世界一偉そうな王妃は恋の罠に魅了されない (中)
王家の客室に招かれ、寛いでいたマリア・カタリア男爵令嬢はふわ、と小さくあくびをした。
今日で王宮への滞在は三日目だ。一日で帰ろうと思ったのだが、ヴィクトリアを毒牙にかけようとする従兄弟の動向が気になって残ってしまった。
おかげで三日間、優雅に過ごさせてもらっている。メイドさんのご好意に甘えて薔薇風呂を作ってもらったり、美味しいお菓子でティーパーティーしたり。
うん。本来の目的を忘れがちになる。
(でっ、でも!お姉さまがあれから何も言っていらっしゃらないからつい、王宮生活楽しんじゃうだけで!私のおうち辺境の男爵家なんだもの……!)
というか、王宮であの日から彼女の姿を見ていないというのもある。
王の姿も見ない。二人とも公務が忙しく、奥の宮殿……後宮に篭っているとのことだった。
「何か、あの男が御迷惑をおかけした結果でなければいいけれど……」
そう、彼女がひとりごちた時だった。
窓が、きぃ、と小さな音をさせて開く気配がした。振り返る。息を飲む。
窓のところに、月をバックに人影が立っていた。美しい黒髪、精悍な顔。うるわしの宮廷術士のローブ、口元には女を狂わせる甘い微笑みーー。
まあ不審者である。
「通報!」
マリアは躊躇いなく部屋に置かれた金色のベルに手を伸ばした。それを鳴らすと大音量で音が城周りに拡散され、兵士たちが駆けつけてくるマジックアイテムだ。つよい。
不審者は当たり前に慌てた。
「うわーー!何やってくれちゃってんの!?そんなの鳴らされたらオレ捕まっちゃうでしょうよ!公務員なのに前科持ちはまずーい!」
見知った声だった。男爵令嬢はふっと警戒を解いた、ふりをした。別にこのまま通報しても良かったんだぞ、この馬鹿いとこ。
「ミカエル兄さま……。いとこ同士の関係とはいえ、女性の部屋に突然窓から入ってくればこうなるのは当然では?」
「普通の女の子はきゃーって喜ぶじゃん?オレが夜中に訪ねてきたら大喜びじゃん?ほらイケメンだし。」
「わたくし、兄さまの妖精の魔眼は見慣れてしまったので」
「そうだよねー、マリアははオレにメロメロになってくれないもんなー?悲しいよなあ!」
黒髪の天使と諸外国であだ名された美青年は、大仰に両手を広げて嘆いてみせる。
「まあそれはそれとしてさあ。マリア、お前何か王妃ちゃんに吹き込んだ?」
唐突な質問だった。
マリアはぴくりと反応したが、平静を装って顔を逸らした。
「いえ、何も」
「嘘じゃん!嘘つくなよなー!」
ちっ、この男面倒臭い。正直カタリア家にとって毒でしかないこの男に関して、男爵令嬢、マジで興味がなかった。マジマジのマジでミリ単位も興味がなかった。
しかしミカエルが部屋に居座っているので、礼儀として仕方なく会話を繋いだ。女は愛嬌よね。
「ミカエル兄さま、王妃様と何かありましたの?」
「それがさー、オレ三日前に配属されたじゃん?」
「そうですね」
「それで三日間王妃ちゃんに会えてねーんだけどー?あきらかに避けられてるんだけどー」
「嫌われているのでは?」
ミカエルは「ふふん」とどや顔をする。むかつく。
「そーんなわけないでしょー!オレ、外国でも女の子に困ったことないし、この魔眼とオレの美貌と、三時間かける肌の手入れと軽い化粧とお洒落ファッションセンスで女の子はみんなイチコロだしさー!」
女子か?
「……はい。ええ、えーっと、魔眼の力だけでもいくらでも魅了できるのにも関わらず、外見磨きに死ぬほど努力していらっしゃるミカエルにいさまの努力は認めますけれども……」
「でっしょーー!もうモテて然るべきじゃん!で、思ったんだけど。かっこよくて天才だから、まあオレみたいな男は王妃様の愛人とかがふさわしいよなー? 王妃ちゃんもオレみたいな男に愛されたら嬉しいだろー?ってさー。オレが王妃の愛人になればカタリア家にだって益があるわけだし」
「その底なしの自信どこから湧いてくるんです?」
益がある云々はちょっと興味あるけれども。カタリア家のお金になるならとか思うけども。でも、ミカエル兄さまをヴィクトリアお姉様に近づけるわけにはいかないわよね、普通にね。
男爵令嬢は静かにそのまま窓を閉めようとした。普通にミカエルは落ちかけたが、極度に運がよくかろうじて窓枠に踏みとどまった。イケメンが両手両足を突っ張って窓枠に頑張って止まる図はなかなかレアではないだろうか。ちょっとセミみたい。
「セミの物真似ですか、ミカエル兄さま!」
「急にテンション上げてくんじゃん」
セミ状態になりながら、ミカエルは真面目な顔をした。
シュールである。
「オレはさ〜、お前の大大大好きな王妃サマを絶対に落としてみせるよ?まあオレの魅力に揺らがない女の子なんていないけど〜!綺麗なミルク肌になる秘訣とか教えてあげる〜みたいな会話から上手く入ればオーバーキル!」
通じなさそう。
そう言う間もなく、ミカエルは窓から飛び降りてどこぞへと飛んでいった。
暫くそれを見送ってから、マリアはひとりごちた。
「それにしてもミカエル兄さまって……」
うーん、魅了の魔眼とかいうチートがある割に手口が昔からめっちゃ地味よね!
