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出歩いて、落っこちて、どこだろう?第七章

遅ればせながら、ひっそりと更新です。


「ほ、ほんとうにもう怒ってない?」

「ぜ~んぜん、だな。大体過ぎたことをとやかく言ってもしゃーないだろ?」


 僕はびくびくと震えながら、薬品棚の陰に隠れていた。ひりひりする部分を擦るとちょっとデコボコがある。歯形が残ってるよ、これ。

 そんな僕にケタケタと軽い笑いと共に答える一人の女の子がいた。彼女は元々これまで腐れ縁と思えるくらい一緒にいた…といっても向こうは終始意識は無かったようだが、あの赤い毛並みのワンコである。

 

 …………うん、自分で言っておいて何だけど、元の世界で口走ったら、これまた病院送りな話だと思う。それはともかく彼女は自らを紅【ベニ】と名乗った。どうも元の世界で野良犬生活をしていた時、ご近所の餌を恵んでくれたご家庭の方々からそう呼ばれていたらしいから…だそうだ。

 他にも赤坊主【アカボウズ】とか【レッドちゃん】とか紅い犬星【シリウス】とか色々呼ばれていたらしいけど、一番よく付けられて呼ばれていたのが紅であるらしい。というかシリウスって誰がつけたんだろ…?


  兎角、紅という少女が薬品棚に突っ込んだ拍子に全身に浴びてしまった魔法薬の混合粉末に、治療用の魔法薬の作用とケミカルに反応した事で、奇跡の形態変化(トランスフォーム)を起こし誕生した女の子であるとはカテドラルさんの談。幻覚かと思うが、残念ながら齧られた痛みは本物だったので夢の類ではないようだ。


 耳やら尻尾やらが部分的に犬の部位が残っているが8割は人間である。下手するとパーティーグッズをつけたままの人に見えなくも無い。四肢や顔を見ればほぼ人間と変わらない姿をした彼女は、僕との間に薬品棚を挟んだ向こう側に…多分座っている。

 断言できないのは噛み付かれる直前に、彼女のその肢体を図らずも拝んでしまった後、噛み付きから解放された僕は棚の影に隠れからだ。人の形となった紅はその事に動揺するそぶりを見せるよりも先に、僕を見るなり噛みついてきたのだ。それはもう盛大に、ガブリという擬音がつくほど見事な齧りっぷりだったと思う。


 彼女が満足して僕の頭を開放した時、思考力が追いつかず呆然としていた僕の前に立った彼女は、何を思ったか「これでカンベンしてやんよ」と言い放ったのである。言われた時の僕は何のことだか解らず、恐らく相当間抜けな表情を浮かべていたことだろう。


 もっともロリというよりかは小柄でスレンダー体型であったことや、一点の曇りも無い瑞々しい肌が脳裏に焼きついているあたり、僕も男なのだと実感する。彼女いない暦=年齢なのだからして…もっとも彼女が出来たからといって女性の肌を見る訳ではないのだが…ああ、思考が脱線している。


 兎に角だ。なんで急に僕を齧ったのかを訪ねてみたところ―――


「ん? そうだな…今思えばなんで怒っていたんだ?」

「僕に言われても」

「だよなー。なんでだろ?」

「…あれ? ならなんでさっき僕を齧ったの?」

「 なんとなく うまそうだった 」

「野性の本能はそのままなの!?」


 ―――という事らしい。どうやら捕食対象に若干被っているようだ。ぶるる。


『――怪我を負った後だというのに元気だな。そなたらは――』

「あ、カテドラルさん」

「おう元気だぜ。なんかあたまのなかもふだんの何倍もスッキリしてるしなー」


 ちなみに紅とカテドラルさんは、彼女からの噛み付き攻撃から解放された僕が、あたふたと戸棚の陰に逃げている間に互いに紹介済みである。

 元々ノラだったからか度胸があるようで、あの強大な存在感があるカテドラルさんとの初コンタクトにも殆ど動じず、彼の竜から人とほぼ同じ肉体へと転じたという事象を説明され、それを受け入れた強さは、正直凄いと思う。

