出歩いて、落っこちて、どこだろう?第四章
おそくなって申し訳ない。
暗い洞穴の中を彷徨った挙句、得体の知れない何かに遭遇した僕は、当てもなく逃げ出した先で何故か壁に吸い込まれた。理由は解らない。ただ見当はつく。どう考えてもこの手甲の所為だ。
吸い込まれる直前。怪しげに揺らぐ燐光を発していたこの手甲。自身の根幹に根付く科学の認識では到底起こりえない謎の現象を引き起こす謎のアイテム。謎が謎を呼び、大謎となった時、それを理解しえる頭脳を僕は持たないというか持っていない。
こんな不思議な事が起きる手甲だから、魔法の品じゃないかなんて考えまで頭の中を駆け巡ったが結論は出ない。正直なところ、この手甲に関して僕は既に考える事を諦めていた。考えても考えても一介の学生風情であった僕では解らない。
ジッと手を見る。ああどこまでも硬そうな金属製だ。という程度の考えしか浮かばないのだ。これが伝説のホニャララと言われるような曰く付きの一品であり、魔術やら魔導やら…とにかく物凄くて胡散臭いマジックアイテムだったとしよう。僕は断言できる。
これは呪われた装備だ!――だって外せないんだもん。
(それにしても…僕はどこに向かっているんだろうか?)
不思議現象にはおなか一杯であるにも関わらず、夢ではないこれらはまだ続くようだ。実は僕はさっきから移動中なのである。正確には僕は動いていないのだけれど、外れない呪われた手甲から漏れる怪しい光に包まれて薄暗い光のチューブの中を上に向かって吸い上げられるように移動している…主観的にはそう感じるのだ。
どういうわけか、吸い込まれた直後から、身体はカチンコチンに固められてしまったかのように動かせない。手甲に引っ張られるままに流されている間は自意識だけが妙にはっきりとしていて、体感でかれこれ5分ほど動いていると身体が感じていた。実際にはなんか引っ張られる感覚だけなので、どれだけ移動したとかはわからないのだが…。
ちなみにであるが、背に担いだワンコは今もまだ背にいる。担いだ状態で壁に触れた為、その状態で固まったからずり落ちなかったようだ。それにしても一応生きているみたいだけど、全然目覚めようとしないねこいつは…やっぱり怪我か何かしてるのかね?
(ああ、やっと出口かな?)
段々と視界が広がっていくような感覚、多分光チューブが広がっているんだろう。そう思った矢先、突如としてガクンと身体が落ちる感覚を覚えた。ありゃ?と疑問に思う暇もなく、身体が軽くなるような浮遊感を味わう事に…って!
(いい!?身体動かないー!!)
身動き取れないまま落下した。ホント転落人生だ…。
「あいてて…、もう!なんなのさ!ひどい目にあったっ!」
放り出された僕は、そのまま空中でクルリと一回転して、そのまま着地…なんていうウルトラCな上手い話になる筈もなく。顔面からビターンと床に落っこちていた。落ちきる直前に何故か減速したからダメージは意外と小さかったが、背中に担いだままのワンコに潰されてムギュッと変な声が出た。何より鼻が痛い…鼻血が出なくてよかったよ。
鼻を押さえながら一通りひどい目にあったと悪態を付いていた。その頃には両手両足の自由が戻ってきていたので、何とか四肢に力を込めて身体を起こし、その場で座り込んだ。同時にため息を吐く。なにあれSFなの?古代文明の次は古代超科学文明?光のエレベーター・チューブなんて漫画でしか見たことないよ。
「もうおなか一杯だよ…ハァ」
精神はもはや嘔吐一歩手前だ。この場合の精神の嘔吐とは狂気に犯されて発狂する事である。そんな勝手な定義を思い浮かべるあたり、現実逃避をしていると自分で確信する。ついでに肉体的にも腹が……あれ?あんまり減ってないな。
