出歩いて、落っこちて、どこだろう?第二章
僕こと五十嵐かなめは突然見知らぬ土地にやってきた。正確には落っこちてさらに落っこちて、気が付けば地下洞くつに居るという何とも奇奇怪怪な事象をあじわっている最中である。満漢全席並にもう見るだけでお腹一杯の状況を直に味わう心境は筆舌に尽くし難しと言うべきだった。
さて、地下に落ちてから正確な時間は判らないけど結構たった。なにせ水に落ちた所為で携帯などの電子機器はほぼ全滅。頼みの腕時計すらも流された時に打ちつけたらしく、ボタンを押せばLEDの背景は光るが時間が表示されなくなっていた。正確には時間は表示されるが月日がどう見ても狂っているし、内蔵されたコンパスも狂っていたのでそう思った次第だ。
「…んぐんぐ、ぷはぁ」
そんな中、光る木のぼんやりとした明かりに照らされながら、僕は光る木の先端から湧き出る水を飲んでいた。水を出す植物なんて見た事は無かったが、こんな地下で手元が見える程度に光るような木だ。
科学という考えを持つ僕には考えもつかないような形で進化を遂げた植物なのかもしれない。
もっともこの場で重要だったのは、湧き出る水が飲めるか飲めないかだった。流されてきた地下水脈の水を最初は飲もうかなと思ったが、どうも定期的に水流が荒れているらしく、撹拌されて白く濁った水面を見た時、僕は水脈から水を飲む事を諦めていた。これを飲んだらお腹壊してしまう。
だから次善の策…と言うべきかは不明だが、光る泉を形成していた光る水をすくって口を付けた。地下に降り立ってからそれなりに時間も経過し、服も乾いたところで咽の渇きは限界に近かった事もある。最初掬って見た時、水は凄く澄んでいてなお薄らと光を放つ不思議な水だった。ヒカリミズ、光水とでも書けば売れそうだ。
どんな成分で出来ているか判らない謎の水を前に始めは躊躇したものの、徐々に咽の渇きが耐えられなくなるほど酷くなった僕は、ええいままよとそれを口に含んだ。手に持った時からすこし生ぬるかった水が口の中に広がったが不快感はない。むしろそれはこれまでに飲んだどの清涼飲料水と比べても比較にならない程、身体に浸透したような感じを覚えた。
なんというか染み込むのである。何処ぞの評論家ならば豊富なボキャブラリーで何かコメント出来るのであろうが、一介の学生のボキャブラリーなんて程度が知れるというものである。とにかく飲めるし不味くはないとだけ言っておけばいい。ここではどうせ誰も聞いてやしないのだから。
なんとか不思議な木から溢れでる水で腹を満たした後、僕は現状確認もかねて周囲の探索を行う事にした。これからどうすればいいかなんて判らなかったけど、とにかく自分の置かれている状況だけでもちゃんと理解しておきたいという意思が働いたのである。
だけどいざ探索と思い立ったところで、僕はある重要な問題に気が付いた。光源が無いのである。先に述べた通り、携帯は水浸しで使い物にならないし腕時計はそもそも暗いところで時刻を見る為に光源が付加されているだけで、周囲を照らせるモノではない。
この光木以外に光源が無い場所をうろちょろして、間違ってクレバスみたいな亀裂に落っこちたら……。僕はそのまま白骨死体になっちゃうだろう。それは御免である。壊れた電気製品以外に明かりに成りそうな物は、光木から延びる枝、周囲に落ちている斑に光る石、そして泉の中にある手のひら大の光る石であった。
ただ、この光木の枝は太く、細長い個所は水が滴る部分しかない。今この木から出る水は生命線なので枝を折るとどうなるか判らない。という訳で枝を折る事は保留にした。この光る木の周辺に落ちている斑に光る石は、数は十分にあるが周囲を照らせる程の光源ではない。精々暗がりでの目印程度だろうか?ヘンゼルとグレーテルみたく一個ずつ目印にするならちょうどいいかもしれない。
