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夢幻の塔  作者: ねぴあ
【新緑の塔】
1/19

違う世界

 耳をつんざくような音が辺りに響いた。無機質な音として処理するには感情を伴いすぎているそれは、現代社会を生きてきた者にとっては聞き覚えのないものであろう。というのも甲高く、心を掻き乱すようなその音、いや声は、俗に言う断末魔と言われるものであるからだ。

 しかしそんな聞き触りのなかった音も今ではもう聞きなれてしまった。そしてその声を発する人間…いや怪物にも。

 緑色の肌に血走った赤い瞳。手足に生える爪は長く鋭い。小学生くらいの身長に醜悪な顔を持つそれは、RPG(ロールプレイングゲーム)でよく見る怪物…《ゴブリン》である。


『ぎ…ギィィ…』


 眼前のゴブリンは絞り出すような呻き声を出しながら、胸に突き刺さった短刀を抜こうと両手を動かす。しかし、俺はその前に突き刺した短刀を勢い良く切り払った。ぐらん、とゴブリンの体が重力に負けて傾く。それと同時、獣のような怒りを灯した瞳の焦点が外れ、赤色の血しぶきを伴って地面に沈んだ。


 それを横目に、俺は右手を人差し指の形にしてあるイメージをした。自分の指先にある画面が出てくるイメージ。するとイメージ通りに、右手の前にまるでゲームのメニュー画面のようなウィンドウが表示された。『ステージ』『アイテム』『ステータス』といったどこかで見たようなことのある欄の数々。


 俺はメニュー画面からアイテム欄を開き、【投げナイフ】をタップ。左手に刃渡り数センチほどの小さな投げナイフが生成される。それらをこちらに突進してくるゴブリンの一体に投擲。ナイフはゴブリンの額に命中し、俺は怯んだそいつに突っ込み、右手に持つ短刀ですれ違い様に首を落とす。そしてまたすぐに走り始めた。


 足は止めない。理由は単純明快、止めたら死ぬからだ。

 目の前に広がるのはゴブリンの群れ。数は二十程。大体が百四十センチ程の大きさであるが、一匹だけリーダーであろう、二メートル近くの個体がいる。

 ゴブリンの上にはそれぞれ三角柱型の赤いカーソルが存在しており、そこに注目すると《ゴブリン》という種族名が表示される。

 棍棒を片手に突進してきた一匹の大振りを躱し、首を落とす。続けて拾ったであろうボロボロのナイフを使って攻撃してきた個体の一撃は短刀を使って受け流した後、両足を切断する。最後に殴りかかってきたやつは後ろを取って、背中から短刀を突き刺した。


 三つの断末魔が響く中、また俺は走る。

対集団戦で最も恐れることは囲まれることだ。囲まれたらそこで全てが終わる。

故に走る。囲まれる前に一撃離脱をして数を減らす。幸い足はこっちの方が圧倒的に早い様で、ゴブリン達はこちらの動きを目で追えていない。

 すると、業を煮やしたのか今まで集団の真ん中にいた一際大きい個体が前に出てくる。個体名は《ゴブリンリーダー》。右手に持つ人の頭身ほどもある巨大な棍棒を構えてこちらに全力で走ってきた。二メートルほどもある歩幅だと、さすがに手下のゴブリンよりも突進のスピードは数倍速い。恐らく俺よりは遅いが逃げることはできない。

 そう、逃げられないのだ。自分の方が足が速いのにも関わらず、だ。それはこいつを倒すことによる報酬などが理由ではなく、背中に守るものがいるわけでもない。勿論、男たるもの背中を向けられないとかそんな心情があるわけでもない。


 文字通り逃げることができないのだ。


「……本当に嫌になる」


呟き、俺は短刀を構えた。


***


 返り血で汚れた装備に身を包む体を引きずりながら歩く。既に時刻は八時を過ぎており、夜の帳が下りている。”こんな世界”だというのに、動き続けた体の節々は溜まった疲れに悲鳴を上げており、手足は重しがついたように動きが鈍い。

