ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン王妃は世界で一番偉そうである
初めて、王宮で婚約者になる王子と顔を合わせた時。
王子は、授業に出たくなくて家庭教師から逃げている真っ最中であったことを、覚えている。
「どうしてそんなにも授業がいやなんだ?」
「……、ヴィクトリアにだけ教えてあげる、みんなにはひみつだよ!」
手を引かれて連れて行かれたところには、傷ついた小鳥がいた。
あまりにこの小鳥が心配で、授業に出たくなかったのだと、彼は小さく言って、青い小鳥の翼を撫でた。
その時に、この王子が将来王になるということを知っていたヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンは不安を抱いたのだ。
あまりに、彼は人間であった。王とは、ある程度情を切り捨てなければやっていけない職務だ。それは王ではなく、広大な領地を有する公爵家とて同じこと。情だけでは、やっていけない。
そう伝えると、彼は唇をちょっと曲げた。
「……でも、放っておきたくないんだ。……目の前の何かを助けたいのは、そんなにいけないことなのかな」
「……王になるならば、そういった考え方もひつようだ。タイキョクを見る目をやしなわなければいけない」
小さなヴィクトリアは、聞きかじりの帝王学をそう伝えた。
フレデリック王子は、ぽつりと尋ねた。
「じゃあ、……タイキョクを見たときに、みてもらえなかったひとたちは、どこに助けてって言ったら、いいのかな」
責めるような口調ではなかった。ただ、疑問だったからつぶやいた、そういった調子だった。
小さなヴィクトリアには、答えられなかった。
フレデリックはそのまま、大きくなった。両親が年齢が高くなってからの子供だったから、甘やかされたのかもしれない。
良くも悪くも人間的に育った。苦手な科目があればサボって逃げたりもしたし、体調が悪い時には全く無理をすることなく休んだ。
愛馬の死に悲しみ、友人の身に降りかかった不幸を一緒に嘆いた。
当たり前に反抗期になって暫く王宮に戻らなくなったりもしたし、それで両親に迷惑をかければ家に戻った時にはとても反省した様子で謝った。まるでしゅんとした大型犬みたいだった。
ヴィクトリアには、ーー彼のそんなところが、理解できなかった。
苦手な科目なら尚更頑張るべきだし、体調が悪くとも少しであれば休まず鍛錬した方が力が身につく。
反抗期であっても、未来の王である自覚があるのならば王宮を離れるべきではないだろう。
幼い頃のヴィクトリアは、そういった考え方だったのだ。
でも。
「ヴィクトリア、ほら、花が綺麗だったから持ってきたんだ!」
赤い花飾りを、頭に乗せて、彼が笑う。未来の王が、未来の王妃に贈り物をするなら、もっと、宝石だとかドレスだとか、色々あるだろうに、彼は花飾りを選んだ。
「花言葉はね、……ないしょだけど!」
(……知っている)
赤い、野花の花言葉。
『側にいる君を、大切にする』
好ましいと思った。
大事な人に、自分の手で作ったものをあげよう。そうやって、当たり前の『ひと』として、考えられるフレデリック王子の感性を、幼い日のヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンは愛した。
ドレスや宝石じゃない。心を込めた花飾りを、あげようと。自然にそう思える心が、愛おしいと、思った。
(だが、……きっとこの王子は、まちがえる……)
ーーそう。
彼は、未来に王となる前に、きっと何度も間違えるだろう。彼は、『人間』であるから。弱い部分も、優しい部分も、あまりに普通の人間であるから。
王族は時に人間ではいてはいけないものだから、彼はきっと間違えるだろう。
その時は、自分が正せばいい。そばにいて、愛したらいい。彼が間違えるのなら、そばにいて、愛を持ってそれを正す。彼が大きく間違った方へ行かないよう。
そうすればきっと、フレデリックは素晴らしい王となる。
民に心を近づけて政治を行える、真に民を愛する王に。
弱さを理解できない自分にはできないことを、きっと彼がやってくれる。
それを、自分は王妃として、支えよう。何があろうとも。
それは決意だった。それは誓いだった。
覇王であり女帝であり、決して凡人にはなれぬヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンの、唯一の人間的な愛だった。
