメンバーの一人が助けに入る。間に割り込んで槍で叩きつけを受けた。
「くっそ……鬱陶しいな!こいつら普通のトレントと動きが全然違う!」
「ごめんなさい。ありがとう!」
「気にすんな。多少強いだろうが所詮トレントだろ!攻撃パターンは頭に入ってるから大丈……夫」
鍔迫り合いを続ける槍使いに礼を言う女性。それに応じながら強気な笑みを受かべる槍使いの言葉はしかし、不自然に途切れる。
「……え?」
「……は?」
セレナが目の前の光景に目を見開き片手で口を塞ぐ。それに続いてセレナが見つめる先を槍使いも追い、素っ頓狂な声を上げる。
その視線の先―――地中から飛び出た人の腕ほどもある枝が貫通している自身の脇腹を。
「……なん…で……知らな……」
ずるりと。生き血を啜った枝が体を通り抜ける音がする。
目の前の光景が信じられないという顔。限界まで見開かれた瞳がぐるりと回る。からん、と持っていた槍が地面に転がり、赤黒い血を口から吐いて崩れ落ちる。
「ジャミルさん!!」
悲鳴じみた叫び声を上げ、倒れた槍使い……ジャミルに駆け寄るセレナ。
心臓がどくんと高鳴る。頭からつま先まで、全身の血液が冷えて固まったような感覚。
だが、事態は待ってくれない。ジャミルと戦っていたやつとは別の個体がセレナを左から強襲する。
「これ以上は……!」
多少強引に攻撃を躱し、戦っていた目の前のトレントに短刀を突き入れる。くぐもった断末魔をあげて絶命したトレントを置き去りに全力でダッシュ。何とかセレナの前に出てトレントの攻撃を防ぐ。
「そこの槍使いの人を連れて下がって!」
「……わかりました!助かります!」
その声を背中に聞きつつ、二体のトレントと相対する。取り巻きは先ほど俺が一体倒したことによって残りは五体。戦線を離脱したジャミルとセレナ以外の二人と俺の三人でこれを抑えねばならない。
通常のトレントであったら可能であろう。先ほども言った通りトレントは動きが鈍いので攻撃パターンさえ頭に入れておけば一人で複数体相手取ることも難しくはない。
だが、今目の前にいる奴らは違う。普通のトレントよりも力も速さもはるかに上回り、攻撃方法も多彩である。それは先ほどジャミルに重傷を負わせた地中を伝った攻撃方法からもわかる。あんな攻撃はバロウのパーティの人達は見たことないだろう。
この違いはボスの取り巻きかそうではないか、などではない。偶々強い個体を引き当てた、とかでもない。
全て俺のせいである。
「くっそ!離せ……!」
近くからまたも悲鳴が聞こえる。二体の攻撃を捌きながらそちらを確認すると、ロットと呼ばれていた両手剣使いが、二体のトレントに囲まれ、鞭のような枝に体を絡み取られて締め付けられている。ぎちぎちと骨の軋む嫌な音が響く。
「ロット!……くッッ!どいてよ!!」
拘束を解こうとイリーナが弓を射るが、間に立つ残り一体のトレントがその身を盾として防ぐ。俺も進行方向上に常にどちらかのトレントが立ち、助けに行くのを邪魔してくる。
俺たちの人数を減らすための、明らかに統率の取れた動き。
「ぐあああ!!」
ロットが全力でもがくが、首に巻き付いた枝はびくともしない。やがて踏ん張っていた足が地面から離れ、声すらあげれぬ苦悶の表情となる。
「どいて!……どけよ!!」
「……が、…ぁぁぁ」
手足をばたつかせその肌が赤から青へ。酸素を求め開かれた口から絞りだされる声は既に言語としての意味をなしていない。イリーナが無我夢中で弓を射て、何本かが突き刺さるがトレント達は構わず締め付けを続ける。
そして、ごきりと。嫌な音が聞こえた。
ロットの枝を掴んでいた両手から力が抜け、ぷらんと重力に従う。空虚な音を立てて右手に挟んでいた剣が零れ落ちた。
「ロット……!?ロット!ロット!!」
空気を裂くように叫ぶイリーナ。しかし、その声は届かず、トレントはもう用はないと物言わぬ肉塊となった両手剣使いを投げ捨てる。
目の前で繰り広げられる惨状に息が詰まる。上手く呼吸ができずに脳裏に幾つもの場面がフラッシュバックし、足が止まりそうになる。
ダメだ、止まるな。後悔ではなく今何をすべきかを考えろ。でなければまた……。
無理やり思考を切り替える。俺は二体のトレントの枝の叩きつけを回避し、目と思われる窪みを切りつける。怯んだ隙に呆然としているイリーナの元へ駆けた。
「噓でしょ……ロットが…!」
