第10話
ほんとに申し訳ない、想像以上に忙しいのです...
「それじゃあ、葵にみかんゼリー持って行ってくるから」
「わかりました~。他のものは冷蔵庫に入れておきますね~」
家に帰宅した冬樹は、買ってきたゼリーを葵にすぐにでも渡すべく、階段を駆け上がった。
自分の部屋の前で立ち止まり、一呼吸おいてからドアをノックする。
「葵、みかんゼリー買って来たぞ」
少し時間が開いて、中から物音がした。冬樹はドアにへばりつくように中の様子をうかがっていたが、
「冬樹、入って…って、ひゃぁっ!」
葵が急に扉を開けたために、冬樹はバランスを崩し、顔から葵の大きな胸に突っ込んだ。
「なんで急に扉開けるんだ…っ⁉」
お小言の一つでも言おうとした冬樹の目の前には、うっすらと開いたカーテンの隙間から差し込む光に照らされ神秘的な様子で、頬を赤らめた幼馴染みの顔があった。
「ごっ、ごめん!わざとじゃないんだっ!」
状況を一瞬で把握した冬樹は、咄嗟に立ち上がり、幼馴染みと距離を取る。いつもなら蹴りが飛んでくること間違いなしだ。けれども、いつまで経っても蹴りは飛んでこない。
「…葵?」
「…」
「どうしたんだ?もしかして今のでどこか打ったとか⁈」
冬樹は、一瞬で青ざめ、床に座っている幼馴染みに近づく。
「こっ、こっちきちゃだめっ!」
冬樹が葵の顔を覗こうと回り込んだその時、冬樹のお腹に幼馴染みの不意打ち強烈パンチが飛び込んできた。全く身構えてなかった冬樹はもろにパンチの衝撃を受け、軽く吹き飛ばされた。
「うっ…。なっ、なんでいきなり殴るんだよ…」
「そっ、それは…」
「冬樹のばかっ!」
「いや、理不尽じゃね?」
葵はひょっと立ち上がると、ベットに座り、窓の外を眺め始めた。冬樹は、どうにか痛みが引いてきたので、ゆっくりと立ち上がった。
「ねぇ、冬樹」
名前を呼ばれ、葵の方を見た冬樹は思わず息をのんだ。右手で横髪を軽くかきあげながら、少し恥ずかしそうに下の方を見ながら、時折こちらをちらちらとみてくる幼馴染みの横顔。小さいながらも、女性らしい体つきのシルエットが、暗い部屋の中、窓からうっすらと差し込む月明かりによって浮かび上がった。
「ねぇ、冬樹。聞いてる?」
「あっ、あぁ」
「なによ、ぼぉっとして。もしかしてあたしに見とれちゃった?」
「なっ!そっ、そんなことあるわけないだろ」
「ふふっ、どうだかね」
そう言いながら、幼馴染みは悪戯っぽく笑って見せた。
(こいつ、こんなに可愛かったっけ)
「ありがとね、冬樹」
「ん?」
「心配してくれて」
「みかんゼリーを買ってきてくれて」
「こうして、話に来てくれて」
「そして、何より一緒にいてくれてありがとう」
「なんだよ、改まって」
「いいじゃない」
葵はもう一度視線を窓の外へと移す。葵は遠くの空を見ているようだった。冬樹は、そんな幼馴染みの横顔を少し眺めた後、葵と同じように窓の外に目線をやった。暗い夜空に、ただ一つ、ほんのりまばゆい月が光り輝いている。
「ぐーちゃんとぴーちゃん、ちゃんと天国に行けたかな」
「……、きっと行けたさ。きっと」
「うん、そうだよね。だってぐーちゃんとぴーちゃんだもん」
「なぁ、葵」
「なに?」
「さっきのあれって、どう意味だったんだ?」
「さっきの…?」
「ほら、あれだよ。こ、心の支えになってほしいとか何だかっていう」
「そのまんまの意味だよ」
「そのまんまってどのまんまだよ。…そんなに、みかんゼリー好きなのか…」
「………」
「いや、だって、葵がみかんゼリー好きなのは知ってたけど、まさかここまでとは。まだまだ幼馴染みとして、精進していかないとな!」
「………」
「ところで、どうしたんださっきから。黙り込んで…っ!」