 暗く、地面に沈み込んでしまいそうなほどの闇に包まれた空を見上げる。


 この世界に来てからもうどれくらいが経過しただろうか。自身の時間感覚に支障をきたしていなければ、半年も経っていない頃だと思うが、カレンダーなんてものは今のところ確認していないので定かではない。

 ただ、この「ゲームのようなもの」の始まりは覚えている。


 その日は外に出た瞬間、顔を顰めるほど日差しの強い日だった。いい加減新しく入った高校にも慣れ、蝉の鳴き声もちらほらと聞こえ始めた頃。


 本格さを増してきた暑さにうんざりしながら登校し、クラスメイトと挨拶を交わす。一時間目の数学の時間には欠伸を噛み殺しながら、やけに厳しい教師の数式の解説を惰性でノートに写し、昼過ぎに受けたおっとりとした古文担当の高齢の教師の時には夢の世界へと旅立つ。チャイムが鳴り、授業を終えると意気揚々と部活動へと赴く友人を横目に荷物をまとめて帰る支度をする。帰宅後は、溜まっていた家事と、日課となり始めたランニングを行った後、シャワーを浴び、夕飯。腹を満たした後は最近話題となっているニュースを見ながら、放置してしまっていた明日までの課題を解いた。そして明日の予定を考えながら、目覚ましをセットし布団に入る。


 特にこれといったイベントもなく、ただただ三年間ある高校生活の一幕。なんの変哲もない一日の終わり。そんな日だったことを覚えている。



 そしてそんないつもの日常を過ごした翌日、目が覚めた時に立っていたのは見覚えのない世界だった。


 見たことのない生物に見たことのない建物、そして感じたことのない感覚。ゲームでしか見たことのないような怪物、剣、魔法。そんな何もかもわからない世界の中に俺は気が付いたら存在していた。


 身にまとっていたのは着た覚えのない異国風の装束。右手には刃渡り十五センチ程の短刀。

 ここが夢ではないと気づいたのは、初めて会ったモンスターである巨大な蠍の尻尾に盛大に吹っ飛ばされた時。打たれた右手を走る痺れるような痛みを自覚したとき、浮ついていた体に俺自身が通ったような感覚を覚えた。そして目の前に迫る死を理解して、それを拒否するために我武者羅に戦った。最初の敵である蠍を命からがら殺して。次に出てきたでかい蜂は怯みながらも叩き切って。その次の見たことのないやせ細った狼のような獣には、嚙まれながらも何とか首を落として。

 そうしていく内にこの世界が『俺の知らない世界』だと理解した。

 

 知らない世界と曖昧な言い方をしたのには何個か理由がある。

 目が覚めてここが夢ではないと気づいた時。まず真っ先に疑ったのは、寝ている内に誘拐されて知らない土地に連れてこられた可能性。動機は謎すぎるので置いておくが、現実的に考えてこの可能性が一番起こりうると考えた。しかし、この考えはしばらくこの世界で過ごした後、否定されることとなる。


 俺は指先を掲げ、メニュー画面を出現させると『アイテム』の欄をタップ。そこからスクロールしてお目当ての物を選択すると、どこからともなく皮革が出現する。俺は水筒替わりとなっているそれを右手に持つと一気に呷る。

 これだ。このメニュー画面の存在である。


 目が覚めてわけのわからないまま、黒光りする巨大蠍を死にかけながらも殺した後、俺は指先を掲げ、メニュー画面を出現させ、所持アイテムを確認した。

 そう、現在置かれた状況に混乱しながらも、これからどうするかを決めるために、現在使えるアイテムを確かめるために、メニューを開いたのだ。

 無意識に。

 それはまるで誰かがそうすればアイテムを確認できると勝手に俺の頭に刷り込んだように。


 巨大な蠍は俺が知らないだけでどこかに存在するかもしれない。人間大の蜂も、もしかしたら遺伝子組み換えやらで生み出している研究機関が世界のどこかにあるかもしれない。

 しかし、このメニュー画面の存在。そしてアイテムが自由に取りだされるという超能力じみた真似。しかもそれができると無意識に頭の中に刷り込むことができるというのはいささか現実味に欠けすぎていた。その上で、自身のステータスに応じて身体能力が上がるというのは、「現実世界の知らない場所にいる」という考えを否定するのには十分な根拠であった。


