細蟹の糸4〜神従者〜
【Date】
同時刻
【Location】
霊鳥の安息地
流石だと——そう思う。ハルクビレの街並みを駆けながら前を切り開き押し進む上司の背中を見て、感嘆する。
てっきり、あのままハルクビレの町の出入口付近で喰人鬼の群れを迎撃するのかと予想していたのだけど、彼女の選択は、包囲網の薄い一点を躊躇なく突き破ると、そのまま町中へ突入するというものだった。地理に明るくない町中。それも、おそらく喰人鬼が蔓延る中に、だ。
最初は、冗談止めろクソバb——じゃなかった、やめて下さいと本気で焦ったのだけれど、今になって思えば、あのまま開けた場所で迎撃戦に突入していたら、今頃は屠った喰人鬼の残骸から発せられる腐臭でまともな呼吸も出来ぬばかりか、足下に堆積した肉片に足を滑らせ、とっくの昔にくたばってたかもしれないのだ。
それならば、建物や通路によって限定的な戦闘領域を構築できる街中を移動しながらの遊撃的戦闘の方が、対処の選択肢が増えるというものだ。けれど——
「——ゼェッ」
呼吸が乱れる。ジグザグに街中を駆ける脚が悲鳴を上げる。
多少の擦り傷程度なら簡易な治癒術式で治しようもあるが、蓄積する疲労ばかりは、どうすることもできなかった。曲がり角でチラリと、後ろを一瞥。
〝ぃい〜hひゅ〟
〝geひ〜ゅひ〟
——わんさか来とるッ!
互いを押し除けるように、我先にとこちらへ向かう異形の群れが波のようにうねりながらこちらへ向かってくる。腹が開いているために、空気が抜けるような独特な呻き声が不気味に響いているのだ。
幸いなのは、私達を襲うという目的は一致してそうなのに、意思の統一が図れておらず、小径のような狭所を通ると自分達の身体で塞いでしまい、幾つかの個体が圧迫されて肉塊と化していた。とはいえ、数体が減っただけで町には未だに多数が蔓延っていることに変わりはない。
「ど、どうするんですかッ!?」
たまらずアビーの背中に声がけ。
「——あ?」
短く返すアビーの肩が上下していた。さしもの彼女ですら疲弊を隠し切れていない。というか「あ?」って……ほかに優しい返しはできないものか。
「ふぅ……どうや——らッ」
一息吐くと、落ち着く暇も無く直上の屋根から飛び降りてきた一体がアビーを襲う。が、上です——と助言するまでもなく、その個体はアビーの振るう直剣によって縦に両断された。彼女はその残骸を一瞥もする事なく、途切れた話を再開する。
「奴等の人間としての感覚器官は、腐敗してほとんど機能しなくなっちまってるらしい」
「か、感覚器官……つまり、連中には大して見えていないし、聞こえていないって事ですか?」
アビーが自身の見解を示す。でも、だとしたら……どうやって私達を追跡しているというのだろうか。
「あの黒い瞳……マリス、お前も見ただろう?」
「……はい」
アビーの問いかけ。思い出されるのは、少女が宿していた真っ黒な両目だ。月明かりさえ無い闇夜のような……
「好き物の研究者が残した文献によれば、死者を素材にした喰人鬼は、生成後数日は餌を……新鮮な生者の肉を求めて自ら動き回るらしい」
「数日は?」
「そうだ。外法で死者を操ろうとも、心臓が止まり血液の循環が行われなくなった細胞の腐敗を止める事はできない。反魂の術式の類なら可能かも知れんが……」
「ということは、その間の活動は死者の神経系に依存しているという事ですね?」
そういえば聞いた事がある。そもそも死霊術は、亡くなった想い人を生き返らせようと試みた術者の知見が悪用されたものなのだと。その原理は、肉体に残った神経系を呪術により無理矢理反応させて動かしているに過ぎず、当然に聖者の頃の人格も記憶も蘇ることは無い。いわば死体の人形なのだ。
それこそ、反魂の術式なんて禁忌中の禁忌。成功例なんて聞いた事が無い……
「これまで切った連中の大部分が、体の一部に黒色変化が認められた」
「……肉体的限界が近い」
「そうだ、素材としての限界が来ている」
ならば何故、この街から勢力を広げないのだろうか。喰人鬼はそもそも侵攻初期段階における敵対陣営の混乱を企図した術式の筈……いや、もしかして——
「術者が、この場にいない?」
「おそらくな。本来ならあの黒い瞳に映った光景を介して術者が奴等を統率するんだろうが……」
アビーが同意する。この街を中心とした一定範囲でしか行動出来ないのだと仮定すれば、術者が直接に喰人鬼を操っているのではない。何者かが術式執行して生み出した原生体を中心とした群れなのだ。