消去法で残るは泉に沈む石であるが…泉の底に手を伸ばし適当な石をつまんでみる。大体単一電池を接続した豆電球程度の光源だろうか?蝋燭よりかは明るいが文明の利器である蛍光灯などに比べれば凄く暗いだろう。だけど火みたいな物がない今、これは良い光源となるだろう。
そう考えた僕は靴を脱いで膝まで裾をめくり再び泉に入ってみた。やはりこの泉の水は特別らしく、踏み入れただけで足が少し暖かく感じる。なんか足湯みたいで気持ちが良い。その感覚を楽しみながらしゃがみ、ちょうどよさげな石を探してみた。出来れば手のひらに収まるサイズで角ばった石が欲しい。
探す事十数分、ニ~三個お眼鏡にかなう光る石を見つけだした僕は、おもむろにポケットから紐を取り出して光石に結わえつけた。その紐は本当は携帯電話を首から下げる為の紐だったんだけど、もはや置き物と化した携帯には必要ないだろうと外しておいたものだった。
角ばった部分にうまい事ひっかけて、首から下げられるように調整してやれば、光石のランタンの出来あがりである。あとはポケットに予備を一つと手に持てるサイズで棒状の持ちやすい石を手に泉から上がった。斑上に光る石は小石を重点的に集めて同じくズボンのポケットに入るだけいれた。
準備が出来たので今だ目を覚まさないワンコは置いておき、僕は暗闇へと目を向けた。真っ暗で奥の方は全く見えない。しかしここで手を拱いている訳にもいくまいと一念発起し、暗闇への第一歩を踏みいれた。
「これは、壁?」
歩く事すこしして。
光木の光は既に遠く、明かりは首と手元の光る石だけの中、ようやく目が暗闇に慣れてきた僕の目に映ったのは巨大な岩壁だった。さわってみるとボロリと崩れる。非常に脆い。上を見上げてみるが、光源が手元の光石しかないので3mもいくと真っ暗闇となり、目で見る事は出来そうもなかったが、この壁は多分上にある岩の天蓋にまで届いているんだろう。
「………おーいっ!!」
《―――おーい、おーぃ、ぉー…》
なんとなく大声を出すが木霊が返ってくるだけ、そして声は闇に溶けていく。天井まで大分高さがありそうな事に辟易しつつもどちらに進もうか考えたあげく、僕は左に向かって歩く事にした。常に右手側に壁がある様にして周囲の探索を行う。地面は砂利のような小石、たぶん壁から剥がれ落ちたモノのなれのはてが積み重なっていて踏みしめる度にじゃらじゃらと音が鳴った。
水の落ちる音しかしない闇の中では随分と響く、歌でも歌えば気が滅入るような暗闇の中でも気分が晴れるだろうか?しかし、いざ歌おうと思っても思い浮かぶ歌は無し。自分のレパートリーの無さに愕然としたが、そんな事より探索と割り切った。歌の代わりに口笛を吹いてみたところ、割かし良い感じに響いたので少しは気が晴れた。
それなりに歩いたところで、僕は来た道の方を振り返ってみた。結構歩いた気がしたが光る木の明かりはそれ程変化していないあたり、それ程離れてはいない様だった。光る木からここまで斑に光る小石をポツポツと落してきたのがまるで僕の足跡の様になっている。
何で木とか石が光っているのかが全く判らない。ヒカリゴケとか何かなのか僕の知識では全く理解できないが、少なくてもこれがあるお陰で木から離れて探索が出来るのはありがたい。手元の光る石が無ければ一寸先は闇だというのにこの時の僕はあまり恐怖を感じなかった。それは光る石もそうだがあの光る木の明かりがとても優しく輝いていたからかもしれなかった。
さらに歩くと、段々道幅が狭まってきた。壁と地下湖との間に砂利のような石が溜まって浜辺のようになっていたのであるが、気が付けば水が壁のすぐ近くまで来ており既に幅が目測だが2mを切っていた。このまま行くと水の中を歩く事に成るかもしれなかったが僕にその気はない。この水、結構冷たいのだ。