「水しか飲んでないんだけど…はて?」
どうも飢餓感が天元突破しっぱなしのようだ。でも気分的には腹いっぱい。
一体全体、ここはなんなんだと小一時間は説明して欲しい。
「ハァ…幸せが逃げる前に幸せがエンプティだよ」
幸せのガソリンスタンドがあるならレギュラー満タンでお願いしたい。
ホント、切実に…。
***
今度の空間はあの場所とは違い、それなりに明るい部屋であった。勿論それは部屋に灯りが満ちているのではなく、僕の目が暗闇に慣れすぎて手元の光る石でも十分回りを見渡せているからというのもあるが、壁が見えるだけでも今の僕には嬉しい状態である。吸い込まれそうな暗黒が無いというだけでも安心できるのは、やはり地下空間では結構ストレスを感じていたからだろう。
とにかく現状認識を兼ねて周囲を見渡してみた。この部屋は僕が居る場所を中心にして八角形に近い形状をしている。壁に近寄り触れてみると、感触的には地下の岸壁と同じ石を削り取って作られたと思われる。
壁と同じく岩から削りだしたと思われる柱が四方に立ち、アーチ状の天井を支えている部屋の構造から考えて、この部屋は地下の化物たちが眠っていた部屋と同じ誰かが築き上げたと見るのが妥当であろう。
「………っ」
思わず周囲をもう一回見回す。またあの干物のお化けみたいなのがいるのだとしたら、僕は一刻も早くここを離れなければならない。悪質なストーキングをされるのと、武器で叩かれたりするのはお断りだ。見たところ地下の遺跡にあった黒い箱は見当たらないので安堵のため息が漏れ出た。怖いものは怖いのだ。居ないのであれば居ないに越した事はあるまい。
ハァ、とため息ついでに足元にも視線を落とした。光る石の灯りで照らされた床は淡い緑色を宿し、光を緑に染めて反射している。どうも壁の岩とは材質が違うらしく、この床は削りだしの壁と違いとても硬くてツルッツルな石畳が敷かれているらしい。
だが、思うにこの部屋が地下の空洞と決定的に異なるのは、この場所に漂い充満している空気であろう。自分自身の五感を信じるならば、この場所は明るさ以外さっきまで居たあの暗い洞窟と大差ない場所だ。欠けた外壁から零れた岩は苔生し、僕が歩いた場所以外の床には砂埃が沈殿している。それだけでも長らく人がいなかった事を感じさせる。往々にして地下と同じ黴臭い空気が漂っているのだから当然と言える。
では何故僕はここの空気が違うと感じたのか?確かにここの空気自体は地下空洞と大差ない。異なるとすれば水の臭いが感じられないという事だが、それはあまり重要ではない。この場に漂う空気に混じる感じる何かは、なんというかこう…穏やかで優しいのに厳しさもあるというのか…。
あー、そう。例えば神社や仏閣あるいは教会などで感じるような神聖な場所。或いは浄化されているといえばいいのか。どこか普通と違うと五感以外の何かが訴えてくるような場所としか僕にはいえる言葉がない。だが少なくても危険というわけではなさそうだった。
「……出口はどこだろう」
ここの空気が荘厳であるという事に考えが落ち着いたのはいいが、ソレよりも問題にすべきなのはこの部屋からでる仕掛けか何かだろう。色々あって落ちたり流されたりしたけどもう沢山だ。いい加減こんな場所からおさらばしたい。人の居る場所とか贅沢はまだ言わないから、せめて暖かな陽射しが降り注ぐ青い空の下へと行きたい。こんな閉鎖空間に居ると気分が滅入る。神様でも仏様でもいい、この願いを聞いてくれ。
