クールな女幹部はエッチな本に負けたくない
暗く陰鬱な雰囲気で覆われた魔王城に一人の女がいた。
美しい漆黒の髪と怜悧な顔立ちをしているが、他者を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っている彼女はエレオノーレ・ジェル・レメルド・カジェロ。魔王軍唯一の女幹部である。
本人の実力もさることながら、整った容姿と公平で冷静沈着な性格から部下からは慕われ、周囲の信頼も厚い彼女は上司に呼び出されていた。
「魔王様、本日はどのようなご用件でしょう?」
「とりあえず、これを見ると良い」
そう問いかける彼女の目の前にいるのは、魔王軍最高位である魔王である。
椅子に腰掛けている彼は優雅に脚を組み、微笑みながら一つの水晶を彼女に渡す。その中には見慣れない景色が浮かんでいた。
「これは……映っているのは異世界でしょうか」
「そうだとも。もっと覗いてみたまえ」
「はっ」
魔王の命じるがままに水晶を覗き込むと、そこには人間が暮らしているであろう街がみえる。しかし、その町並みや人々の服装はエレオノーレの知っている物とはかけ離れていて、やはり異世界なのだと認識させられる。
「人間たちが見えますが……」
「うむ。驚いたことに、その世界には魔力も魔法も神々も、そして我々魔族も存在しないらしい」
「それは本当ですか?」
目を見開いて驚くエレオノーレに魔王は鷹揚に頷く。
「そうだとも。その上、その世界は我々の世界よりも広大であり、物資も豊富だ……私の言いたいことがわかるかな?」
「はっ、この世界を我々の支配下にするのですね」
「ああ。魔法が無いということは我々に対抗する術を持ち合わせていないも同じ。ここを手に収めれば、この世界の人間との戦いにも有利に運ぶ」
「はい、おっしゃるとおりでございます」
魔王の言葉にエレオノーレは心から同意する。
十年前から続いている人間と魔族の戦いは現在、膠着状態が続いていた。
魔族のエリートとしての誇りを持っているエレオノーレにとって、たかだか人間にここまで手こずるなど、屈辱以外の何物でもない。
それもこれも、神々が人間に力を貸しているせいだ。連中さえ邪魔しなければ、人間などとうに根絶やしになっていただろうに。
「エレオノーレ、命令だ。この世界に行き、我々魔族の支配下に収めよ。魔法もない世界だ。君一人で十分だろう」
「はっ! お任せください!」
魔王の命を受けたエレオノーレは早速、この世界の調査を行った。
誰よりも敬愛する魔王から直々に賜った任務なのだから、僅かな失敗も許されない。たとえ劣等種たる人間しかいない世界であろうとも、だ。
そして、その調べ上げた結果に彼女は嘲笑を浮かべる。
「結局、調べれば調べるほど、レベルの低さしか見当たらん世界だったな」
これは万に一つの失敗もありえない。
そう判断したエレオノーレは早速、異世界に向かった。
彼女が選んだのはこの世界でも文明が発達していて、武器の流通が少なく、それでいて腑抜けている印象を持った日本である。
ここを根城とし、この世界を落とそうと考えていたエレオノーレだが、彼女は知らない。この選択が、とんでもない過ちであることを。
日本にある都市のとある駅前。
仕事帰りの人々が足早に駅に向かう中、スーツに身を包んだエレオノーレが悠々と歩いていく。
何人かは彼女の美しさに気を取られたように一瞬だけ立ち止まるも、大半は無関心のまま通り過ぎる。
まさかこんなところに異世界からの侵略者がいるだなんて、思いもしない。
(やはりまず我が手中に収めるべきはここ、東京だな。存在がバレぬよう地方からじわじわと陥落させようかとも思ったが、こんな連中にそこまで気を付ける必要はないだろう)
ではどうしようかと頭を巡らせる。
