出歩いて、落っこちて、どこだろう?第五章
説明回です。
朝、眼が覚めると僕はいの一番に身体を伸ばす。
ぐぐぅーっと夜中に凝り固まった背筋を伸ばし、パキポキと背骨が小気味良い音を立てるのを聞きながら布団から出て窓を開け、朝一番の綺麗な青空と澄んだ空気を肺に取り込んで、こう思うのだ。
今日も一日頑張ろう!と。
その日の気分で朝食を作ったり作らなかったりして、服装を整えて学校へ行く。その日の授業を終えるとバイトがない日はそのまま帰宅し、気をつけないとすぐに溜まってしまう家事を消化する。その後、布団に潜り、今日もつつがなく平和な日々が終る。ああ、これが平穏って事なんだろうなァ。
そんなガラにもないことを考えつつ、徐々に瞼が重くなっていくのを心地よく感じながら、明日も頑張ろうと考えるのだ。何時もお世話になっている皆様方、おやすみなさ―――
《ガルルルルルッ!》
「っ!?」
―――赤毛のワンコ!?なんで!?
気持ちよく眠りにつこうとしていた矢先、枕元に突如現れた赤い犬に驚いて布団から跳ね起きた。赤い犬に凄いデジャブを感じつつ、唸り声が漏れる口から見える剥き出しの牙がとても恐ろしかった。
そう感じた途端、僕の身体は自分の意思と関係なく動き、何故か窓に足を掛けてヒャッハーと叫びながら飛び出した。だが飛び出してから気付いたが、なぜか地面があるはずの場所に地面はなく、水洗トイレを流したかの様に渦を巻いた穴が広がっており…。
「また落ちるのかーっ!!!!」
底が見えない穴へと落っこちた。
そこで気付いた。あ、夢だこりゃ。
***
「―――げぽりゃごぽりゃごぽぽぽぽっ!?」
眼が覚めると僕は水の中をぐるんぐるん回っていた。ちょ!?どうなってるの?!さっきの夢の続きなのか?!ていうか、これ少しでも気付くの遅かったら溺れてたんじゃ…。
「……ごぽ?ぽぽぽぽ(あれ?苦しくない…)」
慌てていたので思いっきり水を吸い込んだ僕は、肺にまで水が入り込んだ気がした。だが何故か気管に水が入り込んだ時特有のむず痒さを伴う苦しさを感じなかった。むしろ深呼吸をした時のようにしゃっきりとしている気がする。吸い込んだ水に物凄く酸素が含まれていたのだろうか?それとも何時の間にかエラ呼吸でも体得してしまったんだろうか?
どっちにしても常識がカッ飛んで―――
『――目覚めたな、知恵ある者よ。そして迷い込んだ者よ――』
「ごぱぁ!?」
『――突如眼の前で眠ったのは失礼だ、が、久しぶりの来客である。眼は覚めただろう――』
「ごぽぽぽ―――!!(そりゃあ…でも、なんで苦しくないのかが解りませって、この頭に響く声は!夢じゃなかった!?)」
『――そうだ。心竜カテドラルだ。もう一度良く覚えると良い――』
そう頭に響いた直後、僕を取り込んでいた水の流れが、まるで元から無かったかのようにして消えてしまった。宙に浮かんでいたのか、僕はそのままお尻を床にたたきつけられて悶絶する。
その痛みでより意識がはっきりしたので、状況を改めて認識する事が出来た。
即ち。
「――ああ、夢じゃなかったのかぁ」
なんか、凄く懐かしくて、優しくて、気持ちのいい夢を見ていた気がする……ついでにソコに転がっているワンコに少しだけ恐怖を感じるのは気のせいだろうか?