そんな願いを込めて、ふと上を見上げたのであるが眼に見えるは空虚な天井ドームばかり。しかしこの時、この非常に味気ない天井に対して何か言いようもない違和感を感じた僕は首を傾げていた。
何でだろうなと考えた末に思い至ったのは、僕が落下してきた時に通った筈の穴が見つからない事であった。眼を凝らしてよく見ても天井のドーム部分に模様が描かれている以外は窪み一つ見当たらなかったのだ。自動扉みたいに勝手に閉じたのだろうか?だとすれば無駄に高性能な遺跡である。
ちなみに描かれていた模様は、多分月と太陽と星。こういう遺跡の模様としては定番の模様であろう。僕が落下した方向から考えて、恐らく円の中に三日月を描いた模様の辺りから落下したのだと思うが、その模様は今は石の壁と同化して、ただの丸い模様としてそこにあるだけだった。
天井を眺めて解ったのは、入り口を調べようにも高過ぎてても届かないという事。その模様のある位置は目測であるが僕の身長の数倍。およそ5mくらいだろう位置にある。随分と高い位置から落下したのだ。うわぁ、怪我しなくて良かったよ。
しかし、そうなれば是が非でも出口を探さねばなるまい。落っこちてきた方の入り口には手が届きそうも無い上に塞がってしまっているのだ。ここに留まれば干物になってしまうか、或いは白骨になるしかないだろう。ここまで来てそんなBADENDは御免である。
こんな風な奇妙な仕掛けが施されていたのだから、きっとこの部屋にも何か仕掛けがある筈と、僕は半ば確信していた。特に先ほどの移動チューブよろしく、この手に嵌ったまま外す事が適わない不思議な手甲に何かが反応してくれるかもしれない。こればかりは祈るしかないが…。
「ふーむ。このへんかしら?」
岸壁を殴る僕。決して色々と嫌気が差して壁殴りに走ったわけではない。こうして力を加えれば、眼の前の壁が地下のアレと同じく忍者屋敷よろしくどんでん返しするのではないかと考えた故の行動である。
そんな訳でしばしガンゴンと昔のテレビゲームよろしく壁に向かって腕を突き出しながらカニ歩きをしてみた。手甲の金属の部分で叩くとカンカンと意外と軽い音が出るが、壁のほうは特にこれといった反応は見られない。むむむ、考えは合っていると思うのだが…。
ところで壁を叩いている時に気が付いたのであるが、ここの一部のには非常に沢山の模様が掘り込まれている。勿論風化しているのか何の模様なのかはわからないが、人らしき形の模様が多く刻まれているのは解る。
僕が考古学者であるなら、この壁に描かれた模様を見て、ここは古代人が作り上げた何かの施設なんだよ!とかミステリーの一つを解き明かすのであるが、あいにく僕が欲しいのは不思議を解明した名声じゃなく大いなる青空である。
普段は気にも留めなかった草木の匂いがする風や雨の音も懐かしい。僅か数日だろうが暗い空間に居た僕はもう何年も生き物が享受すべき自然の恵みを遮断されている。それは生き物としては不幸な事だろう。兎にも角にも僕が求めて止まないのは断然澄み切った朝の空気だった。何故朝か?それはとても気持ちがいいだろうからさ。
色んな意味で限界な精神を無理やり引っ張りつつ、僕はひたすらペタペタと模様が描かれた壁を触っていく。ゴツゴツとした岩特有の感触が手甲を通じて伝わってくるが、壁も手甲も反応はしない。溜息吐きつつ横にスライドして別の壁を触る事数分。模様が非常に薄い部分に何も考えずに手甲のある右手で触れた時だった。
「……!?」
驚いた。手で触れた途端、音も無く壁の文様が光ったのだ。驚いて手を離すと光も消えた。思わず手を見ると手甲が反応して仄かに光っている。この手甲はやっぱり変なアーティファクトなんじゃなかろうか?