 僕だったら動物に突然変異してしまったら、間違いなく現実逃避から始めるだろう。それに言葉遣いは少々乱暴な感じなのだが、彼女は自分に起きたことを理解し、受容しているあたり、知能は高いみたいである。普通じゃありえない効能があるあたり、魔法薬ってのは伊達ではないんだなと思う今日この頃だった。

 

『――さて本来ならば、今頃小さき者は外へとつながる直通回廊を潜り、外へと出ていたであろう。だが我の不注意で居住区へ落下させ、あろう事か怪我まで負わせてしまった。久々の心の交わりに少々浮かれてしまっていたようだ。小さき者達よ、すまなかった――』

「…はい、あ、いいえ!お構いなく…」


 これからどうしようかと思っていると、カテドラルさんが念言で謝ってきたので、思わずポカーンとあっけにとられてしまった。あれほどの威容を誇るドラゴンがすぐさま自らの否を認めるとは思わなかったからだ。ファンタジーのドラゴンは威張りんぼなイメージがあったから、知らず知らずの内にカテドラルさんも当てはめていた。


 ともあれ、実際怪我はしたけどすぐに治ったし、ある意味恩人…もとい恩竜のカテドラルさんを怒れるわけが無い。痛みは嫌いだけど怒る程でもないと僕は思っていたので、心優しい竜の謝罪を素直に受け入れたのだった。

  薬品棚の向こうにいる紅は何も言わない。口には出さないけど、心術・念言を通じて感じる彼女の感じはいたって穏やかだ。多分彼女も文句は無いのだろう。


「それはそうと…この部屋の出口、わかりますか?」

『――今、そなたが立っている方向にあるつき当たりだ。キネシスの使い方はわかるだろう――』


 ここの出入り口にもキネシスが必要なのか。零れている薬品から離れながら周囲を見渡してみた。広さ的には学校の教室を少し広くした程度だろうか? それなりに広いが天井にまで届くような薬棚がところ狭しと設置されており、ちょうど図書館みたく格子状になっているのが見て取れた。


  意外と天井は高く、僕の背丈でいうと三人分くらいか。あと、部屋の真ん中は通路なのか少し広い。保管庫だったようなので、必ず出入り口はあるのだろうがパッと見た感じではソレらしき出入り口は見受けられない。


  見て解るような入り口は今のところ天井に近い位置の横壁に開いている穴だろう。恐らくは通風孔か何かの穴らしく、多分僕達は石で出来た通風孔を滑り落ちて、木か何かの蓋で塞がれていたところから飛び出したのだろう。


 その証拠に足元には乾燥して風化しかかっている木屑が散らばっている。そして広い通路みたいな場所を放物線を描いて反対側の壁に激突したという事なのか。よくよく脚を怪我する程度で済んでよかったと思う。頭から落ちてたらあの世とこんにちわしていただろうし。

 それはともかく、ダクトから落ちたのならアレは正規の入り口ではない。となれば正規のルートで出入り口がどこかにあるはず。


「あ、多分ここかな?」

『――それだ小さき者。そこにキネシスを使え――』


 どうということもない。部屋のど真ん中が通路部分という事はその直線状の終点どちらかの壁が出入り口だと思ったのだ。思ったとおり僕が激突した方の壁は甕を置くために細い溝状の棚が幾つか掘られていたが、ダクト側の壁のちょうど真下の壁には一箇所だけ色が違う部分がある。見たとおりという事なのだろう。


