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出歩いて、落っこちて、どこだろう?第六章

遅くなって申し訳ありません。

いえるのは唯一つ。もう…夏…きらい…。暑い…。


「それじゃあ、もうここには誰も僕みたいな人間はいないんですか?」

『――最後の者が冥界へと降りてから、ここにいるのは我しかいない――』


 カテドラルさんとの会話は続いていた…。話をしていくと、やはりここにはヒトはもういないらしい。何と無くそんな気がしていたから、それに関して驚く事はない…が、やはり人型の意思疎通が図れる存在が欲しいと思ってしまうのは寂しいからだろう。


 助けを求めたくても人間がいないんじゃ話にならない。カテドラルさんに助けてもらうという手も考えなくはなかったけど、何をどう助けてもらうというのだろうか?具体的なそれが思いつかないので、自然とその考えはお流れになった。


 大体、カテドラルさんには既に助けて貰っている。一人ぼっちだった僕に声をかけてくれた。それは物理的な助けにはならない事だろう。だけど孤独に暗闇をさまよっていた自分としては、それだけでも大きな助けだった。


「ところで、この手甲は僕が持っていて良い物じゃない気がするんですが?」

 

 もう一度、外れなくなってしまった手甲を見る。この魔法的な現象の核となるのはこの手甲であるらしい。改めて先程体験した魔力を引き出されるあの感覚を思い出してみる。力をフッと抜いて身体の内側…、頭や胸のさらに深い場所から、力を流す程、手甲表面のラインが活性化してうねる様に振動し、また淡く発光している。


 それはまるで力強く脈動する血管を思わせた。どくんどくん、と僕の鼓動と連動しているように見える。それを見て僕は無意識だが綺麗だと思った。雷紋に沿って流れる光の脈動が、これまで見てきたどんな装飾や電飾よりも違った何かを感じさせたからだ。


 それに僕は魅かれた。何故だか判らないけどずっと見ていたかった。それはきっと、魔法というファンタジーの代名詞に触れている高揚感なのだろう。その浮ついた感情が僕の中にある色んな負の感情を麻痺させた。それが良いのか悪いのかは判らないが、少なくてもこの身に魔力が宿ったという事実だけは変えられない。

  

 でもこの手甲は本来、デフォー修練場に所属した人間にしか与えられない代物である筈。デフォー修練場の人間でもない、タダの迷い込んだ僕が身に着けていていい物品なんだろうか? 例え、その修練場が完全に廃墟と化していて、そこに人がいないとはいえ、勝手に持っていくのは泥棒のような気がした。


 そんな風に考えていると、カテドラルさんから念言が送られてきた。


『――……持っていて問題ないそうだ――』

「え?」

『――先人達が、そなたがソレを携える事に許可を出した――』

「そうなんですか………え?」


 あっさりと飛んでもない事を言っていたのに、僕はその事に気がつかず普通に返事をしてしまった。だがすぐにハッとしてカテドラルさんに問い返す。


「先人達って地下埋葬室の動く死体の事ですよね!?その人たちってもうお亡くなりなのでは!?」 

『――肉体が死んだとしても、心は残ることがある。死者に心はほぼ無い…例外もいるが、生者のそれとは違い大抵は残留した心の残り香だ。だがデフォーの地下埋葬室に残されし先人たちは少しそういった枠組みから外れているのだ――』  

「幽霊?いやお化け?」

『――自ら進んでそうなったのだ。()の者達の分類はリッチの類になるだろう…もっともソレら化生と違い連中には悪意がない。どちらかと言えば精霊になりかけの霊魂がその者の亡骸へと固着されている。魔法力で動けるのはその為だ。お陰で冥界にも落ちて逝けず、世界の終りまで肉の牢獄に縛られるのだが…まぁそれまで寝てられるので大丈夫であろう――』

「なんで彼らはそんな事を?」

『――研究熱心なのも、考えモノである――』

「あー…」


 つまり、ずっと研究したいので死なない身体というか死んでも動ける身体にしたって事なんですね?そう尋ねたら首肯で返された。ファンタジーだなぁ。


『――ともあれ、そなたが身に着けているそれは、魔力の扱いを導く事が可能な手甲なのだ。進んで得たという訳ではないとはいえ、その身に宿りし魔力を行使する際、何よりもの手助けにはなるだろう。もはやここに訪れる小さき者も現れぬであろうし、朽ちていくよりかは生きている者に使われるほうが道具としては本望だろうよ――』


 だから、遠慮せずに貰っておけと伝えられ、僕はしぶしぶ了解したのだった。


『――手甲についてはもういいだろう――』

「はい、なんかもう諦めました」


 ちなみに、もし返すならどうすればいいのかを聞いたところ、どうしても手甲を返しに行くなら、本来の道は崩れているから元来た道を戻って深淵部を通って埋葬部屋に行けと言われ完全に諦めた。


 僕がこれまでいた地下空洞であるデフォー深淵部は、そこに訪れる人間に擬似的な死を体感させて生まれ変わらせるのが目的の場所である。擬似的な死とは完全な暗闇で上下左右の方向感覚を狂わされる事であり、さらには五感まで麻痺していくという恐怖に満ち満ちているのだ。


