なんで僕はここにいる?
ルネはなぜか地面と顔が近いことを不思議に思った。身体は泥だらけでマントも服も全て濡れていて不快だ。それ以外の状況が分からなかった。
体がまったく動かない。目線しか動かせない。周りを見渡すと、さっきまで乗っていた馬車が無惨な姿で近くにあった。馬は2頭居た気がするが、1頭は近くで横たわってるし、もう1頭は姿が見えない。
もっと周りを(といっても見える範囲だけ)よく見ると、木々が立ち並び、日差しはまったく入り込みそうに無い程、霧がかかっていた。
ルネは考えた。なぜこうなったのか、と。考えているうちに体の体温が失われたいく感覚に襲われた。「あー、昨日の護符屋でケチるのではなかった」と何となく思った。瞼が重くなってきたころ、誰かがこちらにきた。目がもう開かないから、よく見えない。鹿か?逃げた馬?それとも、狼?誰でもいいけど、痛くしないでほしい。
「お前、、、そこで寝てんの?それ、楽しくてやってる?」
拍子抜けな質問を投げかけられて、近くにいるのが人だと分かった。ただ、その拍子抜けっぷりに呆れたと思ったら、そこから何も分からなくなった。
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ルネは背中の痛みを感じた。まるで、木の枝を並べた上に寝かされているようだった。無意識に唸り声が出てしまう。寝返りを打ちたいが、打とうにも体がまだ動かない。ヌゥヌゥ唸っていると、また誰かが近くに来た気配があった。
「ありゃー、俺のベッドじゃやっぱ寝心地悪いかね」
ボソボソ喋りながら、そいつはどっかに行って、戻ってきた。
「はい、ちょっと転がしますよー」
体を左に向けさせられた。二の腕が痛い。なんで、体が動かないんだ。イライラしかしない。
「んー、これでまだマシだろ!はい、終わったから戻すぞー」
また体が仰向けにされる。背中に何か敷いてくれたらしい。痛みが和らいだのを感じた。
「はいはい、ちょっと意識があるなら、これ飲んでまた寝ろ」
口元に急須の口のようなものを当てがわれた。何とか口を開くと、そいつはゆっくりと液体を注ぎ込んでくる。…とてつもなく甘くて苦い。平たくいうと不味い。毒でも飲まされているのか。とりあえず飲むしかないので、なすがままに飲みこむ。
「不味いよなぁ、これ。まぁ飲まねえとずっとこのままだから、我慢してくれな」
コップいっぱい程度の量だっただろうか。急須の中身が空となったと見える。そいつは急須をひっこめて、ルネの体に何か被せ、どこかに行ってしまった。
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それから、どの位だったのだろう。ルネは目を開けた。まず最初に目に入ったのは、眩しいばかりの光だった。思わず目を細める。しばらくして、目が慣れてきた時に見えたのは木の丸太を何本も並べたような天井だった。
息をとりあえず思いっきり吸ってみる。肺が膨らむのが分かった。次に腕を持ち上げ、両の手を目の前にかざす。腕が動き、手の自由があることが分かった。
次に上半身を起こそうとしたが、左脚に痛みを感じて、起き上がるのをやめた。でも、起き上がりたい…。起きあがろうとして痛くてやめてを繰り返していると、扉の開く音がした。
「お?起きた?」
声の方向に目を向けると、男が立っていた。
ルネは宮中お抱えの魔術研究者である。魔術を使うことはもちろんできるが、どちらかというと周りから見れば役に立たなさそうな護符・呪文・魔道具を調べることに執着している、「魔術オタク」だ。あまり背は高くなく、メガネは瓶底のように分厚いし、身体は鶏ガラのようであった。
そんなルネから見ると男の風貌は正反対だった。背は高く、顔は鷲のように鋭いイメージを感じるし、そこらの熊が襲ってきても組み伏せてしまいそうな身体をしていた。そんな男はルネを見て、笑いかける。
「目が覚めてよかったな。正直助からなさそうだったから、どっか景色のいいところに埋めてやるかと考えてたわ。」
さらりと恐ろしいことを言う。景色のいいところが墓になるのは嬉しいが、それ以前に死にたくはない、とルネは思った。