「後はキネシスをつかって「キネシスってなんだ?」うひゃああっ!?」


 キネシスを使おうと集中した矢先、後ろから話しかけられて思わず叫んでしまった。


「うるせぇな。一々驚くなよ」

「だっていきなり音もなく背後に立たれたら誰だって怖いよ?」

「そーなのか?それよりも何してんだ?」


 あんまり悪びれるつもりは無いようだ。まぁ、元がワンコだったから人と人とのコミュニケーションなんて知るわけも無いか……まさかお尻の臭いを嗅いだりしないよね?犬だけに。


「んーとね。壁のここの部分だけ薬の棚が無いでしょ?」

「そだな。他は全~部棚で埋まってる。棚の商店街かここは?」

「なにそれ?――まぁとにかくここが出入り口なのさ」

「ふぅーん。んでキネシスってなんだ?」

「えっと…」


 紅の問いに僕は言いあぐねる。僕自身、この急に使えるようになったパワーについて詳しく知っているわけではないのだ。言い換えるなら、自転車でのバランスのとり方を口頭で説明してわからせろというくらい今の僕には理解が足りていない。使えるから使っている、たぶん説明できてもこれが限界だろう。


『――では、我が教えよう。すこし心を静めなさい――』


 どうしたもんかと悩む僕を見かねたのか助け舟をカテドラルさんが出してくれた。うん、あの偉大なドラゴンさんなら僕よりもこのパワーについては詳しいだろう。何せ魔力すら理解していなかった僕にキネシスの使い方を転写してくれて…あ。


「カテドラルさん!待って!」

「……っ! ぎゃひっ?!」

『――知識を送り込んだ。これで理解はできたであろう――』


 僕がカテドラルさんに待ったをかける前に、背後で微弱な光が漏れ、同時に紅が小さく悲鳴を上げた。カテドラルさんの心術『転写』を受けてしまったのだろう。一度受けた身だから解かるが、直接知識を記憶させられるので、少し気持ち悪くなるのだ。長時間勉強しすぎた時とよく似たそれは心の準備がないとキツイだろう。

 

「遅かった、紅、大丈夫?」

「くらくらしてきもちわるい」


 後ろこそ振り返らないものの、彼女を気遣って声をかけてみた。思っていたより若干声色が悪い。それどころかペタンという音が聞こえたあたり立ってられなかったのかも。


『――魔力の引き出し方とキネシスの出し方だけを与えただけだが、少々きつかったようだな――』

「それって、いっぺんに全部にですか?」

『うむ』


 うむって…。僕ですら魔力の引き出し方は口頭に近いものだった上、そのあとも基本的な扱い方以外は念言での口頭説明だったのに…。最初から全部魂に叩き込んだら気持ち悪さもひとしおだろう。

 すこし手当てをしてあげようかと思ったけど、思いとどまる。彼女服着てないんだよね。うーん、どうしたもんか。


『まぁ物体移動魔法は発現の仕方だけだがな。続きはどうするか?』

「え、遠慮しておく!なんとなく解ったぜ!」

『そうか、それでは聞きたいことがあったらまた聞きなさい』

「………今度はこの気持ち悪いのなしならな」


 僕が悩んでいる間にカテドラルさんと紅の話は進んでいた。かの竜からの問いかけにさすがの彼女も苦虫を噛み潰したような声でそれとなく拒否していた。好奇心猫を殺すというのを地でやってしまったって感じである。種族的には犬だが。


 ともあれしばらく沈黙が続いた。教える必要が無くなったカテドラルさんがひっこみ、気持ち悪いのがまだ残っていたのか彼女も黙り込む。僕も声を掛けるタイミングを失っており口を閉ざしたので部屋には沈黙が満ちた。


「ところでよ聞いてもいいか?」

「ん?なぁに?」


 若干であるが声色が良くなっていた。気持ち悪いのが収まってきたのだろうか?


「なんでカナメはずっと背を向けたままなんだ?」

「え、あ…いや…だって…ねぇ?」

「ねぇって言われてもわかんねぇよ。なんでだ?」 

「あうあう」


 純粋に尋ねられると余計に自分が邪なヤツなのではという疑惑がぁぁ!