赤いワンコに身震いしていると視線を感じる。見上げれば無言でジッとこっちをその四つの瞳で見つめてくる、現在進行形で僕を困惑させる大元。心竜カテドラルが僕を見つめていた。
どうしようこれ…。
***
人間は誰しも感情を持っている。特に特殊な訓練を受けて感情を抑制しているとか言うような人でもない限り、僕みたく極一般人なら喜怒哀楽を表せるのは普通の事である。
そして人間だからこそ、怒りであれ、喜びであれ、…そして混乱でさえ、感情の爆発が起こった直後は感情の線がフラットになるのだ。何故解るか?それは僕が今まさにそんな状態だからである。所謂賢者もーど…とは何か違うんだろうけど、多分合っていると思う。
そんな賢者もーど(仮)な精神状態になった僕は、先ほどいい夢を見せてくれた眼の前に鎮座していらっしゃる“ありえないのに確かに存在する”存在に対して、極自然と顔を向けていた。なんていうか、これ迄のあまりにも理不尽な境遇と驚きの連続が合わさって最強になったというのか。それに加えて、あまりの理不尽さについに精神が限界を迎えてしまったが故の感情の暴発で、それまで色々と溜め込んでいたストレスが、一時的に吹き飛んじゃったというか…。
正直、ぜんぜん状況は改善していないのに、ある意味でこの摩訶不思議な状況に適応出来ているのは、人間の美徳といえるのかもしれない。追い詰められたあげく背水の陣で、それでも意思疎通が図れるだけで孤独を木っ端微塵にしてくれた相手なのが嬉しいからなのかも。
たとえ、それが人間じゃなくても喜びを感じてしまうのだ。僕、もう駄目かもしれない。
僕が気絶中に見た夢は眼の前の強大な存在、心竜カテドラルさんが見せてくれたらしい。なんでも悪意があるかどうか僕の心を覗いた影響で、僕が望んでいる光景が夢に現れたという事らしい。良く覚えていないが、断片的に思い出せるのは平凡な普段の生活。こんな状況に落とされた今の僕は平穏な日常を渇望している。そういう訳なのか…。
「あの、カテドラル…さま?さん?」
少しして落ち着いた僕は恐る恐る、こちらの言葉を理解していると思われる眼の前の存在、圧倒的強者の威厳を放っているドラゴンのカテドラルさんに声を掛けていた。この場所を知っている存在が眼の前にいる。色々と磨耗していた僕は怖いと感じつつもそれ以上に現状を知りたかったのである。
とはいえ相手はファンタジーの代名詞。大抵の物語では物質世界において、実力最高峰に位置することが多いドラゴンである。普段のまともな精神状態ならスタコラサッサと逃げだしたくなるくらい、その巨体が放つ圧倒的存在感に少し震えを覚えた。なのでドラゴンさんの事を思わず様付けしたほうがいいのかな?等と脳裏をよぎったのは仕方が無い事だった。
第一、僕が知っているドラゴンというのは、所謂テレビゲームや物語に出てくるそれだった。大まかに大別すれば【獣の様に襲い掛かってくるドラゴン】か、【人間よりもはるかに賢くて知恵を持ち言葉を操るドラゴン】の二種。そのどちらにも言えるのは、ただの人間一人では到底太刀打ち出来ない程強力なパワーを持っている事であろう。
当然、僕みたいな一般人なんかは、敵対したらトイレットペーパー1枚引き裂くよりも簡単に引き裂かれるてしまうのは間違いない。そう考えると非常に恐ろしい存在である。あの大きく裂けた口なんて僕を一飲みに出来てしまいそうではないか。生きたまま丸呑みにされるて、胃袋の中で酸に溶かされるなんて経験は生きていようが死んだ後だろうが御免である。
もっとも、その可能性は限りなく低いと僕は考えていた。相手がその気なら僕は気絶している間に喰われている。眼が覚めたら胃液の中とかどんな罰ゲームだと変な考えが過ぎったがそれは無視した。それにしても先ほどから黙っているドラゴンさんが怖い。黙って見つめられると、その四つある目玉で僕の事を市場に並ぶ魚と同じく品定めをしている様に錯覚してしまう。
