予期せぬ邂逅
翌日。俺は昨日も訪れた森に来ていた。【ルガードの森】と言われるここは、太陽の出ている内に来れば、陽光の射す神秘的な場所である。しかし、奥に行けば行くほど木の密度が増し日の光が入らなくなること、そして神秘的とはほど遠いモンスターが出現するということで立派な危険地帯となっていた。
拠点である【ルガー】から徒歩で三十分とちょっと。現地の住民から見せてもらった地図を見ると町から北に三キロほど進んでいる換算となる。
地図には【ルガー】を中心として、北にこの森、そして東には生活の要となる湖が存在する。西には草原エリアがあり、南には【ルガー】よりも小さい町や集落が点々としている。そしてその周りには……何も書かれていない。
いや書かれていないというより、書きようがないのだ。だって何もないのだ。町や村、森も湖すら何もない草原が延々と続いている。現地の住民が一度果てまで移動してみようとしたことがあるらしいのだが、不思議なことにどれだけ歩いても景色が変わらないらしい。
これはおそらくそれが俺たちの世界のゲームで言う『一ステージ』のマップの端なのである。少し言及したがこのゲームにはステージの概念がある。いやこの世界の言い方に則ると『塔』という言い方になるのか。
俺はメニュー画面からある欄……『ステージ』と書いてある欄をタップする。するとウィンドウにステージ名、そのクリア条件、そしてこのゲームの”クリア条件”が書いてあるのが確認できる。
ここのステージ名は『新緑の塔』、クリア条件は『ボスのクリア』となっている。この『……の塔』という名称は俺やバロウが今までクリアしてきたステージ全てに共通しているので、俺たちはステージのことを塔と呼んだりもしている。
しかし、塔と言っても別に構造が縦長であったり、階段があったりするわけではない。むしろ壁も天井もなければ、見渡す景色も検討がつかないほど広い。なんなら空もあるし、太陽もしっかり登っている。よってここが塔の内部とも思えないし、かといって中に塔らしきものがあるわけでもない。だからこのステージの何が『塔』なのかはわからない。
ステージの大きさはまちまちで環境や時代も異なっているため、ステージによってはとても同じ世界だとは思えない光景が広がっている。
例えば現在いるこのステージのコンセプトはおそらく森と草原。『新緑の塔』と銘打ってある通り、豊かな自然と穏やかな気候も相まってとても過ごしやすい場所となっているが、俺のいた前のステージは全く違う様相を呈していた。
共通しているのはそのステージには主となる『ボス』が存在すること。そしてそのボスを倒さない限り、別のステージにはいけないということ、の二点だ。この点においては今までいたどのステージも同じであった。
柔らかな木漏れ日が射す道を歩く。気候は穏やかで暖かく、風も吹いていない。時折小鳥の囀りまで聞こえるとなると本当にここが凶暴なモンスターのいる森とは思えない。
【ルガードの森】は亜熱帯で見かけるような密林ではなく、照葉樹林に似たような光の射す、軽く明るい森である。陽の光を浴びた広葉樹が艶やかに光沢を持つその姿は、ゲームと言われているこの世界とはあまりにもかけ離れている。
だが事実としてこの世界が現実とは別のものであるということは、もう既にわかりきっている。あらゆる要素がこの世界を俺が前過ごしていた現実世界と同じであるということを否定してくるからだ。
その一つにこの世界の人間が明らかに二種類いるということがある。
この世界には二種類の人間が存在する。
それは単純明快、連れてこられたものか、この世界に元々いたものか、の違いである。
前者は俺やバロウのようなもの――この世界がゲームを模したものであることに因んでプレイヤーと呼称している――で後者が元々この世界で生きていた人々、昨晩町で声をかけられた八百屋の店主のような人々である。後者の人々は、俺たちの世界で言うとノンプレイヤーキャラクター、NPCといったところだろうか。