この国のトップである首脳か、それとも天皇とかいう奴を見せしめに始末してやろうか。
そんなことを考えていたエレオノーレだったが、ふと顔をあげると自分が書店の前にいることに気づいた。
(本か……)
エレオノーレは読書家である。知的好奇心が旺盛で、気になった本は次々読み込んでいる為、かなりの博識を誇っていた。
魔王軍幹部はただ強いだけでは務まらないのだ。
(……まあ、こんな世界の本でも少しぐらいは楽しませてくれるか)
本好きの血が騒いでいるのをそうごまかして、彼女はその店に足を踏み入れた。
店内は広く、エレオノーレは悠々と物色していく。
異世界に来るにあたり、この国の言葉を習得していた彼女は棚に積まれている物を取り出しては、少し中身を確認して戻す。
少し気になるものはあるが、購入には至らないようだ。
そのまま店の奥へと進んでいくエレオノーレは、他とは違う一角を見つけた。
「? なんだ?」
そこはまるで来るものを拒むかのように、十八禁と書かれた暖簾がかけられている。
もし、エレオノーレが凡庸な精神の持ち主であったなら、そこには近づきもしなかったであろう。
だが彼女は魔王軍幹部。この程度のことで臆したりなどしない。
(ふむ、ここは何か特別なものが置かれているのか)
そう考えたエレオノーレは何の躊躇いもなく暖簾をくぐる。
だが、その先で彼女を待ち受けていた光景は、想像を絶する物だった。
「なっ……」
そこには女のあられもない姿が表紙の本、つまりはエロ本が惜しげもなく並べられていた。
あまりの衝撃に大声を出しかけるも、既のところで耐えた彼女は、周囲を見渡す。
やはりいくら見ても、そこにあるのは女性の裸体。どれもこれも惜しげもなく胸や下半身をさらしている。
「な、な、な、な……」
エレオノーレは耐えきれず、暖簾から飛び出し、さらに店を後にした。
そのまま歩き続けて、人のない路地裏まで来ると、とうとう耐えきれなくなって叫ぶ。
「なんっだ、あれはぁ!!」
(信じられない。信じられない。あんな、はしたない……!)
エレオノーレの生まれた家は魔族の中でも名の知れた名家であり、その家名にふさわしいようにと両親は幼い頃から彼女を厳しく躾けた。これは勉強や鍛錬だけではなく、低俗、あるいは彼女にふさわしくないと判断したものから遠ざけたり、遮断したりすることも含まれている。
くだらないお喋りをするような友などおらず、色恋にうつつを抜かす余裕もなかった彼女の性的知識は最低限の物しかなく、それで困ることもなかった。
それなのに、それなのに……
(いや、落ち着け、落ち着くのだ……あんなものがなんだというのだ。そもそも、たかだか本を目にしただけで何をここまで動揺しているのだ私は……)
女の裸体がなんだというのだ。そんなもの、自分の体で見慣れているではないか。
そう自分に言い聞かせるエレオノーレだったが、動悸は止まらない。
「とにかく、あんな物さっさと忘れなければ。そうだ、私は魔王様から賜った任務があるのだ。遊んでいる暇などない…………ん?」
自分に言い聞かせるようにしてその場から立ち去ろうとした彼女だったが、その瞬間、何かが足に当たる。
なんだろうと目線を下げると、そこには、エロ本が。
「なぁっ!」
思わず目を背けそうになったエレオノーレだが、ふと思う。
(な、なぜ私がこんな羞恥心を覚えなければいけない。そうだ、私は魔王軍幹部。エリート中のエリートだぞ!? こんな、たかが異世界の本などで動揺してどうする)
ここでこの本を無視するのは簡単だ。あるいは燃やしてしまうのも容易である。
しかし、それでは異世界の物に負けたことにはならないだろうか。あれほど馬鹿にしてきた連中の作り出した物から逃げるような真似は、彼女のプライドが許さない。
(そう、そうだ。私は、私はこんなエッチな本に負けたりなどしない……!)
