世界一偉そうな王妃は雪の魔国に春を呼ぶ (終)
魔国の夜はものすごーーーく冷え込む。
どれぐらい冷えるかというと、窓を開けたら睫毛がぱりぱりっと段々凍りそうなぐらいだ。寒い。比較的暖かなサンティア王国から来たフレデリックが耐えられるはずもなく、ここ数日夜は晩酌も楽しまないまま布団の中で団子になる日々が続いている。
ついでに、フレデリックが連れてきた護衛たちもみんなして寒がりだったので、比較的暖かい部屋に魔王の厚意で避難させてもらっている。ありがたい。
(……それにしても、……魔王陛下が蝙蝠の使いを出してくださったとはいえ……この豪雪で、向こうへ届くんだろうか……。魔導系の通信機も、雪に含まれる魔力を感知するせいか上手く動かないし……)
フレデリックはため息を吐いた。もう帰還の予定を大幅に過ぎてしまっている。魔国の悩みは解消できてはいないとはいえ、交渉は概ね成功したので早めに戻れるのならば戻った方がいいだろう。民やヴィクトリアを心配させたくなかった。
それにしても、寒い。寒すぎて上手く眠れない。窓の外は、次第に白み始めている。
そんな時、不意に扉がノックされてフレデリックはそっと布団から頭だけを出した。
凍りつきそう。寒い。くっそ寒。
「サンティア国王陛下……」
「魔王陛下?」
普通にびっくりした。ここ数日パジャマパーティをしていた仲とはいえ、こんな朝方に訪ねてくるものか?しかし入り口の警備兵は沈黙しているし、乱闘があったような音も一切しなかったり、普通に扉開けてもいいだろう、多分。
寒いのを我慢して、彼はきちんとした服装に着替えた。上から、赤い防寒着の外套を羽織る。王らしい、マントだ。
赤色は、彼女のドレスの色。この魔国に持ち込む外套の色を決めるときにこれにしたのは、彼女のことを、無意識に思っていたからだろうか。
(……ヴィクトリア、ごめん。心配しているかな……もう少し、待っていて)
必ず君のところに戻るから。だから、国で待っていて。
一つ息を吐く。
フレデリックが扉を開くと、よれよれの服ーー……ではなく、真っ黒な鎧に身を包んだ魔王が立っていた。背中に、ばさりと黒い羽根が出ている。魔族の羽根、そのものだ。漆黒の中に煌く不可思議なゆらめきを持った色は、魔王である証。
ブラックメタリックである。暗黒騎士である。戦支度である。
顔は疲れた社畜なのでちょっとアンバランスだけども。
「鎧……」
一瞬混乱したフレデリックは当たり障りないことを言ってしまった。
「あっ、えっと、と、とてもよくお似合いです」
「ありがとうございます、大変嬉しいです……いやー、普段わたくしこういう格好しないので……」
「いえ、かっこいいですよ!とても!」
「あっ、本当ですか?照れますねえ……」
初対面の服屋の店員みたいな会話をする王二人。
パジャマパーティまでして性癖暴露しあった仲なのに。
魔王は咳払いをした。いつものくたびれた社畜感が薄れて、為政者の顔になっていた。
「いえ、今はそういったお話ではなく……サンティア国王陛下。国境をですね、何者かが超えた気配があります」
「……国境を?」
空気がピリッと引き締まった。魔王の顔が、ただならぬ空気を漂わせていた故に。
「はい。しかも、複数の術式を携え、魔術装甲を纏った何かがやってきます。基本的に我が国の国境線の防衛術は、攻撃魔法を持たない者には反応しないのですが……今回は、戦車にも相当する何かが、この王城目掛けて一直線に走ってくるのを感知いたしました」
口調は深刻で、重々しかった。
この魔国に、魔法への防護を固めた一軍が乗り込んできたということは。
それがどこの国であっても、戦闘の意思が多少なりともあるという事に他ならない。
「……つまり……?」
「王都まで戦火の手が伸びる可能性があります。サンティア国王陛下を、なるべく早く国まで送り届け、我が国は守りを固めてーー……」