その頃、ヴィクトリア王妃は後宮にいた。
宮廷の奥にある後宮は、随分前から掃除だけされていた建物だった。先代の王はもう年齢も随分と上になっていて妾を持たず、現王フレデリックはヴィクトリア以外を召し上げることをしなかったので、まあ宝の持ち腐れになっていたのだ。
その後宮の最奥、正妃用の部屋で、ヴィクトリアはこの三日を過ごした。覇王のような彼女が、この部屋におとなしく押し込められているのである。何があったんだよマジで。
「フレッド……」
「うん、なんだい?」
「我は外へ行きたい」
「守られているのが嫌になったのかい?」
「そうではないが」
ヴィクトリアは陰鬱な表情で言った。普段の輝けるような覇王のオーラが微塵もなく、ため息をつく彼女は十九歳の麗しい姫に見えた。
多分目の錯覚。
「とにかく、だめだよ。だってここから出したら他の男が君をとりにくるかもしれないんだろう?」
王は王妃の言葉にあまり耳をかさず、そっとその金髪を愛おしむように撫でる。いつものウサギチャン感が抜けたような、独占欲をにじませた声であった。
王妃は顔を上げた。
突然後光(幻)がさした。突然の女帝。
「フレデリック、我がお前以外を選ぶわけがなかろう?こんなにも寵をかけ、愛し、守り、慈しんでいるお前以外を?そんなわけがない、だがそんな不安がるところも愛い!我は愛そう」
「君そういうところだぞ!!」
なんとなーーく艶っぽい空気が一瞬でぶっ壊れた。フレデリックはいきなり口説かれて普通にどきどきした。かっこいい。やっぱ好き。
「ところでなんで外に行きたかったんだい?」
「暇なのだ」
「そっかあ……」
さて。
『相手は魅了眼の持ち主』『高位の術者』ということを伝えたところ、フレデリックは対魔の指輪を錬金塔に依頼した。明日納品される指輪があれば魅了が無効化できる、それが完成するまでの二人きりの引きこもり生活であった。
愛するものに「君を守るため」と引きこもりへの付き添いを頼まれたら、まあ普通に受ける。
フレデリック王は地味におねだりの仕方が上手だった。
「しかし、飯や着付けまでそなたがすることはなかったであろうが」
「万が一メイドや執事に化けられたら見抜けないかもしれないからね……それともヴィクトリアがご飯作ってくれる?」
「台所を戦場にした後一面焼け野原にしてやろうぞ」
どこの戦国大名だよ。
王は、手に持っていた金のトレイをそっとテーブルに置いた。自作の、めっちゃあちこち焦げてる白い粥……のような何かであった。ちゃんと二人分ある。所々謎の紫の野菜みたいなものが見え隠れしていて食べるのに危険を覚える感じのやつである。
王はメシマズであった。
食べる。うん、普通にまずい。
フレデリックは自分の料理に絶望して静かにスプーンを置いたが、ヴィクトリアは黙々と食べ続けている。なんかとても申し訳ない。
「ごめんね、ヴィクトリア。君を閉じ込めてまずいご飯食べさせるなんてだめなのは分かってるんだけど……」
「愛おしいものが作った飯がまずい訳がなかろう?愛い奴よ」
(かっこいい……)
トゥンク。いやそうじゃなくて。
「……んんっ、ええっと、魔術をかけられる可能性はいつだってある。加護を固められるまでは、そばできみを守りたいんだ。僕に、君を守らせてくれ。……今は、僕のそばにいてくれ」
フレデリックは精一杯格好をつけた。王様なのでそれなりに様になる。
「ーー望まれれば応えよう。それが、王妃たる我の生きる道よ」
うーん、言葉のチョイスが覇王。優勝。
彼女は立ち上がった。ぐしゃっとしたドレスだが、まるで亡国の帝王のように威厳に満ち満ちている。
「そなたは王で、我は王妃。フレデリックが望むならばどんな願いも叶えようとも。それがお前を愛する我の喜びよ。どれだけまずい飯を食わせられようと構わぬ。服が着つけられずともよい。食が満ち足り、衣服が整えられていることが愛の条件であるわけではない、お前が焦土でも構わぬというのならば我が食事でお前を満たそう!我がそなたの服すら繕おう!我が愛でお前を包もう!!!」
(かっこよさ負けてる気がする悔しいでもカッコイイ……ッッッ!!!!)
どきどきしたフレデリックはイケメン路線からあっという間に転がり落ちた。だめじゃん。
そっと髪を撫でられる。手が優しい。覗き込んでくる目が愛しみに満ちている。フレデリックは普通にときめいた。
あっ、いや流されたらいつもと同じになってしまう……!せっかく格好つけたのに!ヴィクトリアのイケメンムーヴなんかに絶対負けな……!
「我の愛で満たされるがよい」
「はいぃ……」
即落ちである。残念!
なんかもういろいろとだめだった。自動塩水生成機、結婚してからも時折ときめきすぎてオーバーヒートしそうであった。
ーーその時、二人の間の砂糖漬けの空気を破って、突然扉がぶっ飛んだ。
比喩ではない。
後宮の最奥、中庭に面した正妃の部屋の扉が、物理的に破壊されたのである。
お読みいただきありがとうございます〜!今回一話がちょっと長めですが、読んでいただけてとってもうれしいです!