「あ、起き上がりたいよな?待ってろ、背もたれになりそうなもん持ってくるから」
男はまた部屋を出た。ルネはまだ頭がぼーっとしていたが、何だかお世話になってしまっていることは分かった。今日は何日なのだろうか。程なくして、男は大きな狼の皮のようなものを丸太のように丸めて持ってきた。
「はい、体起こしますよー。痛いところはないですかー。」
男がそう言いながら、ルネの背中に腕を差し込み、上半身を起こしてくる。痛いところ?あるに決まってるだろう、とルネは眉間に皺を寄せながらなすがままに起こされた。男はルネの背中に先ほどの皮の丸太を差し込んだ。背もたれを作ってくれたようである。そして、ルネは初めて自分の両脚を眺めた。そして驚愕した。脚は木の枝が添えられ、布でぐるぐる巻きにされていたのだ。…しかも、両脚とも。
ショックから声を出さずにじっと自分の脚を眺めるルネを見て、男が口を開いた。
「驚くよな。でも、俺の方が驚いたぜ。お前両脚変な方向に向いたまま、森の中で寝っ転がってたんだもん。」
好きで寝っ転がっていたわけではない!と思いつつ、ルネは自分が重傷を負っていることが分かった。男の目をじっと見た。体つきがしっかりしているので気がつかなかったが、目尻には皺があり、あまり年若い人ではないことがうかがえた。目は明るい空のような色をしている。目尻がぐっと下がったかと思うと、男は爆笑し始めた。
「あー、ダメダメ。お前、そんなじっと見るなよ。笑っちゃうだろう。タダでさえ見た時のお前の姿もお笑いものだったのに、次はそんなに見つめてくるなんて…。もう!何よアンタ!」
歓楽街にいる化粧が濃ゆい男娼のような口調で男は茶化してくる。あまりの似合わなさに、ルネの眉間のシワは更に深みを増した。
「そんな難しい顔をするなよー。ほら、笑わねぇと治るもんも治んないぞ…って、あ!お前スープ食う?食うよな?!持ってきてやるよ!!」
畳み掛けるように男は1人でベラベラ喋ると、慌ただしく隣の部屋に移動していった。すぐに戻ってきたかと思うと、両手には木の器を持ち、右の脇には長いパンのようなものを抱えていた。
「ほーら、ぼっちゃま。ご飯ですよー。今日はお肉ゴロゴロスープと、たぶん都会で流行ってるパンですよー。」
ルネに木の器が渡される。中には肉と芋、なにか葉野菜が入った透明なスープが入っていた。表面には薄く脂が浮いていて、温かな湯気がルネの鼻先に纏わりついた。
「はい、匙!ほれ、パン!」
木の匙と薄く切られたパンが両太ももの上に置かれる。どうも、とお礼を言いかけたが、喉が張り付いて声が出ない。
「何してんだよ、早く食え!せっかく温めておいたんだからあったかい内に食べてくれよ」
男は食事前の祈りもせずに、スープをかきこみ、パンを切りもせず食いちぎるようにして食べている。ルネは恐る恐る、スープを口にした。スープは肉や野菜の旨味があり、程よく温かかった。口から喉を通り、胃の中に落ちていくのが分かった。パンの方は自宅でよく口にする味だった。ここは街の近くだろうか。でも、そんなところに森なんかあっただろうか。考え方をしつつ、ルネはスープを啜り続ける。肉は干し肉を戻したものだろう。筋を感じはするが、時間をかけて煮たことがわかるくらい柔らかかった。
「いやぁ、変なもんを拾ったがそれ以上に食べ物が手に入ってよかったわ。最近鹿に嫌われてるのか、狩の方はさっぱりだし、ここらはベリーくらいしかないし、畑もそんなに物がなくてなー」
男はひたすらに1人で喋る。聞いているままなのもウンザリしてきたし、スープで喉も温まったので、ルネはお礼を述べた。
「あの…助けていただいてありがとうございます…」
「お?!お前喋れたのかよ、早く喋れよー。口がきけないのかと思って喋り倒したじゃんよ。」
「え、ああ、すみません…スープのおかげで声が出せるようになりましたもんで…」
「そうかいそうかい!いやぁ、俺の腕も大したもんだろう、よかったわ」
男はそういうと豪快に笑う。ルネの職場にはいないタイプの人間だ。悪い人ではなさそうだ。ルネは男に自分の状況を聞いた。