 夢ではない、そして「現実世界」でもありえないことが起こっている。

 この時点でもう考えるのが馬鹿らしくなってくるような事態ではあるが、現実は現実である。目の前で起こっていることがすべてだ。そして、そうすると次に浮かんでくるのは「ゲームの世界」「異世界」といったようなふわふわした、中学生の妄想のようなものだ。


 馬鹿らしいとは思う。思うが今見えている情報を整理したときに一番しっくりくるのはこれら、特に「ゲームの世界」という表現である。

 アイテムとかステータスとかいうお誂え向きの枠組みのメニュー画面。自身のスキルやパラメータとそれに乗っ取った技能、身体能力。そしてモンスターとその上に表示される名前。そして『ステージ』の欄に表示されているこのゲームの”クリア条件”。


 こんなのを見せられてその可能性を考えないという方が無理だろう。だから、俺は誘拐されて最新型のVRゲームの実験体にでもされたんじゃないかと本気で考えるようになっていた。今の技術でそんなことが可能であるとは思えないし、動機も不明ではあるが。他の可能性が思いつかないのだ。


 しかし一方で「ゲームの世界」というのを否定する材料もある。

 その最たるものがヒットポイントの存在がないということと、痛みや疲労の存在だ。

 ゲームならプレイヤーの生命力はよくあるヒットポイントといったように置き換えられ、それがゼロになれば死亡、ないしゲームオーバーとなる。しかし、この世界ではその概念はなく、死亡するときも現実と全く同じように死んでしまう。


 痛みや疲労もそうだ。現実で怪我をしたときと全く同じような痛みが、仕事を終えたときと同様の疲労が、体を襲う。


 もしこの世界が本当にゲームならば、操作しているアバターが攻撃を受けた時や戦った後に、現実の自分の神経に負担をかけるような仕組みを構築しているはずだ。しかし、今感じている疲労や痛みが現実でないとは思えないのだ。この痛みが偽物だなんてありえない。そう言い切れるレベルで精度が高いのだ。モンスターから傷を受けるたび、長時間の戦いを終えて帰路を急ぐたび、理屈ではなく本能が、この体は現実の自分の体そのままであると言っている。


 では結論は何なのかという話になるが……結局考えるだけ無駄だと諦めた。

考えてもその答えが合っているかわからないし、それを考えたとしてもこの状況が良くなるとは思えない。そして何より、考える暇などなかった(・・・・・・・・・)


 だから俺は「限りなく現実に近いゲームの世界」または「ゲームの要素が現実を侵食している世界」に「生身の体で連れてこられた」くらいの認識で収めている。いや、もうその時点で意味が分からないし現実的でもないが。


 正直、今の状況は、ゲーム好きな人だったり、そういったことに夢見がちな年頃の男子だったら、多少は心躍る可能性もあるかもしれない。憧れのゲームっぽい世界に入って、しかもこれ見よがしなレベルだったり魔法だったりに実際に触れつつ冒険ができるのだ。誰しもが描いたことのある夢でもある。


 しかし、それ以上に実際に命の危険があること、ゲームでは感じないはずの痛みがしっかりと存在していること、そして何より帰れないこと、ということだけでもマイナス方向に評価はぶっちぎる。大抵の人間はこんな状況に陥ったら元の世界に帰してくれと懇願するだろう。それこそ元の世界に未練のない物や死に場所を探しているような者以外は。



 月明かりくらいしか光のない森の中から抜け出してしばらく歩くと、現在拠点としている町が見えてくる。

 拠点となっている町の名前は【ルガー】。周りを草原と森林地帯に囲われている端から端まで三百メートルほどの小さな町であるが、中々どうして活気のある町だ。現に今も質素なアーチ形の門をくぐると既に日が落ちているにも関わらず、ちらほらと人が見える。特にこの街で最も栄えている半径十メートル程もある噴水を有する中央広場では未だにそこかしこで出店が開かれ、客引きの声が響いていた。


