世界一偉そうな王妃は恋の罠に魅了されない (上)
王と王妃の婚姻が終わり、パレードが終わり、外部・身内へのお披露目のパーティが終わって王宮は少しの落ち着きを取り戻していた。
なんてことのない昼下がり。その王宮の中庭にて、二人のドレスの娘が向かい合って立っていた。一人は我らが輝ける王妃、ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン。もう一人は……かつて王を奪おうとしたが完全に金目当てだった現金娘、可憐なる男爵令嬢、マリア・カタリアであった。
「よく来たな、我が居城へ」
「魔王が勇者を出迎える時のセリフみたいですね、お姉さま!」
相変わらず超かっこいい。
ヴィクトリアを訪ねてやってきたマリアは、彼女の相変わらずの女帝ムーヴにうっとりしてから、はっと用件を思い出して勧められた椅子に座った。
そうだ。彼女に、今日は忠告をしにきたのだ。お姉さまがあんな男の毒牙にかからないように、わたくしがちゃんと教えてあげなくちゃ。
蝶がひらひらと庭園を飛んでいく。
メイドがさりげなく時折やってきてお茶を新しく出してくれたり、お菓子を追加してくれる。あんなことをしたマリアにも分け隔てなく。
(言い出すタイミングが掴めないわ……機密事項だからメイドさんがいると困るのに……)
じりじりしながらマリアは紅茶を飲んだ。
メイドさんが優しく、「ケーキをもう一切れいかがです?」とか聞いてくれる。めっちゃ優しいじゃん。好き。すごい居心地がいい。住みたい。
宮廷がこんなに居心地がいいなんて予想外だった。
王子を寝取ろうとした身分の低い身の程知らずの女、というイメージは……なんかもう、大体忘れられているらしかった。あの婚約破棄の一騒動は、結局大勢の前で王妃がフレデリック王を口説き落として終わったので、今では『そんな痴話喧嘩もありましたな』で雑に片付けられているらしい。
この国、雑が過ぎる。滅びそうである。変なところでめちゃ豪運の国王が多いので幸い滅びていないが。
「さて、」
不意に、ヴィクトリアが言って、片手をすっと振った。メイドたちが頭を下げて片付けを始める。
「本日は何の用事だ?メイドたちがいては話し辛かろう。わざわざカタリア男爵令嬢が我に会いに来る程の用事だ、内容も気になるというものだ」
まだ、耳がある。もう少しメイドたちが離れてから。
そう思って、にっこりと令嬢は笑う。世間話をもう少しだけ延長して、それから心の準備をしなければ。
「王妃様はわたくしのお姉さまですもの、たまには顔が見たくなります。」
「同じ男を取り合った仲とは思えぬ発言、実に剛毅なことよ」
常にめちゃくちゃ剛毅どころか覇王な王妃様に言われると複雑どころではない。
「取り合っただなんて。わたくしが見ていたのは最初から家を存続させるお金だったのですから。フレデリック陛下のことは勿論今もお慕いもうしあげておりますが、それは恋ではございません……今も昔も。」
恋よりも、かわいい馬とかの首とか撫でて『いいこだね〜』と抱きしめたいような気持ちかもとマリアは考える。フレデリック王は妙なところで庇護欲をそそる人だったから。好きだった、でも恋ではなかった。お金も目当てだった。その時点で多分、勝てるわけがなかった。
「王妃様は陛下自身を心より愛していらっしゃった、最初からお互い乗っていたステージが違いましたのよ」
「そうだろうとも。我はフレデリックを深く愛しておる。昼も夜も大変に愛い」
コイバナが始まったことを察したのか、メイドたちは急いで撤退した。空気が読める。
周りから人がいなくなった。
にこりと愛くるしい顔に笑みを浮かべて見せた後で、マリアは一つ息を吐いた。
ああ、やっと言える。
先ほどまで和やかだった空気が、少しだけ冷えた。
「本題です。ヴィクトリアお姉さま……本日わたくしが来たのは、忠告のためにございます。あの男より先に王妃様のそばに侍ることができて、幸いでございました」
「あの男?」
「はい。あの男……本日、王妃様の護衛術士に新たな男が配属されます。それは、カタリア男爵家の親戚の、術士です」
「ふむ、それで?」
ヴィクトリアは傲岸不遜に顎を上げて尋ねる。マリアは生真面目な顔で言った。
「その男に気を許してはなりません、距離を詰めさせてはなりません、目を合わせて見つめあってもいけません。その男は……私の従兄弟は……妖精の加護ある魅了眼の持ち主です。決してお心を動かされませんよう」
男爵令嬢は息を吸って吐き、勢いよく吐き捨てた。
「身内だからこそ申し上げますが……くそのようなヒモ気質なのでうっかり養っちゃだめですよお姉さま!!!!」
豪速球であった。
宮廷の廊下を、目が覚めるような美男子が歩いていた。黒い髪に輝くような緑の瞳をした男だ。体つきは均整の取れた逞しさ、顔は精悍に美しい。