 すでに何度か死ぬんじゃないかと思わされる目にあったあんな場所に、手甲を返したいならばもう一度戻れとか鬼ですか? と内心思ったのは言うまでもない。本気で無理である。あの時は何とかなったけれど、もう一回深遠部に降りたら今度は本当に死んでしまう予感がしてそうする気にならなかった。


 本当かはわからないが、先人たちと交信したというカテドラルさんから持っていてもいいといわれているので、この件に関しては気にしない事に決めた。

 それに魔法の品であるならこの先役に立ちそうであるし、このデフォー修練場においてこの手甲は鍵の役割を果たすのだから、どうするにしても必要になるのだ。


『――では語り合いの続きといこうか――』

「お、お願いします」


 そしてカテドラルさん相手の語り合いという名の情報交換は続く。次に何を聞こうか?それを考えた時に頭に浮かんだ。


「カテドラルさん、僕が違う世界から来たことは話したと思うんですが――」

『――なぜこの世界に来たかを聞きたいのか――』


 言葉の途中で遮る様にしてカテドラルさんの念言が届いた。おおむねそのとおりだった。僕はどうしてこの世界に来たのだろうかを尋ねたかった。この目の前の偉大な存在なら僕が言わんとしている事を察してくれる。そして僕にこれからどうすればいいのか答えを導いてくれると淡い期待を抱いていたのだ。


 だが、こちらの思惑は外れ、カテドラルさんから返ってきた返事は、『解らない』と首を振るなんとも味気ないものだった。あまりに簡潔な答えに言葉を失う。

 だが冷静に考えればそれは当たり前であり、カテドラルさんは色々知っているが全知ではないのだ。それでも少しは何か知っているのではと残念に思ってしまう事に僕は自分自身が勝手に期待しておいて、と自分を内心責めた。


『――…だが、心あたりが無いわけでもない――』

「本当ですか!?」

『――デフォー修練場の周りには、かつての魔法用屋外試験場が存在した――』


 魔法は千差万別だが、それなりの規模のを使うとなると、さすがに修練場屋内で実験することは愚かしいことだった。だから修練場の周りには魔法を試すための屋外設備があったという。


 うーん、僕が覚えている限り外は鬱蒼とした森だった。なにかの施設があるようには見えなかったけど…。もっとも僕の場合はワンコによってデッドオアアライブなレースに参加させられていたから、あまり詳しく周囲を見渡してはいない。


 あの時は逃げるに必死で、周りを見る暇もなく地下に流れ込む川へと落っこちてしまったのだ。だから地上に何かしらあったんだとしても、見ていないのも仕方ない事だった。


 それにしても地上。数日はお目にかかっていないなぁ。たったそれだけの日数なのに、なんだか十年は地下に閉じ込められているような気がしてならないよ。なつかしの地上の情景を心に浮かべていると再びカテドラルさんの思念が届いた。


『――おそらくは誤作動が原因。扱うものが居なくなって放置された魔法の陣や術式が長い年月により風化して消滅する直前、術に残された残留魔力を放出する過程で起動したものも幾つかあるだろう。それは大抵が泡沫が割れるようにとても小さいもので、本来は周囲に影響を与える事は殆どない。だが、デフォー修練場は長い年月使われていた――』

「それじゃあ、膨大な魔法実験の跡が偶然に重なり合ったから…」

『――然り、時として事象は神々の想像すら凌駕する。それらの最後の輝きが重なりあった事で世界の壁に穴が開き、そなたのいた世界と繋がったのではないか? そう我は見解する――』

「そんな…そうだとしたら僕は…僕たちは…」


 それはあまりにも、僕にしてみれば荒唐無稽であった。確かに世界を飛び越えるなんて事は神隠しとかのオカルト意外なら魔法のようなファンタジーくらいしかありえない。だが、それを甘んじて信じられる程、僕の心は純粋ではなかった。


 でも、だからこそ確かめねばならない。


「カテドラルさん、もし外に放置されているであろう痕跡を調べて、もう一度術式を完成させれば僕たちは元の世界に戻ることが出来るんでしょうか?」

『――それは…――』


 魔法という事は術や魔方陣という事は、それは概念じゃなくて体系化された技術であろう。ならそれを調べれば戻れるんじゃないかと思ったのだ。でも、カテドラルさんの反応を知る限り、それは難しいというのが言われる前からヒシヒシと伝わってきた。


『――酷な事だが、我の見解では不可能だ――』


 だから、断言されたとしてもショックはあまりうけなかった。もともとが別個の魔法の誤作動が重なった結果であるなら、それを人為的に作り出すのは人の寿命では不可能だという。


 寿命に関してはデフォーが機能していたなら、あの地下の先人たちのように動けるようになることは可能だっただろうが、デフォーからカテドラルさんのいう小さき知恵のある生き物が消え去ってから幾星霜もの時が経っているのだ。当然その技術は失われている。地下で眠る先人たちから教わるのも手ではあるが、彼らも研究をやめてから知識の衰退が激しく、おそらく実現は不可能だという。


 第一、それは僕が望む事ではないだろうとカテドラルさんは哀れみと共に念言でそう述べた。確かに心の中でもし戻れるとしてもそれは人間として戻りたいという感情があった。人間をやめてまで戻ろうという程の覚悟は今の僕には無かったのである。

 