き、きっと僕なんて小さ過ぎて美味しくないから大丈夫!そう自分自身に暗示をかけて奮い立たせ、ドラゴンさんが返事を返すかを見つめた。
『――ふむ、カテドラル、でよい。どう呼ばれようが我は気にせぬ――』
おびえが混じる僕とは対照的に威風堂々と此方を見据えていたカテドラルさんは、しばししてそう返事を返してくれた。その口調から察するにカテドラルさんはその恐ろしげな風貌からは想像も出来ないくらい温和な性格のようだ。僕みたいに吹けば飛ぶような矮小な存在の声を聞いてくれる事から考えても、そうなのだろうと祈っている。
断言できないのはしょうがないことだろう。こんな経験は普通の日常を過ごしていた僕が、これまで経験した事など無い未知の事なのだ。いやさ世界中どこを探しても神隠しの末に異世界に辿りつき、こうして人間じゃない存在と言葉を交わすなどという奇異な経験をした人間は恐らくいない。いるとすれば僕くらいなのではないだろうか?レア体験だと考えると聞こえはいいけど自分の身に降りかかるのは勘弁して欲しい。
…いかん、まだ参っているようである。
「それでは、カテドラルさんで…。あの、つかぬ事をお聞きしますが、さきほどから僕の頭に響いてくる声みたいなのは、やっぱり貴方様の声なんですか?」
『――そのとおりだ。迷いし者よ。心に直接話しかけている――』
心竜なるドラゴン、カテドラルさんは意外な事に僕の投げかけた質問にちゃんと応えてくれた。最悪無視されるとか、兎に角ココから立ち去れと問答無用に出て行けと言われる事を覚悟していた僕としては良い意味で予想外である。それに最初に遭遇した時と比べると凄く喋りやすかった。何と言うか、カテドラルさんから発せられていた威圧感が急速に軽減されている。
勿論、カテドラルさんの堂々たる巨体が放つ威圧感は健在であるが、それ以外の物理的な重圧を感じるような威圧感は消え去っており、それにより改めて眼の前の存在が壮麗なオーラを放つくらい素晴らしい存在であるように感じられた。
日本で生きてきた僕は、こんな壮大な感覚を受けたのは初めてであった。
『――久々の心と心の交わりなのだ。心を聞くのは久しいが、やはり心地よいものだ――』
「そうなんですか?」
『――心竜は知恵持つモノの心を聞く。それが存在する理由――』
「は、はぁ…」
『――解らなくともよい。我はそういう存在。そう覚えておればよい――』
ま、まぁ。きっと心の機微を楽しく感じるとか、そんな感じなんだろう。
妖怪の覚みたいな意地悪をしてくる感じじゃないし…。
『――さとりとは何か?――』
「あ、えっと。僕の居たところにあった物語に出てくる妖怪で――」
あれ?僕が質問する側じゃなかったっけ?でも久しぶりの言葉を理解してくれる相手との会話だし、ちゃんとコミュニケーションを図ってみよう。それにしてもドラゴン相手にそんな事考えるとか、僕の精神はどうなっているのだろう。良い具合に常識が壊れて来ている気がしてその時僕は少しだけ諦めを学んだ。
………………
……………………
……………………………
「―――僕の居た世界はそんな感じです。ハイ」
とりあえずカテドラルさんが僕に興味を持ってくれたので、尋ねられた事をさらに説明したりした。実のところ、ここずっと暗い地下空洞を彷徨っていた僕も他者との会話に飢えていたので、こうして言葉を交わせるのが嬉しかった。例えそれが恐ろしくて凄い力をもったドラゴンであり、かの存在が使っているのが言葉じゃなくて頭に直接響くテレパシーだったとしても…。
この事を誰か他の人間に話せば気でも違ったかと思われるかもしれない。だけど、あの暗黒とも呼べる地下空洞にいた時から静かに僕の心を蝕んでいた孤独。それと手甲を手に入れた大部屋で怪物に出会った時の衝撃と彼らが運んできた死の恐怖などと比べれば、眼の前でテレパシーみたいな力を扱う、温和で知的なドラゴンさんでは驚かなくなってきていた。
人間、それを状況に慣れるという…なんちって。