それはさて置いて壁の方をもう一回見てみると、どうも質感が異なる事に気が付いた。さっきの場所では手で力を加えると崩れたりしたのであるが、ここの壁はそれなりにしっかりとしており触った程度では崩れなかった。その代わり足元の石が砂利から漬物石サイズに変わり始めていて歩き辛くなった。変に歩くと怪我をする可能性を考えた僕は慎重に歩を進める。進みづらい。
さらに進んでみたが、ついに壁と水辺との隙間が無くなった。右手は岩壁、左側は暗黒に包まれた地底湖でこれ以上先に進めそうもない。ただでさえ薄暗くて視界が制限されている状況で、水流により濁っている水辺に足を踏み入れる勇気は僕にはない。仕方なしに目印に持ってきた斑光石を積み重ね一度木の元へ戻ったのだった。
***
地底生活二日目。
今日も今日とて水がウマい。ちなみに二日目と言ったが時計は壊れ、太陽や星の光すらも届かぬこの場所では正確な時間は判らない。その為、僕の腹時計が時間の基本となるのであしからず。
さて昨日は光る木から少し離れた位置にある壁の左側を探索した。成果は登れそうもない壁が続いている事が判っただけで他に収穫はなかった。なので今日は反対側を調べてみようと思い至った僕は再び光る木から湧き出る水をたらふく飲んで食欲を紛らわし、昨日の壁のところまで行ってみようと思っていた。
あのワンころは未だに目を覚まさない。助けはしたが僕は獣医ではないのでどうする事も出来ず今は光る木の根元に寝かせている。手ですくった水を口にいれてやると、弱々しいが飲み込んでいるようなので多分まだ死なないとは思う。
「………ちょっと行ってくるよ」
―――なんとなく、そう一声かけて、僕は再び闇の中へ足を踏み出した。
やっぱり暗いけど、段々と暗闇に慣れたのか僕の足取りは昨日に比べて軽い。なので、さほど時間も掛けず壁のところまで来ていた。壁は思っていたよりも近かったらしい。昨日はおっかなびっくりだったから、もっと遠い物だと思ってたが、存外近いものである。
とりあえず、道しるべに残しておいた斑に光る小石を頼りに壁まで到達、次は左手側を壁に反対側の探索に入った。こちらの壁は見た感じそれ程脆くは無いらしく、足元は一枚岩というか僕よりもずっと大きな岩盤に覆われておりずっと歩きやすかった。コツコツと足音だけが暗闇に木霊しては消え、孤独感を演出する。
思わず胸元の光る石を握り締めた。そうすると少しだけホッとしたのは不思議である。何というか、やっぱり本能的に闇は恐ろしいんだけど、そこに少しでも光があれば希望になるっていうのか、多分そんな感じ。
「……ん?」
ポツポツと斑小石を落としながら歩き続けた僕は、ある事に気が付いた。昨日探索した場所と違い、こちら側が妙に歩きやすい。足元には小石一つ転がっていないらしく、足を取られるような事がない。しかも進んでも進んでも右手側の地底湖と一定の間隔で道幅がある。これでは、まるで道だ。
いやいや待て待て、手元の明かりだけじゃ確認が出来ない。足元は岩が丸出しであるし、これが自然に出来た物であるという可能性も捨てきれないじゃないか。そう思っても不自然な程に等間隔が保たれたこの場所に、僕は不気味さを感じられずにはいられなかった。
この不自然な道を歩く事数分、今度はやたら開けた場所に出てしまった。手元の薄明かりだけでは光が届かないほどなのでかなりの広さである。まるで広場だ…そう考えつつも、僕は入ってきた場所に一度戻って、斑に光る石を積み上げて目印を作り、そして右手の地底湖に沿って進んでみた。
薄明かりに照らされた地底湖は相変わらず濁っていて水流が早いのが判る。そのまま足が着ける場所を頼りに水際を進んだ。どうも湖岸が緩やかに弧を描いているらしく、地底湖側に丸く突き出ているようだった。その考えは正しいかった様で、しばらく歩いた僕は岩壁に到達した。
歩いた感覚、そして胸元に吊るした光る石を手で蔽い隠し、この空間の入口にあたる場所に置いておいた目印の光源から考えて、この空間の広さは大体学校のグラウンド程度だと感じた。もっとも僕の感覚だよりだし、この暗い場所じゃ感覚がおかしくなりそうなので、実際はもっと広いか狭いかもしれないがそれでも広い事に変わりはなかった。