 それにである。カテドラルさんに断言された時、僕は何故だかこの世界で生きてゆかねばならないと思った。薄々であるが以前からなんとなく理解していたからだろう。偶然によってこの世界に来てしまったのなら、その偶然とは逆の偶然が起きなければ元いた地球へは戻れないのだと本能的に理解していたのだ。


 諦めともいえるかもしれない。言えるのは寿命が尽きる前に人間として戻ることはまず不可能。僕のあまり賢くない頭でもそれくらいの想像は出来た。確立はゼロではないとはいえ、よしんば偶然を引き当てられるとしても、それはきっと宝くじを引き当てるよりもずっと難しいことなのだ。


 だから、この話はここで終わった。全知全能ではないとはいえ、僕よりもはるかに頭がいい老いた心竜が断言しているのだ。本音を言うならば、目の前の存在に対して他に案は無いのかと問いただしたい衝動に駆られたが、事は魔法という今までの僕とは縁がなかった技術の事なのだ。素人の域を出ない僕がいくら答えを求めて喚こうとも、それは唯見苦しいだけにしかならないと自ずと理解できた。


 とりあえず、今の冷静に判断できている自分に感謝した。でなければ絶望に押しつぶされていたであろうから。


『――他に知りたき事は?――』

「えっと、それじゃあ…」


 知りたい事はまだあるはずだった。知らなければならない事は沢山あるはずだった。しかし、冷静に考えても、これまでの聞かされた話だけで困惑するような話ばかりであり、一応の納得はして見せたものの真に受け入れるまでは時間がかかりそうだった。


 実際、いま僕はカテドラルさんに何を尋ねればいいのかが解らなくなっていた。次に尋ねるべき事柄が頭に浮かんでこない。浮かんでくるのはどうやってでフォー修練場が建てられたとか、ここ以外にも部屋があるのかという、今はどうでもいい事しか浮かばない。軽く現実逃避も混じっているのだろうと、どこか冷静な部分の僕が告げていた。


 これではいけない、ナニカ尋ねなければ…。


 そう考えれば考えるほど、ドつぼに嵌っている事に僕は気がついていない。これはあれだ、授業で先生に当てられて問題を解けと言われたけど、どうやればいいのか解らなくて、先生に解らないところを尋ねたくても、どこが解らないのかも解らなくなって途方にくれてしまい、呆然と立ち尽くす時のアレと似ている。


 堂々巡りという感じか、はたまたジレンマか。解らないから尋ねたいのに何が解らないのかも解らなくなっている。結局、ウンウン唸って何とか尋ねるべき単語をひねり出せはしたが…。


「この先、僕はどうすればいいんでしょうか?」


 まさしく途方にくれていると言っていい僕の問いは何とも漠然としていた。これにはカテドラルさんも、その四つある瞳をすべて閉じて逡巡してみせる。時間的には数秒にも満たないけど、僕にしてみれば永劫の刻に感じられる一瞬。カテドラルさんの目が開かれるまで、僕は息を呑んで返事を待った。


 やがて四つの眼を開き、カテドラルさんが僕のほうを見つめてきた。深緑にも似た色を湛える竜の瞳はなんともいえない威圧感とも迫力といえる力を感じさせる。思わずつばを飲み込んだ僕に、かのドラゴンは―――


『――わからぬ――』

「ですよねぇ」

 

―――非常に簡潔に答えを出してくれた。思わずがっくりうなだれてしまうのもしょうがないだろう。というか、絶妙な間の取り方の所為で少なからず期待しちゃったよ。


『――我は変わらずここにある。糧を得ずとも存在が消えるのはさらに先の事ゆえ、知恵ある小さき者よ。そなたらが悩む事をまことに理解する事が我にはできない――』


 種の違いというやつだろう。僕は人間、カテドラルさんはドラゴン。心を通わせられたとしてもそのあり方は違いすぎる。目の前の存在は僕から見ても圧倒的強者だ。すごい力をもち、魔法を使えるファンタジーな存在。対する僕は感覚的には未だに唯の一般ピープルである。比べること事態がおこがましい気がする。


「やっぱり、自分でどうすべきかは自分で決めるしかないんですよね」

『――然り。そも、この手の問題に関しては我は力にはなれぬ…――』


 あー、なんとなく理解はしていたので落ち込まんでくださいな。そう念じると一応伝わったのか尻尾が少しだけ揺れた。ちょっとかわいいと思った。


『――だが正味、あまり長くここにいるべきではないだろう――』

「ですよね」


 僕はため息を吐きながら周囲を見渡した。とてつもなく遺跡だ。神秘的で荘厳さが見え隠れしているまごう事なき遺跡だ。遺跡、つまり打ち捨てられて人が居ないという事なのだ。


 僕の手甲を見る限り、マジックアイテム的な品は遺産として残されているだろう。だがそれよりも生きている者として根底に考えねばならぬ問題がある。衣食住の問題だ。ここは廃墟であるゆえ、衣食住の内で一番重要であるはずの食がまったくないのである。


 でも、僕は今お腹がぜんぜん減らないし、のどの渇きも覚えていない。水だけしか飲んでいないけど、この調子ならまだ耐えられそうなんだが? 