それはともかく、この会話は僕にとっても収穫があったといえた。カテドラルさんはこの岩壁に囲まれた住処にかなり長い間住んでいると言っていた。それも夜空や朝焼け夕焼けなどを忘れかけてしまう程長く生きていたという。それはつまりカテドラルさんがかなり長寿であるという事でもある。
そしてこの“会話”を通じて楽しんでいたと言っていた事から考えて、カテドラルさんは非常に高い知性を備えているのが解る。人間以外でも例えばカラスとかが遊びを楽しんだりするのは知っていたけど、こうして会話を楽しむドラゴンさんというのは、なんとも凄い存在だと改めて理解できた今日この頃である。
更にはその生きてきた中で僕みたいなヒトと会話したのは久しぶりだという、落ち着いて考えれば今僕がいる構造物の中には僕のようなヒトは存在していない。つまり、ここは廃墟…そういう事なのだろう。和製RPG風に言うならダンジョンといったところだろうか?出来れば人間に出会いたかったと思ってしまうのは、やはり贅沢なんだろうなァ。
『――そなたの故郷の世界、なんとも面白い――』
「そうですか?僕の身の回りにある物だけ説明したんですけど…」
『――岩壁に囲まれたこの場所で過ごしてきた我は暇だった。故にどのような些細な事柄でも、それを知ることが出来るのが面白いのだ――』
「えっと…お役に立てて恐縮です」
『――それに迷いし者よ。そなたの心はこれ迄感じたどの生き物よりも純朴であったぞ――』
「あ、ありがとうございます?」
何故か褒められた。うーん、普通に受け答えしただけなんだが…。
それはさておき現状を理解したいので、僕のほうからもそろそろ色々尋ねる事にしよう。この廃墟を長らく根城にしているという賢者みたいなドラゴンのカテドラルさんなら、この廃墟が一体どういう場所で、何の為に造られた場所なのかを知っているだろうと思ったのだ。
それにこれ程賢いドラゴンさんである。もしかしたら僕がここへ来てしまった原因も知っているかもしれない。僕は居住まいを正しカテドラルさんに向き合った。改めてカテドラルさんを見ると、やっぱり大きく感じる。時折響く風の音はカテドラルさんの息する音であり、それだけでもカテドラルさんの事を知らなければ、いろいろと縮み上がってしまいそうだった。
それでも僕は…ここが何なのかを知りたかった。
「…あのっ!カテドラルさんに色々と聞きたいことが――!」
『――よいぞ――』
「え?……い、良いんですか!?」
『――小さき知恵ある者と心語らうのも久しぶり故、な――』
それもまた一興よ、と意外と簡単に質問を許可してくれたカテドラルさん。意を決して口を開いたのに意外とあっさりOKをもらえたので、僕はなんだか力が抜けてしまった。本当にカテドラルさんはいい人(?)なんだなぁ。
「あの、なんで僕は…その、言葉がわかるというか。上手く言葉に出来ないんですけど、僕が異世界から来たと考えている事は話しましたよね?だから言語も違うと思うんですけど…」
最初の質問、それは言葉に関して。これがかなり疑問に感じていた事だった。聞かなければならない事柄はそれこそ山こそあるのに、何故僕はイの一番にこの場所の事とか、カテドラルさんの事とか、不思議な力とか、この多分異世界の事とかを聞かないで優先順位が低い事柄から尋ねたのだろうか?
でも、誰かとコミュニケーションを取る時は、余程親しくない限り、先ずはワンクッションさぐりの話題を挟んだほうが、会話ってスムーズになる。短いながらも学校やバイト先などで得た経験上、必要な事なのだ。
まァ、まだちょっとだけカテドラルさんに隔たりがあるのも理由の一つなんだけど…。それはさて置き、僕に問いかけられたカテドラルさんは特に言いよどむ事もせず、すんなりと極自然に、それでいて非常に簡潔に、一行で説明をしてくれた。
『――我は心を聞く。逆に心を語る事も出来る――』
「…………え、えーと」
しかしその解答は、僕の頭では理解できなかった。
心を語るって心竜さん独特の言い回しなんだろうか?