その時、フレデリック王はふっと窓の外を見た。
明るく白み始める朝日の中、走ってくる、黄金の馬車を見た。
ーーそこにいる、黄金の輝きを見た。
彼は、ぽつりと言った。
「その必要は、」
「ないと、思いますが、」
魔王は眉を上げ、窓の外を見る。
ひゅ、と息を呑む、音がした。
雪が。
あれほどまでに街を、道を覆っていた雪が、溶けていた。
黄金の馬車が、いくつもいくつも、道を走ってくる。馬車が走るたび、車輪が回るたび、雪が溶ける。
雪が溶けた水がきらきらと水蒸気になり、小さな虹があちこちにかかる。雪がなくなった場所に緑が薄らと見えて、小さな白い花が、淡い黄色の花が、桃色の花が、儚げな花びらをもたげる。
まるで、黄金の馬車が通り過ぎた場所から、春になっていくようだ。
魔国の人々が驚いて道へ出てくる。彼らの周りが、真っ白で冷たい世界から一瞬で春へと塗り替えられていく、あざやかな虹がかかる。
魔王はそれをただ、呆然と眺めて言う。
「あ、れは……なんですか?」
フレデリックは呟いた。
「ーー……ヴィクトリアだ」
黄金の、先頭の馬車から半身を乗り出し、蜂蜜色の髪を靡かせる娘を、二人の王は見た。
こんな時ですら赤いうつくしいドレスを脱ぎ捨てず、その身に纏って駆けてくる。
彼女は駆けてくる。
ああ、そうだった、とフレデリックは思う。
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンは、国で一人待っているような女ではない。
彼女は、気がかりがあれば自らが赴き、誰かを討つ必要があれば自分で剣を取り、そしてーー守りたいもののために、大剣を携えて戦場の真ん中を駆け抜ける。
そういう娘だったじゃないか。昔から、そうだったじゃないか。
そういうところが、最初は苦手で、そのうち、とても好きになった
彼女が彼女らしいところが。
フレデリックは走り出した。赤いマントを翻し、ミルクティー色の髪を魔国の日差しにきらめかせて、走り出した。
「国王陛下!」
誰かが慌てたように呼び止めたが構いやしない。
外へ出る。その時には、春を引き連れた黄金の馬車たちは、魔王城の中へと走り込んでいた。
長い長い階段。緩やかに裾に向かって広がる石階段の、その下に。
既に準備を終えていたのか、黒い魔王軍の鎧の兵士たちが整列した、その前に。
春の日差しを背負って、赤いドレスの娘が、立っている。
フレデリックはそこで立ち止まり、それから一つ息を吐く。
お互いに、息を切らせていた。
冷えた空気の中を走り抜けてきたヴィクトリアも、魔国の城の中を恐れ多くも爆走してしまったフレデリックも。
お互いに息を切らせて、呼吸を整えられないまま、向かい合った。
ゆっくりと歩み寄って、その金色の髪を撫でる。ふわ、とその形のいいヴィクトリアの唇から、吐息がこぼれた。
「ーー……フレデリック、……無事だったか」
「……長く戻れなくて、ごめんね」
「こうして走り出てこられる所を見ると、人質だったわけではなさそうだな」
「ああ、魔王陛下は、よくしてくださった。雪に閉じ込められて、出られなかっただけなんだ……。でも……それももう、君が解消してくれたようだけれど」
黄金の馬車が雪を溶かした魔王城の庭園には、春の気配がきらめいていた。
例えば、溶けた雪の下に芽吹く双葉に。例えば、雪の花をつけていた木々に鮮やかな花の色がぽつぽつと見えて。
お互いに言いたい言葉は、言うべき言葉はもっとあるはずなのに、上手く出てこない。
部下の前だ。魔国の中だ。二人きりではない。そういったことが、お互いの私的な言葉を封じ込めていた。
一つ、息を吐く。二つ、手を取る。
抱きしめようとして思いとどまり、そっとその華奢で白い手を取るだけに留める。
彼女はここまでくるのに、どれだけのものをこの両手で動かしたのだろう。