「しっかり!とりあえず撤退しよう!バロウ達と合流して……」
「お前ら大丈夫か!」
呆然と虚空を見つめるイリーナに駆け寄るとちょうどギルもこちらに合流してきた。
「今バロウが何とか一人でボスの相手をしてる!俺が切り開くからとりあえず撤退するぞ!セレナ達はどこにいる!」
「その人ならあっちで槍使いの人を見て……」
と、指し示した先。そちらを見ると、ジャミルの傍らに蹲る長髪の女性が見える。
ただし……着ていたその白いローブを真っ赤に染め上げて。
「は?」
俺とギルの間の抜けたような声が重なる。思考が否応なく止まる。
見つめた先、セレナは全身に穴をあけ、仰向けに横たわったジャミルに重なるように倒れていた。そしてその横には、返り血を体に浴びた樹木の化け物。
先ほど数を減らしたはずの木の魔物―――六匹目のトレントは、その通常あるはずのない顔を悦に浸るように歪めた後、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
もう新しい個体が追加された?いくら何でも早すぎる。
ボスの取り巻きが復活するパターンはあり得る。倒しても本体となるボスを倒さない限り復活を続けるなんて場合もあるだろう。しかし、だとしても復活まである程度のインターバルがあるはずだ。
だが俺がさっきの個体を倒してからまだ一分も経っていない。
「!?」
そしてその惨状に言葉を発する前にまた新たな現象が起こる。
突如金属のこすれるような音があたりに鳴り響いた。
その音は天高くから頭上、そして俺たちの周りへ。聞き覚えのある音に血の気が一気に下がる。頭の中で意味もない警告が反響し、呼吸が止まる。
嘘だろ?このタイミングで?
全身が石のように固まる。足元から絶望感が這い上がり、焦燥が蛇のように体を巻き込み襲い掛かる。
「なんだこれ……鎖?」
隣から聞こえてくるギルの声が遥か遠くのものに聞こえる。
眼前に存在するのは赤い鎖。楕円状の環を繋ぎ合わせたそれは太さが人の身長を優に超え、長さは測ることもできないほど途方もない。まるで生き血を染み込ませたような赤銅色のその鎖は頭上でギャラララと鈍重な音を鳴らし高速で回転した後、俺たちがいる広場の外周に巻き付いた。
二重、三重と。まるで俺たちを逃がさないとでも言うように。
俺はこの現象を知っている。
何度も何度も経験してきた。だからこそ、この鎖が比喩表現ではなく本当に俺たちを逃がさないためのものであることも、今この瞬間からこの戦闘が絶対に逃げることのできないものとなったことも知っている。
「何よ……何よこれ……」
次々に襲い来る衝撃に茫然自失としたイリーナが弓を取りこぼす。言葉を失ったギルが呆然と周りを見渡す。
囲むのは六体のトレント。さらに奥にはそれを従える王。周囲には退路を防ぐ謎の鎖。周辺には血溜まりに沈む三人の仲間。
立ち尽くす二人を、目の前の惨状を見て、あらゆる感情が体を駆け巡る。
怒りが、後悔が、焦燥が、絶望が……無力感が。
……この世界には『スキル』というものが存在する。
例えば、《片手剣》や《短刀》といった武器カテゴリに対応するもの。これらはその武器の使用時に能力値にボーナスが与えられる。または、《剛力》、《毒耐性》といったようなステータスに直接影響を及ぼすようなものや《投擲》といったような特定の行動に補正がかかるものなど。
スキルは基本的にそのスキルの武器を使用したり特定の行動を繰り返すことで獲得することができ、使用することで熟練度が上がっていく。習熟と共に補正やステータスの上昇幅も大きくなっていく。
そんな中でごく稀に、敵の撃破によってスキルを獲得することが出来る時がある。
それは通常の攻略で倒すようなモンスターではまず起こり得ない。しかし、特別なモンスターを倒した時は話が別だ。例えば一回しか出現しない『ユニークモンスター』、そして―――そのステージのボスモンスター。
このような特別なモンスターの撃破時には、稀に特定のスキルを獲得する。
かくいう俺もそれであるスキルを手にした。
手にしてしまった。
俺は何度も見た自身のスキル欄から『あるスキル』の効果を思い出す。
怒りと憎しみと……絶望と共に何度も反芻したそのスキルの名を。
スキル名
《修羅の呪縛》
効果
・自身の全能力値、全耐性値上昇
・敵対するモンスターの強化
・敵から逃げることができない(確率で発動)