彼女は顔を真っ赤にしながら、足元の本に手を伸ばした。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま、トリシャ」
エレオノーレが戻ったのは、異世界に侵攻するにあたり山奥に用意した館。出迎えたのは彼女の侍女、トリシャだ。
長年、エレオノーレに仕えるトリシャは彼女が抱える袋に気づいて手を伸ばした。
「お嬢様。私が持ちます」
「っ! いや、いい!」
しかしその手は、袋に触れるより前にエレオノーレによってはじかれてしまう。
「お嬢様?」
「す、すまん。しかしこれは、大事な物なのだ。いくらお前でも触れさせるわけにはいかない」
「まあ、そうでしたか。それは出過ぎた真似をいたしました」
「いや、気にするな。それと、私はこのまま部屋で休むが決して近づかないように」
「? かしこまりました」
主人の態度に違和感を覚えるも、トリシャは恭しく頭を下げた。
恐らく、あれは魔王様から頂いたものなのだろう。だから自分が触るのを嫌がったのだ。
トリシャがそんなことを考えているとはつゆ知らず、エレオノーレは自室に戻ると鍵を掛ける。
それからベッドに腰かけると袋の中身を取り出す。それは先ほど拾った本であった。
表紙には胸を露出させた女の絵が描かれていてて、なんとも目のやり場に困る。
(ふざけるなよ、たかだか異世界の産物のくせに。私が、こんなものに屈するわけがないのだ!!)
そう自分を鼓舞して、さっそくエレオノーレは本を開いた。
「なっ!」
「はぁ!?」
「な、なんだこれは!?」
「ひえ……こんな、こんな……」
「い、いやらしすぎる……」
「ひゃぁ……」
「……………………」
一時間後。読み終えた彼女は本を閉じると、それをベッドの下にしまい込む。
「ふ、ふん、読んでみるとくだらなかったな。こんなもの、慣れてしまえばどうということはない……!」
口ではそういっても彼女の顔は赤いままだ。
「無駄な時間を過ごしてしまった。明日からまた世界征服のために英気を養わなくては」
そのままベッドに横になるエレオノーレだったが、本の内容がいつまでも頭から離れず、結局眠りにつけたのはそれからさらに二時間後のことだった。
「そもそも、なぜこんなものが存在するのだ?」
翌日。
拾った本を目の前にしてエレオノーレは苦々しい表情を浮かべる。
「ああいった行為は子供を作るために行うものだろう。それをあんな、快楽のためだけに行うなど、どうかしている。だいたい、設定といい展開といい現実味がまるでない。どうなっているのだ」
ぐちぐち言いながらも、その眼は本から離れない。
「だが、いい感じだ。昨日ほどの動揺は起きない。ふふ、この分であれば他の本も大したことはあるまい」
完璧主義のエレオノーレ。
少しでも自分の弱点となりうると判断したならば、完膚なきまでに克服してみせてきた。今回も同じだ。
例えばの話、この世界を支配している最中に何かの間違いでこのような本が目の前に現れ、驚き戸惑うなどという醜態を人間の前に晒してしまう可能性がある。そんなことは断固拒否だ。
エレオノーレはエロ本を昨日と同じようにベッドの下に隠す。自室はトリシャが掃除をするので、出しっぱなしにしては見つかってしまうからだ。どうしてこのような本を持っていたのか聞かれた場合、うまく理由を言える自信がない。
エロ本を隠し終えた彼女は部屋を出て、床を掃いていたトリシャに告げる。
「トリシャよ! 今日も外に出るぞ!」
「はっ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「うむ」
凛とした眼差しを前に向け、背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く姿はまさしく高貴なる者、威厳すらある。トリシャは感嘆の息を漏らして主人への忠誠心を深めたし、もしこの世界の人間が見たとしても、彼女を上流階級の人間だと一目で判断するだろう。