だが、実際に触れあってみると、俺たちが知っていたゲームのNPCだとは思えないのだ。
俺が知っているゲームのNPCというのは決められた台詞、行動を繰り返すだけのただのプログラムだ。しかし、この世界の人々は俺たちと同じように笑い、泣き、怒る。意思も感情も周りの人々との関係性も存在し、その在り方は俺たちと変わりがない。
異なっている点は主に三つ。
一つ目はメニュー画面が開けないこと。
俺たちがこの世界で当たり前にやっていることの一つ。メニュー画面を開いてのステータスの確認やアイテムの取りだしがここにいる人々にはできない。そもそもとしてメニュー画面が存在しないのだ。
二つ目にステージの移動が行えないこと。これに関しては俺は確認していないが、バロウがそう言っていた。前のステージを攻略したときにNPCがステージ間の移動を行おうとしたのだが、何故かプレイヤー以外は弾かれたらしい。
そして最後は、攻略を行わないこと。いや正確には攻略を手助けしてくれるNPCは存在するが、あくまで手助けの範囲であり、その大部分はプレイヤーが行う必要がある。行わない理由というのはそのステージによって様々ある。NPCのレベルが低すぎたり、そもそもNPCがいなかったり、後は攻略対象のダンジョン、今回で言うとこの【ルガードの森】に何らかの力が働いては入れなかったり。理由はまちまちであるが攻略をしないというのは共通している。
―――誰かからまるで自分たちでクリアしろと言われているかのように。
このような特徴があるためプレイヤーはNPC達に『加護持ち』と呼ばれている。どうやらNPC達にとっては、俺たちは自分たちをステージに閉じ込めたボスから解放してくれる、神からの加護を受けたもの、といったものらしい。
俺は腰にいつもの短刀を装備し、昨日と同じ道を辿る。途中で出てくるモンスター――《ゴブリン》や木の形をした化け物である《トレント》――を倒しながら進むと、やがて《ゴブリンリーダー》と戦った開けた場所についた。
広場は昨日の戦いなどなかったように静寂に包まれていたが、倒れた木々や折れた枝、数々の血痕が激闘を物語っている。
おそらく俺が昨日戦った相手である《ゴブリンリーダー》は中ボスのようなものだ。ステージのクリアには直接関係はないが、その道中に出現する強めの敵である。このような敵がいることからもこの森にボスがいることはほぼ確実である。
広場を過ぎて少し進むと、進んできた道よりも二倍の太さほどの広めの道に出る。周りを見渡してみると、俺が辿ってきたような細い道が他にも何個かあり太い道に合流している。まあ道と言っても森の中で多少植物が生えていない部分というだけだが。
とりあえず森の奥へ続く太い道の先へ進む。するとまた先ほどよりも大きな、木の生えていない広場のようなものが見えてきた。広場の周りは人の身長を優に超える大きさと太さの木に囲まれている。しかし、木は一周ぐるりと設置されているわけではなく、こちら側にだけ半円状に二十本程存在しているため、少し奇妙な印象を受けた。
広場の入口の少し前に俺は立ち止まると慎重に中を伺う。中は今までと変わらずただの土や背の低い植物だけの空間であるが、明らかに何かあるとしか思えない。まだ森の深奥ではないのでボスではないと思うが、昨日のような中ボス的な立ち位置のボスかもしれない。
何はともあれ慎重に行こうと、自分の装備を確かめた後、ゆっくりと足を踏み入れる。
一歩。二歩。気を張りつめて、周りを見渡しながら足を進める。
三歩、四歩、五歩、とそろそろ何か起こっても不思議じゃないと思い始めたその時、右手から物音が聞こえた。
「!?」
慌てて短刀を構えつつそちらを向くと、そこにいたのは男女複数人のパーティ。一瞬人型のボスが頭によぎったが一番先頭にいるのは見覚えのある黒髪を見て、警戒を解く。あちらもかなり警戒してたのであろう、身の丈ほどもある大剣を俺の方に構えて目を瞬かせている。