『――端的に言えば、そなたが聞いている声は我の声にあらず――』
続けて語られた衝撃の事実。声は声にあらず…余計にわけが解らない。
えっと、ようはテレパシーみたいに言葉を遠くに伝えているんじゃないって事?理解の範疇外に疑問符がドンドン浮き上がってくる。
『――迷いし者。そなたの心が語る感情の波や意思、考え方は、他の知恵持つ生命とさほど変わらぬ。そなたの心が語るそなたの居た世界では意思を言語なる暗号発声が主な意思疎通法であるが、それだけが心を伝える手段ではない――』
そんな僕を見かねたのか、カテドラルさんは更に補足を伝えてきた。
「たしかに、パントマイムや手話みたいに言葉を使わないのもあるけど…」
『――それらとはやはり違うが根源では皆同じ。心を意思を伝える事が根幹にある。
故に心が似通っているならば心を語る事で意思疎通は図られよう。
そしてこの力はもっと単純に意思を直接相手の心へ送っている。
然るに受け取る側の心が覚えている記憶を揺らし、それと似通った形に整える。
すると受け取る側の心が不思議な事に送られた意思を何となく解釈し翻訳するのだと、我が行使する術の一つである、心術『念言』をカニスはそう分析していた――』
「うんと、うんと…心の声がそのまま、僕の知っている言葉になる?」
正直な話し、僕が理解できる範囲はそれが限界だった。ニュアンス的には今述べた言葉通りなのだと思うのだが…その時だった。僕が憶測を呟いた途端、カテドラルさんは突如尻尾をダンダンっと床にたたき付けた。
その巨体が振るう尾の力は強く、床のみならず壁や天井まで震動し、細かな砂埃が舞い落ちてくる。尾が起こす震動に立っていられず尻餅を点いた僕はカテドラルさんの突然の不可解な行動に、もしかして何か言ってはいけない失言をしてしまったのではないかと背筋が寒くなった。
そんな僕を見つめるカテドラルさんの口元が恐ろしげにつり上がる。くすんだ黄色をした何十本という柱の様に太い牙が見えた時、もう駄目かと眼を瞑った。
だが。
『――その通り!理解が早くて実に好ましい!…しかし何ゆえ身を縮こませている?――』
どうやら先ほどの尻尾による床バンは、カテドラルさんの喜びの表現だったようだ。
カテドラルさんの喜びようはジュラシッ○パークも吃驚するほどの迫力であり、それにより尻餅をついてしまった僕は悪くないだろう。
この床バンの影響でパラパラ雪の様に舞い落ちてくる埃を叩きながら再び居住まいを正した。ひっくり返ったままで話を続けるのは相手に失礼だし、それに僕も恥ずかしいと思ったからだ。
「よ、よろこんでたんですね」
『――それ以外の何に見えたというのだ?――』
「僕が何か怒らせるようなことを言ってしまい、そのままプチっとされちゃうのかと…」
『――それはない――』
「ほっ」
『――久々の話相手をむざむざ壊すものかよ――』
「あ、しないって訳じゃないんですね…そうですよね」
僕としてはソコはしないと断言していただけると凄く安心できたんですが…。
というか、冗談とか言えたんですね。冗談ですよね?ね?
『――告げたであろう。我の言葉は術を通じて、そなたの心に直接響かせている。そして、この声もまたそなたの心がそれとなく翻訳していると。印象など心が感じたものがそのまま言語の形に現れているのだ――』
ん?って事は…心が持つイメージ次第で言語の感じが変わるって事なのかな?
ちょっと想像してみる。
『『――我は、心竜カテドラル…この場に留められし、心を聞く存在――』』
これが最初に聞いたカテドラルさんの自己紹介。あの時は恐ろしくて強い存在がいるって印象だったからなんか尊大で偉い感じの言葉遣い。これがもしも少し軽い感じだったなら…。
『『――私は心竜カテドラルです。この場所に住んでいて心を聞きます――』』
これはこれでありかもしれない。なんか凄く丁寧な感じになる。
今だから分かるけどカテドラルさんっていいドラゴンさんだったわけだし。
…………ちなみに更にやわらかくなると、どうなるかな?
