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八胤大蛇2〜空シキ空〜

 何も見えねぇ……何も聞こえねぇ……

 踏みしめる大地の感触も、肺に吸い込む空気の美味さも、四肢を動かす感触すらも……此処には何も無い。


 此処に来るのは、さて、何度目だったか……神魔に封じ込まれた時か?

 いや、結局あの時は、肉体が朽ちて魂がここに来る前に異邦人に引っ張り出された。なら、異邦人と死合った時か?

 いや、あん時はあん時で……異邦人あのヤロウは〝討て〟というこちらの言い分を聞かず、勝手に封じ込めやがったんだ。そうでなければ、先程まであっちの世界で好き勝手に動ける訳がねぇ。ということは……何だかんだで初めてか、この——


「——黒白の狭間に来るのは」

こちらの考えをなぞるように、背後から声が聞こえた。懐かしい彼奴の声が。

 その刹那、あろうことか視界が開ける。光が差し込み、影が出来る。九十九という個体を象る影が。

 ぬくい陽光にも似たその光条と、己の影を認識すると、ようやく己の四肢を動かす感覚を思い出して……こんな、造作も無いことさえ忘れていたのかと、自嘲気味に両の手を開閉かいびゃくしては感触を確かめた。そう……俺は此処に、確かに在るのだと。

 

「よぉ……久しいな」

その感覚を噛み締めながら、背中越しに声の主に言い放つ。返事はなかった。おそらく何時いつもの様にこちらの反応を楽しんで、ほくそ笑んでやがるんだろう。まぁ……毎度の事か。それよりも——


「——というか、こいつは何のまじないだ? 如何どうして、俺という存在を固定化できている?」

黒白に吞み込まれれば……そう、何者であれ、その者をその者たらしめている細胞の記憶すらも無か有、零か壱——そう、黒と白のいずれかに呑み込まれ、存在や概念など跡形も無く消えゆく筈だ。神魔でさえも。それなのに——


「ほぅ……考えるのは存外、蛇公おまえの苦手な分野と思っていたが……なんだ、少しは真っ当な見解を示すものだな」

変わらねぇ……変わらねぇなぁ、その口調。間違いなく異邦人アイツだ。胸をくすぐる懐かしい感触に、思わず頬の筋肉が緩んだ。だから——


「仕方ねぇだろ。こっちはとっくの昔に消え失せたと思ってたのによぉ。……気が付いたら山奥でグースカ寝てたんだぜ? 何があったんだくれぇは考えるだろうよ」

「あぁ……そう言えば、言ってなかったな。悪いが、お前には少しの間眠ってもらっていた」

思い出したように異邦人は呟いた。すっとぼけやがる。


「少しのって、あぁそういやお前……あれから何がどうなったか解ってんのかよ?」

「いや、さっぱり」

「そうか。まぁ短く話すと〝かくかくしかじか〟ってところだな」

「ほぉ……どっかのだれかさんが折角目覚めたのに、直ぐに果てた、ということか」

「うっ゛……」

変えようの無い事実を突きつけられて、思わず言いよどむ。

 ちぃ……然もねぇ冗談が何倍にもなって返ってきやがる。こいつ、さっぱりだなんだと言いながら、おおよそは察しがついてるんじゃねぇか。


ッ、どっかの阿呆が丸ごと封印しやがるから……仮初めの身体で適当に楽して暮らそうかと思ったら——この様だ」

文句を言って、見えぬ地面に胡座をかくように腰を下ろした。


「で、外の世界はどうだった?」

異邦人が問う。


「あぁ……聞いた話じゃ、あの後、暫くは平穏だったようだが、如何してかな……」

やるせない気持ちが胸を覆い、少し言い淀んだ。


「相変わらず見えぬことわりに囚われ、混沌に踊らされて、また昔に逆戻り……」

争い、いさかいが無くなる事はない。己の優位性の主張と限りある利益の獲得に向けた思考や行動……それは生物としてごく自然な欲動であるからだ。仮に、其れ等が起きぬと言うのであれば、何者かの意向によって皆が皆、指示された方向を一様に向いているという事である。逆もまた然り、争いが絶えず一向に平定されぬというならば扇動する者がいるということだ。