「あれ?リヒトじゃねえか」
「バロウか、びっくりした」
「それはこっちの台詞だ。何かそれっぽい広場があるからボスでも出てくると思ったぞ」
大剣を背中の鞘に納刀しつつ、片手を挙げ声をかけてきたのはバロウ。今日も短髪の偉丈夫はそのしっかりとした体に似合わない人懐っこい笑みを浮かべている。昨日と違う点としては、服が赤茶色の戦闘用のものとなっているもの、そして今しがた構えていた人の大きさほどの長さもある大剣を背中にさしていることであろうか。
後ろには昨日も見たパーティメンバーが控えている。どうやらバロウの他に男性三人女性二人の合計六人のパーティのようだ。
バロウが入ってきた道は俺のものとは違うため、この広場に合流するような構造になっていたのだろう。
「おはよ、朝早いね」
「お前もな。攻略中に合うのは初めてか?」
「そうかも、と言っても俺は昨日倒したやつの先の道に来ただけだから今日はまだ何もしてないけど」
「おーそれなら俺らと同じだな」
な、とバロウは後ろのメンバーに首を向ける。それに対し、パーティメンバーが頷きを返すとその中から一人、金髪の青年がこちらに歩いてきた。年は大学生くらいであろうか、右手に片手剣、左手に人の顔ほどの大きさの盾を装備している。
「バロウ、そいつって……」
「少し前にこの塔にやってきたリヒトだ。ちょくちょく顔は見かけてるだろ?」
「あーいつだかお前が拾ってきた少年か。俺は"ギル"。よろしく」
そうして目の前にやってきた青年……ギルは、表情によってはきつめに見えるであろう顔を少し崩して話しかけてくる。
「よろしくお願いします。リヒトです」
「タメでいいぜ?俺バロウよりも年下だし」
「なんか初対面で年上にため口は悪い気が……。バロウも最初敬語だったし」
「んじゃそんな感じの徐々に外していく感じで頼むわ」
というかもう外れてるしな、そう気さくに笑いかけてくるギルに俺は少し焦る。いや、仲良くしてもらうのは構わないのだが、この状況がまずい。具体的には攻略中、それもこれから攻略を開始する、といった状況が、だ。この状況だとまず間違いなく俺が危惧している事態が起こってしまうから何とかすぐに別れないといけない。
だが、俺の願いも虚しくギルはきょろきょろと周りを見渡すと、
「そういえばリヒトは一人なのか?」
疑問を浮かべ、そう聞いてきた。
「……うん」
「それ危険じゃないか……?今何歳?」
「確か十五かな」
「確かってなんだよ。ってことはまだ高校生とかなのか。それで一人で攻略って危なくないのか?」
「んー。まあ慣れてるから大丈夫」
「って言ってもな……。もしあれならうちのパーティ入るか?」
来た。これが怖かったのだ。
その言葉に俺は沈黙し、隣で聞いていたバロウもじっと俺の方を見つめた。
パーティへの誘いを受けるのはこれが初めてではない。むしろ今まで何度もバロウから誘いが来ている。だが、その悉くを俺はやんわりと断ってきた。純粋に俺を心配して誘ってきているバロウには悪いと思っていたが、ある理由からそうするしかなかった。そんなことを続けている内に何か事情があると悟ったのであろうバロウは、あまりそういう誘いをかけてこなくなった。
「……なんか都合悪かったか?」
そういった経緯を知らなかったギルであったが、俺とバロウの沈黙から何かを読み取ったのであろう、少し心配な顔をして覗き込んでくる。
「いやそういう訳じゃないけど……。今までほとんど複数人でパーティ組んだことないから一人の方が動きやすいんだよね」
「だとしたら慣れるべきだぜ。一人よりもパーティの方が確実に心強いしな」
「それはわかってるんだけど……」
「リヒト」
どう断ろうかと思案していると突然バロウが名前を呼んでくる。その声に振り向くと今までの表情よりも真剣さを増したそれでバロウがこちらを見ていた。