『『――僕は心竜のカテドラルさ!この部屋に住んいる僕は(心の)お話が大好きなんだ!色々きいちゃうよ~!――』』
これは何処のピエロだろう?
第一印象ってすごく大事なんだと改めて認識しました。ハイ。
『――心は聞く、しかし相手の思っている事が全て解るという訳でもない――』
僕が変な想像をしている中、そんな事を気にも留めずにカテドラルさんは説明をしてくれた。なんでもカテドラルさんは相互間で意思を伝える方法、こころのじゅつと書いて心術という魔法のような力を使うらしい。ドラゴンがいる世界に神隠しというオカルトめいた事象が僕の身に起きているから魔法もあるんじゃないかと思っていたら案の定である。
説明の中で心術の事をあくまで魔法のような力と表現したのにも理由があるとカテドラルさんは続けた。なんでも魔法に非常に近いが心竜という種族のカテドラルさんが独自に使う技術体系であり、微妙に魔法のカテゴリから外れているから…らしい。よく解らんが空気を読んで一応頷いておいた。
それはともかく話を戻すと、心術とは確かに心を見聞きし、心を見せる術であるらしいのだが、全てが垣根なしに相互間で伝わるのかというと語弊が生まれる。全ての思っている事、考えている事がお互いの心に相互間で伝わるわけではなく、術者が心の大きさや力量差でお互いに伝わる心の声の匙加減と調整するものらしい。
これはカテドラルさんと僕のケースに当て嵌まるのであるが、ヒトと竜とでは心の大きさに差があり過ぎる故、下手すると僕の心が飲み込まれて壊れてしまうとか…カテドラルさんが手加減を知っている謙虚なドラゴンさんで助かったといえる。下手すれば廃人一直線。それは怖い。
ともあれ、こころの全てを晒すというのは、いわば湖に色水を一滴垂らすようなものだとも言っていたから、それだけ気を使う術なのだろうと僕は理解する事にした。実際の所は全然わからないが、魔法の魔の字なんてファンタジー系のゲームや小説といったサブカルチャーでしか知らない僕が簡潔に説明された程度で理解できる訳がないのだと開き直った。
更に説明は続き、長寿のドラゴンなどからすれば、逆に僕みたいな短命で小さい知恵ある者の心は非常に忙しない。悠久の時を過ごす長寿なドラゴンさんからすると、僕達の心は心術でフィルター掛けないと少々煩いくらいなのだそうな。
どんなイメージかを聞いたところ、小動物がえさに群がるのをケージの上から耳を当てて聞いているような感じらしい。それはたしかに煩い。
そんなにも次元が違うというのに態々僕のレベルに合わせてくれている事に感謝であると告げたところ、此方もいい暇つぶしが出来て楽しんでいるからよいという、なんとも身も蓋もない念言が届いたのでなんともはや、である。
気を取り直して違う事を尋ねよう。あと心の中におけるカテドラルさんのイメージは最初の強大な存在ってイメージで固定する。流石に一番最後の道化師みたいなノリになってしまったらイメージ崩壊もいいところだ。それだと僕が色んな意味で耐えられそうも無い。
「それじゃあ次の質問ですが、この場所は一体なんなんでしょうか?」
『――我が祭られし部屋だ――』
「あーっとそのう、もうちょっと広い視点といいますか…この建物は一体何なのかが知りたいんです。言葉足らずですいません」
『――よいよい。そういう薀蓄をするのも久しいのでな。それはそれで心が躍るというもの…失敬、この場所は何なのかであるな、ここは賢者カニスの造りし修行場であり、永劫の時の中でカニスの一派めらが眠る為の墓地でもある。ここを管理していた小さき知恵ある者共は皆こう心で呼んでいた。デフォー修練場、と――』
「賢者カニス?デフォー修練場?」
新たな単語が出てきた。
どうやら僕がいるここはデフォー修練場とかいう場所らしい。それと賢者カニス。賢者って事はそのままの意味なら凄く頭がいい人がいたのだろう。そういえばさっきも心術とやらの説明の中で、ちらりとその名前が出ていたような…。
誰なんだそのカニスって?