恐る恐るであるが背負ったワンコを一度下ろし今度は逆の手で触れてみる。すると今度は特になにも起きない。もう一回、今度は手甲がある手を伸ばすと手甲も壁と同じようにして淡く光って反応する。
今度は手甲がついた手で壁を触り続けてみた。最初こそ光っているだけだったが、時間が進むと共に光は文様に沿って線となり、音も無く文様から模様へと変化し、像をそこに形作っていく。まるで砂絵ができるまでを早回しで撮影した映像を見るかの如く線が延びていった。
どれほど時間が経ったのか?或いはまったく時間が経過していないのか。気がつけば眼の前にあった違和感のある壁に、光で描かれた壁画が現れたのだった。
本当に、ここはなんなんだ。疑問ばかりが膨らんでいた。
先ほどの部屋で発見した光の壁画。何か首の長い生き物を象ったそれは、手甲で触れたまま驚いている僕を尻目にパクッと割れると、外側へ両開きに動き、そこには更に奥へと続く回廊へ続く入り口が出現した。
僕は再びワンコを背負いあげると、薄暗く妙に天井が高いその回廊を覗き込む。そこは再び暗闇だった。ギョクンと唾を飲み込む。この暗闇の回廊は出口に通じているのか、はたまた今度は誰も出られない迷宮の入り口か…。
「ふーっ…はぁ―――よし」
思いっきり息を吸い込んだ後、それを吐き出した僕は片手で頬を叩いて気合を入れて回廊へと一歩を踏み出した。ここまできたら立ち止まるわけにはいかなかった。何せこの壁画があった部屋には他に出口らしい出口は存在しなかったのだから。
生きるには進むしかない。恐らく振り切ったであろうあの干物の怪物たちがこの場所まで来ないとは限らないからだ。それは今から足を踏み入れる回廊でも同じことが言えるが袋小路の小部屋に居て逃げられなくなるよりも、広くて進める空間がある回廊を進んだほうが多分マシだろう。
眼の前の暗闇を前に怖くないといえば嘘になるが座して死を待つよりも進むべきだ。
そう考え、僕は回廊への入り口を潜った。数歩進むだけで壁画の小部屋から漏れ出る光は効力を失い、光源は手元の光る石だけとなる。足元が見えるだけマシだろう。それ以上に一応薄っすらと両側に壁が見えるから、最初に落っこちた地下湖のような暗黒の開放空間とは安堵感が全然違う。
回廊が続く方向。右に進むか、左に進むか…何となく右を選択した僕はそのまま歩を進める。直後、背後の方で岩が擦れる音が響く。振り返ってみれば小部屋の隠し扉が閉じてしまっていた。そこに扉が存在したという事を知らなければ、壁と完全に同化してしまった隠し扉を見つけるのは不可能だろう。それほどに壁と扉との隙間はなくなっていた。
退路は絶たれた。あとは進むだけである。僕はもうどうにでもなりやがれという半ば自暴自棄な感情に突き動かされていた。
《―――ガコン》
「はう!?」
その時、足元が沈んだ!こ、これはまさか某映画によくあるような天井が落ちてきたり壁が迫ってきたり背後から大玉ころがしも吃驚の大岩が転がってきたり突然足元が開いてさようならーしちゃう類のスイッチ!?
