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灰ノ国1〜愚かな英雄〜

【Date】

黒白暦326年、「双月の日」

【Location】

灰ノ国:美夜古京

禍津人マガツオミ


——かつて、世界の東端と呼ばれた三日月型の島国、その地をことごとく焼き尽くした百柱の神魔を我等の祖先はその様に語り継いだ。体躯は概ね成人と変わらねど、血の通う肉はあらず、その容姿はむくろ何某なにがしかが混じり合った異形であり、人語は解さない。

 元は、その地に住まう土地神や精霊、妖の類い、あるいは死者の魂塊であったとも云われるが定かではなく、共通しているのはあらゆる生命を贄とするということであった。


 雷鳴と共に現れすべからく焼き尽くした禍津人・鳴神ナルカミ

 赤児のようにむせび泣き、その嗚咽おえつの震動をもってあらゆる存在を崩壊させた禍津人・震神フルカミ

 空間を歪ませる程の熱波を放ち、水辺や大気はもとより動植物の体内からも水気を奪い枯死に至らしめた禍津人・失水ミズナガレ……


 数多の禍津人マガツオミによって、この地は災禍に見舞われた。幾人の民が焼かれ、壊され、喰われただろうか、どれほどの大地が、森が、そこに住まう生命が奪われただろうか。

 にも関わらず、愚かにも当時の人々は愚行を重ねた。草木は焼かれ、水は汚れ、大地は枯れて、人の世には憎悪と怨嗟が溢れていった。やがて、それぞれの国は自国の影響力を強めようと隣国への介入、侵攻を開始し絶え間ない戦争が起きた。それが神魔という超常の者達による代理戦争とも知らずに……

 

 終わりの見えぬ戦いの歴史の中、地方豪族であった暁月家が国土を統一し、秩序を保つべく総府「美夜古ミヤコ京」を建て、各地方へ結集を呼び掛ける。

 しかしながら……いや、やはりと言うべきか、日高見ひだかみの国、天満月あまみつつきの国といった各地方では、従わぬ部族が現れ激しく戦火を交えた。即ち、秩序を求める神族と混沌を求める魔族の争い……この地における神魔戦争の始まりである。

 

 そこに現れたのが、此の世の外より訪れし異邦人であった。彼の者は訴えた。

 神魔の代理戦争の駒となるな。己の意思をもって、創造主による戒めから解き放たれよと。しかし——


 誰がその言葉を信じようか?


 ともすれば妄言の類いとも思える言葉のみで、神魔の傀儡くぐつ同然と成り果てた人民の心が動くだろうか。否、否である。それだけでは到底足りぬ。人が神魔に抗えるのだという確たるものを示さねばなるまい。


 あぁ、そうだ。

 異邦人は魅せつけた。


 人々が禍津人マガツオミと同様に畏れ慄いた、此の世の総てを奪わんとした八欲を統べしてつの化身、総ての妖の王。彼奴を従えて、異邦人らは禍津人マガツオミを一柱、また一柱と封じ、あるいは滅していったのだ。


 誰もが予想だにしなかった、神魔のいずれでもない第三勢力のその反逆に、我等が祖先の心は突き動かされた。次第に、その勢力へ各地の英傑が合流し、やがては一部の神魔族もが加わって、それまでのことわりを破壊するかのように自らの意思を示してきた……我等人民は、異邦人とともに運命に抗えるのだと。されど——


 巡遊歌人は今世に詠い伝えている。

 その英雄の凱旋を……異邦人ならば必ず生きて戻って来る筈なのだと、誰もが信じて疑わなかったと。


 語部かたりべは後世に忌々しく語り継いだ。

 欲深き彼奴の裏切りを忘れてはならぬ。されど、其の真名を——決して口にしてはならぬのだと。

 

 しかして、我等は禍津人マガツオミに灼かれ、喰われながらも後世に希望を残した英雄達の偉業と、彼等を裏切った愚かな英雄の存在を子々孫々(ししそんそん)忘れぬように……数多の犠牲の上、それらの亡骸を焼いた燼灰じんかいから成り立っているこの地を——


〝灰ノ国〟


と、呼称した。


 神魔戦争の後、平穏を取り戻した世界の下で、灰ノ国にも諸外国の人民、知識が急激に流出入し、政治、経済、軍事分野は目紛しい発展を遂げ、絢爛豪華な独自の文化が形成された。

 領土に港湾を有する豪族は、貿易により富と人材を手中に納め、急激に力を増していく。かつてない栄華は、一部の者にとって、詠い、語り継がれてきた歴史すらも、とうの昔の出来事であると思わせるには充分過ぎるものであった。