『――それはニキシー松の力のおかげだろう――』

「そうなんですか?」

『――あれには生命力を補填する…すなわち体力回復の効果がある。副次作用として食欲を極端に鈍らせるのだ。生命力を直接補填されているから糧を得なくても生きられる。だが、それは物質世界の生命としてはあまり正しくない、理から外れた状態である。ここで生きてくならそれを許容し、ニキシーの水を飲み続ける覚悟がいる――』

「うーん?」

『――簡潔にすれば、毎日味のしない同じ糧だけでそなたは耐えられるのか?ということだ。ちなみに我は耐えられん。そうするくらいなら断ち続けるほうがいい――』


 食すならいろんな種類の心があるほうが望ましいと心竜は述べる。

 意外と食いしん坊というかグルメなんですね。


『――話がそれたが、理由はそれだけではない。ニキシーの力は身体に変質をもたらす程に強大である。それをこの先ずっと身体に満たし続ければ、唯でさえもち得なかった魔力を得たそなたがどうなるか解らないのだ――』


 下手すれば増えすぎた魔力が干渉しあって最悪身体が内側から崩れるかもしれぬと言われ僕は少し硬直した。崩れると聞かされて、某アニメ映画の漫画版でとある国の皇帝がクローニングで長寿を保っていたら限界が来てグズグズに崩れてしまったシーンが脳内でリフレインされた。そんなの怖すぎである。あの泉の水って怖いのね。


『――それにここはすこぶる退屈だ。矮小なそなたが耐えられるとも思えんよ。それに生者は墓地で暮らすものではないゆえな――』


 つぶやくように紡がれたその念言がすこし寂しそうだったのは僕の気のせいだろうか? ともあれカテドラルさんの言いたいことは、居てもかまわないがいろんな意味で覚悟したほうがいいという事だった。


 もちろんそれには餓死も含まれる。いくら飲めば生きられる水でも、飽きずにずっと飲み続けられる自信がない。いつか身体が拒否してしまい、そのまま弱って骨になっちゃうんだ。ああ恐ろしい。


「しかし…それならどうやってここからどうやって出ればいいんですか?」

 

 見渡してみたが僕が入った扉以外に通れそうな扉とかは見受けられない。途中の道も分かれ道は無かったし…もしかしたら薄暗かったから見落としているのかもしれないけど、引き返すつもりはない。


 とにかく、この部屋にもしも他に出入り口があるとすれば、地下で見たようなどんでん返しのような隠し扉とかだろうと思う。


 そんな訳でキョロキョロしていたのだが、その時カテドラルさんが動いた。音はしなかった。僕から見れば山のように大きいのにもかかわらずである。驚いて僕がまたもやひっくり返ってしまうと、再び脳内に念言の声が響き――。

 

『――ふむ、ではその手甲がここでは鍵である意味を理解してもらおう――』


 そういうが早いか、カテドラルさんからオーラのごとき光が集まり、僕もその輝きの中に包まれた。うお、まぶし。



***



 さて、僕は今カテドラルさんの背後にあった壁画の前に立っている。


『――まずは魔力を引き出すのだ。少しでいい――』

「はい」


 ゆっくりと手甲を胸元に持っていき、集中する。すると先ほどと同じく、身体の内側を動くナニカを感じた。身体の奥底に沈むそれを引っ張り上げ、腹から胸…特におへその下あたりから生じたそれを心臓の近くへ回し、さらにそこから腕へ、手甲へと回るように意識する。


 感じる。眼には見えない。だがそこに確かにある。貧困なボキャブラリーしかもって居ない僕だが、そこに満ち満ちた何かを感じた。暖かで柔らく、されども弾力があるというか何というか…、誰か僕に気の効いた語句が載った辞書でも貸してくれ。


 とにかく魔力はエネルギーだ!それしかいえない。


『――それでいい。あとは魔力を伸ばし、それが第二の腕であると思うのだ――』

「第二の腕…」


 そうして魔力なるソレを引き出した状態を維持したまま、僕はゆっくりと腕を前に伸ばす。もちろん手甲をつけた方だ。カテドラルさんに言われるがまま、目には見えない腕を伸ばしていく。イメージすべきは巨人の腕だろう。そうでなければあんなのは動かせない。


『――そして、動かすのだ――』


 眼に見えぬ巨人の腕が対象を掴み引っ張った。するとどうだろう。重たい筈の石壁の壁画が、それこそ軽石で出来ていますといわんばかりにスッと動いたではないか!すごい!あれよあれよという間に壁画だった壁は横へとスライドし、壁画の裏に自動車が通れそうなほどのトンネルがぽっかりと顔を覗かせたのだった。


『――どうだ?初めて魔法を使った感想は?――』

「……驚きました。思っていたよりもぜんぜん抵抗がないです」


 吃驚するほどあっさりと僕は魔法を使っていた。すげぇ。

 

 さて、いったい何がどうなっていたのかというと、簡単に言えばカテドラルさんに魔法を二つほどレクチャーされたのである。しかも口頭等ではなく、まさしく『ファンタジーな感じで』である。少し前にカテドラルさんが光ったのがそれだ。


 心術の転写という技術であり、魔力の波に乗せて魂に直接記憶させる魔法であるらしい。カテドラルさんがオーラに包まれたように見えたのは顕現した彼の魔力波であり、心竜が己の持つ知識を対象者に転写する時に起こるとの事。


 しかし、いきなりであったから驚いた。説明もなしに突然カテドラルさんが光ったと思ったら頭の中に見た事も聞いた事もない知識が溢れ出したのだ。それも吃驚するほど鮮明な映像で思い出せるのだから凄まじい。