《ぼ、ぼ、ぼ、ぼ…》
……と思ったら、壁にある窪みから火が出て灯りになった。ビビッた。火あぶりまで点いてオーブンよろしくコンガリされちゃうのかと思った。それはともかく何日ぶりの灯りだろう。すでに体感的には数日が経過しているので、篝火の灯りであっても明るく感じられた。
轟々とくぼみから燃え盛る青い炎…うん、そう。青いんだ。多分温度ってよりかは燃やしてる何かの成分の所為っぽい。明るくはなったが、ちょいと不気味ではある。ああ、どうか行き先に出口がありますように…。
***
――1時間後。
どこまで続くのだろう。この回廊…。
薄暗い回廊に響くのは引き摺るような音。僕の足音だ。ここに来てから完全に疲労を回復できた訳じゃない僕の身体にはかなりの疲労が蓄積されていたらしい。僅かに動くだけですぐに疲労感が分厚い鎖の様に手足に巻きついてくる。
特に、こんな先が見えない回廊をひたすら進み続けるのだから、疲労感も倍増するというもの。等間隔に続く窪みから噴出す青い篝火という代わり映えのしない景色をかれこれ一時間も味わい、おなかが一杯だった。
「………ん?」
汗が額から零れ落ち、それを拭おうとした時だった。一瞬、青い篝火とは違う光を見た気がした。まさか、ついに出口に!?そう考えるのに時間は掛からなかった。僕は駆け出した。疲れもなにも吹っ飛んだ。こんな陰気な場所から出られるのだ。その喜びはひとしおだった。
決してアウトドア派ではなく、あえて言うならインドアが好みであったが、ソレとこれとはまったく別問題。徐々に近付いてくる出口の明かりに心躍らせ、ついに出口へと辿り……つけたら、良かったんだけどね。
「…………」
明るさに眩み、すこしして眼が慣れた僕の視界に飛び込んできたモノ。それはとても明るい…ドーム状の空間…。もうぐうの音も出ない。
「もう…いやだ…なんだって…」
僕はその場にへたり込んだ。出口かと思って飛び込んだ先は明るかったが、望んでいた外ではなかったのだ。体力もそうだが精神も限界だった。僕は泣いた。どうしてこんなところに来ちゃったんだ。
「ちくしょう…ちくしょう…」
元はといえば、このワンコが追いかけてくるのが悪いんだ!こいつが執拗に追いかけてこなければ…いや、八つ当たりか…。自分でも解ってるんだ。こんなところに来た大本は僕が不注意で眼の前で眠る犬の尻尾を踏み、そして無作為に走り回った事。偶然と偶然が重なり、ありえない筈の何かに巻き込まれ、神隠し。
どちらかと言えばこのワンコも僕と同じ犠牲者なのだ。ムシャクシャするしイライラした。けど僕はその怒りの矛先を犬に向ける事はしなかった…いや出来なかった。このワンコだけが、唯一僕と同じ境遇、つまり仲間のようなものだからと思ったからかもしれない。
とにかく、もう動き回る事に疲れた。出口を見つけるのも、決して諦めたわけじゃない。でも…でもさ。僕もかなり頑張ったんだ。だから、少しだけ、少しだけ休憩したって罰は当らないと思うんだ。
ワンコを降ろし、膝に乗せてその毛皮を撫ぜた。少しだけ、そうする事で少しだけ心が落ち着いていく。漠然とそう感じた。いま、僕に出来るのは、再び動き出す為に…休むだけだ。
『――何者か――』
そんな時だった。“声”が聞こえた。いや、声ではなかった。ソレが聞こえたのは僕の頭の中からだったからだ。頭の中に響く声が僕にナニモノかと問いかける?ついに、ついに僕は狂い始めたのだ。
『――何者か――』
再び同じ声が脳裏に響く。今度はいささか強い感じだ。ハハ、孤独のあまり多重人格にでもなったのかな?でもさ、だとしたら僕がナニモノかなんて知ってるでしょ?
『――何者か――』
三度目の声。少々うざったく感じた。僕は聞こえてきた声に応える気は毛頭なかった。幻聴め、無視してるんだから早く途切れ―――
『――応えぬならば…害する者か――』
―――そんな時、全身を押さえつけられた。いや、本当は僕を束縛する者は影も形もない。いうなればソレは精神に来るプレッシャーのようなモノ。威圧感の極大が来たといえばいいのだろうか?