 欲望は膨れ上がる。

 際限なく溢れる湧水のごとく、己自身では止まれぬように。そして、その欲深き者達が見据えるは——


「——美夜古ミヤコ暁月アカツキの英雄達が造りし、この総府」

白紙の上を縦に走る筆を止め、言葉を口にした。紙に置き残された墨がジワリと染み込んでいき、黒く侵食していく。


「……それも、千里眼が見せる景色ですか?」

ふと、聞き慣れた声が聞こえ、おもてを上げた。見れば、一人の女が二十畳ばかりのこの部屋の入り口前に立っている。この国の民にしては、スラリとした体躯。いや、何よりもその特異な出立いでたちに目が行った。


 頭に被る薄桃色の帽子のツバは、麦藁帽子の様に頭部を中心に円状に広がり、やや俯いたままの顔を隠すには十分だった。

 うぐいす色に染められた上着と下袴は、異性を挑発するためか、いずれも身体の線が浮き出る程に直線的で、胸元と脚が露出している。灰ノ国の物ではなく、異国の服飾だと一目で分かった。

 そして、仮にも、灰ノ国を統べる総府の直轄地である美夜古、特に、何重にも厳重な警備体制が敷かれたこの場所に異人が入り込める筈が無い。となれば、この女は——


「双葉……何じゃその装いは?」

幾つか思い浮かんだ女人の顔の中で、この様な悪戯をしそうな者の名を口にして、奇怪な服装を軽く咎める。


「ふふ、世間で流行りの洋装ドレス……らしいですよ。覡様(かんなぎさま)

クイッと人差指で帽子の鍔を押し上げる。緩く曲がり(ウェーブ)がかった赤茶色の長髪から覗いた、緑眼、鼻筋通った顔は、ある意味……予想通りの異人顔だった。つまり、変装を得意とする我が身を守る刃の一つ。八葉の一人“双葉”と呼ばれる女官に相違無い。


 覡……そう呼ばれて幾年月を過ごしたろうか?

 部屋の隅に置かれた姿見に視線を投げれば、此処に連れてこられた時の童女の姿は無かった。白と黒の巫女装束を身に纏うこの身体は既に女となり、いつの時からか老ける事もなく、瑞々しい肌艶を保ったままで……


 灰ノ国の覡……我が部族、星詠みの民から特に強大な力を有する者が、灰ノ国の覡として総府に招き入れられ、政治、軍事、その他諸々の指針を決定する際に其の力を行使してきた。星の報らせを詠めと、未来を教えろと、そう、言われてきたのだ。


「それで、近い未来でも見えましたか?」

双葉の言葉で思考の世界から引き戻され、もう一度、己が記した文に視線を落とした。


「……違うな。これは、その様なモノではない。我が異能……千里眼が見せるのは、今まさに生じている事象のみ。未来など見えぬ」

「ならば、何事でしょうか?」

「星々が知らせる予知ならば、避けようもあろうが……これは、避けられぬこの国の定め」

「つまり、近い将来という事ですね?」

「然り……総首長は病に倒れ、御子息はまだ歳若い。総府による統治を良しとしない奴等や大陸の連中にとっては、今ほど好機な時もあるまいて」

「この美夜古も戦火に巻き込まれるのですかねぇ」

「何を他人事の様に……して、如何様じゃ? まさか本当に“衣装遊”とやらを見せつけに来たわけではあるまい」

私の問いに双葉がクスクスと笑いを漏らし「そうでした」と短く言い放つ。そして、ゆっくりとした所作で帽子を取ると——


郡の常夜虫は、太陽の国(ソル・レギオニス)と、築紫国つくしのくにでは大陸から訪れし華雅(ファージャ)の使者が高官と密会……兵部省も御抱えの密偵——羽矢人ハヤトを各地に飛ばし動きを探っているようですが、既に手遅れかも知れませぬ」

女の印象がガラリと変わった。葡萄の様に艶のある黒の長髪を後ろで軽く纏め上げ、ハラリと頬を伝う横髪を目で追うと、右目脇の泣き黒子ぼくろに視線が止まる。常に薄っすらと笑みを浮かべるその表情は、相手の警戒心を解く為か。はたまた、恐怖心を植え付ける為か。

 何れにせよ、国内各地の情勢を知るには、その地に溶け込み現地人から話を聞く必要があった。その役務を終えてきた双葉が結果を簡潔に伝えたのである。それだけで十分だった。この国の行く末を知るには……