次の瞬間、冬樹の体は宙を、きれいな放物線を描きながら舞い、開いていたドアから、きれいに廊下に投げ出され、廊下の壁に体をぶつけた。
「いててっ。なんだよいきなり…っ⁉」
後頭部をさすりながら、さっきまで自分がいた部屋の中を見た冬樹は思わず言葉を失った。冬樹の背中には、冷や汗が流れていたに違ない。
部屋の中には、ベットの側で下を向いて、仁王立ちしている葵の姿があった。
「…か」
「えっ…?」
「冬樹のばかっ!」
そう言いながら、葵は勢いよく駆け出し、部屋の扉を壊れんばかりの勢いで閉めた。冬樹は、あまりの迫力にその場からしばらく動けなかったという。
―――――――――――
―――――――――――
扉を勢いよくしめたあたしは、そのままドアにもたれかかるようにへなへなと床に座った。
本当にあいつと話すと疲れるし、馬鹿らしくなってくる。
いや、実際あいつは馬鹿だ。勇気を出して、心の支えになってほしいって言ったのに、何をどう解釈したら、みかんゼリーを買ってくる流れになるんだろうか。本当に、あいつは馬鹿だ。変態だし、たまにかっこつけようとするし、自分の命を簡単に投げ出そうとするし、現に腕を骨折してるし。
私が冬樹の部屋に引きこもった後、私がどれだけ無視しても、懲りずに毎日毎日、3食ご飯を持ってきてくれて、片付けに来てくれた。そのたびに、一人ドアの前で、ずっとしゃべってた。何十分、いやひどいときには数時間、返事など返ってくるはずがないのに、一人でずっとしゃべり続けていた。本当に馬鹿だ。
でも…、私は好きだ。冬樹の事が好きなんだってやっと自分の気持ちに素直になれた。渋谷で地獄をみて、自分も死ぬ思いをして、すこし気に病みそうになった。だけど、紅葉さんの一件があったおかげで、なんとか渋谷の事は忘れることができていた。だけど、ぐーちゃんとぴーちゃんの一件はそうはいかなかった。病んだ、気が沈んだ、死のうかと思った。誰とも話したくなかった、何も食べたくなかった、生きるのが嫌になった。毎日毎日紅葉さんが話しかけてくれるけど、私は無視し続けた。ある日を境に紅葉さんは二階に来なくなった。
紅葉さんが悪いんじゃない。人間だれしも一方通行はつらいし、紅葉さんは私にどう接していいか分からなくなったのだろう。だから紅葉さんは、いたって普通だ。
でも、冬樹は違った。普通じゃなかった。冬樹が少しずつ、私の心の鎖を、一本ずつ解いていってくれたのだ。だから、冬樹に自分の素直な気持ちを伝えられたんだと思う。まぁ、冬樹は私がそんなことを伝えたなど微塵も気が付いていないみたいだけど…。
うれしかった。私がみかんゼリーを好きなことを覚えててくれて。だって、みかんゼリーは私の思い出だから。どんな食べ物よりも好きな、食べ物だから。だって…
私は立ち上がり、冬樹の机の上に置かれた、たたまれたハンカチを優しく持ち上げ、扉を開いて、一階へと降りた。
――――――――
――――――――
「あれ、葵、こんな時間にどこか行くのか」
「うん、ちょっとね」
冬樹は、葵が右手に持ったハンカチに気が付き、
「そうか、もう暗いから気をつけてな」
「うん、いってきます」
すっかり日も落ち、暗くなった街を、葵は軽快なリズムで駆け抜け、自分の家が元あった場所へと向かった。跡地はすっかりきれいに片付けられており、更地になっていた。葵は、リビングがあったあたりに歩みを進めてしゃがみ、ならされたばかりの土を手で掘り始めた。
「ありがとう、二人とも」
葵は、長い間両手を合わせていた。彼女の顔はいつの間にか澄み渡った空の様にすがすがしいものになっていた。
遅れていること、本当に申し訳ないです。後2,3週間くらいで落ち着く予定です。元のペースに戻せるようにがんばります...。
あらすじの方を書き換えました。よければ見てみてください。