10.誓い
「相談がある」
ある日、エリウスから珍しく相談事を持ちかけられた。
エリウスは普段、まるで迷いなどないかのように物事を決める。
初めて訪れた筈の場所でも、まるで既知のように振る舞う。
だから相談されたことは数えるほどしかなかったし、それは大体同じような内容だった。
アランは相談内容を察し、迷いなく答えた。
「何を購入したいんですか?」
「話が早くて助かる。瓶だ。正確には、その瓶を構想中の魔導具職人への投資だが」
「瓶?」
「ああ。『自動服薬瓶』だ」
「聞いたことないですね⋯⋯」
「まだ試作段階でな。開発資金の目途が立たずに停滞している。このままだと製品化はもちろんのこと、試作品の完成も間に合わないからな」
「間に合わない?」
「ま、それはこっちの話だ。とにかく完成を早めたい、せめて⋯⋯一年以内に試作品が完成するように、な。それには資金がいる」
冒険者にとって、情報収集は重要だ。
エリウスはその点でも一流だ。
どこから聞いてくるのか、誰よりも早く新情報を集めてくる。
「どんな効果があるんですか?」
「致命的な一撃を受けた時、瓶の所有者に、瓶の中身が自動的に服薬される、という効果のある魔法具だ。といっても試した事があるわけじゃない。完全に、とは言えないが、本来なら命を落とす場面でも、命を繋げる可能性がある」
「へぇ、便利ですね⋯⋯ちなみに、いくらですか?」
「予想になるが⋯⋯たぶん二万もあれば何とかなるのではないか、と思う」
「にっ、二万!? パーティの資金を全額つぎ込んでも足りませんよ!? 幾つかのクエスト受注を担保に前借りしないと⋯⋯」
「命の値段と考えれば安いもんだ」
「はぁ⋯⋯わかりました。どうせダメって言っても⋯⋯ですよね?」
「話が早くて助かる。あと、俺以外の他のメンバー⋯⋯特にレナやファランの分配金には影響が出ない範囲で、何とか調達してくれ」
「もう。その代わり、完成したらちゃんと見せて下さいよ?」
「⋯⋯ああ。約束するよ、必ず見せる」
──その後、その瓶は高価なだけではなく、使い捨てタイプで、一度使用されると砕けてしまう予定だ、と聞いて、アランはますます頭を抱えたのだった。
チクリ。
「う、あれ⋯⋯、どこだ、ここ」
指先に痛みを感じ、アランは目を覚ました。
気を抜けば、すぐ混濁しようとする意識を叱咤し、状況を思いだそうとする。
「あ、そうか、僕は⋯⋯魔王と」
戦っていた。
それは覚えている。
そして断片的ではあるが、少しだけ思い出してきた。
激しい戦いの末、アランが魔王にトドメの一撃を放った瞬間、相手は驚くべき行動に出た。
どこにそんな力が残っていたのか、魔王はそれまでの威力を遥かに凌駕する魔法を放った。
自爆の魔法。
自らの命を魔法力へと変換し、アランと刺し違えようとしたのだ。
アランはとっさに「数字の支配者」を使い、自らの生存確率を計算した。
自身の体力、魔法の威力、目に映るありとあらゆる要素を抜き出し、数値化して計算した結果──
「0%」
──自身の理解が及ばない要素がない限り、生存不可能。
そこで記憶は途絶えた。
そこまで思い出し、アランは首を捻った。
「見間違い⋯⋯かな?」
咄嗟の状況、もしかしたら、10%を見間違えたのかもしれない。
「それか、僕が死を払いのける運命を持った英雄⋯⋯なんて、ね」
一人おどけてみるが、また意識が暗転しそうになる。
生き延びたとはいえ、満身創痍。
ギリギリだ。
急いで戻る事にした。
「おかしい⋯⋯、無い、無い、なんで、なんで!」
パーティーを追放されてから、アランには心の支えとしていた物があった。
「竜牙の噛み合わせ」にいた頃の──エリウスとの思い出の品々。
挫けそうな時は、貰ったアクセサリーと共にそれらを眺め、心を落ち着かせていた。
エリウスの死を知り、それらをもう一度眺めようとしたが、どうしても一つだけ見つからない。
使うつもりはなかった、無くなることなどない筈の品なのに。
盗まれた? あんな安物を?