 今の彼女は生まれたままの姿である。紳士的な対応を心掛けている結果、振り向くことができないのだ。そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、彼女は無遠慮に僕の方へと近寄って来ている気がした。密室に裸の少女を二人っきりとか恥ずかしいやらうれしいやら。


―――とりあえず僕がすることは一つだ。


「こ、これを着てほしいな!」


 パーカーを脱いで、なるべく背後を見ないようにしてから差し出した。


「なんで?」

「な、なんでって…女の子がいつまでも、その、裸なのは良くないというか」

「発情してるのか?」

「なぁ!?」


 思わず噴き出した!は、発情なんてしてないよ!?

 オオカミ?男は有無を言わさずオオカミなの!?


「なんでそう思うのさ!?」

「うーん?だってそういう風に思ってたんじゃないのか?そう感じた気がするが?」


 思い出した。犬とかは人の感情の機微を正確に感じ取れたりするとテレビのアニマルセラピー特集でやっていた。おそらく僕が最初に見てしまった時…その、僕も男だから、無意識にそういう風に思ってしまったのを敏感に感じ取っていたのかも…。


 いやまて、見た目どう見ても僕よりも幼いし、犬だったんだから実年齢も然りだからして、そんな娘に反応してたら僕はロリコンじゃないか!?

 違う!僕はそういうのじゃないんだッ!仮に日本人は潜在的にそういう存在なのだとしても違うの!何かの間違いなんだよ!きっとそうだ!

 

「とりあえずコレを着ればカナメは普通になるのか」

「……僕のこの反応は雄として当然、だから普通なんだ」


 言葉に少なめに反論してみたものの、明らかに自己弁護に過ぎる。彼女の言葉に狼狽して挙動不審に陥った僕を、それこそ気持ちの悪いモノを見るような視線を送られているような気がするのは僕の被害妄想なんだろうか?

 

 ともあれ口を噤んだ僕をしばらく見ていた彼女であったが、やがて面倒くさそうに僕の肩を叩いた。


「あのさぁ…お前さんは忘れてるかもしれないけど、オレはイヌなんだぞ?イヌが服を着るか?」

「忘れてないよ?だから困ってるんじゃないか。あと犬用コートって売ってたよ!じゃなくて…今は、ほら、人の体になったんだよ?」

「だから?」


 落ち着け、落ち着くんだ。大きく深呼吸をするんだ。

 そうだ別に彼女を相手に動揺する必要などない。相手は見た目も年齢も子供だと思うんだ。親戚にもいた恥じらいという言葉をどこかにおいてきたような姪っ子を思い出すんだ。それと変わらない。


 そういう自己暗示をすること自体が無駄に彼女を意識し、動揺している事に気づかないのはどうしようもない事だった。とにかく僕は理性的に事実から指摘していくことにした。


「紅、まず自分の体を見てみてよ」

「ん?」

「毛皮がないでしょ?」

「………………おう!?下も全部つるっつる「人間と同じなんだよね!」ああ!」


 いろいろと聞きようによっては恥ずかしい言葉を言いそうになったのを恥ずかしさのあまりさえぎりつつ、僕は話題が再出しないよう畳み掛けるように声を上げる。

 

「だから!そのままだと風邪をひいてしまうんだ!病気にかかるよ!」

「おう!?そうなのか!毛がないと病気に掛るのか?」

「だって、寒くないの?寒いでしょ?」

「言われてみれば何だかブルブルするな。それに肌がざらざらしてきたというか」

「鳥肌!鳥肌起こしてるの!?早く服着なよ!」

「わ、わかったよ―――」


 手からパーカーが離れるのを感じる。受け取ってくれたのだろう。よし、これで何とか彼女の方にも顔を向けられる。全裸と一枚だけとはいえ服を纏う、その違いは顕著なのだから。