「お前が何かパーティを組みたくない事情があるのはわかってる。それが俺たちと関わりたくないっていうような単純じゃないものだってことも」
「……」
「だが、だからといってずっと一人で行かせるわけにはいかない。特にこの先ボスが待ち構えてるんだ。今まで一人で何とかなってきたのかもしれないが、これからは敵も強くなって個人でどうにかできる範囲を超えてくるかもしれない。だから……パーティに入れ」
今まで一度も言われてこなかった勧誘ではなく強制のような強い言葉。そう言ったバロウの瞳は真剣で、本当に俺のことを考えてくれていることがわかった。おそらく自分の方が年上だからこその責任感のようなものもあるのだろうが、その大部分はバロウという男本来の性格、優しさに由来している。
だからこそ、胸にちくりとした痛みが走る。
俺は別に集団行動が苦手だとか、人と関わるのが嫌いだとかそんなことは思っていない。まあコミュニケーション能力が高いかと言われたら首を捻らざるを得ないが、過度に苦手だと思ったこともない。ただ、今コンビを、パーティを組めと言われたらそれはできない。
好みとか戦力とか性格とか、そんな話じゃない。問題はそんなところではないのだ。
だから申し訳ないと思いつつも丁重に断ろうと言葉を選んでいたその時。
突如あたりから地響きが鳴り響いた。
「なんだ!?」
波のように揺れる地面と突然の地鳴りにギルが叫ぶ。付近の樹木が激しく梢を揺らし、植物がその葉や花弁を散らす。突然起こる現実世界では味わったことのないレベルの地響きに、俺もバロウのパーティも体勢を崩さないように必死に踏ん張る。
これはなんだ。なにかのイベントか?
俺は振動する地面に踏ん張りながらも何とか周りを見渡すと、目の前に奇妙な光景が見えた。
「なんだあれ……?」
広場の奥にある一際大きい大樹。周りを囲む木の中でも一際目立つその大樹が回っていた。
樹が回る、とは意味がわからないかもしれないが、その表現が正しいのだから仕方がない。目の前の光景はそのありえない事象を肯定し続ける。呆気にとられる俺たちに構わず、大樹は大きく揺れを伴い地面を中心として時計回りに回転を続ける。
そして揺れが収まり、ゆっくりと樹が回り終えた時、それはその姿を俺たちに表した。
直径二メートル以上もあるだろう、巨大な樹木の幹の表面には暗い空洞ができていた。
樹冠のすぐ下あたりの幹にアーモンド形の穴が二つ。その少し下にそれよりも大きな、割れた西瓜のようなものが一つ。穴は暗く、輪郭は鋸のようにギザギザとしている。その穴の配置は見た誰もが連想するであろう、人の形を模倣していると。
人の顔の穴が開いた木。それはこの森に入ったものならば何回も見ているだろう。というのも《トレント》という同じ木のモンスターがそこかしこに存在するからだ。俺もおそらくバロウ達も戦った経験がある。
しかし、これだけの大きさの《トレント》は見たことがない。通常のトレントが精々大きくても高さ二メートル程度なのに対してこちらは優にその三倍以上はある。ということは間違いなく……
《キング・トレント》
半ば予想していたが、目の前のモンスターの頭上に普通の《トレント》よりも格上……王を冠するネームがついている。しかも、
「嘘だろ……ボスだと?」
バロウが驚愕の声と共に目を見開く。示されている固有名のウィンドウは通常の青色の物ではなく、黒色のもの―――つまりその塔のボスであることを示していたからだ。
「どういうことだ……なんでこのタイミングでボスが?出るとしても広場に入った瞬間じゃないのか?」
ギルの疑問は最もだ。
通常、ボスには自身の領域があり、そこに入った瞬間出現する。しかし、今回は広場に入って特に移動もしていないのに、何故……?
「グダグダ考えるのは後だ!来るぞ!」
しかし、そんなことを考えている暇はないとバロウが叫ぶ。
異形の大樹が人ではない呻き声をあげて動き出す。