自分にとっては、それこそ数値化なんて出来ないほどの、価値ある品。
だが、他の人間にとっては、二束三文の品の筈なのに。
どれだけ探しても、見つからない。
──パーティーから追放されたあの日に、餞別として渡された傷薬だけが、どうしても見つからない。
一人だと思っていた。
少なくとも、追放されてからは一人で戦っていると思っていた。
だけど違った、違ったのだ。
「ずっと、一緒に⋯⋯戦ってくれていたんだ!」
部屋を飛び出したアランは一人叫んだ。
確かにアラン自身も、何度も繰り返したのかもしれない。
でも、自分が覚えているのはたった数年。
一人になって戦った記憶も、一年かそこらだ。
それなのにエリウスは、何年も、何百年も、一緒に、そして孤独に戦っていたのだ。
それだけではない。
今の自分の強さも。
自分が現在浴している名誉も、地位も。
すべて、エリウスに与えられたもの。
自分は、ただ彼の敷いた道の上を、それとは知らず歩いただけ。
エリウスは知っていたはずだ。
アランが魔王を倒すことは、自分の悲惨な死と同義であることを。
それなのに、魔王を倒し、あの黒雲を払うために、その身を犠牲にしたのだ。
アランと──この国の人々の為に。
それだけではない。
エリウスは悩んだのか?
いや、悩むことすらなかったのか?
自動服薬瓶。
最近になってようやく、無名だった職人により製品化された品。
おそらく、本来なら現時点での製品化はもとより、魔王との戦いの時点では試作品すら存在するはずのない技術。
おそらく、繰り返す中でエリウスは開発の噂を聞き、お金をそこに投資し、未来を引き寄せた。
じゃあ、こうは考えなかったのだろうか?
「これがあれば、俺は生き残れるかも知れない」
そう、強力な死の運命からエリウス自身が生き残るために、それを利用しようとは考えなかったのだろうか?
おそらくアランへと渡すうえで、レナの性格を考えて、中身を低級の傷薬にしたはずだ。
エリウス自身が利用するなら、きっと、もっと高価な傷薬でも利用可能だったはず。
考えたかも知れない。
考えもしなかったかも知れない。
それはわからない。
わかるのは──彼は持ちうる全てをアランに託した、それだけだ。
命を救ってくれた、あの剣豪の言葉が蘇る。
「自分じゃない誰かのために、精一杯頑張る。それができれば、誰だって英雄だ」
彼はそれを、誰よりも実践したのだ。
駆けながら、向かう。
知ってはいたのに、どうしても行けない場所があった。
それは無縁墓地──エリウスの眠る場所。
身内には「一家の恥」と言われて、代々の墓に入る事を拒否されたとのことだ。
「⋯⋯ここだ」
その墓は、魔王討伐を為した「真の英雄」に似つかわしくない、小さな墓だった。
誰かがいたずらでもしたのか、泥のようなものを掛けられ、無縁墓地の中でもひと際汚れていた。
アランは魔法で水を生成し、墓を洗った。
そして、誓いを口にした。
「エリウスさん、僕も諦めない。運命なんて⋯⋯変えられる、それを教えてくれたのはあなただ。
だから今度は──僕の番だ! 僕だって、変えられる、こんな運命、きっと変えてみせる!」
魔王討伐?
それがなんだというのだ。
今自分が生きてるのは、エリウスから渡された命のバトン、そのおかげだ。
英雄になるのは──いや少なくとも、自分で自分を英雄だと思えるようになるのは、まだまだこれからだ。
尊敬する彼に、肩を並べてみせる。
その決意を胸に、アランは動き始めた。