「え?お前?だから、さっきも言った通りだって。森の中が騒がしい気がして、うろついてたら、森のぬかるみの中にお前がさ、やんちゃな子どもに投げ捨てられた人形みたいに落ちてたんだよ。驚いて思わず好きでやってるやつか?とも思ったけどさ、お前の周りには荷物だとか荷車の残骸が散らばってるし、馬は倒れてるしで、あ、こいつ下手こいたなってわかったわけよ」
男の身振り手振りは激しい。聞いてて目までうるさい。
「でさ!あー、こいつこのままだと死ぬな、って思ったから俺が家まで運んで看病してやってるってわけ。いや、お前運よかったよ。身も軽かったから、運ぶの楽だったしさ!」
ガハハ、と男は笑う。どうやら、ルネは移動中にどこかから落ちて、怪我をして瀕死のところを助けてくれたらしい。男の話し方がうるさくてイラつく反面、自分の命が危うかったことを知って、ルネは肝が冷える思いをした。
「ありがとうございます…。実はあまり何があったか自分でも分かってないのですが、あなたに助けてもらって今があることはよく分かりました」
「そうだよ、俺のおかげだよ!っていいたいところだけど、まぁいい拾い物をたくさんさせてもらったし、まぁいいってことよ」
「へぇ、それはよかったですね。何を拾ったのですか?」
「え?肉とかパンとか、まぁ食いもんだな!さっきのスープはお前の周りに落ちてたものとウチにあるもんで作ったんだけどさ」
あー、パンが食べ慣れた味なのは僕が持ってきたやつだったからか、なるほどなるほど…ではない!
「えっ、食べちゃったんですか?!僕の食糧!」
「お前、こっちは助けてやって付きっきりで看病してやったんだからそれくらいは頂いて当然だろうが。あ、肉は事故死してた馬。干し肉こさえたから、欲しかったら言えよ」
ルネは絶望した。事故をした上になけなしの研究費で揃えた諸々の品々を失っていた事実に。顔の血の気が引いていく。
「あの…僕の近くにアスタは落ちてませんでしたか…」
「あすた?あー、あの棒っきれか!待ってろ!」
アスタとは魔術を使う補助道具である。無くても魔術は使えるが魔力効率が非常に良くなるので、魔術を使うものにはマストアイテムなのだ。
「これだろ!ちゃーんと取っておいたさ!」
男は隣の部屋から布の包みを持ってきて、ルネに渡した。包みを開くと、そこには真っ二つに折れて芯が見えた状態のアスタがあった。
「ああああああああああ」
ルネはまた絶望した。アスタが折れたとなると非常に面倒である。どうしよう、マズイ。
「なんか面白い棒だったから取っておいたけど、やっぱ折れるとまずいものだったのか?」
「えぇ…僕のような軟弱魔術使いには致命傷に近いです…」
「直せないのかよ」
「直せなくはないですけど、材料が特殊なので修繕は絶望的です」
「絶望的って大袈裟な。何がいるか言ってみろよ」
言ったところでどうにかなるわけがないと思いつつも、ルネは顔をあげ、男をみた。どこから来るのかわからないが自信に満ち溢れている。
「あるかもしれないだろ?言ってみろよ」
男の自信の溢れっぷりに押されて、タジタジとルネは材料を言う。
「まず木はドライアドの細い枝が必要です…。芯は魔力の高い素材であれば何でも…これはアリアドネの髪の毛を束ねたものですけど」
「なるほどな。ドライアドとアリアドネか…」
うーん、と顎に手を添えて男は考え始める。仕草がわざとらしい。そして、ニヤッと笑うとルネを見て、
「なんとかなるぞ」
と、言った。裏がありそうである。
「なんとかしてやるからさ、代わりに…」
ほら、やっぱり裏がある。何を要求されるのか。金か?命か?それとも僕の貞操?何にせよ、何を言われるか恐ろしく感じて、ルネは生唾を飲んで尋ねた。
「その代わり…なんですか?」
男はニヤニヤしながら、こちらを見つめてくる。早く言ってほしい。
「お前、しばらくここに居て外の話を俺が満足するまで聞かせろ」
ルネはメガネをかけていないせいでぼやける視界の中、男の顔をよく見ようと目を見張った。男の顔は「何を言われるかドキドキしただろう」とこちらを見透かした、勝ち誇った表情だった。
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