『――カニス、彼奴は我をここに括った者の名――』
「括る?そんな幽霊じゃあるまいし…」
幽霊なんかいないさ、とは干物の化物たちを見た後だと自信が持てない今日この頃。
『――心を聞く存在である心竜は、所謂物質世界よりも霊的な世界との方が関わりが深い。故にカニスは心霊をも留める性質を持つエネシウムなる合金を作り出し、それ依り代に我を括ったのである。もっとも、その事については我も同意していたのだが――』
「えっと…望んでこの場所にいたんですか?」
見ただけで凄く強そうなドラゴンであるカテドラルさんが、一つの場所に括られるのに同意したという事に僕は驚いた。カテドラルさんなら世界中何処にでも渡れると思うんだけど…。
『――小さき知恵ある者たちの心を聞くには、素のままの我はやや希薄すぎる故。もっとも、その所為で知恵ある者が途絶えた後もこのデフォーに永劫括られているが、それも我の選択が招いた事、迷いし者が気にすることではない――』
そう言い切ったカテドラルさんは心術を通じて本当に後悔していないんだよ、という感情を僕に直接伝えてきた。
ああ、言葉じゃ伝わらない事もこうされるとなるほどと納得できてしまう。これが心術なんだ。とにかく、話はまだ終っていないとばかりにカテドラルさんの心術である念言は続いた。
『――話が逸れた。本題に戻るとしよう。この場所について…ここは、そなたが教えてくれた異世界の話しに出ていた学校。本質はそれに近いのだろう――』
「え?学校…この薄暗い遺跡が?」
『――薄暗いのは維持する為のパワーが失われつつあるからだ。
この部屋の様に太陽の光と同じ光を宿す魔力の玉を光源に嘗ては全ての区画が光に満ち溢れていた。それらを造ったのも賢者カニスである。
彼の者は知恵持つ生き物の中でも、それらの扱いには格段に飛びぬけた才能をもっていた。故に自分の言葉を理解できる者共と共にこの場所で研究や後継者を育てた、それと――』
「それと?」
『――そなたが嵌めている手甲、それもカニスが造った代物の一つ――』
「そうなんですか?!」
『――新人達に与えられる、壊れない仲間の証であり、小さい知恵ある者が術を使う為に用いる時に助ける為の代物――』
思いがけず右手に装着されてしまった手甲の事が解り、僕は驚きの声を上げていた。この手甲はデフォー修練場で暮らす事になった新参者たちが与えられて身につける仲間の証のようなものらしい。カテドラルさんの説明によると、デフォー修練場の一員になるには、まず師の監督の下で様々な儀式を行い一員となる決意を固めたという確証を経てから、地下埋葬部屋に降りるのだそうだ。
この地下埋葬部屋という名称だけでピンと来たのだが、どうも僕が迷い込んだ黒い石棺が沢山置かれたあの部屋の事らしい。新参者はその石棺並ぶ部屋の中、過去の先人達の前で手甲を嵌めて、その後自分が使える技を見せるという行事があったのだそうな。
その後、埋葬部屋の奥へと続く通路を通り、一寸先も見えない暗闇が支配する地下空洞…デフォー深淵部へと赴くのだそうだ。新参者はこの暗闇を死と同義に捉え、以前の自分を死を持って決別する。
そして死が溢れるデフォー深淵部の一角に幽玄と佇む光樹、ニキシー松の元へと向かう。光樹と名がつく通り、ニキシー松とはあの光る木の事だ。太陽の光ではなく、洞窟等の日の光が届かぬ暗闇の中でしか育たない稀少な植物。一説では大地の中を流れる地脈の力を持って成長するからだと言われているが何故暗闇の中でしか育たないのかは誰にも解らなかった。
ともあれ、そのニキシー松はデフォー修練場が造られる以前から地下湖に自生しており、デフォー修練場の者たちはそれを尊い物として扱った。故に新参者を迎え入れる儀式において、この光樹から溢れ出る魔力の篭った淡く光る水を汲み、その光水に触れた事でニキシー松の力が宿ったパワーストーンを拾い、更に奥にある昇降紋章を手甲の力で作動させて戻ってくる。