「なるほど……権謀術数(ひしめ)くは美夜古の中だけに非ず……か」

立ち上がり、覡の間と呼ばれる部屋から、双葉のいる廊下へと歩みを進める。踏みしめる感触が柔らかい畳から板張りの床へ変わる頃には、切り立った崖にあるその場から、眼下に広がる美夜古の街並みが視界に入った。


 人の動きに驚いた小鳥達が、小さな悲鳴をあげながら翼をはためかせて街へと降りていく。それを何となしに目で追った。

 巨大な山脈を背にして、正四角形に形作られた街並みは、二本の大通りが南北東西に縦横断し、その大通りに並行するように数百の小径が交わり各区を作る。山脈側の北を除く三方が堅固な壁で囲われた城郭都市であった。


「それと、もう一つ……」

朱色に染められた通路の手摺に身体を預けながら、双葉が指を立てる。その妙な言い回しに気を取られ耳を傾けた。


「何じゃ? 勿体振りおって」

「……日高見の地にて動き有り。鉄蛇鬼アラハバキ族も独自に何かを気取った模様……時が、近いのやも知れませぬ」

「……そうか。奴等が動くとなると、やはり星の報せに誤りは無いか」

どの様な形であれ辿る道さえ異なれば、或いは……と望みを掛けておったが、こちらも避け切れぬ運命か。


「そう言えば、四葉から何か報らせはありましたか? 新大陸アイデアルに行ったきり音沙汰無いと聞きましたが……」

「いや、今の所何も——ッ!?」

突如、耳鳴りが襲った。不快なその音が示すは——


「……妖魔の類が美夜古に潜り込んだ様ですね」

「うむ、結界を食い破ってまで入り込むとは……頼めるか?」

「仰せのままに。では、後程」

そう言ったかと思うと、双葉は既に町人の装いに変わっており、スタスタと歩みを進めていた。その後姿を見届けて、ふと、感傷に浸る。


鉄蛇鬼アラハバキ——かつて、神魔を喰らい封印された鐡の大蛇にして、八欲を司った大妖怪を、未だ己が主神と奉る一族……」

数日前にもたらされた星の報せが脳裏をよぎる。


〝永遠に朽ちること無き鐡の蛇は、永き眠りの後に再び我等が前に姿を現わす。

 この世の光も闇さえも……全てを我が者にせんと、その巨大な力で全てを呑み込もうとするだろう〟


 また、蘇るのか?

 かつて破れしその身で、一体、何を欲するというのだ。富か、名声か、それとも……

 もしも、言い伝え通り、本当に全てを奪うと言うのならば……


「——この呪いも奪ってくれぬか?」 

【用語解説】

◯灰ノ国

 アークレシア大陸からさらに東方に位置する三日月型の島国。元は複数の独立小国家が乱立していたが神魔戦争を経て、国土統一を果たした。

《国政

 暁月家を含む十二氏族の各頭目が参加する十二首長僉議(せんぎ)を持って、種々の取り決めを行う。その取り決めに基づき行政面を担う機関として総府が存在する。

《軍事

 各国が固有の戦力を有しており、未だに小競り合いが起きる事も見受けられる。


禍津人マガツオミ

 灰ノ国で語り継がれる災害級の神魔の総称。同地では、古来より自然信仰に基づき産まれた精霊や妖が多数存在していたが、禍津人の呼称は、そういった存在が何某かの要因により昇華あるいは転化悪変し、意志の疎通すら困難となった異形の存在を指していると云われる。


◯美夜古

 暁月家が治める城郭都市。灰ノ国の中枢機関たる総府はここに置かれている。


◯覡

 星詠みの民から選出される異能者。総府に招き入れられ、政治、軍事等を決定する際に其の力を行使した。


◯八葉

 覡の守護を担当する部署。所属する八名全員が女性。


◯尾群の常夜虫

 灰ノ国の南方末端を管轄する十二首長の一人の蔑称。先代に比べて自由人、破天荒な振る舞いにより毎夜の如く遊び呆けている事から、そのように呼ばれている。


太陽の国(ソル・レギオニス)

 アークレシア大陸南西に位置する国。新大陸には国家勢力ではなく複数の傭兵団を雇い、国の専門官が帯同する形で調査活動を行なっている。


華雅ファージャ

 アークレシア大陸東方に位置する大国。五匹の竜種を従えている。


鉄蛇鬼アラハバキ

 灰ノ国の北東方に位置する日高見の領内にて暮らす一族。


◯愚かな英雄

 異邦人らを裏切った英雄と伝えられている。一方で、その固有名も出自も詳細は伝えられていない。

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