 さすがはファンタジーである。ミラクルである。でもその所為で少しめまいと吐き気と頭痛が来たのはお約束なんだろう。胃袋に吐き出せる中身が入っていなくて良かったと思ったね。


 ともあれ、そうして教えてもらったのがカテドラルさんの十八番であり彼独自の魔法みたいな技術…、もう魔法でいいや、ややこしいし…でもある心術の一つである念言。これは先ほどから僕たちがしていた“会話”などの意思疎通に使われるものだが、実はそれ以外にも使える汎用性のある魔法だったらしい。


 というかカテドラルさんの使う心術は単体で成立している魔法はこれしかないのだという。後は全て念言のバリエーションでしかないのだというのだから、なんともはや。


 この基本の念言のほかに教えてもらったのは、さっき巨大な壁画を動かした魔法だった。物体移動用魔法という、あまり魔法らしくない名前の魔法である。通称はキネシスと呼ばれ、僕の手に嵌っているカニスの遺した手甲にも刻まれている魔法であり、ちょっと魔力をこめるだけで発生する魔力波を自分の意思で動かし、第二の見えない腕として様々なものを動かせるのである。


 これの凄いところは所謂魔法というモノでありがちな複雑な詠唱なんていらない事だった。転写で教えられたのもそうだが、もともと手甲に刻まれているからか、発動に必要なのは魔力と己の意思だけである。思うがままに物を持ち上げたりはもちろんの事、薄く壁になれと思えばそこには見えない壁が現れる。非常に使い勝手居のいい魔法だった、使い手のインスピレーションしだいで色々出来そうである。


 でも、初めての魔法をこうも容易く扱えるのは先に覚えた念言のおかげだといえよう。心術・念言は意思を相互に伝える橋渡しをする魔法に似た技術だが思いを伝えるそれが魔法を操作する時にイメージを鮮明にするブーストの役目を果たすらしい。さっき壁画を動かした時も念言を使用した状態でキネシスを行使したのである。


 そして念言のオンオフは意識で切り替えられるようだ。じゃあ、念言なしだとどの程度なんだろうと思い、念言ありきのキネシスから無しでやってみようとすると…壁はほんの少し揺れただけであった。


 非常に集中すれば同じように動くようだが、ちょっとでも意識をそらすとガクンガクンとなる。魔法を使う時は念言は常にオンのほうがよさそうである。こうして僕の初めての魔法らしい魔法は詠唱とかいらない念じるだけの魔法だった。


 だが、未知の体験に疲れすらの吹き飛んで興奮していた。試しに見えない壁に向かって落ちていた小石を投げてみると何かに当たったようにして落っこちた。自分でも手を伸ばしてみると本当に壁がそこにある。セルフパントマイムが出来るよ!


 あと、キネシスは動かす物体の重さも慣性も感じないようだ。もうホント驚くばかりで言葉に出来ない。僕にしてみれば謎のパワーが備わった事は体験も通して実感してはいたが、それがより判り易い形として現れたといえよう。これには思わずはしゃいでしまう。

 

 そこいらに落ちていた瓦礫の破片をキネシスで浮かせたり降ろしたりと、僕はこの不思議な力に魅了されていた。良くも悪くもこれがまた楽しいのだからしょうがない。


「ほへー、わぁ~」

『――これでそなたもこのデフォーの中で扉に遮られることはなくなったな。この先へと進めば外へ出られるであろう――』


 そんな風にはしゃぐ僕へとカテドラルさんの念言が届いた。そういえば、僕はここから出て行く為に壁画の通路を開いたんだっけ。


「えっと、それじゃあカテドラルさん…。ありがとうございました」


 僕はこれまでの事を思い出しながら、目の前の優しいドラゴンさんに対し、万感の思いと共に腰を曲げて礼をした。孤独と不安のあまりおかしくなりそうだった僕に声を掛けてくれた上に色々と教えてくれた目の前のドラゴンさんに感謝の念が尽きる事はない。彼がここに居なければ、僕の心へと話しかけてくれなければ、僕はきっと絶望のあまり生きる意欲さえ失っていたかもしれないから…。


 それだけでなく出口を示してくれた上に魔法という贈り物までくれた彼の存在に対し、僕が出来る事は感謝を込めて頭を下げる事くらいしかなかった。


『――いや、我は久しぶりの心を感じたかっただけだ。それにその礼はこの程度の事しかできぬ。我がカニスであったならそなたへもっと色々な事をしてやれたものを…、残念だ――』

「いやいやいや!これだけでも十分に僕の助けになってますよ!」


 しかし偉大なる心竜は僕にしてくれた様々な助力がまだまだ少ないと告げてきた。それを聞いた僕はガバっと頭を上げて大きな声で叫んでいた。本音だった。本心であった。だから叫ぶように声を荒げたのだ。


 そんな僕の必死な様子が可笑しく見えたのか、カテドラルさんから喜色の混じった感情を感じる念言と、彼の機嫌がいいときの表現である尻尾をバンバンと床に叩きつける行為を行う。


 これによりサッカーボール大の瓦礫が降り注いで来たが、僕はすでに壁画のあった場所に開いたトンネルに入っているので瓦礫を浴びることは無い。降り注ぐ瓦礫が床に叩きつけられる轟音を背景に僕は彼の存在から眼を離さずにいた。