それらを全て完了させ、それによりデフォー修練場における新たな仲間を受け入れる一連の儀式は終了する…という事だった。
『――その証拠に…少し力を抜きなさい――』
「は、はい、解りました――って、うえい!?手が!手甲がっ!?」
カテドラルさんが眼を瞑り、僕が身体の力をふっと抜いた途端、手甲からあの淡い輝きが再び漏れ出した。光は僕を中心にして渦を巻くようにして流れ、周囲に積もっていた埃をゆっくりと渦の外へと押し出していった。
カテドラルさんが眼を開くと、すぐに光は消えたが僕の周りから埃が取り除かれた空間が残っているのを見れば、これが夢でも幻覚でもなかった事を思わせる。
「こ、これはカテドラルさんが?」
『――違う。これはそなたの中を流れる魔力の流れに干渉し、極少量…手甲を基点に我が吐き出させただけだ――』
そうは言うが、こんな暖かくて柔らかいと感じる気配みたいなのは初めてだ。匂いも何も無く触っても感触はない筈で実体は無いみたいなのにそう感じるなんて不思議過ぎる。
「こ、こんな魔法みたいな事が起るなんて信じられない。第一僕は普通の人間でこんな不思議な力は持っていないのに…」
半ば呆然と手甲を眺める。
光の残照がまだ掘り込まれた雷紋に似た溝に沿って流れている。驚愕からか若干震える指で溝に触れると、流れていた光はまるであるべき場所に戻るかの様に、触れた指の中へと吸い込まれて消えてしまった。
ありえない、だが現実、複雑な心境だ。
『――そなた、地下のニキシー松の袂にある泉に落ちたといっていたな?――』
「は、はい」
『――ニキシー松のもたらす光には不思議な力があるとされる。普通は主に魔力回復や体力回復などだが、そなたの場合は泉に落ちて水に長時間浸かった。故に、その力を授かったのだろう――』
「そんな…御伽噺じゃあるまいし…」
泉に妖精さんでもいたのかしら?と思わずメルヘンに思考が飛びかけた、その時。
『――普通は死ぬがな――』
「ちょっ?!」
カテドラルさんの思わぬ爆弾発言に吃驚してあんぐりと口を開いてしまった。
『――当然であろう。そなたの心を聞く限り、そなたの世界の知恵ある者たちは元々そのような力を持たなんだ。すなわち、そなたはニキシー松がもたらす魔法の力…その恵みを余す事無く全身に浴びて取り込んでしまった――』
「恵みを…」
『――元々持っていなかったが故に、その力が身体の奥深くまで沁み込んだのだろう。あの泉の水は一見すると只の水であるが、溶け込んでいる力は強大だ。その力で意図せず身体の内側から創り替えられたのだろう。強引に根幹から変えれば予期せぬ歪みが表れても、決しておかしくは無かった…――』
「お、おお…!」
あの小さな泉にそんな効果があるなんて…。それ以上に一歩間違えていたら死んでいてもおかしくなかったと聞かされ、僕は動揺を隠せなかった。
『――……ともあれ、元々欠けていた部分におさまっただけかも知れぬがな――』
「え?」
『――そなたの世界に魔法は存在しないが、我の姿を見てドラゴンと気付いたあたり、そういった魔法等の伝承は世界各地にあるのだろう?そうであるならば、元々は存在したが失われてしまったか、忘れてしまった。そう考えれば少しは夢がある話とならんか?――』
幼子を諭すように柔らかな雰囲気の念言を送ってくるカテドラルさん。四つある眼を細めながらそういうドラゴンは、少しだけ笑っているように見えたのだった。
どうもQOLです。
遅くなった原因ですが、仕事のストレス+風邪と嘔吐と腹を下したの複合コンボで出鼻を挫かれて、非常に更新が遅くなってしまいました。
この場を借りて謝罪します。申し訳ありませんでした。