第07話
再びいつもの静寂が戻った住宅街、しかし、以前の静寂とはちがって、悲しみであふれている。先ほどまで降っていた雨は、まるで嘘であったかのように上がり、空には美しい星空が広がっている。
「あ、葵…」
黒焦げになった、何かをじっとみつめている葵。先ほどまでの戦いを知っているものならば、その黒いものが ‘ぐーちゃんとぴーちゃんであった何か‘ とすぐに分かるだろう。声をかけた冬樹だが、続く言葉が出てこない。ぐーちゃんとぴーちゃんのことを葵がどれほど大切にしていたか知っている冬樹にとって、その光景は心がえぐられるものだった。
「葵さん…」
天然を具現化したような紅葉でもさすがに、目の前の光景のあまりの悲惨さに、葵にかける言葉が見つからないらしい。あたりに流れる、微妙な空気。そこにいるものは、あまりの居心地の悪さにうずうずしてしまうだろう。咄嗟に冬樹は、
「とりあえず救急車だ。俺の腕もこんな感じだし、二人も大事をとって診てもらった方がいい」
「そっ、そうですね~。私、救急車に電話してきます~」
そういうと紅葉はそそくさと冬樹たちのもとを離れていった。
「葵、立てるか…」
左手を冬樹が差し出したが、葵はそれに応えることはなく、ただ小さく頷き、ぐーちゃんとぴーちゃんの亡骸を両手ですくい、優しく包み込んだ。遠くから、赤色灯の光と、けたたましいサイレンが冬樹たちの方へ近づいてきていた。
冬樹たちが病院に着くと、3人はバラバラに診察を受けることになった。幸い、葵と紅葉は軽いかすり傷で大きなけがはなく、日帰りで帰宅できることになった。一方の冬樹は、やはり利き手の右手の手首を骨折してしまっており、処置が必要となってしまった。経過観察と手術のため数日入院することになった冬樹を残し、葵と紅葉は冬樹の家で居候をすることとなったのだった。
数日後、冬樹は無事に退院した。今はなくなってしまった葵の家を横目に見ながら、冬樹は家に帰宅した。
「ただいま」
「おかえりなさい~、お勤めご苦労様でした~」
「いやいや、服役してたわけじゃないからね…。ところで…葵は?」
「それが…、私たちが病院から帰ってきた後からすぐに冬樹さんの部屋に引きこもってしまって、それからは一度も出てきてくれないし、お話をしようと声をかけても返事をしてくれなくて…。でっ、でも、ご飯はちゃんと食べてくれてるみたいなので」
「そうか…、ありがとうな紅葉さん」
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「葵さん、やっぱりでてこないですか~…?」
「あぁ…、ご飯を持っていくたびに声をかけてはみてるんだが、返事は…。でも、ご飯はちゃんと食べてくれてるから、ちょっとは安心だけどな…」
「そうですか…」
冬樹が退院し、帰宅してから数日後、冬樹の家のリビングでは、冬樹と紅葉がローテーブルを囲んでお茶をしていた。お茶をする二人の表情はとも暗く、こんなお茶会には参加したくない。冬樹が帰宅してから、葵が冬樹の部屋から出てくることは結局一度もなかった。
「葵さん、体調は大丈夫でしょうか~…。風邪とかひいてないですかね…」
あれ以来一度も葵の姿を見ることができていない冬樹は、どうとも答えることができず、目の前に置かれたティーカップの中のお茶をじっと眺め、苦い表情をすることしかできなかった。
あの日以来、渋谷や葵の家の事がニュースになり、世の中が大騒ぎになるかと思ったがそんなことは全くなかった。
(なんだよっ、人がたくさん死んだんだぞ、建物もたくさん壊されたし、葵だって…。なのに、なのになんで、どうしていつもとおんなじ毎日を生きてるんだっ!世の中は、どうしてあの地獄のことをまるでなかったみたいに平気で生きていけるんだ…)
いつもと変わらない日々が流れているのを実感するたびには冬樹は激しい葛藤に襲われた。
「冬樹さん、大丈夫ですか~?」
「へっ?…っ‼ちょ、ちょっ、紅葉さん⁈」
ティーカップに向けられていた視線を、声の方に向けた冬樹は思わず飛び上がった。顔を上げた冬樹の目の前には、冬樹の事を心配している紅葉の顔があったのだ。目にいきなり美少女の顔が飛び込んできた冬樹は、女性といえば葵としか話さず、ほかの女性と間近で会話することなどない冬樹は、変な声をあげて、おどおどしている。