 そして暫しごそごそと布ズレの音だけが響いた。着替え終わるまで僕は背を向けて目を瞑りっぱなしである。目を閉じているのは万が一を考えて。意識はしていないが、だからって見てもいいってわけにもいかないからね。


「なあ。これどうすりゃいいんだ?」

「えっとまずは袖に手を通して――」

「ソデって、なんだ?」

「え?」

「エ?」

「「………」」


 だけど…これは難儀しそうだ。


***


「いい? ゆっくりと、だからね?」

「おう!」

「あ! そ、そんなにひっぱったら壊れるから! もっと優しく」

「こうか! こうすればいいのか?」

「あ、あっ! その穴に全部突っ込んじゃダメだってばァっ!」

「じゃあどうすればいいんだっての!」

「うう…伸びちゃうよ」


 大声を上げてしまうのもしょうがない。まさか首の穴に両手を突っ込むなんて…なんかここまでのやり取りが卑猥な気がしたのは、きっと僕の心が穢れているからなんだろうなぁ。というか配役が逆だし、それはそれで気持ち悪いので意識から除外した。


 さて、僕は服の着かたがわからない彼女の手伝いをした。羞恥心はいつの間にかかなぐり捨てていた。最初こそドキっとしたものの、彼女のあまりにもあけすけかつ羞恥心の無さに恥ずかしがっているのが阿呆みたく感じてしまったからだ。

  

  慣れてしまえばそうでもない。気分は保父さんである。


「………へんな感じだ」

「襟元を引っ張らないで、ね?いま調整するから」


 顔をしかめて首回りをグイッと結構な力で引っ張る紅。それを優しく、それでいて言い聞かせるように言い宥め、首元まで来ていたチャックを緩めてあげる。


 首回りに布が当たるのが気になっていた彼女だが、チャックが降りて首元が開かれた事で違和感が軽減されたのか、ほっとした感じに顔を緩めてくれた。


「だって窮屈でさ?――おう、これでマシになったな」

「それは良かったよ」

「それにあったかいな。うん、ごわごわするしカナメ臭いが、まぁいい感じだ」


 僕って、そんなに臭うかしら?シャツを少し嗅いでみる……ちょっと汗と生乾きの臭いがするな。まぁ着替えなんか無いし、水に落ちたり色々あったからしょうがないけどさ。


 そういえばカテドラルさんが言っていたけど、ここって居住区なんだっけ?なら衣服の一つや二つ残ってないかな?遺跡だったから襤褸しか残ってないかもしれないけど、もし頂いてもいいなら後でカテドラルさんに先人たちに貰ってもいいだろうか聞いてもらおう。


 最悪布が一枚あれば防寒からテント代わりまで色々と応用できるだろうしね。


『――小さき者、小さき者…――』

「あ、はい、なんでしょう?」

 

 さて、ようやく紅に服を着せ終え、遺跡に残されている物を貰えないだろうかと思っていた矢先、カテドラルさんに呼びかけられた。


『――そろそろ、部屋から出たほうがいいだろう。理由は耳を澄ませればわかる――』

「耳をですか?」


 どういうことだろうか?不思議に覆いつつもいわれたとおりに耳を澄ませてみる。衣服を始めて纏った紅がぶかぶかなパーカーの袖をひらひら舞わせながら、先ほど教わった魔力を引き出してスゲェもやっとする!と遊んでいる中、ジッと耳を澄ませてみた。


 するとかすかに僕や紅が発する音以外に聞きなれない音が混じっていることに気が付いた。それはあえて言い表すなら導火線に火がついた時のシューとう音と沸騰した鍋のぐつぐついう音が混ざったような感じ…。

 