「お、リヒトじゃねえか」


「ん?」


 そんな喧騒の中、聞き覚えのある声が聞こえてきた。そちらを見ると、中央広場にある噴水の傍らで男女数人が集まっている。その中から一人の男がこちらに手を挙げて歩いてきた。


ぎょろっとした二重瞼に少し大きめだが高い鼻、さっぱりとした短髪。年の頃は二十代中盤から後半ぐらいであろうか、人好きのする笑みを浮かべている。

 男の”名”はバロウ。俺と同じくこの世界に連れてこられた人間である。


「森からの帰りか?」


 大きな体を揺らし軽く手を上げながら気安く話しかけてくる。百八十にも届くであろう身長とガタイの良さは、ともすれば相手に怖い印象を与えかねないが、この男の人柄のなせる業であろうか、出会ってしばらくたつがそんなことは一度も思ったことがない。


「うん。ちょっと今日は早いかもだけど」


「いやそうでもないだろ…いつもはもっと遅いのか?」


「あと一、二時間くらいは籠ってるかな」


「もうちょい早く帰れよ…今でも十分暗いのに」


「親みたいなこと言うね」


 そう心配そうに言うバロウについ苦笑する。本当に顔に似合わず面倒見の良いやつだ。

 バロウとあったのはちょうど二週間程前、俺が前のステージ(・・・・・)をクリアしてこのステージに入ったときだ。俺が右も左もわからなかったときに助けてもらってから、なんやかんやと交流が続いている。


 バロウは俺の言葉に、まだ親って年でもねえよと苦笑を返すと聞いてくる。


「そういえばそろそろこっちはボスにたどり着きそうだが……そっちはどうだ?」


「こっちもかな、感覚だけど」


「今日中ボスっぽいやつを倒したんだよな、でっけえ熊。そいつを倒した先に道があったから明日はその先に進もうと思ってる」


「俺も今日ちょっと厄介なゴブリンの集団倒したね」


「……そろそろボスにたどり着く。それもあってそろそろ協力して進めていきたいと思ってるんだが……」


 こちらを伺うように聞いてくるバロウ。どこか遠慮がちなその声色に少しばつの悪い思いを感じながらも俺は言葉を返す。


「……ん、そうだね。とりあえずボス見たらお互い一度引いて情報共有しよう」


「……わかった。一人で突っ込むんじゃねえぞ?」


 そう窘めるバロウにさすがにしないよ、と苦笑する。それを見てバロウは頷くと、自分のパーティメンバーの元に帰っていった。


 その後ろ姿をなんともなしに見送っていると、右手から何かが飛んできた。慌てて右手でキャッチするとそれはこぶし大で真っ赤な丸い果実……林檎である。

 疑問の表情を浮かべながら飛んできた方向を見ると、おそらく区分としては八百屋であろう、果物や野菜を打っている出店の店主が快活な笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「よう坊主。今日もお勤めご苦労さん。それはサービスだ」


「ありがと。でもお勤めっていうとどっちかというとおじさんの方だと思うけど?」


「俺はただ客と楽しくお喋りしてるだけだっての。それよりも危険なモンスター共を狩ってくれるお前ら『加護持ち』の方が百倍勤労してるっての。他にもなんか欲しい物あるか?」

 『加護持ち』。最近ではもう言われなれてきたその言葉は、しかし、あまり好きではない。だがこのにこやかな笑みを浮かべて言うおじさんを見てわかるように、言っている側に悪意がないのは明らかだ。だから俺は、


「……いや大丈夫。あんまりサービスしすぎると奥さんに怒られるよ?」


 度々気前の良すぎる振舞いを奥さんに叱られている店主にそう言うと、「それは勘弁」とこれまたにやりとした表情と共に呟いた。


 それこそ俺たち”プレイヤー”と全く変わらない笑みで。




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