服は複雑な紋様を織り込んだ、宮廷術士ならではの瀟洒なローブである。まだ新品なのか、服には一切の汚れがない。
彼はふっと廊下に張り巡らされた鏡を見た。軽く流し目する。ウィンクして見せる。当然のことながら、鏡の前の彼も似たようなことをする。
ふ、と彼は気付く。首筋に赤い口紅マークがついている。いっけね、さっき暗がりに連れ込んだメイドさんに『今夜部屋に来てね……』ってキスされたの忘れてた。青年はごしごしと口紅を擦って落とした。
「よっし、今日もオレイケメン!かっこいい!世界で一番イケメンじゃね?」
彼はめちゃくちゃなナルシストであった。
水に映った自分を見て『ヤベー美男子見つけた』ってまじめに言えるタイプ。
「最近外国漫遊してたけど戻ってきて正解だったわ、王妃様付き術士なんて美味しい仕事募集してるなんてラッキー。術士免許S取っといてよかったぁ。公務員さいこーう!」
口調がめっちゃチャラい。廊下の向こうをちらっと横切った騎士が不審な顔をしていたが、王室付きのローブを着ている人間には不審者のレッテルも貼れずに通り過ぎた。
「王妃様付きの術士として働いて〜、そんで王妃様をちょちょいっと誑かして愛人の位置に収まればさ〜、一生遊べるんじゃね?オレイケメンだし、魔力つえーし、それにぃ……」
ぼう、と緑の瞳が妖しく光った。見つめられた者は男であろうが女であろうが誑かす、妖精の加護ある魔眼。
「これがあれば、十九歳のお嬢さん誑かすとか簡単でしょー!今の王様優しくて人畜無害っぽいしちょっとバカっぽいし、女の子って割とダメ男好きだし〜!そしたらオレの人生薔薇色!」
発言があまりにちゃらんぽらんである。術士の免許持ちとは思えない考えの浅さである。それもそのはず、この男、術の勉強を一切しないで試験に受かった完全天才型であった。妖精の魔眼も本物なら、術の威力も本物だ。天才となんとかは紙一重を地で行く人間だ。
「待っててね王妃ちゃん!君のイケメンが今行くよ〜!」
彼は外国に行っていたので、この国の王妃がどういう人なのか何も知らなかったのである。
マジで知識がゼロだったのである。無知って怖い。
「なんか、すごく失礼なことを言われた気がするよ……」
公務中のフレデリックはちょっと身を震わせて呟いた。
マリア・カタリアを客室まで送り届けてから手伝いにやってきたヴィクトリアが微かに眉を寄せる。手伝う、と言っても、優雅に偉そうに専用の革張り椅子に座って足を組み、公務に対する議論を王と延々とするだけだが。
足を組み換えただけで溢れ出る威厳、偉いオーラ。座ってるだけで彼女は今日も覇王である。偉そう。
しかしその偉そうなヴィクトリアは、今は微かに顔をしかめていた。
「奇遇だな、我も失礼な事を考えた無礼者の気配を察した。速やかに締めねばな」
「はいはい、いきなり物騒はダメだよ。……なんだろうね、虫の知らせってやつなのかな……このいやな感じ」
「虫であろうがなんであろうが構わぬが。まあ、来ないものは来ない、来るものはどうしたって来るであろう」
王妃は夕暮れの空を見上げる。何かを予感したようなその言い方に、フレデリックは少しだけ黙った。ヴィクトリアは何かを隠していそうだ。フレデリックがまだ知らないことを。それはなんだろう。彼女だけが感知していて、僕が知らないこと。
助けてあげたい。力になりたいのに。それなのに君はいつだってかっこよくて、一人で前を走る。女帝で覇王で移動要塞とか戦車みたいなかんじで周りを惹き潰して地ならししながら走る。本人が破壊力と攻撃力がありすぎて、ぶっちゃけフレデリックは何もやることがない。
しかし、まあ、尋ねるくらいはしてみようと王は思った。
「……何か、心配事があるのかい?その、話したくないかもしれないけど、よかったら、僕が力になるよ。王様だし」
「うむ」
「ああ、そうだよね、ヴィクトリアは話したくないか。それじゃあ……」
「我を誑かそうとする男が来るらしいのだが」
普通に話すのかよ。
事情を聞いて、フレデリック王は黙った。ヴィクトリアがたぶらかされるヴィジョンがどうしても見えなかったのである。覇王だし。女帝だし。
でも、もしも。もしも魅了魔術で彼女が誰かに恋をしたような目をしたら。それはちょっと……嫌だった。
「わかったよ、ヴィクトリアは僕が守ってみせる」
フレデリックは勇ましく言った。彼の心持ちではヒロインを守るヒーローの気分だ。
王妃は毛を逆立てたうさぎを見るような目で王を見た。
この王妃、あまりに人に守られた経験がないので反応に困って言葉を飲み込んだのであった。生来から覇王ムーヴの女を誰が守るとか宣言するというのか。
彼女は暫し考えた結果、美しく微笑んだ。
「よい、その心がけ、大義である」
ヒロインじゃなくてどう聞いても女帝の受け答えであった。
読んでいただいて嬉しいです、続きは多分本日中に更新です!何卒よろしくおねがいしますー!