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細蟹の糸5〜神使〜

 腐肉ふにくの、焼ける臭い。

 くらむほどの光量がせると、鼻奥にこびりつくむせ返る程の臭気とともに熱波が頬をひりつかせる。それは、浄化術式フュームが正常に発動したことの証左でもあった。


 なんとか間に合ったか……


 こちらに迫っていた亡者の群れは、すんでのところで肉体の神経組織もろとも焼き尽くされ、街中から教会までドミノ倒しの様に崩れた無数の亡骸が、未だジリジリと燻っている。


「や、やった……」

背後でへたり込むマリスが一息。肩から力を抜く、が——


「まだだ」

マリスにも、そして己自身にも言い聞かせる様に喚起かんきする。あの原生体ジャーム浄化術式フュームのみで完全除去できる可能性は低い。亡者の魂をこの世に繋ぎ留めている〝核〟を直接叩かなければならないだろう。今乗っ取っている身体が著しく損傷したとなれば新鮮な素材からだ……私達の肉体が必要な筈だ。必ず来る——此処に。


「gha……」

果たして、ヒタヒタと石段を登る足音が聞こえ始め——姿を現す半焼の喰人鬼。未だ座り込むマリスを無理矢理引っ張り起こし、後ろに数歩下げさせる。


「答えろ、誰に創られた?」

まだ声は出せるだろう、そう付け加え、右手に把持した白剣の切っ先を向けて問う。


「おのレ、人間エぁ——ッ」

問い掛けには答えず、こちらを見るや四足獣けものの様に、地を蹴って飛び掛かって来た。其処にはもはや策略ちせい奸計だましも無い。故に、御し易い。


フンッ、聞くだけ無駄か」

手首を返し、白剣を身体の右側面で回す。遠心力が乗ったところでたいを沈め、垂直に振り下ろす剣先の速度を上げた。

 喰人鬼は、この一撃を捕らえていただろう。事実、白剣の軌跡を予測して紙一重の間合いで避けようとするが——


 突如、遅滞する世界。効果有効時間はごく僅か、範囲は一対象。故に、この影響を覚知出来るのは、時間を喰らう黒剣を振るう操者つかいて自身と、今まさに胴体を上下両断された者の両者のみ。

 水平にいだのだ。白剣を振るうと同時に、実体なき黒き剣を。黒剣レヴォハイドは存在自体が影であるが故に、重力或いは空気抵抗といったこの世の事象の影響を受けずに空間を軽々と疾走する。その斬撃は先に振り下ろした白剣の一撃よりも早く亡者へ到達したのだ。


 黒き剣の刃に触れた対象に生じる僅かな時間的ずれが、二手三手と経過するごとに致命的な遅延を生む。それは、刹那の攻防を争う戦闘時においては看過し難い事象であった。

 瞬きの狭間、喰人鬼に白剣の追撃が加えられると、こちらに伸ばしかけていた左腕を縦に裂き、そのまま左肩から袈裟気味に入った一撃が亡者をさらに左右に分割する。


「潰せ、マリス」

告げる。四分割された喰人鬼が転がった先、御杖を振り上げるマリスに対して。

 

「任されました!」

大きく頷くマリス。そして、核を宿す亡者の頭蓋に向けて渾身の一撃が振り下ろされ——



 ざわり——走る悪寒。



 突如、黒白モノクロの世界でカオスのみが異様に膨れ上がる。一度の心拍にも満たぬ僅かな時間、だが確かな戦慄ふあん。マリスと視線が交差する。


「逃げ——」

発した警告、伸ばした腕は、マリスに届くことは無かった。


 黒の奔流——音が消える、いや呑みこまれたのだ。自身とマリスの間、喰人鬼の頭蓋を中心として広がる闇に。一転——


〝いぃぃ゛や゛あァァアッ——〟


 亡者の絶叫が響き渡り、空間が爆ぜた。これまで呑み込んできた全ての亡者の嘆きを吐き出すかのように。

 吹き飛ばされた身体は教会の壁に打ち付けられ、その意図せぬ衝撃によって身体の内側ないぞうが激しく揺さぶられると、全身の筋肉も収縮・麻痺し、呼吸困難に陥った。それだけでは無い、急激な虚脱感が全身を襲う。


 不味いッ……今、核を壊さねば——


「ぢぃッ……」

思考はハッキリしている。だが、身体が動かない。噛み締める歯の隙間から僅かな酸素を取り込み、なんとか頭を持ち上げる。見上げた先、気を失っているのかマリスは反対側で微動だにしない。