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンはふっと目を開く。
「……ヴィクトリア、眠っていたのかい?」
「いや、……少し、昔のことを、思い出していただけだ」
声をかけられて、王妃は答えた。
二人は今、控室にいた。春の日差しが燦々と降り注ぐ控室の中だ。ステンドグラスから、色づいた光が落ちてくる。王妃は白い豪奢なドレス、王もまた美しい金糸の縫い取りのマントに身を包んでいた。
「……僕もね、たまに昔のことを思い出すよ」
「そうなのか?」
「僕は最初、君が苦手だったんだ」
言われた言葉に、ヴィクトリアは一つ瞬く。
ミルクティー色の髪をした王は、ふっと深く息を吐いて子供のように笑った。
「……君は最初から、出会った時から完璧で、なんでもできて、強くて。僕よりもずっと王様に相応しく見えて……まるで小さな女王のようだった。そんな君が、苦手だった」
「…………」
「そんな君がいやで反発して、仲が悪かった時もあったね」
「あった。まあ、我はその間もずっとお前を愛していたがな」
「えっ」
唐突な発言に王は普通に照れた。
「いや、えっと、……その、ありがとう……」
「我は、お前のその、人間らしいところが好きだ」
ヴィクトリアは囁く。蜂蜜色の髪の王妃は立ち上がり、そっと王の頬に口づけを落とす。
王は小さく息を呑んでから、そっと吐息を溢した。
「……僕も、君が君であるところを愛しているよ」
優しい声だった。
彼がそう囁いて、そっと王妃を抱きしめた、その時だった。
外から、二人を呼ぶ声がかかった。出番が来たのだ。
今日は、結婚してから一周年の式典。賑やかでおめでたい、パレードの日。
遠くからパレードの音楽が楽しげに響いている。ヴィクトリアが目を上げた先、少し遠いバルコニーから差し込むのは、春の日差し。
バルコニーへ続く大きなホールには、数々の国からの来賓や、貴族たちが集まってまるで花が咲いたように華やかだ。美しい音楽、揺れるドレスの彩り。
あの日。
黄金の馬車を率いて魔王国へと乗り込んだあの日。結局戦闘が起こるというのは勘違いだったことが相互理解できて、平和的に解決した。
魔王は目の色を変えて馬車を貸してくれと言ってきた。除雪車として暫く使ってから返すから、レンタル代も払いますから……と頭を下げられたので、暫く貸した結果魔国の豪雪はある程度やわらいだようだった。それ以来、魔国とは友好関係を維持している。
今日の式典には、魔国からの来賓もいる。
肌の色も薄い青だったり緑だったりする人が時折混ざっていて、国際色が豊かだ。来賓が並ぶ特別席の真ん中には魔王が座っていて、今日は魔族らしい漆黒に身を固めて背筋を伸ばしている。威厳溢れる風態だ。
こちらに気がつくと、彼は軽く微笑んで会釈した。
フレデリックとヴィクトリアはゆっくりとホールを、来賓席の前を通り過ぎて、明るい光の溢れるバルコニーへと歩んでいく。
貴族の席から、デルフィーヌが唇の端でだけ微笑んでこちらを見ている。サラ・マーニュが大きく手を振って転びかけ、そばにいた衛兵のティーガが慌てて支える。
ミレイユは猫を抱っこして貴族席から少し離れたところに座っている。ブランダンへ出す手紙を書いているのだろうか、膝に置いた羊皮紙に情景をメモしているようだった。
マリア・カタリアが略式の礼をして、側にいるミカエルが楽しげに笑う。マリアの護衛は腕に焼肉の刺青のある兵士である。
ブリジット・ディーメイド長が、ヴィクトリアの髪についた大輪の薔薇の位置を直す。
メイドたちが王と王妃の衣装をうつくしく整え直したら、さあ、ーーバルコニーの扉が開く。
王と王妃はあざやかな春の日差しの下に進み出る。花びらが舞う、空は抜けるように青い。
「今日の日を迎えられたこと嬉しく思うよ、ありがとう!」
「我の愛しき国民たちよ、存分に祝い歌うがよい。この王妃が赦そうぞ!」
相変わらず王より超偉そうである。
歓声が上がる、笑い声が、拍手が、幸せそうな声が、青空に舞い散る。
王妃は、愛する王の傍で光り輝くように微笑む。
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンは今日も相変わらず、世界で一番偉そうである。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。読んでいただけて幸せです。
彼らの物語は一旦ここで完結となりますが、このお話で笑ったり楽しい気持ちになってくださる方が一人でもいらっしゃればそれだけで感無量です。ありがとうございました!