「……天壌無窮てんじょうむきゅう、果てのない天地と等しく、俺達がどう足掻こうと……黒白に支配された先の世に変わりはねぇという事なのかもしれねぇなぁ」

問われ、自嘲気味に口が開いた。その答えに「珍しく弱気じゃないか」と異邦人が口を挟む。それで——


「だがよぉ……御前が護ろうとしていたモノは、確かに残っていた。まだ、咲いちゃいねぇが、確かに彼処あそこに希望のたねは残っていた——」


 ——其れを、俺は再度また……護れなかった。


 浮かぶ、未だ咲かぬ四葉の表情。

 絶望の中にあっても尚、輝きを失わなかった透き通るような碧眼が、脳裏を過ぎった。

 そして、浮かぶ疑問。ともすれば、己の過ちを他人になすりつけるかのように、異邦人に問う。


「どうして……どうして、あの時——」

俺を討たなかったのかと。


「——さとい御前のことだ。全て解っていたはずだ。御前には……総て」

そうだ。あの時にはもう、異邦人には総てが見通せていた筈だ。打ち倒した数多の神魔を喰らった俺を討ち、その存在ごと消滅させれば災厄の種を総て無にする事が出来たはずなのに……そして、俺の、人を模した身体に当に限界が訪れていた事も。


 何故、討たなかったのか……と、少し非難しながら問い掛けた。すると、背中を合わせる様に真後ろに奴も腰を下ろす。少し預けられた体重が背中に感じられ、懐かしさを胸に覚えた。


「なぁに……蛇公の三文芝居に乗るのも一興かなと思ってな」

「ならば、尚のことだッ——如何して!」

「——創造主の正体を知った」

「……何だと?」

「アレは、仮にお前とともに神魔を滅ぼしても、すぐさま全てを焼き尽くし、再度同じ世界を構築しようとするだろう。其れがアレの存在意義だ」

「何だそれは……それではやはり全てが無駄だったというのかッ!」

散って逝った戦友達の死すらも無様な足掻きであったというのか……


 矢継ぎ早に異邦人は語る。神魔による支配を完全に解いたとて、創造主が全てを無に帰し、再度また一から世界が創造されるのだと——


「所詮、俺もお前もあの星から創造されたモノに過ぎない。定められた理には逆らえぬ」

——世界の異端おれはもとより、異邦人でも変えられぬ定めだと言い切った。つまりは俺の懸念を肯定していたのだ。思わず抗議しようと口を開くと、異邦人は、だが——と、こちらを制して続けた。


「お前が目覚めたと言うことは、黒白に染まらぬ存在が、あの星に流れ着くという事だ」

「どういう事だ?」

「彗星の如き輝きが、間も無く堕ちる」

「彗星だと……何処に?」

「知らん」

「知らんって、お前……」

「だが、その様に仕組ませてもらった。神魔が復活を目論み、光弦イーリスが奏でる第八音によって、仮初めの(・・・・)空シキ空が解かれる時、創造主の束縛を受けぬ、此の世の外より訪れし存在が辿り着くように」


「仮初の……空シキ空」

思わず、異邦人の言葉を復唱した。


「あぁ、そうだ。ようや蛇公おまえに見せられるなぁ」

ドクンッ——と、響く音。


天蓋てんがいの内にこもり、星々の歌声——真のソラを知らずして……何が世界だ。笑わせるな阿呆〟

かつて投げ掛けられた言ノ葉が脳裏に響き、再度、この胸を打った。その熱が胸を焼きながら喉を駆け上がり、俺の口を開かせる。


異邦人おまえは、こういうのか……まだ、終わりでは無いのだと」

「いや、違うぞ蛇公……此処からだ。此処から始まるのだ。欲深き愚か者達(おれたち)の、果てなき旅が——」

嬉しそうに語る異邦人の声の響きに共鳴して、走馬灯の様に巡るかつての戦い。今は亡き数々の戦友達の頼もしき後ろ姿、酒宴を囲む唄と笑い声。

 孤独な暗闇から俺を引っ張り出した異邦人に、次々と見知らぬモノを教えられた。飯を食らい味わう事を、唄を歌い笑う事を、仲間を頼り、戦友の亡骸に涙して……


 そうだ、無駄な足掻きなどでは無い。

 民人の嘆きに立ち上がった、戦友達あいつらの軌跡、ひとつひとつが此処に繋がっているのだ。

 ならば、俺は——

 

蛇公ツクモ、お前はこれから何を成したい?」

異邦人が俺に問い掛ける。いつか、俺が四葉に問い掛けた様に……

【用語解説】

◯黒白の狭間

 万物が無か有、零か壱のいずれかに寄り分けられる場所。本来であれば、そこに至った存在全てが思考する事も、それこそ己を認知することすらできぬ場所であると言われる。


◯創造主

 異邦人は創造主を、世界の理を定め、その在り方を常に支配する存在だと言及した。

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