7.手紙
アランによって魔王が討伐されてから、一年が経った。
目覚めてすぐ、眠そうな目を擦りながらも、アランはいつも通りに、ベッドの側にいるミリアムへと声を掛けてきた。
最初の頃は「勝手に寝室に入るな」と言っていたが、もう最近では諦めたのか、単刀直入に聞いてくる事が多かった。
「ねぇミリアム、今日の予定は?」
アランの質問に、秘書のミリアムは立て板に水を流すがごとく、今日の予定を淀みなく朗読した。
「はい、午前中は騎士団の稽古への立会いと直接指導、昼はマーサ姫様との会食。午後はロッツ商会へと赴き会計の監査及び指導、夕方は魔法師団にて新戦術の発案会議、夕食はギブナンス家の公爵令嬢様と、そしてその後は市街警邏隊の⋯⋯」
「あー、もういい、もういい、聞きたくない」
「自分から聞いておいてその態度はないかと」
「小言も結構」
アランが手でバツを作り、頬を膨らませる。
ミリアムは「ふーっ」とため息をついたのち、ふと机へと視線を移した。
「まだ読んでないんですか?」
机の上に置かれた手紙。
それはつい最近、アランへと届けられた手紙だ。
差出人は──エリウス。
魔王討伐を果たし、名声を手にしたアランとは対照的に、アランをパーティから追放した「無能」という、別の意味で噂の男だ。
そして噂以上にもう少し、ミリアムは彼のことを知っている。
まだ、ミリアムが冒険者ギルドで受付嬢をしていた頃、アランが彼のパーティーへと加入する手続きをしたのは、自分だからだ。
とっくに死んだ男のはずだが、生前に「一年後に届けてくれ」という酔狂な依頼を受けた、と、手紙を届けた人物は言っていた。
「うん⋯⋯」
アランがバツの悪そうな表情を浮かべる。
アランはこの、自分のことを追放した男に、なぜか悪気を感じているらしい。
手紙を見て、アランがため息を吐く姿を何度か見かけたことがある。
「読むなら読む、読まないなら捨てる、はっきりなさってください。何なら、私が捨てましょうか?」
「いや、読む、読むよ⋯⋯そのうち」
こりゃ読まないな、そう思ったミリアムは一計を案じた。
「もし今すぐお読みになるなら⋯⋯今日の予定のうち一つ、頑張ってキャンセルしてみせます」
「え? ほんと? でも、うーん」
この期に及んではっきりしないアランの態度に、イラァと来たミリアムは言葉を続けた。
「そして読まないなら、明日からもっと予定を詰め込みます」
「わ、わかったよ! 読む、読むよ!」
アランは観念した様子で手紙を手に取り、便箋を開いて手紙へと視線を落とした。
最初は気の乗らない様子で眺めていたアランだったが、次第に目は真剣味を帯び⋯⋯やがて、ぶるぶると手を震わせ始めた。
そして、何度も、何度も読み返している。
自分が読めと促したものの、流石にこれ以上は午前中の予定に間に合わない、そう思ったミリアムはアランに声をかけた。
「キャンセルするのは午前中の予定でいいですか?」
その言葉に、アランは手紙から顔を上げて言った。
「全部キャンセルして」
「え? 今日の予定全部ですか? 流石にそれは⋯⋯」
ミリアムの言葉に、アランは首を横に振りながら、はっきりと言った。
「ううん、今日だけじゃない。明日も⋯⋯この先全部!」
そして、ミリアムの返事も待たず、アランは部屋を飛び出した。
アランは「竜牙の噛み合わせ」に所属している間、常に罪悪感を覚えていた。
足手まとい。
自分でもそう感じていたし、実際レナにはなんどもそう罵られた。
特にレナはある一件から、その態度を強めた。
それでも⋯⋯離れがたかった、大事な場所だった。
足手まといと言われても。
邪険に扱われても。
アランは冒険者に、いや、どうしても「英雄」になりたかった。
幼い頃、一人の男に命を救われた。
「剣豪」のスキルを持つ、とても強いと評判の冒険者だった。
「あなたみたいになりたい、あなたのような、英雄に」
命を救われた礼と共にそう伝えると、彼は苦笑いを浮かべながら、アランの言葉を否定した。
「俺みたいにならなくていい」
「え、でも⋯⋯」
「自分じゃない誰かのために、精一杯頑張る。それができれば、だれだって英雄だ」
その言葉で、アランは自分の運命を決めた。
この人は、否定したけど。
この人みたいな英雄になるんだ、と。
だが、そんな気持ちを裏切るように、成人の儀式で与えられた天授スキルは「会計」。
がっかりした。
それとは裏腹に、両親は非常に喜んだ。
「素晴らしい! 会計なら、就職には困らないぞ!」
と。
両親の言葉通り、会計のスキルが発現して三日後、いくつもの支店を持つ巨大商会であるフォダイア商会から是非に、と持参金まで用意して乞われ、両親が勝手にそれを受け取った。
当時は魔王が現れて一年、世が不穏な空気とともに、実際不安定な状況を迎えつつあった。
農作物の収穫量は激減し、物不足が続いていた。
物不足の中、フォダイア商会は業績をさらに伸ばしていた。
会計をしていたアランは気が付いた。
困ったものから不当に物を買い上げ、大幅な利益を乗せ、さらに困った者に足元を見て売りつける。
それが商会のやり方だった。
貧しき者はどんどん貧しく、富める者がますます富んでいく。
餓死者が増えている、というのは聞いていた。
誰かの怨嗟の声が、帳簿を通じて伝わってくるようだった。
帳簿を見ているだけでも、辛い。
弱きものからの搾取を感じ、その片棒を担がされているような気分だった。
「自分じゃない誰かの為に頑張る、それができれば、誰だって英雄だ」
その言葉が、自分を責めているような気がした。
結局、半年で商会はやめた。
両親にはその事を責められ、家を追い出された。
だが、心は晴れやかだった。
自分が主役になれなくてもいい、この「会計」のスキルで誰か、できればのちに英雄と呼ばれるような人を支えたい。
アランは冒険者ギルドを訪れた。
実は、パーティ加入への打診は「竜牙の噛み合わせ」が初めてではない。
数えきれないほど、多くのパーティへと加入を希望した。
同じ数だけ断られた。
気持ちばかりが空回りする日々。
そして、いつか諦めつつあった。
最後に、あと一つか、二つ。
そう決めて、今は秘書となり側にいてくれる、当時ギルドの受付嬢だったミリアムに相談し、彼女とともに一計を案じ、なんとか加入しようと動いた。
そして、そのチャンスは唐突にやってきた。
奇しくも、自分を助けてくれた人物と同じ「剣豪」のスキルを持つ、強い冒険者がどうやらパーティを設立するらしい。
それ以前から、彼の活躍は耳にしていた。
昔の事が重なり、彼に憧れた。
そして、これまでどこのパーティにも所属を断られたのは、この人のパーティに入る運命だったからなんだ、などという図々しい妄想までするようになっていた。
それほど、どうしても、彼が設立するパーティに加入したかった。
「いいよ」
彼は言ってくれた。
今思い返しても、人生最良の日だ。
あれ以上に嬉しかったことなどない。
それは、魔王討伐なんかよりも、ずっと。
だから人生最悪の日は、もちろん、あのパーティを追放された日だ。