来てくれてありがとうだとか、君とこうして会えて嬉しいだとか、心配かけてごめんだとか、今の君が、頬を寒さで赤くして髪を乱した君がとても綺麗に見えるだとか。
そう言った言葉は全部封じ込めて、フレデリックはその片手にそっと口付ける。
「ーー……来てくれてありがとう、僕の王妃」
「苦しゅうない」
うーん、偉そう。
その時、不意打ちで手が伸びてきた。顎を掴まれて、顔を上げさせられる。意志の強い切れ長の瞳がふっと迫る。何をされるか察したフレデリックは焦った。
いや待って、ここ魔国の庭だし部下も普通にいるし普通に恥ずかしいしいやいやいやいや……
「待っ、」
「待たぬ」
ふわりと蜂蜜色の髪が揺れて、唇の距離がゼロになる。吐息が通う。
彼女からは、黄金の春の匂いがした。
王は赤くなった。それを見て王妃は、春のきらめきと、雪の溶けた水によってかかった虹を従えて、とびきり美しく微笑んだ。
その様子を魔国の兵士たちと、サンティア王国の兵士たちは何となく見守った。
何となくめっちゃ拍手をした。ここ絶対拍手するとこ。
真ん中にいた王が大いに照れて、王妃が軽く両手をあげて拍手を受け止める。慣れたものである。
鎧を着込んで戦支度を万端にしていた魔王は、二人の様子を見てふっと息を吐き、大体の事態を理解して苦笑して剣を収めた。
これただのラブラブお迎えですね?惚気に巻き込まれたみたいになってしまった。
魔王は軽く手を振って、黄金の馬車の群れに対して臨戦態勢だった兵士たちを下がらせる。
「兵たち、控えなさい。攻撃をしないように」
魔王はヴィクトリア・ウィナー・オーストウェンを見た。春を連れてきた黄金の娘を。あの奴隷市場の舞台で、闇市の片隅で見かけた時より、どんな時よりも、王の隣にいる時が華やいでみえると、そう思った。
彼女に踏まれてみたいし詰られてみたい。
だが、まあ、愛する人と幸せそうに見つめ合っている所に乱入するほど無粋ではない。
「陛下、花が。我が国にも、花が……!」
青い肌色の魔族が嬉しげに声をあげて、魔王はふっと意識を引き戻される。魔族は溶けた雪の下から頭をもたげた花に、長い爪で触れる。
異国からやってきた黄金の娘が、この魔国に春を連れてきた。
まるでどこのおとぎばなしだろう。
青い肌の魔族はしみじみと言った。
「……借金地獄通り越して借金魔界赤字の我が国にも、春が来ましたねえ。陛下もこれでよく眠れますね」
相変わらず言葉を霧に包まない。
よく眠れるのは事実だけど、もうちょっと言葉をなんとかしてほしい。
そう思いながら魔王も肯いた。
分身して過ごす日々も、漸く終わる。これで複数の自分が『あれやりたくない』『これやりたくない』といっているのを仲裁しなくてよくなる。平和。
春の光の中で、早速魔王は命じた。
「戦闘はなくなりました!兵たちは持ち場に戻りなさい。それからわたくし今夜はぐっすり寝たいので、布団を全部外に干しておいてください」
「それは自分でやってくださーい」
「甘えないでくださーい」
「鎧姿かっこいいけどだめでーす」
魔国の兵士たち、魔王に厳しい。
小さく兵たちの間から笑い声が上がる。明るい春色の陽気の中で、皆気分が浮き立っているのかもしれない。
魔王と呼ばれる男は目を細めて、春の中に佇む隣国の王と王妃を見守った。
あとであの馬車型除雪車のレンタル代幾らになるか聞こうっと。
その後、平和的な話し合いの末、ヴィクトリアの引き連れてきた対豪雪地帯用の魔科学搭載馬車は魔国に貸し出されることとなった。
魔国の雪を溶かして春を連れてくる黄金の馬車は、そのうち魔国の春祭り名物になったりしたが、それもまた、数年後の話。
別のおはなしである。
最終章まで読んでいただき、感無量です。次回投稿のエピローグにて完結となります、ここまでこのお話にお付き合いいただき大変うれしいです!