 そんな我々を嘲笑うかのように、先の頭蓋がケタケタと顎を打ち鳴らす。すると、分割された喰人鬼の肉体が引き寄せられ戻っていく……否、原生体だけではない。教会や街の出入口で砕け、燃やした多数の亡者の人骨が寄り集まり形造っていく。


 黒き影が何本もの骨片、人骨、肉片を束ね、組み上げ、形成されたるは巨大な四肢。既知の生物のいずれとも合致しない骨格ソレが立ち上がると、さらなる人骨が教会の外から津波の如く押し寄せて、長大な尾を造り、波打ちながら背鰭と脊椎が構築されていく。


 狭い空間を嫌ったのか、長い尾がゆっくりと左右に一振りすると、それだけで、喰人鬼の侵入を阻んだ強固な石造りの教会が崩れ落ちる様に半壊し、礫がこちらに容赦なく降り注ぐ。

 立ち昇る土煙が一時、その姿を覆い尽くすが胸を覆ったのは安堵ではなく、恐怖。骨が打ち鳴り、人ならざる者の笑い声が響いたかと思うと、暴風が吹き上がりその姿があらわになる。


 見上げる程の巨躯。無数の腕と脚が尾から背鰭までを構成するのに対して、肋骨はらの内側は空洞で、脊椎にぶら下がった頭蓋が頭部に向けて増えていき、それら人の顔で埋め尽くされていたのは爬虫類の相貌そうぼう。そう、何百もの人骨が形造ったのは一匹の竜種。


〝我、耐性ヲ得タリ〟

規則性なく幾つかの頭骨が一言ずつ声を発し、言葉を紡ぐ。無数の黒い眼がこちらを一斉に見据えて嗤った。


「まさ、か——悪質変性ゼモンプラシア

よぎる懸念。そうだ、この街や外部から招致された医師と聖職者が、規模は違えど我々と同様の手法で汚染源の切除と浄化を試みない訳がなかったのだ。おそらく、最初は脆弱な存在だった筈だ。それが中途半端な治癒・浄化の繰り返しにより徐々に耐性を備えて……


 最初から、仕組まれていた?

 それこそ救援の報せすら、連中による姦計しばい。だとして、この僅かな期間のうちに浄化術式への耐性を得るばかりか、存在強度自体の昇華——死骨竜アタナセイクラムズ悪質変性しんかするに至ったというのか。だとしたら、我々が相手にしてるのは……


「……悪い方の、予想が当たっちまったらしいね」

こいつの飼い主は魔神級の存在ということか。このタイミングで魔族が復活し、喰人鬼達にも力が渡ったか?


 鈍色の空を仰ぎ見る。黒白の双月が交わろうとしていた。アレが完全に同一になった時、この世界はどうなるのだろうか……浮かぶ疑問に答える者はいない。いや、答えなど、とうの昔に——双剣を握ったあの時に、己が心に誓ったではないか。


 身体の硬直は徐々に回復しつつある。白剣は目と鼻の先だ。這いつくばってでも腕を伸ばせ、掴み取るんだ。


「カカッ! 未ダ、動ケルカ。ダガ……」

死骨竜の左眼底に埋め込まれた、原生体の頭骨が此方を一瞥。ニタリと嗤うと、身体の一部を変化させて、未だ意識の戻らぬマリスに触腕を伸ばした。


「止めろ……その子に、触れるなッ」

「贄贄贄——ニエダ」

数多の頭蓋が騒ぎ出し、身体から無数の腕が伸びる。持ち上げられた身体が徐々に死骨竜の大顎へと向かって——


「我ガ内ニテ、永遠ニ泣キ、カテトナレ」

「止め——ッ」

腕を伸ばす、けど届かない。白剣にも、マリスにも。視界に映るのは中空に放り投げられたマリスの身体で——


 

 頼む。

 誰でもいいんだ、何だってする。

 少しの時間で良い、この身体を動かしてくれ。

 誰か、助けて——



*****

【用語解説】

悪質変性ゼモンプラシア

 ファンタズマの急速な進化。存在概念自体の変化を伴い、直前の姿形を伴わない場合がほとんど。


死骨竜アタナセイクラムズ

 死霊族の上位に位置する存在。竜の死骸から成るのではなく、無数の死体、怨念が渦巻く戦場でのみ、突発的に発生し敵味方関係なく被害をもたらす災害級のファンタズマ。発生とともに周囲に腐臭を撒き散らし、吸い込んだものの生命力を徐々に吸収したと伝えられている。

 鎮圧には、複数の中隊による集中砲撃、制圧魔法の投射によって再生する暇を与えずに、核部分を破壊する必要があるとされる。

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