 音がする方向を辿り、そちらに視線を向けて―――僕は固まった。


「さて紅、行こうか」


 気が付けばごく自然に口から言葉が漏れていた。先ほどから魔力で遊んでいた紅が遊びをジャマされたからか少し不機嫌そうな空気を出す。


「あん? どこにだ?」

「部屋から出るの。だからついてきて」

「なんで?」


 疑問を口にする紅に僕は薬品が散らばっているところを指さしてみせた。


「ほら、あそこに粉があるでしょう? 煙とか出てるし光ってるし、何が起きてもおかしくないから、とりあえず安全のためにも部屋から離れようと思ったのさ」

「光ってるのか!?」


 そう、カテドラルさんに言われたとおり耳を済ませてみれば、床に散らばった粉薬が淡いライトグリーンの燐光を放ち始めていた。どうもマジックでケミカルがフュージョンで何だかわからないけど嫌な予感を感じた。何を言ってるのか自分でも解らないが、このままここにいてはマズイと本能が訴える。


 というかだんだんと鼻が刺激臭を感じ始めたし、心なしか肌もピリピリとした虫が走るような小さな小さな痛みを感じている気がする。


「僕から離れないで、いい?」

「あいよ、何がなんだか解らないがやばそうだ。鼻が痛いから早く出よう。どうすればいいかわかんねぇからな。おまえさんについてきまーすってな」


 この事態に色々と察してくれたのか紅は素直についてきてくれるという。彼女を背後につれ、僕は先ほどあたりを付けておいた壁の前に立ち意識を集中する。まずは手甲に魔力を回そう―――


「なぁ? ところで出口なんて「ごめん、ちょっと静かにして」……へいへい」


 紅が肩をすくめてみせるのを尻目に、再度意識を集中させる。体を巡る仄かに暖かな気配を意識し、その流れを手甲がついている右手に集中させた。カテドラルさんが僕に施した心術・転写によって覚えた魔法の使い方をなぞり、イメージを心術・念言により拡大、確かな手ごたえを感覚的に感じ取った僕はキネシスを発動させた。


 手甲が微動する。鼓動に合わせて静かに脈動する手甲がきらめいた時、見えない巨人の腕がすぐそばに出現したのを僕はそれとなく感じていた。自分で出したものなので自分で感じ取れるのだ。そしてカテドラルさんのいた広間の扉を開いた時のように、その腕を目の前にたたずむ壁の何もない場所へと伸ばした。


 キネシスは物体に干渉できるようだが、キネシス自体には実体が存在しない。腕の先だと感じている部分が壁を少し通り抜けたときはちょっと焦ったが、逆にそれを引手に壁を障子の如くキネシスで動かそうとした。


「おい、なんか嫌な音がするぞ?」


 少し離れたあたりから蒸気が噴き出すような音が響く、少し視線をそちらにむけて見れば、混ざり合った粉薬の山から濃緑色をしたガスが噴き出していた。それが足元近くに溜まり始めている。発生したガスは空気よりは重いようだと思わず見当違いな考えが浮かぶ。


 反射的に手で口を覆うと紅も同じように口を塞いでいた。いやさ、正確には鼻をおさえて涙を浮かべている。僕はそれほどでもないがガスにはさっきよりも明確なケミカルな刺激臭がする。

  

 もともと犬であり、彼女の状態から察するにその性質をいくらか引き継いでいるのであれば、この程度の臭いでも生ごみ満載のポリバケツに頭から突っ込んで深呼吸した並みにキツイのかもしれない。


「まって、ここをこうして………あれ?」

「うぉい早く開けろ」

「いやうん、すぐにあける……あれ?」

「早くしろ!噛むぞコラッ!?」

「あばばば!?揺らさないで酔っちゃう!?」


 相当キツいのか彼女は犬歯剥き出して胸倉をつかんできた。必死なのはわかるが前後に揺らすのはやめてほしい。口に出した事もそうだが僕の方が身長が高い上に布一枚しか纏っていないんですよアナタ……あ、見えた。