「さて、と…」
湖岸を周り岩壁に到達したので、順当に行けばそのままぐるっと円周を回るルートが妥当だろう。右手を壁について僕は再び歩みを進めた。ふと気付いたのは実はこの空間の足元が巨大な一枚岩だという事くらいだろうか。
もっともこの空間の中心部分は真っ暗でまだ見ていないので、案外ドーナツ型なのかもしれないが…真っ暗なのに余裕あるなぁ。慣れというのは恐ろしいものである。
「――……ん?あれ?」
壁に手をついて歩いていた僕は手の感触が変化した事に気が尽き、壁の方に目をやった僕は、明らかに質感が違う岩を発見する。僕は岩の事に詳しい訳じゃないのでどういう組成の岩なのかは判らないけど、これまでの岩がこう、ごりごりって感じだったのが、なんというかスベスベになったという感じ。
光石を掲げてみる。黒の世界に色がつく。
壁が茶から灰色に変わっていた。素人目でも完全に材質が違う事が理解できるくらいに、その違いはハッキリと変化している。灰色の部分は一枚岩のまっ平らな岩で、茶色の岩壁とはアーチ状の境目を描いており、それがより一層違和感を引きたてる。この広場に出てから感じていたが、これは人の手が加えられたモノに見えてならない。
掲げた光源を頼りに目に写る範囲でアーチを描く境目を追ってみる。見て判った事、それはこの壁はとても大きいという事であった。手元の明かりだけでは全てを見る事は出来ないが、途中まで眼で追っただけでも僕の身長を軽く超えている。このアーチが描く緩やかなカーブを鑑みるに、少なくてもニ階建の家がすっぽり収まるほどの大きさがあるんじゃないかしら。
僕は壁をもう少し詳しく調べてみる事にした。まぁやり方は単純でコンコンと手の甲で壁を叩いてみた。だが殆ど音がしない。かなり分厚くて硬い岩か何かで出来ているという感じである。
「むー……むむ!」
そして、何と無く手をついたその時、壁が少しだけ揺れた。
≪――グゴゴッ≫
「オワッと!?」
それだけでなく、そのまま音もたてずに動いてしまった!どうなってるんだ!?僕はそのまま暗闇の中に突っ込み、バランスを崩して前のめりに転んでしまった。鼻が痛い。
「いっつつ…」
痛む鼻を押さえながらも、埃臭い床から立ちあがった。埃を吸いこんだからか、ケホっと少し咳き込みながら周囲を見渡すが…壁の向こう側もこちらとそう変わらなかった。天井は相変わらず暗すぎて何処まで伸びているのかは判らないが、相当高いのは見てとれた。どうもこの空間、アーチ状に組まれた壁と同じ形をしているらしい。
もっとも、第二の壁がすぐ目の前にそびえ立ち、僕が入ってきた岩壁とアーチを描いた壁との隙間以上に壁は動かない事だけは判った。まるで忍者屋敷のからくり扉みたいだったが、どう考えてもこれは人工物である事が判る仕掛けである。だけど、数センチは積もっていそうな埃を見るとここは遺跡と見るべきなのだろうか。
ふと、立ちあがってみて気がついたが、動いた壁と第二の壁との間にある隙間に風が流れ込んできていた。これはこの第二の壁にも隙間、もしくは穴があるという事じゃないだろうか。そう考えた僕はポケットの中の斑光石を確認する。満足な明かりが無い暗闇の中での唯一の光源であるソレらは、光る木の元へと戻る為に必要なまさに命綱であった。
数はまだ十分にある。ポケットの中身を確認した僕は、暗闇でもぼんやり光るそれを等間隔に落としながら隙間を越えて風が流れ込んでくる方向へと進んだ。すると案の定、第二の壁にも穴が開いていた。大きさは平均的な身長の僕が二人並んで歩ける程度の大きさで、薄暗い空間にぽっかりと口を開けていた。
