世界一偉そうな王妃は恋の罠に魅了されない (終)
黄金色の黄昏が世界を染めていた。繊細な砂糖細工のような城の上、宮廷のバルコニーに二つの人影があった。ヴィクトリア王妃とフレデリック王である。
美しい猫足の白テーブルの上には、香る紅茶と、ミントの乗った真っ白なケーキが置かれている。王妃の趣味による夕方のティータイムであった。
「……昨夜のことだが」
不意に王妃が口火を切ったので、王はふっと顔を上げた。
昨夜。後宮の扉を吹っ飛ばして術士が転がり落ちてきた話の顛末は、扉の修復費用の一部を術士に負担させることと、詰所の箒を更新することで決着がついた。
マリア・カタリアはミカエルに思い切り張り手したが、それだけで済ませてヴィクトリアが無事だと知るとさっさと領地に帰った。現金なご令嬢、相変わらず現金であった。
けれど多分、彼女が言っているのはそういう事件全体の流れとは違うところにあるんだろうな、とフレデリックは検討をつける。
「うん、どうしたんだい?」
「何、昨日のあのミカエルとかいう術士とお前のやりとりを見てな、我にも弱いところはあると自覚したまでよ」
どのやり取りだろう……と王は思ったが、それよりもその後の強烈な言葉の違和感が引っかかって、思わず深掘りせずに突っ込んでしまった。
「君が弱い?」
「我にも弱さはあるのだ。この我にもな。イディア女神の小指というやつよ」
君が弱いならきっと世界のどっかにいるっていう伝説の竜とかも弱いし、神殺しの英雄とかも弱いし、神代から生きてる巨人とかも弱いよと考えてからフレデリックは黙った。
彼女は透明な紅茶を銀のスプーンでかき回し、ゆるゆるとできるうつくしい波紋を眺める。静かな瞳は、まるで考えの読みにくい高貴な猫の目を見ているようだった。
「君に弱点があるとしたらそれは僕が補強する。君は僕が間違えそうになった時に正してくれた。いつだって助けられている、だから僕が手伝えることなら、なんでも」
黄金の光の中、蜂蜜色の髪を夕暮れの風に揺らしている彼女は、感情の読めない瞳でこちらを見る。ふっと、その唇がいつもの傲岸不遜な笑みを取り戻した。
「ほう。では頼もう」
「僕がなんとかできることなのか?」
「お前にしか頼めぬと思っていたところでな、我の望みを叶えよ」
世界の半分をやるから勇者辞めろとか言われそう。
と思ったが、実際の彼女はある意味それ以上に強烈な言葉を放った。
薄らと微笑んで、しかし瞳は滲むような不可思議な感情を湛えている。
「我の隣で生き、我の隣で死ね」
「………………………………………」
うーん、圧倒的帝王!
フレデリック王は少し黙った後、極めて穏当にヴィクトリア語を翻訳した。
「……えー、あー……ずっと一緒にいてほしいっていうことで、いい……?」
「よい」
潔い。
でも。
彼女は今、目を合わせずに紅茶を飲んでいる。ぱっと見は、いつも通りのヴィクトリアだ。いつも通りの。
しかし、ヴィクトリアは僅かにいつもと違う雰囲気を纏わせていて、普段の滲み出る輝きが陰っているように見えた。
なんだろう。そういえば前にもこんな空気を纏わせているのを見たことがある。具体的には、婚約破棄をしかけてしまった、とき。僅かに沈んだような、陰った輝き。あの時はうまく言葉を紡げなくて、気がついたらヴィクトリアは元に戻ってしまっていた。
自分のせいで彼女の光を陰らせたのに、何もしてあげられなかった、あの時は。
だからこそ。
フレデリックは出来る限り誠実な言葉を選んだ。優しい言葉を、真摯な言葉を。
「……わかった。それが君の弱点を補強することなら、僕はそうしよう。王妃である君を、僕も支えよう。いや、上手く支えられるかは、分からないけど……でも、僕のできる精一杯をすると、約束する。僕は君ほど強くない、君ほど色んなことが上手くはできない。でも、君が君らしくいられるように、君の隣にいる」
決して強くはない、ヴィクトリアの演説のように力はない。けれど、フレデリック王らしい言葉だった。いい意味でも悪い意味でも、人間らしいこの王の言葉。
ヴィクトリアは黄昏の光をのみつくした美しい色の紅茶を全て飲んでしまうと、フレデリックと目を合わせた。
「……その心がけ、しかと聞き届けたぞ」
黄昏の最後の光が、空に赤々と光っている。空には一等星が輝き始め、夕暮れの黄金と、宵闇の深青が混ざり合う空の間。
黄金色の髪をした王妃は、それはもう輝かんばかりに微笑んで見せた。
「フレデリック。その誓いをお前が守るのならば……それならば我は、いつまでも最も強くいられるであろうよ」
ああ。いつものヴィクトリアだ、と、王は思う。
輝かんばかりの、いつものヴィクトリアだ。覇王オーラが出てる、いつものヴィクトリアだ。
彼女は鮮やかな空を背にして立ち上がる。星々がきらめき、黄昏が光放つこの場所は、まるでヴィクトリア王妃一人のために用意された美しい舞台のように映えて見えた。
「フレデリック、ぐらついてもよい、迷ってもよい。それでも己のいるべき場所は我の隣と定めて、必ず戻れ、ーーーよいな!」
(かっこいい……っ!!!!!!)
星空と黄昏の間に立つ覇王、普通にかっこよくてだめ。
どうあがいてもかっこよくて、反射でときめいてしまう。ずるい。
フレデリックは咳払いをして気持ちを切り替える。立ち上がり、彼女の手を取る。
精一杯格好をつけて、優雅で気品ある口づけをその手の甲に。
「必ず君のそばに戻ろう。いや迷ったり間違えたりしたら、それは……ごめんね……」
「そこはもう少し格好をつけて答えるがよい」
「格好つけても君の方がかっこいいからいいんだよ」
ヴィクトリアはちょっと黙ってから、それはもう実に偉そうに微笑んだ。
「ーーそれもそうか」
「そこはもうちょっと否定してくれよ!」
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン王妃は、今日も世界で一番偉そうである。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
続きは頑張れば多分今夜22時ぐらいかなあと思います。