第21話
互いに体を洗いっこし終わった葵と紅葉は、そのまま二人で浴槽に浸かっている。風呂独特のしっとりとした空気感が何とも心地いい。
「小さいころから葵さんと冬樹さんは仲良しだったんですね~」
「いやっ!ここまで聞いてその感想はないわよ!!」
「そうですかね?私には幼馴染みとよべるような友達はいません。小さいころから一緒に遊んで、時には互いの家にお泊りして、高校生になってもずっと仲良し…、なんか憧れちゃいます」
「きゅ、紅葉さんが真面目に話始めるからちょっとびっくりしちゃった…」
「いっつもふざけて話してるって思われてたんですか私…?」
「そういう事じゃないけど…」
「ふふっ、あんまり意地悪したらかわいそうなのでこの辺で。それより、海の話続きを聞かせてください!」
「そうね、あの日レースを始めた後のあたしたちを話すわね」
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「はぁはぁ…、やったぜ!俺の勝ちだな」
「くぅぅぅぅっっっ」
幼子たちのデッドレースを制したのは冬樹であった。負けた葵は相当悔しかったのであろうか、声にならない声で悔しがっている。
「冬樹!リベンジさせなさい!」
「何回やったって結果は変わらないと思うぞ。それよりせっかく滑り台まで泳いできたんだから滑ろうぜ!」
「ふ~ん、そう言って上手くあたしを言いくるめて逃げるんだ~。あたしに負けるのがそんなに怖いの…?」
「んなわけないだろっ!いいぜ、その勝負受けてってやる」
「そうこなくっちゃ。そうねぇ、あそこに浮いてるバナナボートに先にタッチした方が勝ちってことでいい?」
「なんかさっきと比べて泳ぐ距離が短くないか?なんか俺物足りないかもな~」
「じゃあバナナボートまで行って折り返してくるのでどうよっ!!」
「いいぜ。でも途中で疲れても知らないけどなぁ」
「もうどっちなのよっ!とっととはじめるわよ!」
「へいへい」
「へいは一回!!それじゃあいくわよ。位置についてぇー、用意ドン!」
その後、幾度となく勝負しても葵が冬樹に勝てることはなく、流石に疲れ切った二人は何度タッチしたか分からない滑り台の上に登って休憩をとることにした。
「お前って本当に負けず嫌いだよな…」
「うっさい!あんたはそこでへばってなさい!」
「どういうことだよ、まさかお前まだ泳ぐ気か?」
「そうよ、文句ある⁈」
「いや…お前疲れてないのかよ。流石にやめとけって」
「うっさい!」
そういうと葵は滑り台を滑り降り、海へと飛び込んだ。大きな水しぶきと共に、葵は勢いよく足をばたつかせる。
「はぁ…、変な所で意地っ張りなんだよなあいつ」
一人取り残された冬樹は、少しずつ遠ざかる葵と彼女の後ろに空高く舞い上がる水しぶきをぼぉっと、呆れながら見ていたのであった。
一方の葵とはいうと、やけになって体力の許す限り海を泳ぎまわった。まるで人魚姫が自分の庭を優雅に泳ぐがごとくとまではいかないが、がむしゃらに泳ぎ回っていた。
それから幾何の時間が経っただろうか。夏の長い日差しも、西の空に傾き始めたころ、滑り台の上で疲れ切っていつしか眠ってしまっていた冬樹は目を覚まし、大きな背伸びをしながら自分が滑り台の上で寝てしまったのだと、寝覚めのぼんやりした頭で思い出す。
「俺こんなところで寝ちゃってたのか…。そういえば葵は…?」
意地っ張りな幼馴染みのことを思い出した冬樹は、滑り台の上から辺りをキョロキョロ見渡す。すると、はじめのレースのスタート地点辺りの浮きに、葵が捕まっているのが見えた。
「なにしてんだあいつ。疲れて休んでるのか?」
波に揺られぷかぷか上下する浮きに身を任せる葵が、どうしてあんなところで浮きに捕まっているのかを不思議に思った冬樹は滑り台を滑り降り、葵の元に泳いで向かった。
「おーい、葵?」
葵の元に泳いで駆け寄った冬樹は、浮きにもたれかかる幼馴染みの事を軽くゆする。しかし、いくら声をかけても幼馴染みから返事はない。
「おいっ!葵、大丈夫か⁈」
葵は、意識がなかったのだ。冬樹は軽くパニックになりながら、さっきよりも強く幼馴染みの事を揺さぶる。しかし、いくら揺さぶっても、耳元で大声で叫んでも葵から返事が返って事はなかった。状況を悟った冬樹は、咄嗟に背中に葵を抱え、バタ足だけで岸を目指し始めたのであった。