ただ一つ、残念な点をあげるとするなら彼女がこれから行おうとしているのは、エロ本を拾いに行くことぐらいだろうか。
「あの……エレオノーレ様」
夕食をとっていたエレオノーレにトリシャは悩ましそうな顔をしながら声をかけた。
「……なんだ」
その普段とは違う雰囲気に何かあったのかとエレオノーレはここ数日の出来事を思い返しつつ彼女の言葉に耳を傾ける。
「この世界にきてすでに三か月が経ちましたが、まだ侵略を開始しないのはどのような理由があるのでしょうか?」
「…………トリシャよ、お前にはわからぬかもしれないが、すでに世界侵略の為の準備は行っている」
「! それは、申し訳ありません!」
「よい、気にするな」
「大変、出過ぎた真似をいたしました。エレオノーレ様が毎日出かけて夜に戻ってきたと思ったら部屋に引きこもってばかり。最近ですと私が部屋に入るのも嫌がり、家具を動かさないように厳命までして……何かあったのかと、心配していたのです」
「………………気にするな」
自分の言葉でエレオノーレの顔が若干引き攣ったことに気づかぬまま、トリシャは頭を下げる。
「とにかくトリシャ、何もわからぬお前から見れば歯がゆいかもしれぬが、今は大事な時期なのだ。私が今対処している問題をそのまま放置すれば、後々とんでもない失態に繋がるかもしれぬ」
「まあ、こんな世界にそのような物が?」
「そうだ。なかなか手強い相手でな、手を抜くわけにはいかないのだ」
「なるほど、そうだったのですね」
「ああ、だからお前が不安に思うようなことなどなにもないさ。安心しておくといい」
「はっ」
夕食を終えたエレオノーレは席を立って、自室に向かう。
そしてトリシャから距離をとったところで、彼女はため息をついた。
「いつ侵略を始めるのかだと? そんなもの、私だってさっさとすませたい……だが」
部屋に戻ったエレオノーレはベッドの下から、机の引き出しのデッドスペースから、本棚の裏から、柱時計の中から、普段は使っていない鞄の中から、ありとあらゆる場所からエロ本を取り出す。
「まさか、こんなに種類があるとは思いもしなかった……!」
それは彼女がずっと集めてきたエロ本である。
無理やり、イチャラブ、痴漢、義理の家族、SM、複数人、等々いろんなジャンルが揃えられていた。だがエレオノーレは知っている。まだまだこんなものではないということを。
当初の計画ではエロ本を完全に克服し、やはり異世界の物など私の敵ではないなと一笑に付した後、何の憂いもなく世界征服に乗り出すはずだったのだ。
だが、拾っても拾ってもエロ本というものはきりがなく、その上拾うたびに全く新しい要素をエレオノーレに見せつけてくる。これでは慣れるどころの話ではない。
しかも読み終わったエロ本も、またもう一度読みたくなってしまう。それで読み終わると今度は違うエロ本に手が伸びる。その繰り返しである。
彼女は自覚していなかったが、長年抑圧されてきた性的好奇心は、エロ本の強烈なまでの強い刺激によって暴走状態にあった。
それは彼女自身にも制御できず、もっと読みたい。もっと開拓したい。そんな欲求があふれて止まらないのだ。
「くそ……私は、負けぬ。負けぬからなぁ……! 必ずや克服し、世界征服の礎にしてみせる!!」
声高らかに宣言する彼女だが、やってることは捨てられたエロ本を持ち帰り、家の人に内緒で読んではバレない様に隠すという男子中高生となんら変わりなかったりする。
そんなことに気づきもせず、エレオノーレはさっそく今日拾ってきた本に手を伸ばす。
そこに書かれていたのは……
「何々……おにショタ、男の娘特集? どういう意味だ?」
それがまた己を深い深淵に誘う存在だと知りもせず、彼女は表紙を開く。
果たして彼女はエロ本に打ち勝つことができるのか? それとも敗北してしまうのか?
エレオノーレの戦いはまだ続く!