「どどどどうしたって、どうしたんだ?」
「…?えっと~、冬樹さんがティーカップをじっとみつめて、すごく難しい顔していたので何かあったのかな~とおもいまして~」
「俺、そんなに難しい顔してたか…?」
「そうですね~、こんな感じの顔でした」
そういうと、紅葉は眉間にしわを寄せ、さきほどまでの冬樹の顔を真似して見せた。
「……。俺、本当にそんな顔してたか…」
「そうですよ~。なにか考え事してたんですか~?」
「えぇ、ちょっと考え事をな」
「といいますと…?」
「この間、あったこと…、紅葉さんは覚えているよな」
「もちろんですっ!どうすればあれを忘れられるか教えてほしいくらいですよ~」
「じゃあどうして、ニュースでも噂話でもあの日の事を誰も口にしないんだ!」
冬樹は思わず左手で机を叩きつけ、立ち上がった。ティーカップは飛び上がり、中のお茶がこぼれ、机から滴る。紅葉は突然冬樹が大きな声を出して立ち上がったので、肩がぴくっとあがり、目を丸にして冬樹の事を見つめている。
「ご、ごめん。いきなり大きな声をだして」
冬樹は我に返り、キッチンに台ふきを取りに動いた。紅葉は、座りなおし、驚いて早くなった鼓動を鎮めようと深呼吸をしている。
「いえ…、冬樹さんのいうことはごもっともです。葵さんのおうちが壊れて、かなりおおきな被害がでているはずなのに、何の話題にもならないのは不思議です。というかおかしいです!」
「それに、渋谷の事もだ」
「冬樹さんと葵さんが巻き込まれたって話ですよね。渋谷も大変なことになったていう…」
「あぁ、この前話した通り、渋谷は葵の家のよりも悲惨だった。葵の家はともかく、渋谷の事すら誰の口からも出で来ないのはおかしいと思わないか…」
冬樹は台ふきをキッチンから持ってきて、倒れたティーカップを立て、こぼれたお茶を拭き始めた。
「この世界はどうしてしまったんでしょうか~…」
「わからない…、でも2回も死ぬ思いをして、人が目の前で死ぬを見て…。もしかしたらおかしくなったのは世界じゃなくて俺たちの方なのかもな…」
「そんなことないですっ!」
咄嗟に体を前に乗り出し、冬樹の手を強く握る紅葉。冬樹はうろたえるが、紅葉は構わず続ける。
「冬樹さんたちがおかしいなんて、おかしいじゃないですか!冬樹さんと葵さんは道端で倒れていた私を拾ってくれたんですよ!普通はあんなところで寝てる怪しい私を家に連れて行ってくれたり、声をかけることすらしませんよ」
「自覚あったんだな…。あと拾うって紅葉さんは捨て犬か」
「冷静な突っ込みは今求めてないじゃないですか~!いいですかっ、私は私を助けてくれたお二人の事を尊敬してますし、大好きなんです!お二人を好きな人がいるんですから、自分の事を卑下しないでください…。悲しむ人がいること、好きな人がいること、忘れないでくださいね」
「…あぁ、ありがとう」
自分の言いたいことを言い切った紅葉はすっきりした顔で、自分が今したことを思い出して固まってしまった。ぎゅっと強く握っていた冬樹の手を放し、ゆでだこの様にみるみる顔が真っ赤になって、
「わっ私、お風呂いただきますね!」
そう言い残すと、紅葉は慌ててリビングを飛び出し、脱衣所の方に走っていった。
一人取り残された冬樹は、二人分のティーカップお盆に乗せて片付け、流しにもっていく。
(紅葉さんってあんなに熱くなることあるんだな…。)
静かなリビングには水の流れる音と、ティーカップを洗う音だけが静かに響いていた。
家の中に必ず1匹、虫さんがいらっしゃるんですよね...。厄介なことにあいつらは飛ぶから、虫全般が「苦手・オブ・ザ・イヤー」を受賞するほど苦手な私にとっては毎回変な格好になりながら避けて、そーっと後ろから葬る緊急クエストを受注し、毎回なんとかクエストクリアにこぎつけています。(たまに見失って失敗することも...)前に風呂から上がり、目の前にいたときは、風呂で温まった体の熱が一気に冷め、思わず奇声を発しそうになりました。(ギリギリ耐えた)いやー、ほんとに虫キライ...。