「ひぃう!?!?」
だが、その圧倒的な威圧感は強烈につき、僕の呼吸を阻害する程に強かった。混乱する。呼吸が出来なくて視界が歪んでいく。冷や汗が止まらない。食いしばった歯から唾液が零れ落ち床に雫が垂れる。
これにはただでさえ参っていた僕も耐えられなかった。そしてそれ以上に、なんでこんな苦しい目に僕ばかりと自分の不幸を呪った。圧倒的な重圧に口も開けない僕は、心の内でこれまでの事を悪態を込めて叫んだ。
名は五十嵐かなめ。親はいないが後見人の叔父のお陰で、平和な日本で自由気ままな一人暮らし。悠々自適に暮らしていた。平凡な学生をしていた事、横で僕と同じく痙攣しているワンコの尻尾を踏み追いかけられた事、そのワンコとともに穴のような何かに落っこちた事、怒ったワンコを恐れ逃げ続ける内に暗い地下空洞に落ちた事、謎の手甲の存在、化物達との遭遇、光る木、光る石、遺跡のようなココ。
とにかく“声”が尋ねた以外の事までも僕は心の内で叫んだ。もう訳が解らなかったのだ。自分自身がこんな場所に来たのもいわば偶然。理由なんてないのに、苦しいのに、なのに助けてくれる人は誰も居ない。“声”を感じた時は自分の頭が狂ったのだと思って塞ぎ込み掛けたのだと、全て叫んだ。
「………これで、話すことは全部だよ。煮るなり焼くなり好きにしてよ…もう疲れたよ。助けてよ…うぅ」
気がつけば、あれほど僕を苦しめた重圧は消え、心で叫んでいた筈の言葉は口から発していた。心も身体もグチャグチャに乱された僕は、泣きながら両肩を掴み呟くようにして辛いと吐露した。
『――害する者では、ないのだな――』
「そうだよ。むしろ周りが僕を害しているよ」
“声”の問いかけに対し、僕は支離滅裂にそう返していた。とにかく先ほどの圧倒的な圧力に僕の心が弾けそうだったからだ。それにしても、なぜ脳内に響くこの“声”に返事を返したのだろうか。
『――この場所に、知を持つ生命が来る事は、久しい――』
そうなんだ。やっぱり遺跡なのねココ。ところで“声”さん、アナタは一体だれですか?孤独に耐えかねた僕の心が生んだ第二の人格ですか?それとも姿が見えない化物か悪魔が僕に声を掛けているんですか?
どちらにしてももう魂くらいしか渡せないけど、こんなに苦しいのならもうあげちゃっても良いや…。
ねぇ、教えて。アナタは本当に、誰?
『――我は』
前方から岩石が擦れ合う鈍い音が響く。その音に慌てて頭を上げた僕は見た。
『――我は、心竜カテドラル…この場に留められし、心を聞く存在――』
壁画の一部と思っていた岩が動き、閉じられていた四つの瞳が開かれたのを…。眼の前の存在はとても大きく、二階建ての一般住宅よりも更に大きかった。くちばしと牙が同居する長い顎、その頭には牡鹿もかくやと言わんばかりに立派な冠のような八本の角が生え揃っている。
その背には折りたたまれていたが蝙蝠の翼…いや、嘗て恐竜図鑑で見たプテラノドンを思わせる翼が生えていた。ワニの様に流線型を帯びた胴体を支えるのは地下で見た柱を束ねたかの様に大きな四肢。どの四肢にも水晶柱がそのまま爪になったような巨大な爪が伸び、身体の大きさも相まって恐ろしい姿を演出している。
それは、一言で表すなら…まさしくドラゴン。頭に響いてきた声の主が名乗った“心竜”という存在と、僕が知っている幻想のドラゴンの特徴とほぼ一致する外見を持った眼の前の竜…。
「あ、あなたが、僕に語りかけて?」
『――そうだ――』
「お化けや幽霊じゃ…僕が狂ったのでもない?」
『――我いる場所に、不浄な存在が現れたこと、数万の星が地の果てに沈んだよりも以前だ。狂った者は狂ったことを自覚できまい…――』
「じゃあ、現実………?」
眼の前に現れた存在を前にして、僕は食われるとか、自分が完全に狂ったとか、そんな事を思う前に…。
「う、う~ん…」
バタンキュウと、あまりの非現実な事に、その場に気絶してしまったのだった。