「なら、私達のするべき事は——」
「原生体の破壊。そういや、最初に姿を見せたっきり、あの優位個体が一度も姿を見せないね。余程の臆病者か……」
「あの喋る少女の個体が原生体!」
「そういうこった」
という事は、あの少女の亡骸を死霊の呪縛から解き放てば、追従する感染体も無力化できる。
「だけど、優位個体が出て来るまでにこっちの体力が持ちませんよ」
「誘い込むさね」
アビーがチラリと街の中心を睨む。街の構造物で一際高い石造りの建物がそこにあった。
「教会ッ!」
「ただ逃げ回ってた訳じゃない。教会を中心に据えた多芒星陣を弾いた」
「——やはり」
とりあえずキリッと、分かってた感じで頷いとく。というか、多芒星陣ッ!? ただ逃げ回ってただけじゃなかったのか……
「浄化術式を展開する。聖油、持ってきてるんだろ?」
「モチの論ッ!」
流石にここまで最悪な状況は想定して無かったけど、念の為に浄化術式に用いる香草類を聖油で満たした小瓶に詰め込んでおいたのだ。
目標が出来た。闇雲に走り回るよりも希望が湧く。仮にアビーが気休めに提示した可能性の話だったとしても……今は、それに懸けるしかない。
「ほれ、間もなく教会だ。出入口ブチ破りなッ!」
「——合点承知ッ」
出入口前の石段を二段飛ばしで駆け上がる。その勢いのまま、施錠されてるであろう扉に向かって体当たりをぶちかます——
〝——パコンッ〟
「って、空いてるんかーいッ!?」
肩が少し触れただけで扉が奥に開いた。のだけれど、突進の勢いは殺すことが出来ずに、頭から教会の中に突っ込んでしまう。
「痛ダ〜ッ」
「何してんだい、あんたは」
呆れた様に言いながらアビーが教会の出入口、石段の上で来た方向を振り返ると、ちぃッと舌打ち。
「時間を稼ぐ、浄化術式を展開しろッ!」
「りょ、了解! 多芒星陣の起動句は?」
「追唱しなッ! 印章は三角、頂点は八角——」
——マジかッ
予想だにしない回答に、慌てて聖油の入った小瓶を取り出し、教会の床面にデルタの印章を施して、そこに垂れ落とした。
〝主—— 我らは御使い……〟
響く、アビーの歌声。
追いかける様に追唱した。
〝——昇れ、白き月よ〟
聖油を垂らした三角印章の中心、そこに御杖の石突を振り下ろす。
カッと、教会に響き渡る目覚めの音。産まれ出たるは、白き光点。それが独りでに中空に登り始めて——
〝芽吹きの海より、鈍色の雲を携え〟
起動句に混じる人外の雄叫び。
黒白の双剣が闇夜を走り軌跡を残せば、肉片と黒血が華を咲かして……舞い踊る庭師が深く息を吸う——
ほぼ同時、光点が煙を吐いた。
聖油で満たされた三角印章が応じる様に浮かび上がり底辺を成すと、燻る煙は垂幕の如く悠然と揺れ落ちて……造形されたるは、一つの正四面体。
〝奏でろ、大地よ。艶ある実りに、死がある事を〟
次いで、聖油に浸かる香草類が萎む様に朽ちて、黒点が垂直に降り始めた。対を成す正四面体が下方に生じて……
〝闇よ、嘆け——〟
御杖を回し、柄頭を正面に向けると……ふわり、背後に舞い戻る神使の温もり。重なる二人の歌声と二つの正四面体——
〝八つ角が創るは、星の煌めき。汝を焼き殺す裁定の業火〟
双つの正四面体から生まれた星型八面体が聖油を呑み干す。
刹那、地鳴りが身体を震わせた。
同胞の残骸を踏み潰し、教会に群がる亡者。無数の黒い瞳が此方を見据え、出入口から針山の如く凶腕がこちらに迫る、が——
〝多芒星陣の導きによりて、我は執行する——浄化せよッ!〟
——音も無く、眩い光がそれらを呑み込んでいった。
【用語解説】
◯エスティアス・バークレイ
その生涯を死霊術式の研究に捧げた学者、故人。
◯多芒星陣
術式執行に用いる為の、複数の頂点を有する星型陣形による魔法陣。目的に応じて頂点の数を増減させるが、当然ながら増えるに従って起動が困難になる。
◯聖油
マリス特性の清く有り難い香油。カリス教会にて一瓶から購入可能。
◯浄化術式
対象を燻蒸或いは、焼却する事で浄化を試みる術。通常は聖油を撒いて、祈りを捧げながら対象を燻す事で悪しきを払うものであるが、今次執行においては、対象が喰人鬼尚且つ、多数に渡ったため多芒星陣を用いて効果範囲を拡大、強化することとなった。
◯起動句
術式起動の為の詩。簡素な術式の場合は定型分であるが、大規模な術式は執行権者のみが取り扱える様に異なる詩が作られる。