「ち、力が使えないからお願いだから…」

「だったら早くしろ!頭が痛いくらいなんだぞ!」


 懇願に近いお願いにしぶしぶといった感じに紅は僕を解放した。色々あって集中が途切れてしまい解除されてしまったキネシスを繋ぎなおす。魔法を再開した僕だが、こちらもこちらで困惑していた。先ほどキネシスで壁を動かそうとしたが、押しても引いても壁は動かなかったのだ。

  

 左右にも力を加えるようにしてみたが若干震えるだけで壁は動かない。ドンッと背中を叩かれる。紅が口と鼻をおさえたまま早くしろと睨んできて僕は若干焦った。イライラが見ているだけで伝わってきたからだ。


『――……下に押し込むのだ、小さき者――』


 焦っている僕を見かねたのかカテドラルさんからアドバイスが…ありがとうございます!言われたとおりキネシスの力の方向を下に押し込む形に変えた直後、これまで動かなかったのがウソみたく、音もなしに壁は床に沈んだ。


 完全に壁が降りて人が通れる空間が生まれると、僕はすぐに紅を先に外に出した。このケミカル臭がきつかったので辛そうであったし、何よりもすぐ背後で聞こえるパチパチと響く何かが反応しているような音が僕たちを急かしていた。それこそ導火線に火が付いたような心地だった。


 こんな場所にいたくないと肌で感じつつ、紅が穴を潜ったすぐ後に僕も穴を潜ろうとした。その時ふと視界の端にチラリと写りこんだ物に動きを止めてしまう。目についたのは括れが付いた白い甕である。僕の大けがを治療し、紅を…結果的に治療してみせたあの魔法の粉薬が入った甕が並んだ棚が見えたのだ。


「はやくしろ!」

「ッ!」


 部屋の外から覗き込んでいた紅が立ち止った僕の腕をとって叫んだ。その苛立ちが籠った声に急かされたが、さっきの甕の事がなぜか頭から離れない。だからだろう、とっさにキネシスで甕を二つ程引き寄せていた。直接手には取らないで宙に浮かせたまま出入り口へと投げ入れた。


「お、おい」

「もってて。それはいるだろうから」

「あ、ああ」


 飛び込んできた甕を反射的に受け取った紅を確認し、僕も滑り込むようにして出入り口に飛び込んだ。その拍子に壁にかけていたキネシスが解除され、薬品部屋を密閉していた上下スライド式の壁は、開いた時と同じく特に音も出さず静かに閉じたのだった。

  

「はぁ~、なんとか出られた」

「息ができるのは素晴らしいな。あと…ほらよ。これは自分で持てよ?」


 先ほど紅に渡した白い甕が此方に飛んできた。危なげなくキネシスでキャッチしてみせる。だんだん使い方に慣れてきた気がする。


「あ、どうも」

「まったく人様を外に待たせて何やってたんだか」

「ちょっと拾い物をね。あ、でもカテドラルさんに持っていってもいいのか聞かないといけなかったかも…」

「拾い物ねェ?宙に浮かせる変な力使ってまで持ってくるものなのか?」

「変な力って…ああ、キネシスね。うん、だってコレ怪我がすぐに直せるすごい薬なんだよ?この先どうなるかわかんないからさ。そう思ったらとっさに持ち出しちゃった」


 また怪我したら大変だし、いろんな意味でこの部屋には戻れそうもないしね。遺跡に置かれていた物だし、勝手に持ち出すのはどうかとも思うけど、怪我するのはもう御免だ。


 だから遺跡に眠る先人さま、どうか薬を持ち出す事をお許しください。


「クスリ?」

「怪我とかを治せる物だと思えばいいよ」


 とりあえず甕は懐に仕舞いこみ、これからの事を相談するべく、カテドラルさんを念言でよぶのだった。


久しぶりの更新です。

信じられます?これ一万あるのに全然話進んでないんですぜ?

でもこういうのもいいとおもうんです、展開が速いとおいちゃんついてけないんです。

のんびりと、進めていきます。


それではまた次回に。

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