良く見ると第二の壁に開いた穴の周囲はうっすらとであるが絵のような模様が彫られている。古代文明の遺跡だとでも言うのだろうか?初日に得体のしれない場所に来たと思ったら今度は地中に落ちて古代遺跡と遭遇するとは、ある種奇跡に近い運勢の無さである。
もしも僕が無事に帰れたら、この遺跡の発見者として名をあげられるのだろうか。そんな事を考えながら、僕は胸元の光石を掲げて穴の中へと足を踏み入れたのだった。そして確実に、前が見えない程のこの暗黒は、僕の暗闇への恐怖を麻痺させていた。
――――僕は壁伝いに歩き続けた。
通路は一本道であり、途中で分岐とかはなかったのはいいけれど、問題はさらに下降しているということだった。どうもさらに地下に繋がっているらしい。僕の予想が正しければ僕がいたあの洞窟は確かに地下にあった。それよりも下に行くとなるとこの先は地獄か奈落か、どっちみち地上に繋がっている可能性は低そうだった。
これで一日と半分以上、いやもっと地下に居る事になるんだろう。食べ物が無いこの空間に居続ける事は緩やかな死を意味する。でも不思議な事に僕はあまりお腹は減っていない。人間、飲まず食わずだと数日しか持たないけど、水を飲めば一週間は大丈夫らしい。
つまり水は飲んでるから大丈夫って事だろうか?空腹感が一回りして感じなくなるレベルに達したとか………そういう事態に陥った事が無いからわからないな。暗闇の中、無意識に慎重に動いている為、その疲労から来ている倦怠感を少々煩わしく感じながらも奥へ奥へと進んだ。
風はまだ吹いている。音も光もほぼ無いこの空間では感触だけが強化されたように感じられる為、普段は気付けないような極微風も頬にあたるそよ風のように感じられた。さらに奥へと歩を進めた僕は通路の出口に辿りついていた。いい加減暗さに辟易していた僕は胸元の明かりを握り締めて出口に走った。
そして出口から出た僕をまっていたのは、少しだけ広い部屋だった。
「………外には、通じて無さそうだ」
辛うじて天井があるのが判る程度の高さしかないが、その部屋はやはり広いらしく声の反響が遠い。天井は高いが目が慣れたのかうっすらと見えるが、それはまるで何時か地球古代遺産のテレビ特集で見たようなトルコのイスタンブールにある地下貯水槽の様に、均等に並んだ巨大な石の柱が天井のアーチ構造を支えていた。
薄明かりの中に浮かび上がる、何かの生き物を象った彫刻が施された柱が列をなしている光景、幻想的でありながら寒気を感じさせるそれを、僕は足を止めて眺めていた。狭い通路から出たばかりで広い空間に戸惑いを覚えたからかもしれないが、ゾワゾワとした何かを感じ取ったのは確かだった。
そしてその柱の根元には僕の身長より大きくて黒くて長い石の箱が必ず一個は置かれていた。一体何だろうと思い近寄ってみたけど、表面に訳のわからない模様が描かれたそれは、薄暗い事も相俟ってとても呪術的な何かに見えてしまい、僕は気味が悪くなって箱に触る事はしなかった。
結構奥まで来た為、一度戻るべきだろうかとも思ったが、風は確かにこの奥から流れて来ている。僕は風を感じるままに、奥へ、奥へと歩みを止めなかった。それ以外に方法が判らなかった。
だけど、それがあんな事になるなんて…。
***
乱立する柱の間を抜けて、何個目かわからないが整然と並ぶ黒い箱を数えるのをやめたところで風景に変化が生まれた。いいかげんノイローゼの人が夢に見そうな風景に辟易としていたので、変化が生まれるのはとてもありがたい。見たところ柱が一部なくなり、円形の広い空間を形作っており、その中央に石でできていると思わしき台座が鎮座していた。
台座は人一人が寝転がれる程度の大きさがある。うん、なんというか。じつに古代のなんちゃらとゆかりがありそうな光景ではある。これが世界に名高き古代遺産とかそういうのであれば、僕もまた太古のロマンに思いを馳せる事ができるというものであるが、すくなくても現状ではそういう余裕がないのも確かである。
(うーん、ほかには何かないかな?)