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「んんっっっ…」
「葵ちゃん⁈わかる?おばさんよ」
「おばさん…、ここは?」
「海の近くの病院よ。葵ちゃん、軽い脱水症だって」
「あたし、どうして病院にいるんだっけ…」
「葵ちゃん、海で張り切って泳ぎすぎたみたいね。それで軽い脱水症になって海の浮きに抱き着いたまま気を失っちゃったみたい。それを冬樹が助けて、岸まで運んだのよ」
「そうだったんだ…。そういえば、冬樹は…?」
「隣よ」
そういいながら冬樹の母親は仕切りのカーテンを静かに開けた。そこには、可愛らしい寝息を立てながら熟睡している冬樹の姿があった。
「冬樹は特に脱水症とかそういうのじゃないんだけど、葵ちゃんを岸まで運んできた途端、気を失って倒れちゃったの。大事をとって二人とも今日は入院させてもらうことになったわ」
「そうだったんだ…」
「ごめんなさい。おばさんがついていながら二人を危ない目に合わせてしまって…」
「あやまらないで、おばさん。自分の限界も知らないで調子にのって泳いだあたしが悪いんだから…」
「葵ちゃんがそう言ってくれるのはとても嬉しいけどそうはいかないわ」
「後藤さんちょっとよろしいですか?」
「はい、いま参ります。ごめんね葵ちゃん、おばさんお医者様に呼ばれたからすこしいってくるわね。おばさんがいない間、冬樹のこと見ててもらってもいいかしら」
「分かった」
冬樹の母親が病室から出ていくのを見届けると、葵はベッドをおり、椅子を引っ張て来て冬樹の側に腰かけた。冬樹の寝顔を見ながら、自分の意地っ張りのせいで幼馴染みを危険な目に合わせてしまったことを幼子心ながら反省する葵。そんな時ふと、ベッド脇の棚に目が留まった。
「なんだろ、これ…」
そういいながら葵が持ち上げたのは、みかんゼリーとそれをおもり代わりに置かれたメモだった。
「…⁈」
そのメモを読んだ葵は絶句した。
「冬樹…、ばかっ」
両頬を伝わる幼い少女の涙。葵は、みかんゼリーをそっと元の場所に戻し、冬樹の手を両手で優しく握りしめる。静かな病院の夜が更けていく。
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「そんなことがあったんですか…」
「たぶんこの時からだと思う、あたしが冬樹のことをただの幼なじみじゃなくて一人の男の子として好きになったのは」
「最近の若い子はませてますね~」
「紅葉さんもそんなにあたしたちと年変わらないでしょ」
「それもそうでした。ところで、そのメモにはなんて書いてあったんですか?」
「ん?んー…、内緒!」
「えぇー、そこまで言ってそれはないですよ葵さん~」
「ふふっ。あぁー、この話を人にする日が来るなんて思ってもなかったな」
「安心してください、乙女の秘密は守りますよ!」
「そうしてくれると助かる。ところで…」
「ところで?」
「ずっとおもってたんだけど、さん付やめない?なんだかむず痒くて。あたしのことは葵でいいから」
「葵…。嬉しいですっ!私のことも紅葉って呼んでください!!」
「えぇ、そうするわ。ところで紅葉…」
「またところでですか…、次は一体何ですか?」
「あたしがここまで話したのよ…、紅葉の話も聞かずにここから逃げられると思った?」
「ひひっ!」
葵の獲物を狙う狩人の眼差しにびびった紅葉はほぼ反射的に湯船からあがり、脱衣所に逃げこむ。
「なっ!逃がさないわよ紅葉」
「助けてください!冬樹さん~~!」
「ちょっ、なんで冬樹を呼ぶのよ」
その時、脱衣所の扉が開き、勢いよく冬樹が入ってきた。
「どうした!何かあっ…、失礼しましたっ!!」
事の状況を一瞬で察した冬樹は一目散に回れ右をし、脱衣所から目にも留まらぬ速さで退散していった。
「ちょっ!こら!待ちなさいよこの変態!!」
「葵さ...葵!?その格好で追いかけたらぁ〜」
「うっ...紅葉、二人であの変態を締め上げるわよ!!」
「りょうかいです〜!葵!」
「紅葉さんが呼んだのにそりゃないぜぇ...」
「冬樹の家は賑やかですなぁ」
「俯瞰してないで助けてくれ光晴〜!!」
家に蜘蛛が出たとき、虫嫌いのわたしはテンパってゴキジェットをキッチンに振りまいたんですよね。
おかげでキッチン掃除する羽目になって大変でした...トホホ...