 カテドラルさんは一瞬、僕と視線を交わした後、慈愛が込められた四つの瞳を瞑りながら告げた。


『――よき語り合いであった。壮健であれ――』

「はい!」


 その念言に、僕はもう一度頭を下げて別れの挨拶を終えた。貴方の慈悲の心は忘れません。でも本当の事を言えば、ここから離れなければならないが不安に感じられる。けど生きていたいと願う生者である僕は衣食住が無いここに居るべきではないのだと理解していたので行動方針は変わらない。


―――ここに来た時と同じく、帰れないなら進むのみである。


「さてと…」


 キネシスでワンコを浮かせるとトンネルの奥へと足を進めた。カテドラルさんが祭られた部屋に来る時に通った通路と同じく暗い道であったが、気力を再び取り戻した僕には恐れるものは…ほとんどない。


 それでは新たな第一歩を踏み出そうでは―――


『――ああ、言い忘れていたが、この先の通路を含めデフォー外延部にかけては風化が激しいところが多々――』

「うえい?!」 


 その時、ぐらり、と視界が揺れたと思ったら床が外れて落っこちた。カテドラルさんの念言が聞こえる前に、僕は浮遊感と共に重力に手を引っ張られる。


「また落ちるのぉぉぉぉおおお!!??」

『――あるのだが…遅かったか――』


 そのまま偉大なるニュートン先生の法則に従い、暗闇の中へと自由落下していった。


「イヤァァァ!!!!――オブッ!?」


 かと思えば、お尻に多大なる衝撃を受け思わず息が全部吐き出されてしまう。しかも勢いは止まることは無く、それどころかむしろ加速した。落ちた先は石畳の様だが滑々で傾斜の付いた滑り台みたいな場所だったのだ。

 その上を転がり落ちていく。視界が二転三転するが手足をバタつかせても止まらない。


「にゃひっ!?」


 ふたたび浮遊感。こんどは放り投げられた時と似ている。回転する視界の中で認識できたのはぽっかりと口をあけた縦穴に放り出されたという事だ。偉大なるニュートン先生の法則に引っ張られている僕がそれに反応できるはずもなく、加速したまま放り出された反対側の壁へと飛び落ちていく。


 すわ壁に激突かと思えば、ちょうど反対側の壁にも同じように穴が開いていてまるで吸い込まれるかのようにしてそこに入り込み…、そちらも同じく傾斜が付いているので止まることなく滑り続けた。


「ひぃぃぃ――!…っ!?マズっ!?」


 そう口に出した時には手遅れだった、行く手を塞いでいる木の板のようなモノが見えたと思ったら、僕の足はその板に接触して突き破っていた。同時にパンという破裂音がいくつか響き、さらにはグキリと嫌な音が足から響いたかと思えば、感じた事が無いほどぶつけた個所が熱くなった直後、再び浮遊感を覚えた。


「うあぁぁぁぁぁ!!!!」


 叫ぶのと同時に壁らしきものへと激突し、滑落するのがようやく終わった。だが僕はそれどころではなかった。落下しながらいろんなところを打ちつけたので全身が痛かったからだ。


 なんとか身体を起こそうとしたが、全身うまいように動かせない。特に足にいたっては力を入れても抜けてしまうようにして力を込められない。それでも痛みに歯を食いしばって何とか身体を起こしたのだが……。


「ひっ…」


 左脚がパンパンに腫上がっていた。しかもマダラに光る石たちを詰めてあったポケットが内側から弾けている。どうやらぶつけた拍子に爆発してしまったらしく、その部分から赤い血がダラダラと流れ出していた。更にはどこかに引っかけたのか、左足のズボンが足元の裾から裂けてしまい、その裂け目を見ると真っ赤というよりも赤黒く変色して腫上がった無残な左脚が顔を見せている。


 おまけに内出血の青緑色がところどころに斑を作っているのが見えて眩暈が来た。僕は医者じゃないからどうなっているのかは見ただけでは解らないけど、大怪我を負った事だけは理解できた。ただ骨折したとか考えるよりも先に、あまりのショッキングな光景に口から嗚咽が出始める。大の男が泣くのは恥ずかしいなどと言っている場合ではなかった。


「うえ、うぇぇぇ…お、折れた。おれちゃったよぉぉ…!」


 転げ落ちて動揺していたところにこの大怪我。パニックにならない訳がない。痛いし辛いのに、それをどうすればいいのか解らなくなり嗚咽を零していると、僕が滑落してきた穴からナニカが滑り落ちてくる音が…そういえばワンコはどこに?


「うぇ、ひっく…いけないっ!」


 涙で揺らぐ視界のまま見上げた先、僕が滑落してきたのと同じ穴から放り出された赤い毛玉が見えた。それを見た僕は泣きながらも慌てて手をかざしてキネシスを掛けようとした。


 だがタイミングが悪かったのか魔法の見えない腕で掴んだはずの赤きワンコは、手からすっぽ抜けるようにしてキネシスの拘束から逃れてしまう。


 僕があっと言う暇もなく、キネシスで掴んだことで空中で方向転換した赤きワンコは結構な勢いで僕のすぐ脇にあった陳列棚みたくなっている場所へと頭から突っ込んでしまった。


