第49話
階段を一段上がる毎にお盆を持つ手に力が入る。階段を一段上がる毎に、次の一歩が重くなる。小学生の頃からの長い付き合いだ、喧嘩のひとつやふたつ当然あった。あいつに謝りに行くとき、こんなに足が重かったろうか。いいや、いくら喧嘩しても最後は絶対仲直りできる、心のどこかに根拠のない自信があったから、こんなに足が重かったことはない。
「なんだよ俺…たかが冬樹に会いに行くんだぞ好きなやつに告白するわけでもないのに何緊張してるんだよ…」
自分を茶化してなにかをごまかそうと、一人で呟いてみるがそんなごまかしが効くはずもなく、足取りは依然として重いままだ。そうこうしている内に光春の右足は2階の床を踏んでいた。冬樹の部屋の前には、冷め切ったご飯が一つも手を付けられずにおいてある。
「…おい冬樹。久しぶりだな、ちゃんと食べてるか?………って無視かよ。まぁいいや。せっかく俺がシュークリーム買ってきてやったのに、無視するやつには食わせねぇよ」
いつも通り話せているだろうか、いつも通りバカやれているだろうか。お盆を持つ手は真っ赤になっていた。
「お前部屋から出てないんだろ。さっき外から見たらカーテンも閉まってたから、外に出てないどころか日も浴びてないだろ。あいつが…、葵が買い物に行ってる時でもいいから気が向いたらカーテン開けて外見てみろよ。道端に植えてあるイチョウがそろそろ臭くなってくるぞ。山の方は紅葉が色づいて来たってよ…………………」
そこから続く言葉は光春には見つけられなかった。とんでもない事をしてしまった、そんな思いに駆られ吐き気すら催した。心臓の鼓動はさらに早くなり、居ても立ってもいられず、持っていたお盆を鮭ののったお盆の横に置き、階段を駆け下りる。
「いきなりどたどたどうしたのよ」
「わりぃ、俺帰るわ。またな葵」
「ちょっ、いきなりどうしたのよ。シュークリームは?」
「お前スイーツ好きだろうが、じゃあな」
自分の犯した過ちから目を背けるように、光春は葵の方を一度も振り返ることなく飛び出して行ってしまった。
「好きだけど3つも食べられないわよ…ってもう遅いか」
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日差しが、アスファルトが含んだ熱が、コンクリートジャングルから逃げ場を失った熱が、自分自身がなにもかもが暑い。どこにも光春の気持ちをぶつけたり、捨てたり、吐きだしたりできる場所はなかった。
「なんでよりによってここに着いちまうかな、くそが」
人々が行き交う広い交差点。主がいなくなり、台座だけになったにも関わらず相変わらず人々の待ち合わせ場所の代名詞になっている駅前広場。光春は渋谷にいた。
「んだよ、俺たちだけか、1か月前からカレンダーをめくれてないのは…」
一か月前瓦礫の山だった渋谷の街は綺麗に片付けられ日常を取り戻していた。行き交う人々の顔には笑みが溢れ、ここが惨劇の舞台になったことがフィクションの世界の出来事化の様に錯覚してしまう。最も、彼らはそんな惨劇があったことを知らないだろうが。
「でも、ハチ公は戻って来てないんだな…。って言ってもみんな気づいてないみたいだけど。なんでそんな笑いながらただの台座の前に集まるんだよ。頭おかしんじゃねぇか」
思いつく限りの嫌味を口から吐き出しても、光春の心を包み込む黒いもやは晴れない。駅前広場の隅の方にひとつだけぽつんと置かれたベンチに腰掛け、汗をぬぐう。思えば冬樹の家から逃げるようにここまでずっと走ってきたのだ。つかれた、そう思うと体がどっと重くなり、立ち上がるのには当分時間がかかりそうだった。
「今の世界からしたら頭がおかしいのは俺たちなのかね」
空を仰ぐと、都会のど真ん中にいることを忘れてしまいそうなほど澄み切った青空が広がっていた。
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暗い部屋に、煌々とモニターの画面だけが光っている。いつからこうしているのだろうか、いつからこの部屋に籠っているのだろうか。とっくにそんなことを気にする生活は終わっていた。毎日決まった時間にドアの外に幼馴染みがご飯を持ってやってくる。毎回すこし声をかけてくる。いつからだろうか、彼女の持ってくるご飯を食べなくなったのは。この部屋に籠った日から。いつからだろうか、返事をしなくなったのは。現実を捨て、目の前に煌々と広がる仮想世界が現実になった日から。
珍しいお客が来た。といってもお茶でもてなすわけでも、会話を交わすわけでもない。相手が一方的にやって来て、一方的に話しかけて来て、一方的に地雷を踏み抜いて帰っていった。後ろめたくなるのなら、最初から来なければいいのに。そんな小言を言ってやろうかと思ったが、やめた。捨てた、現実だった世界のことなどいまの冬樹にとって何物でもないのだから。
ネットの大海原をサーフィンするのは気持ちがいい。スクロールする手は新たな波を求めて止まることを知らない。しかし、冬樹の手はぴたりと止まった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ついさっきまで現実だった世界は真っ暗になっていた。粉々にわれたモニターが机の上に倒れ、拳からは血が滴っている。彼の現実は彼自身の手によって崩れ去ったのだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ちょっと冬樹!どうしたの、何があったの!開けるわよ」
ドアが数か月ぶりに開け放たれ、部屋が一気に明るくなり、久しぶりにみる幼馴染みの姿がそこにあった。
「大丈夫冬樹…ってきゃっ」
心配する小さい幼馴染みのことを突き飛ばし、階段を駆け下り、裸足のまま暗い家を飛び出していた。久しぶりの太陽が目を、足の裏を、そして暗く閉ざされた冬樹の心を焼いていく。
時間とか決めたほうがい良いのかなと思いつつ…。
月曜投稿は守りたい所存です!