考古学者なら顔面から出せる汁を全部だしてでも喜びそうな場所だが、僕としては外へと続く階段でもあってくれたほうがまだ救いがある。それなりの道のりを歩いているし、あの光る木の袂にいるワンコの様態も気になるといったら気になった。なかなか目を覚まさないし、実は結構酷い怪我を負っているんじゃ……。
「………やめよう、暗いから気分まで暗くなる」
暗闇にため息が消えていく。冬空に吐いた吐息のように、溶け込むように消えてしまう。こんな遠出しても出口らしきものが見当たらないのだから、ため息くらいは許されると思う。慣れたとはいえ気が滅入るのだ。
こんな自体に陥って、訳がわからないうちに流されて、気がつけば見たこともない遺跡の中。ふと、コレは自分がみている夢なのではないかと頭に浮かんだ。あの落っこちた感じはただ転んだだけで、頭を打ったか何かをした僕は病院に担ぎ込まれて……そこまで考えて、頭を振って考えを打ち消した。
認めたくないが、認めるしかないのだ。手が、足が、目が、そして肌が感じるこの感覚が、偽りや夢な訳がない。否応なく、コレは現実。現実なのである。
「よいしょっと」
なんとなく、僕は近くにあった丁度いい高さの台座に腰掛けていた。ここまで歩きっぱなしで足が疲れていたというのもあるし、何よりもなんだかこれ以上奥に進む気力が起きない。というか、お腹はすいていないんだが満たされない感じを覚える。
《――――カラン》
「―――ん?」
そのときだった。僕の手に何か硬いものが当たる感じがした。なんだろうと思い、光る石を近づけてみると、くぼみのようなものが台座に埋め込まれており、そのくぼみに何かあるらしく光石の光源を淡く光を反射している。
何気なく僕は右手を伸ばしたのだが―――
《ガコン》
「うわぁっ!?」
―――突然、台座の両側がぐねりと動いて、僕の手を包んで捕まえてしまった。
驚いて叫んだ僕は振りほどこうと身体をひねる。映画なんかで大抵の場合こういう仕掛けにはまった人はろくな目にあわない。とにかく必死で身体をよじり、台座に足までかけて腕が外れそうなほどに力を加えた。
外れなかったらここでミイラになってしまうなんて事を考える頭が恨めしい。ホントに、ただでさえ辛気臭い空間にいてこんな仕打ちをされるなんて、まったくもってついてない。
「この、はずれろ……きっちりで、いたいんだよ!」
みしみしと、締め付けるかのようにつかまれた手首に、そして走る痛みに思わず声を荒げる。だんだんと締め付けがひどくなっていくように感じた僕はあせっていた。コレはもしかして、映画で言うところの古代人が作った罠か何かで、このままゆっくりと腕を捥がれる恐怖を味あわせる的な事を目的とした装置だったのではないかと。
全世界の片腕の方には申し訳ないが、いくらなんでもこの若いみそらで隻腕になどなりたくない。何歳ならいいのかと問われてもこまるが、とにかくそういうのはノーサンキューというものである。ミシミシと嫌な音を出す腕を振るように引っ張り、痛みのあまり台座を叩いた。
すると、じつにあっさりと手の拘束がはずれた。食い込んでいた割にはずいぶんと簡単に外れたもので、おかげで僕は後ろにひっくり返り頭を打ってうなっていた。痛い、実に痛いぞぉ。
「いてててて……なんなんだよ、もう」
食い込んだ所為でジクジク痛む右手をさする僕。だがふと気づく。
「………あれ?僕腕時計は外したはずなんだけど?」
僕の腕に、全金属製の腕輪……いや、もう手甲と言うべきだろうか?
手首までを覆う金属製の手甲がくっついていた。え、なんで?