「ど、どうしよう…イタタ!」


 二重の意味で。全身の怪我は痛いし、元の世界から来た相棒みたいなワンコは無事なのかもわからないし、混乱したまま途方に暮れるしかない。


『――大丈夫か?小さき者よ――』

「カテドラルさん!?」


 そんな時に脳内に響いた古き心竜の声はまさに天の助けだった。後で知ったのだが、カテドラルさんの念言の効果範囲はかなり広く、若干離れた場所に落ちたであろう僕のところへと声が届いたのだ。


「あの!落ちたら棚があって!足を突っ込んだ先が戸板の怪我でして!!」

『――状況は把握している。まずは落ち着くことだ――』


 だが、痛みと現状に困惑していた僕は愚かにもまくしたてるようにカテドラルさんに現状説明をしていた。カテドラルさんの声がまだ届くという事を認識した所為で気が緩み、パニックに拍車をかけたからだった。


「それで!それで犬くんが!痛いしどうすればいいの!?う、うわぁぁああん!!」

『――ふむ………少し黙りなさい――』

「ひっ…!?」


 しまいには泣き出す始末である。これにはさすがの心竜さんも御怒りになられたのか、脳みそに響く念言が一瞬重たくて強いものへと変わる。そのあまりの強さに冷や水を浴びせられたごとく体がビクンと跳ねた。


 肉体という言わば防護壁に阻まれているはずの心は、偉大なドラゴンさんが行使する心術を前には無力に等しく、そんな無防備な心へと送られた生の圧力を感じた僕は、足の痛みも忘れ小さく悲鳴を上げる事しかできなかった。


『――威圧を高めた事はすまぬ。されどそうでもしなければ、そなたは落ち着かぬであろう?――』


 されどすぐに威圧感が消滅し、こちらを気遣う様な優しい感じへと変化する。そして聞こえてきた念言にコクコクとクルミ割り人形の如く首を上げ下げして同意した。相変わらずカテドラルさんは人間などを遥かに超越した存在なのだと再認識する。


 それにしても瞬間的であっても出会った時のような威圧感を感じた僕としては、その変化は氷が解けて心地よきぬるま湯へと変貌したような感じに等しい。


『――また困惑する前に、すべき事だけを伝える。従え――』

「あ、はい…」


 次に心へ響いたのは凛とした感じであった。思わずやらねばと思ってしまう空気というか、とにかく指示に従わねばという気分にさせられた。


『――すべき事は単純だ。今そなたがいる場所からみて真正面に棚が見えるであろう。そこの一番右下にある白い(カメ)をキネシスで引き寄せるのだ――』


 言われた通りに甕を引き寄せた。まるでヒョウタンの如く括れがついたソレには粘土で蓋がされていた。


『――封をとり、中身を怪我へと振りかけろ――』


 封は固かったものの、キネシスの敵ではない。シャンパンのコルクが飛ぶようにして粘土の封が外れ、その中身を手に取り出してみた。何かの粉だった。見た目ポカリの粉末である。もっとも甘い匂いもしないし、薄い硫黄みたいな臭いで砂みたくサラサラしているが…。


「いつつ…南無三っ」


 痛みがぶり返したかのようになってきたので身もだえしながらも、言われた通り粉末を怪我へとぶっかけた。途端、痛みが消えた。そう、まるで麻酔でもかけたかのようにジーンと痛覚が鈍くなり、腫れていた部位もみるみる内にしぼんでいく。


 ここまで来れば粉の正体が何なのかが大体わかってきた――魔法の治療薬だ!


 その信じられない効能に、まさしく今!目の前で奇跡が起こっている事に気がついた僕は眼を見開いた。


「嘘ォ…」

『――まことである――』


 律儀な突っ込み感謝です。気がつけば傷はほとんど治っている。試しに立ち上がってトントンと飛び跳ねてみたが、若干の違和感があるだけで痛みはほぼ無くなっていた。現代医学をはるかに凌駕する効能に、さすがはファンタジーと、口には出さなかったが賞賛の言葉を送った。

 

『――怪我は癒されたか? ではもう一人のほうにも使ってあげなさい――』

「はい!」

 

 怪我が治ったからか元気が沸いてきたような気がした僕は、甕をキネシスで持ち上げながらワンコのほうへと走った。この時、僕は興奮状態にあった。大怪我がほぼ一瞬で完治したという奇跡を垣間見た事で疲れ切っていた僕の精神が過剰反応していたのだ。


 なのでカテドラルさんに指示された事も半ば無意識で聞き逃していた。もちろんこの時の僕にそんな自覚はない。ただ手に入れた魔法薬で一刻も早く同郷の士で愛着が沸いたきたあの可愛そうな動物を直してやらないといけないという感情だけに突き動かされていた。


 ワンコの元へと来た僕はそのすぐ近くに膝を落とす。ワンコは僕と違い壁には激突しなかったものの、薬品棚のほうに突っ込んだのかいろんな色の粉で彩られていた。赤毛が青やら黄色やら緑やら…それらが混ざり合って色々とカオスであった。だがそれらに混ざり血が流れている。ぴくぴくと若干痙攣しているのでまだ生きているが、このままでは目の前で生命が途絶えてしまうだろう。 


「今、なおしてあげるからね」

『――まてっ、小さき者!――』


 とにかく治してあげなくっちゃ…! その思いに突き動かされた僕はそれがどういうことになるのかも考えずにキネシスで甕から粉薬を噴霧させてしまう。カテドラルさんが叫ぶようにして僕を止めていたが時すでに遅く、噴霧した粉薬は宙を舞いワンコへと降りかかっていた。


 粉薬が降りかかった直後はなんとも無かった。精々ワンコがブルリと震えた程度である。だが怪我を負った部分に降り掛かった粉薬が血と混ざり合い、怪我を修復し始めながら、元々かかっていた他の薬剤に触れた直後…ワンコは輝きだした。犬が光る?思いもよらない事態に頬をつねる。


 後々冷静になって思えば、僕はまずワンコに降り掛かっていた薬品を除去してから治療薬を振り掛けるべきだったのだ。ただでさえ信じられないような即効性と効能を持つ魔法薬である。種類が違うが恐らく同じように魔法の薬であったであろう粉薬が幾つも降り掛かっていたワンコに、さらに治療薬を添加すればどうなるだろうか?

 

「え…あ…どうなって?」

『――あせりすぎだ愚か者め――』


 結果、どうなるかわからない。うろたえているとカテドラルさんの呆れが込められた念言が響いてきた。うう、面目ないです。


 赤犬さんを包む輝きは徐々に強くなっていき、気がつけば薄目にしてもまぶしいと感じるほどに輝きに満たされた。光の繭に包まれてしまって、中がどうなっているのかを窺い知ることができない。この時点で僕は自分がしでかしてしまったうっかりをのろった。


 時間にして十数秒だろうか? 徐々に輝きは収まりをみせ……いや違う。輝く光の塊は小さくなっているのに、輝きが全然おさまってない!?


『――離れたほうが良いと我は思う――』

 

 念言が響くが早いか、僕は這いずるように背後へと飛び去った。バランスを崩してしりもちをつくのと同じくして光が弾ける。音はしなかった。爆風も無かった。衝撃も無かった。されど表現するのであればそれはまさに爆発だった。


 弾けた光は玉となり、渦を巻くようにして漂ったかと思うと、ある一点にむかい一気に収束する。そこはくしくもワンコが居た場所であり、集まった光がつながりあってどんどんと大きくなる。


 そう、ワンコより二周りほど…身体が大きくなっていた―――やがて光が消えて、そこに現れたのは、ワンコではなかった。



「……ほわい?」


 思わず英語で疑問符をつぶやく。背丈は150cmくらいだろうか?170cmの僕の胸のあたりに顔が来てるところを見ると大体そんな所だろう。顔はどこか幼いようでいて、それでいて精悍な顔つきにも見える。あと眉毛が太い。見苦しくない程度に桜の花びらみたいな形である。他は紅い髪でやや癖毛があるようだ。

 

 何が言いたいのか?それは―――


「わ、ワンコが女の子に?」


―――光が収まったと思ったら、そこには女の子が横たわっていた。


 信じられるだろうか?そりゃ魔法の薬だったし、凄い効能があるのはわかっていたし、ここは存外ファンタジーな世界だとも思っていたけど、実際眼にするのと知っているのでは随分と違いがある。


 まるでラーメンだと思っていたら実は妙に具沢山なニューメンだったというか…名に言ってるのか解らないがとにかく混乱している。とにかく頬をつねるんだ。夢なら痛くない、夢じゃないなら痛…痛たたたた!?


「嘘ォ…」

『――まことであろう――』

「なんか同じやり取りをさっきしたような…でも彼女はいったい?」

『――そなたがずっと背負っていたあの生き物だ。まったく…我が止める前に勝手に動くとは、そなたら小さき者は結論を急ぎすぎるのが悪癖だ――』

「う、面目ないです。って、やっぱりあの娘はワンコなのか」


 見れば見事な紅髪に混ざるようにして二つの突起のような部分が見て取れる。どう見ても犬の耳である。人間の耳がある部分からピョコンと飛び出しているのだ。なんというか人間と犬との融合というか、トランスフォームというか、変身というか…、もうなんでもアリだなこの世界。


『――それはそうと、そろそろ目覚めるぞ?――』


 ワンコ、いや女の子に変化したその娘のほうへと目をやると、すでに身を起こして眼をぱちくりさせていたのと目が合ってしまった。その途端、発動させていた念言を通じて、彼女から感情が流れ込んできた。


 驚愕と好奇心と不安と少々のおびえ、そして何故か歓喜…。


「え?」


 彼女は四つん這い…、そう犬のような動きでゆっくりとこちらに近寄り―――


「………」

「な、なにさ?」


 尻餅をついたままの僕をじーっと見つめてきた。息が掛かるような距離。短い人生だけどこんな経験なんて全然ないチェリーな僕は心拍の奏でる五月蝿さに耳が痛く感じた。


 やがて眼の前の少女は口角を吊り上げるようにして、笑みを作った。


 それはそれは容姿の整った少女の貌にとても良く映えるような綺麗な笑顔。だけどそれを見た僕は背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。その笑顔はどこまでも純粋かつ綺麗で、そして獰猛な獲物を見つけたときの貌…。

 

「がぶっ」

「あんぎゃぁぁぁぁーっ!?」


 言葉を溢す間もなく。ギラリと眼を光らせた彼女は、倒れたままの僕に圧し掛かると、その犬歯が伸びた口角を広げて頭に齧りついてきた!


 暗い遺跡に僕の裏声になってしまった叫び声だけが木霊した。



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